哲学・宗教・心理 - 筑摩書房の検索結果
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「泣きながら一気にページをめくったあの日を忘れることはできません」。 ひとりの読者の感想から広がり、子育てに悩む女性たちの間で話題に。 子は、親が大好きだ。 かつて子どもだったあなたへ、子育て中のあなたへ。 どの子も親が大好きで、「自分が役に立っているだろうか」「必要とされているだろうか」と考えている。しかし思春期になり、親から逃れようとする心と、従おうとする心の葛藤に悩み「心の病」になってしまう。真の解決は、親が子を救い出すのではなく、子に親が救われるのだと分かった時に訪れる。「引きこもり」や「拒食症」で悩む多くの子どもたちに向き合い、心の声に耳を傾けてきた著者が綴る、あなたの子どもと、かつて子どもだった親を救う本。
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ブッダはなにを語り、どのように説いたのか。その教えを最も純粋なかたちで伝える最古層の重要な仏教経典の集成。阿含=アーガマとは伝承されてきた聖典を意味する。これらの経典群のなかには、あらゆる宗派を超えた仏教の原初のすがたがあり、その根本がある。本書は厖大な阿含経典群のなかから、よく古形を保ち、原初的な経と判定される諸経をとりあげ、パーリ語原典からの現代語訳と注解で構成。第1巻は、ブッダの悟りの内容を示す「存在の法則(縁起)に関する経典群」と、その法則に即して人間をかたちづくる要素を吟味した「人間の分析(五蘊)に関する経典群」を収録する。
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「言語」とは何か──すべてはそこに収斂する ヨーロッパの特異性を浮かび上がらせる傑作思想史 ヨーロッパ固有の問い、「言語の起源」。把握不能な生成の瞬間を探求した人々は何を見ようとしていたのか――。ヨーロッパの核心を穿つ傑作思想史。 === 言語の起源とは何か。それは自然と人為、いずれによるものか。古代から近代へと2500年、この問題はヨーロッパにのみ見られる足跡を遺した。ヘブライ語の失墜、新たな「自然」の創出、「起源の言語」から「言語の起源」への転換と国民国家の成立、そして「近代」に固有の逆説……。言語の生成はいかにして可能かという問いがそれらを貫いていく。傍らに一人「生まれ出ざる者」を伴いながら――。長きにわたる追求は、ついにソシュールによる起源の否定へと逢着したが、本当に問題は消えたのだろうか? 膨大な文献の渉猟とともにヨーロッパの核心を剔抉した傑作思想史。第36回サントリー学芸賞受賞。 【目次】 はじめに 序章 人類最初の言語を聞く 第I章 「神」が言語を与える――聖書の時代:中世から一五世紀まで 第II章 複数のアダムたち――国民言語勃興の時代:一六世紀から一七世紀 第III章 人間が言語を作る――「自然」創出の時代:一七世紀 第IV章 起源を証明する――「社会契約」の時代:一七世紀から一八世紀へ 第V章 起源をめぐる闘争――乱立する言語起源論の時代:一八世紀 第VI章 起源を復元する――言語学の時代:一八世紀から一九世紀へ 終章 「起源の言語」を語る天使たち 書誌 あとがき ちくま学芸文庫版あとがき 人名・作品名索引
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受験生から哲学者まで。 頭を使う人ほど、歩いてる。 散歩とは、心の世界を耕しながら、世界と私のあいだにある微妙な“間(あわい)”を感じさせる営みです。公認心理師・臨床心理士という立場で、“心の回復”の場面に身を置いてきた著者は、さまざまな心の支援の局面において、散歩の要素が関係していることに気がつきます。散歩と心の関係をひもとく、稀有な一冊。 この本は、散歩に関心のある皆さんに、その豊かな人間回復の世界を見出していただければという願いのもとに書かれた本でもあります。いろんな時空を散歩するような気軽な気持ちで、読んでいただけると幸いです。 === 【目次】 第1章 散歩という営み 第2章 散歩は時空を超える 第3章 散歩は交配する 第4章 散歩は世界と私を接続する 第5章 散歩は世界と私のあわいにある ===
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旧約聖書はユダヤ教・キリスト教の正典であり、また、その宗教的権威を離れても広く人類の文化のなかで大きな影響を与えてきた。しかし、その中身はそれぞれが矛盾し錯綜したテキストの集合であり、多くの現代人にとっては通読することすら困難だというのが現実だろう。本書は、旧約聖書をその歴史的状況の中に置き直し、「創世紀」「出エジプト記」「ヨブ記」「雅歌」…等々の文書が成立した時代とそれらが背負っていた思想的課題からの解読を試みる。各文書の個性から、なぜ旧約聖書というまとまりのある書物が成立し権威を持ったのかまで、イチからよくわかる旧約入門の決定版。
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自己の欲望と好奇心を どうするか? 「道」「平常心」「自力」とは── こころの解像度を上げる禅的思考の本質とは。 答はない、あるのは自己のみ。 理屈を超えた、命がけのことばのバトルを味わう。 唐代の『趙州録』から、11の禅問答を抜粋して解説。 本書に登場するキーワード ……平常心 自力 道 明暗 作為 是非 自由 目指さない 意識 無意識 聖者 凡夫 具体 抽象 自己陶冶…… 禅問答は、ことばを使っておこなう、地に足のついた禅僧同士の、ガチな対話の記録である。 唐代の名僧・趙州は、ことばで相手の基盤を揺さぶる達人で、師である南泉との問答には、「道」「平常心」「我欲」「自力」といった禅的思考の本質が凝縮されている。 決してわかりやすいものではないそれは、禅のスタート地点にあるもので、つまずきながら読み込む先に、おもしろさという値打ちがある。 この世で自力で生きていくためのヒントに満ちた11の問答を味わう一冊。 イラストレーション=越井隆 === 【目次】 まえがき 問答という対話のかたち/自己を言語化することの極み/他人とともにことばを使いあう/ことばの自己対象化のはたらき/禅問答とはいかなる問答か/AIに禅問答はできるだろうか/なぜ11の禅問答を読むのか 第1の問答 平常心がそれだ──なにも隠されていない 現実をありのままに認識する/ことばの意味を理解する/よく生きることを意識する/自由であることはむずかしい/こころを汚れに染まらせない/一切の意識をなくすべきなのか/目指さずして意識できるのか 第2の問答 言語化なくして明暗なし 言語化せずに答えられるのか/たれが打たれるべきだったのか/知覚し思考するところを言語化せよ/言語化しないのは甘えだ 第3の問答 なにが有ることを知っているのか 知るべきことを知っている/ウシはそれを知っているのか/異類はよく生きているのか/死んだらどこにゆくのか 第4の問答 火事だ!火事だ! 師と弟子とが火花を散らす/なにごとも自力でやるべし/なぜ鍵を投げ入れたのか/自力とは、自己とは…… 第5の問答 助けて!助けて! ただ助けるふりをするだけ/ちゃんと助けられている 第6の問答 命がけの一言をよこせ──しからずんば諦めよ ほんとうの本末転倒はなにか/本末転倒にもいろいろある/かさねがさねの筋ちがい/我欲をどうやって捨てるか/ヘタな有言は無言にひとしいのか 第7の問答 くやしい!くやしい! 「ことば」がやっていること/ことばは行動についてくる/ズバリと異類になってみせる/ほんとうに問いたったこと/生きることと言語化すること 第8の問答 手綱はもってきたか──それでも自己は捨てきれない その行為はみられている/主体性はどこへいったんだ/いまひとつ?みあわない 第9の問答 理屈にかかずらうな──けれども言語化はサボれない 無言であることはゆるされない/理屈をはなれる仕方もいろいろある/ふたつの仕方のわかりかた/象徴とそれが象徴するもの/ことばで示さないでどうする 第10の問答 なんてこったい! どうして門を開けたのか/ことばは経験にささえられている/ことばは行為をあらわしている/禅問答という特殊空間 第11の問答 ことばは生きている──仏をもとめ、汚れを捨てよ 言語化する隙もあらばこそ/馬祖はなんといっているか/心はただちに仏でありうるか/仏に近づき、汚れを捨てる/「ありのまま」じゃいけない/自覚なくして成仏はない/ほかならぬ自己が成仏するのだ/熟した梅の実は落っこちる/ことばは生のなかに息づく あとがき 参考文献 ===
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思想はここに極まる ヘーゲルの没年に行われた最後の講義。その筆記録を忠実に訳し、歴史哲学の実像を伝える。 ヘーゲル終焉の年に行われた「世界史の哲学」講義筆記録の新訳。歴史を通し精神の本質をなす自由はどう実現されたか。思想の最終到達点が示される。 === 「世界史は自由の概念の発展である」と主張し、その過程を縦横に語った講義「世界史の哲学」。長らくヘーゲルの入門書として読まれてきた『歴史哲学講義』は、恣意的な編集によって歪められたものであったため、多くの誤解を生んできた。アカデミー版全集に基づいた新訳は、真のヘーゲル像を明らかにする。10年間になされた講義のなかでも1830/31年冬学期の講義は特に重要だ。中国、インドなどの東方世界の歴史から、ギリシア、ローマ、ゲルマンへと辿り、フランス革命後の激動期を考察する。それはヘーゲル最後の国家論・政治哲学の卓抜な洞察であり、現代の自由主義論争にも大きな示唆を与える。 【目次】 訳者による序 凡例 訳注の凡例 世界史の哲学への序論 はじめに 一 世界史の哲学の普遍的な目的は客観的な目的 二 究極の目的設定の内容 三 世界史の歩み 世界史の哲学 一 地理学的三区分 二 世界史の時代区分 第一章 東方世界 一 中国 二 インド 三 ペルシア帝国 四 エジプト 第二章 ギリシア人 第一期 ギリシア世界の起源と形 第二期 ペルシア戦争からアレクサンドロス大王の東方遠征まで 第三期 ギリシアの没落 第三章 ローマ人 第一期 ローマの起源と強国への発展 第二期 第二次ポエニ戦争から帝政成立まで 第三期 帝政時代 第四章 ゲルマンの国 序 第一期 ゲルマン諸民族の登場 第二期 中世 第三期 近世 訳者あとがき 事項索引 人名索引
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イギリス近代を代表する思想家にして法学者ジェレミー・ベンサム(1748‐1832)。本書は、近体功利主義の創始者として知られる彼の代表作と目される記念碑的著作である。ここでベンサムは、人間の快と苦痛のみに基礎づけられた功利性の原理をもとに個人と共同体のありようを徹底的に解析し、そこから真に普遍的な法体系を導出しようと試みる。その挑戦はわれわれをどこに導くのか? 刊行より200年以上経てもなお倫理学、法哲学、政治思想など広範な分野に圧倒的な影響を与え続けている名著を、このうえなく清新かつ平明な訳文で送る。上巻は「第13章 罰すべきでない場合」まで。文庫オリジナル。
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日本古典文学中屈指の名文『方丈記』。著者鴨長明が見聞し体験した、大火、大風、遷都、飢饉、大地震などが迫真の描写で記録され、その天災、人災、有為転変から逃がれられない人間の苦悩、世の無常が語られる。やがて長明は俗界から離れ、方丈の庵での閑居生活に入りその生活を楽しむ。しかし、本当の心の安らぎは得ることができず、深く自己の内面を凝視し、人はいかに生きるべきかを省察する。本書は、この永遠の古典を、混迷する時代に生きる現代人ゆえに共鳴できる作品ととらえ、『方丈記』研究第一人者による新校訂原文とわかりやすい現代語訳、理解を深める評言によって構成した決定版。
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源流インドから中国をへて日本へ―― 厳正な眼差しで追う 独自の精神形成史 源流たる仏陀の教えから、時代とともに遠ざかってきた日本仏教。〈日本的霊性〉称揚に警鐘を鳴らし、原典研究の厳正な立場から、その精神形成史として追う。 === 共通の聖典をもつこともなく、数多くの宗派に分離した日本の仏教。キリスト教など、ほかの多くの宗教では、開祖の教えに立ち戻る宗教改革が起こったのに対して、日本仏教は実際問題として仏陀をそのように重要視してはこなかった。著者は「大陸からの伝来以来、順々と磨かれ、鎌倉期の仏教成立をもって〈日本的霊性〉を発揮する真正な宗教となったという自画自賛は間違いである」と述べる。原典研究者としての厳しい視点から、日本仏教独自の道筋に迫る不朽の名著、待望の文庫化。
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浄土宗の開祖・法然は様々な人から教えを乞われていた。本書では、法然が熊谷直実のような武士から式子内親王、北条政子に至る人々に宛てた手紙を平易な訳文とともに紹介する。仏教を専門としない相手に書かれた手紙には、称名念仏による極楽往生こそ救いの道であることが、わかりやすくかつ論理的に説かれている。また文面からは、身分や年齢にかかわらず相手を尊重し、権力とは正面から対峙しない、優しくも強かな法然の人柄が窺える。本書はそうした手紙の読解を通じて、現実から逃げるのではなく往生を見据えて現実を強く生きるという、本願念仏の持つ実践的な力を提示する。文庫オリジナル。
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「生んでくれなんて頼んでない」 「親ガチャ“ハズレ”」 「子どもはほしくない」 その気持ちを論理で考える一冊 子どもは「生まれるか」を選択することはできません。親の一方的な考えのみで「存在させられる」のです。だから「生んでくれなんて言ってない!」と思うのは当然のこと。「親に感謝すべき」「幸せな人生を目指すべき」という重圧をほどき、生きづらさとともに生きるために。 ◎本書抜粋 反出生主義は「死んだほうがいい」と言っている思想ではありません。ここが最も誤解されやすいところです。反出生主義が問題にしているのは、「新しく人を存在させること」です。すでに存在している人に「存在するな」と言っているわけではありません。まったく逆です。今いる人には、できるだけ良く生きてほしい。苦しみを減らし、少しでも良い人生を送ってほしい。反出生主義は、そういう思いから出発しています。(「まえがき」より) === 【目次】 まえがき 第1章 生まれるって、だれの決断? 1 「頼んでない」は言ってはいけない? 2 親は依頼されていない/子は選べない 3 存在させることの一方通行性 第2章 「親ガチャ」を考え直す 1 そのガチャって誰が回してる? 2 金持ちに生まれたら幸せ? 3 「子ガチャ」の視点 第3章 「幸せ」を倫理学で考えてみる 1 快と苦は相殺できる?──功利主義という考え方 2 存在させることは「害」か?──ベネターの非対称性 3 「正解」はあるのか?──事実と価値を区別する 第4章 家族は「当たり前」じゃない? 1 「家族を大事に」の圧をほどく 2 一人でいるのは悪いこと? 3 友だち関係の作り直し 第5章 「ふつう」と「がんばれ」から自由になる 1 「1/2成人式」ってなんだろう? 2 どうしてがんばらなきゃいけないの? 3 「ふつう」を自分で定義する 第6章 「子どもをつくらない」を選ぶ倫理 1 作る権利・作らない権利 2 中絶・養子・教育の超入門 3 親を責めてもいいの? 第7章 ぼくらの生まれたこの世界で 1 ケアは血縁を超えられる 2 「持たない」生の充実 3 今日を生きる ブックガイド──さらに考えたい人のために あとがき ===
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須弥山とは、高さ約56万キロメートル、天神らが暮らす想像上の高峰である。5世紀頃インドで書かれた仏教論書『倶舎論』はこの須弥山を中心とする壮大な宇宙を描き出し、仏教が宇宙をどう捉えたかを詳細に解説した。本書は、『倶舎論』を基礎に他説も参照し、仏教宇宙観を簡明に記す。人間より優るが欲望の虜である天神とはいかなる存在か。「蛆虫に骨をうがたれる」といった地獄の責苦、世界を構成する四大と極微、宇宙の消滅と生成のサイクルなど、幅広く解説。後代に現れる極楽浄土の思想をも取り上げて、人生を苦とし、輪廻と解脱の思想を根底とするこのユニークな体系の変遷をたどる。長年読み継がれてきた入門書。
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無理そうなのに、あきらめられない。 「がんばれ」が重くのしかかる。 なぜか、手を抜いてしまう。 それ全部、心のクセのせい! 「もうがんばれない」は心の正常な反応です。 「あきらめられない」は思考の仕組みがそうさせます。 「努力は報われる」というけれど、簡単にはいかない。 心理学で「がんばる」の考え方を一新しよう。 【これも心のクセのせい】 ・ふとした瞬間に「もう無理」と投げ出したくなる ・失敗した人に「自業自得」と思ってしまう ・努力にわかりやすい見返りを求める ・「本気じゃなかった」と言い訳しがち ・報われるまでは、絶対やめない ・努力が恥ずかしいことにみえる ・チャレンジせずに簡単なほうに流れる ・「まだできたのに」と未練を口にしがち === 【目次】 第一章 努力ってなんだ? 第二章 「がんばれば報われる」は本当か?――努力と結果をつなぐ“見えないルール” 第三章 「がんばる」を制御する心のメカニズム 第四章 「あきらめない」というリスク――過剰な粘りが奪うもの 第五章 別の道を見つける力 第六章 「やり抜く力」を“更新”する ===
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おはようございます。こんにちは。 大きな声で挨拶をすることが気恥ずかしいものになっていませんか? ・形式的な「おつかれさまです」が面倒 ・先輩に挨拶したのに無視された…… ・新しい環境で挨拶をするのに勇気がいる “スマートな能力主義”が浸透した現代で挨拶をする意味はどこにあるのでしょうか。 日常に溶け込んだ「挨拶」を多方面から見つめ直し、その言語以前にある「気持ち」を探る一冊です。 ◆本書より 「いないいないバァ」や「アルプス一万尺」で友達と対面して、声を出し、手を動かして楽しむ生き生きとした生活を送っている子どもさんには、本書は必要ありません。成長する中で、いつしか自分以外の人間の顔色をうかがうようになり、互いにジッと見つめ合うと気まずくなる大人になった人、スマホや電子機器に触ったとしても、自分以外の誰かの手に触れることが少なくなった人、そのような人と人との触れ合いが下手な大人になった、あるいは大人になるかもしれない「〈私〉のための挨拶」をこれから考えていきましょう。 === 【目次】 はじめの挨拶 第一章 現代における挨拶の意味──クマさんの「こんにちは」 第二章 挨拶の源にある親しみ──腹の底から「おかあさん」 第三章 はらわたの共鳴と挨拶──いのちを「いただきます」 第四章 無関心な人間のどうしようもなさ──〈私〉の「そばにいて」 第五章 悲しい優しさを贈る──〈私〉が「ここにいるよ」 おわりの挨拶 あとがき ===
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古代の人々の生活や信仰、祭りの中から神社は各地で発生した。では彼らはどのような神々を祀ってきたのだろうか。明治以降の国家神道の影響を受ける以前の“祭祀の原像”を求めて、主要な神社の成り立ちや特徴を解説する。取り上げられる神社は大神(おおみわ)神社、伊勢神宮、宗像大社、住吉大社、石上(いそのかみ)神宮、鹿島神宮、香取神宮などで、それらは大和王権の国家運営が進むに従い、それぞれに役割を付与され性格づけられて、律令体制下の神社制度として確立していくことになった。日本古代史における神社の起源と変遷をていねいに辿り、その存在意義を考察する。
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自己が生命の根拠に支えられて世界と出会う行為的原理である「あいだ」。その構造を、ゲシュタルトクライス理論に拠りつつ、ノエマ・ノエシスの円環的関係を西田哲学の「行為的直観」と関連づけて、多面的に解き明かす。自己が主体として生きるということは、生命一般の根拠の「おのずから」の動きにかかわると同時に、間主体的な世界を維持することではないか。ユクスキュル、ブーバー、レヴィナスらへの言及を通じて自他の関係を考察し、ダブル・バインド仮説の可能性を改めて問う。独自の学問的地平を切り拓いた著者の世界をわかりやすく示す。
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集団への帰属の欲求とは何を意味するのか。この欲求が他者に対する恐怖や殺戮へとつながってしまうのはなぜなのか――。グローバル化の進展は、さまざまな文化の保持者たちの基盤を揺るがし、時に偏狭で排他的な帰属意識を生み出してしまう。複数の国と言語、そして文化伝統の境界で生きてきた著者は、本書のなかで新しい時代にふさわしいアイデンティティのあり方を模索する。鍵となるのは、「言語」だ。言語を自由に使う権利を守ること、言語の多様性を強固にし、生活習慣のなかに定着させること、そこに世界の調和への可能性を見る。刊行後、大きな反響を呼んだ名エッセイ、ついに邦訳。文庫オリジナル。
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20世紀を代表する哲学者・ジョルジョ・アガンベンは言う、「わたしはエピゴーネン(亜流)である」と。ハイデガー、ベンヤミン、フーコー、デリダ、ネグリ、そして道化プルチネッラ……他者という「鏡」の中に自己の哲学を見出すこの思想家の概念の起源と展開を著作群に読み解く。デビュー作『中身のない人間』から最新刊『クアデルニ』までを射程に収め、認識と無知、聖と俗、アナーキーとデモクラシー、悲劇と喜劇など、両極間を宙吊り状態のまま渡っていく、そのスリリングな思考はどこに向かうのか? 【目次】I アテンション・プリーズ――序に代えて/II 「エピゴーネン」という身振り/III アートと抵抗/IV ハイデガーを読むデリダを読むアガンベン/V ネグリVSアガンベン、あるいはオルター・エゴの応答/VI ドン・キホーテの存在論/VII 「アナーキーはデモクラシーよりも興味深い」/VIII 精神分析について彼が知っている二、三の事柄/IX 瀆聖と異端の神学/X 喜劇に始まり喜劇に終わる――結びに代えて
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謎の武将・明智光秀と悲劇のヒロイン細川ガラシャ。戦国時代を生きた父娘は、どのような人物だったのか。光秀が織田信長を裏切った本能寺の変の背景には、何があったのか。キリスト教を学び改宗した娘は、石田三成率いる西軍の人質になることを拒絶して死に追い込まれた「気高い美女」とされるが、本当の彼女はどのような才覚、性格、容貌の持ち主だったのか。明智家の状況、当時の布教の様子、イエズス会の置かれた立場や日本戦略、近代化の過程で変容したイメージなど幅広い観点から、彼らの実像を浮かび上がらせる。
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アナキズムとは何にも支配されないこと。ビギナーからマニアまで。QさんAさんの軽快なトークで、自分の中の固定観念から解放され、人を縛る社会の仕組みから逃れ、統治から自由に生きる! ブレイディみかこ氏、角幡唯介氏推薦。/・税金、政府、議会制民主主義、警察、監獄、統治。どうして全部いらないか?(第1章)/・アナキストは「労働からの自由」を求め、資本主義に浸かった「魂」を自分たちの手に取り戻す。(第2章)/・直接行動とは? 権力を取らずに世界を変えるには?(第3章)/・別の世界は存在しない、別の生き方があるだけ。「他律」も「自律」もなく生きる(第4章)
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キリスト教において正典とされる四つの福音書のどこにも、イエスの笑いは出てこない。だがナイル川流域の土中から1970年代に発見された『ユダの福音書』では、イエスは四度笑っている。一人のグノーシス主義者によって書かれたこの笑いはいったい何を意味するのか。じつは四度ならず、イエスは大いに笑ったのだ――『寅さんとイエス』で、イエスが寅さんのようなユーモアに満ちた存在だったことを描き出したカトリック神父が、聖書のミステリーに挑む。 【目次】はじめに/第一章 イスカリオテのユダと『ユダの福音書』/第二章 イエスを四度笑わせた『ユダの福音書』/第三章 正典福音書におけるイエスの〈怒り・苦しみ・悲しみ・喜び〉/第四章 正典福音書におけるイエスの〈ユーモア〉/第五章 正典福音書におけるイエスの〈笑い〉/追記1 聖夜を前に聖書ひもといて/追記2 ガザの「壁」/おわりに
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霊学研究の諸成果に関心を寄せる人々の中には、そのような人生の高次の謎を口にする者が一体どこからその知識を得たのか、という点に疑問をもたざるをえない人もいるであろう。本書はまず第一にこのような人のために役立ちたいと望んでいる。霊学は人生の高次の謎の本質に深く係わろうとする。この霊学からの発言の根底にある諸事実を吟味しようとする人は自力で超感覚的な認識を獲得しなければならない。本書はそのための道を記述しようとしている。四大主著の一冊。
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『逝きし世の面影』の著者渡辺京二は、日本近代史の考察に、生活民の意識を対置し、一石を投じてきた思想家である。その眼差しは表層のジャーナリズムが消費する言説の対極にある。本巻には、西欧的な市民社会の論理では割り切ることのできない、大衆の生活意識にわだかまる「ナショナル」なものを追求した「ナショナリズムの暗底」、明治国家への最大の抵抗者としての西郷隆盛を常識的定説から救抜する「逆説としての明治十年戦争」、北一輝と日本近代の基本的逆説の関連を問う「北一輝問題」など、日本近代史を根底から捉え返すことを試みた論考を集成する。
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現代世界が直面しているテロの背景には、やむを得ない実力行使の側面がある。けれど、そもそもイスラームは本当に好戦的なのか。激しい攻撃にさらされてもなお、信仰者を増やし続ける魅力はどこにあるか。イスラームを貧困と暴政に陥れた“真犯人”は誰なのか。日本人がイスラームを理解することはできるのか―。日本人研究者、信仰者としてイスラームを30年以上見つめてきた第一人者が、イスラームの深奥を明らかにする。異文化を知ることは、自文化を知ることである。そこに立ち現れる日本の姿とは。【電子書籍オリジナルまえがき付き】
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法然が登場する以前、仏教は驚くことに、一部のエリートのためだけに存在する宗教だった。漢文で書かれた難解な経典が読めること、日常生活を気にせず修行に打ち込めること、が条件だったからだ。しかし実際に苦しみ、救済を必要としたのは、文字も読めない市井の人びとに他ならない。そこで法然は、誰でも、いつでも、どこでも実践可能な「念仏」を柱とする浄土宗を打ち立てた。この『一百四十五箇条問答』は、法然の教えに惹かれながらも、従来の仏教との違いに戸惑ったり、生活を改めなければならないのかと不安に思った人びとの145の疑問に、法然がやさしく答えたもの。浄土仏教や法然その人を理解するための、またとない入門書となっている。
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「AIは言葉の意味を理解している」――2020年に行われた調査で、回答者の半数近くがこのように回答した。2022年に公開されたChatGPTは、当時よりいっそう自然な受け答えが可能だ。はたして現在のAIは言葉の意味を理解しているのだろうか。そもそも意味を理解するとはいかなることなのか――。AIの開発史をたどりながら、現在のAIを支える大規模言語モデルのメカニズムを解き明かし、深い霧に包まれた「意味理解」の正体に一歩ずつ迫る。哲学者によるスリリングなAI入門! 【目次】序章 哲学者、大規模言語モデルに興味を持つ/第一章 AIの歴史──心の哲学を補助線として/1 ダートマス会議にはじまる/2 第一次AIブーム──「一人で立てたよ!」/3 AIの冬(1)──「時バエは矢を好む」?/4 第二次AIブーム──「知識には力が宿っている」/5 AIの冬(2)──「あなたたち人工知能研究者はいつもそうやって噓をつく」/6 第三次AIブーム──「私たちはずっと正しかったのだ」/7 1980年代のコネクショニズム批判/8 残された疑問──ニューラルネットワークは自然言語を扱えるのか?/第二章 自然言語処理の現在──言語哲学を補助線として/1 AIは言葉の意味を理解すると思いますか?/2 意味に対する伝統的アプローチ/3 真理条件意味論に対する疑い/4 コネクショニズム化する自然言語処理/5 分布意味論の批判的検討/6 大規模言語モデルと言葉の意味理解/7 意味と意味理解についてわかったこと、まだわかっていないこと/終章 機械に心は宿るのか?
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長い歴史と多数の異なった民族から成り、広大な地域の中で様々な伝統文化を併存させている国インド。日本人には想像もできないほど人々の考え方の振幅は大きいが、その精神的豊かさには瞠目すべきものがある。多様でありながらインドの底流をなす思考方法とは何か。本書では、国名「インド」の由来やインダス文明の興隆から説き起こし、ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教、『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の二大叙事詩、論理学など、インドを特徴づける主要な思想のエッセンスを、仏教・インド哲学研究の泰斗が解説する。
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理論への誘惑を退け、思考の悪癖を断ち切る── 現代哲学を方向づけた天才の思考をたどる最良の入門書! 哲学とは、言語の限界に突き当たってできた思考の瘤を取り除くことである。ウィトゲンシュタイン哲学の核心にふれる、定評ある入門書の増補完全版! === 哲学とは、言語の限界に突き当たってできた思考の瘤を取り除くことだ。哲学者のつとめは、自らがこうした瘤や病気をもっていることを自覚しながら、それを治療することにある。ウィトゲンシュタインの哲学は、著述の特異なスタイル、そして彼の人柄と切り離すことができない。本書は、理論への誘惑を退け、思考の陥る悪癖を断ち切ろうとするウィトゲンシュタインの粘りづよい思考を、主著『論理哲学論考』や『哲学探究』のみならず、膨大な遺稿や講義録にも分け入り、その数奇な生涯をたどりながら一望する試みである。その後の解釈論争や最新研究を踏まえ、増補を施した入門書の決定版! 【目次】 まえがき 第1章 一九二九年 第2章 『論理哲学論考』とはどんな書物か(一) 第3章 『論理哲学論考』とはどんな書物か(二) 第4章 ウィーンからケンブリッジへ 第5章 否定の謎 第6章 像としての命題 第7章 語りえぬ事柄 第8章 再出発と破局 第9章 復帰までの道のり 第10章 ふたたびケンブリッジにて 第11章 現象言語 第12章 意味と検証 第13章 哲学とは何か 第14章 『哲学探究』まで(一) 第15章 『哲学探究』まで(二) 第16章 意味と理解 第17章 私的言語 第18章 数学の哲学 第19章 心理学の哲学 第20章 最期の日々 第21章 科学主義に抗して 補章 二一世紀のウィトゲンシュタイン ウィトゲンシュタイン略年譜 主要著作ダイジェスト キーワード解説 読書案内 あとがき ちくま学芸文庫版あとがき 参考文献一覧 索引
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三単現の-sは「最後の名残り」、be動詞は「保守的」?! ルーツをたどればルールがわかる! 印欧祖語からゲルマン祖語、古英語を経て現代英語へ──。波乱万丈の歴史を知れば、複雑な規則も腑に落ちる! 読めば英語の見え方が変わる快著。 === いわゆる「三単現」の場合にだけ、なぜ一般動詞は末尾に-sが付くのだろう。be動詞はam, are, isなど色々な形をなぜ使い分けなければならないのだろう。英語には一見不可解なルールがあふれている。本書は古英語、ゲルマン祖語、果てはインド・ヨーロッパ祖語にまでルーツをさかのぼり、それらと比較しながら現代英語の特徴を解明する。完成されたインド・ヨーロッパ祖語が時代と共に崩れ、新たな形の言語に再構成されてゆく──。その波乱万丈の歴史を知れば、動詞の変化や厳格な語順、仮定法の感覚、綴りと発音のずれなど、難しいルールも腑に落ちるはずだ。読めば英語の見方が一変する快著。 【目次】 はじめに─英語の3つのルーツ 序章 英語発達史概観 第1章 インド・ヨーロッパ祖語民族の言語・文化・神話 第2章 英語の語源と印欧語比較言語学 第3章 印欧諸語の中の英語 第4章 古英語から現代英語まで 第5章 文字と綴りのルーツ あとがき/文庫版あとがき/参考文献/索引
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英米哲学の諸潮流は、「経験」を基盤に据えるという発想に導かれている。それは、ロックやヒュームらの「経験論」を共通の源泉とするためだ──。ベンサム、J.S.ミルに発する「功利主義」。フレーゲとラッセルを先駆に、ウィトゲンシュタイン、クワインをへて現代に連なる「分析哲学」。パースが提唱しアメリカを体現する思想となった「プラグマティズム」。そして、ロールズやノージックらの「正義論」。本書は、こうした英語圏の哲学的系譜を、経験論を基点として一望のもとに描き出す。主要哲学のつながりを明快にとらえる、入門書決定版!
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私が生まれる前にも世界は本当に存在していたのか? ものごとには原因と結果があるという確信は、実は思い込みにすぎないのではないか? この世界の当たり前のありようを疑い、立ち止まって問うてみること。それこそが哲学の入口であり核心である。ロック、バークリ、ヒューム、ラッセル、ウィトゲンシュタイン……「経験」や「言語」を足場に考え抜いた哲学者たちの議論を糸口に、素朴にして深遠な哲学の根本問題へといざなう。事実(である)と規範(べき)が織りなす世界の謎を読者とともに思考する、笑いあり涙あり(?)の入門講義。
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キリスト教には合理主義と神秘主義の二つの極がある。二千年におよぶキリスト教の歴史は、さながら理性と感性のはざまを揺れ動く振り子のようであった。この構図は近代以降も変わらない。宗教改革以後、むしろ振り子の振幅はますます大きくなった。イエズス会による布教活動、神秘主義の興隆、悪魔憑き、魔女狩りなど、熱狂的な信仰が西欧近代の宗教的エネルギーを吸収した。本書では、キリスト教における神秘主義の思想を、「エクスタシー」という視点から読み解いていく。ギリシア時代に水源をもち、ヨーロッパ思想の伏流水であるカトリック神秘神学を俯瞰し、キリスト教の本質に肉薄する危険な書。
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労働の発生と組織化、欲望の無制限な発露に対する禁止の体系の成立、そして死をめぐる禁忌……。エロティシズムの衝動は、それらを侵犯して、至高の生へ行き着く。人間が自己の存続を欲している限り、禁止はなくならない。しかしまた人間は、生命の過剰を抑え難く内に抱えてもいる。禁止と侵犯の終りなき相克にバタイユは人間の本質を見ていった。内的体験と普遍経済論の長い思考の渦から生まれ、1957年に刊行された本書によって、エロティシズムは最初にして決定的な光を当てられる。バタイユ新世代の明快な新訳で送る、待望の文庫版バタイユの核心。
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日本語において「おのずから」と「みずから」は、ともに「自(ずか)ら」とあらわす。成ることと為すこと、物と自己、自然と自由を意味するが、截然と分けられず、両者には交差・共和・相克する「あわい」がある。そこに見られる日本人の基本的発想とは何であり、それはまたどのような思想文化を育んできたのか。本書は、思想・宗教・文学・芸能の諸領域を広く深く行き来しながら、日本人の自然と自己との相関的認識、超越と倫理との関わり、そして無常観と死生観を根源から問いなおす。倫理学者・日本思想史家である著者の代表作。
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“遠近法”という表現様式は自明のものではなく、ルネッサンス期に確立したひとつの世界観である。パノフスキーらも論じてきた遠近法の成立や発展の背景を、本書は思想史的観点から深く掘り起こし、水墨画や日本絵画における表現法も引きくらべつつ、絵画の一技法という枠を越えて文化全体の文脈のなかで、その真の世界観的意義を捉えなおす。さらに、カントやヘーゲルなどのドイツ観念論における芸術理論、近代日本絵画における格闘を追いながら、美術と哲学の関わりを掬いだす。ユニークな切り口で美術史学の重要論点に切り込んだ名著。
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数学はなぜ科学といえるのか、連続体や幾何学空間の概念はどこから生まれたか、仮説にはどういう役割と種類があるか、科学は自然に対してどういうスタンスをとるべきか――。「ポアンカレ予想」の提唱者としても名高い科学者が、数学・物理学を題材に、関連しあう多様な哲学的問題を論じる。「幾何学の公理や物理学の原理は、人間が自由に決めた定義、あるいは人間の精神が創った規約である」という「規約主義」の立場を打ち出した。科学の要件に迫り、刊行時大反響を呼び、アインシュタインら若き科学者たちを「何週間か呪文をかけられたように」高揚させたという科学哲学の古典。オリジナル新訳。
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人間が神の知恵と愛に与るとはいかなることか──。近代日本のカトリシズムを代表する司祭・岩下壮一が、豊かな学殖と明晰さでキリスト教の真理を闡明した記念碑的名著。公教要理(カテキズム)の概説書としていまだ類例がないだけでなく、深遠で難解な神学は本書により日常の信仰の糧へと一変した。時に表出するプロテスタンティズムや近代哲学への峻烈な批判は、人間精神を主観性の牢獄から解放し、再び霊的実在へ開かんとする著者生涯の意図から発しており、それは神の恩寵の賜物=カトリックの信仰においてこそ実現すると説く。
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ビジネス・実用-1巻1,925円 (税込)ACT(アクト)をはじめとする認知行動療法が提案するグリーフケア 死別、別離、離職、失恋、ペットロス……悲しみと向きあう過程では、しばしば強い苦痛の感情に襲われる。この感情を解消するためには、コンパッション、つまり慈悲の心が不可欠になる。喪失は人生の本質のひとつであり、上手に対処すればそこに大きな意味を見いだせる。自分に残された人生をいかに生きるべきかを明確にしてくれるのだ。注意深く、自分に優しく接していこう。 悲嘆にくれることは決して悪いことではない。 悲しみの居場所を作り、嘆くことを通して自分を見つめる方法を学ぶ。 悲しみによる痛みを上手に受け止めよう。
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法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍―彼らを開祖として鎌倉時代に相次いで勃興した新たな宗教運動は、日本思想史上の頂点をなすと広くみなされている。「鎌倉(新)仏教」と呼ばれるこの潮流は、民衆を救済対象に据えたという点において、とりわけ高く評価されてきた。だが、新仏教の意義は、はたしてこの民衆的性格に言い尽くされるのか? 本書では、旧仏教との異同を深く掘り下げて考察することで、鎌倉仏教の宗教的特質の核心をあざやかに浮き彫りにする。思想家である前につねに実践の人であった偉大な宗教者たちの苦悩と思索の足跡をたどり、中世仏教の生きた姿をとらえた好著。
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われわれは、もはや脱構築ではなく、建設をこそ語らねばならない──。あらゆるものが瓦解したこの20年間に、思想家・柄谷行人は、はたして何を考え、語ってきたか。本書は、その崩壊が誰の眼にも明らかとなった1995年以降の講演を著者みずから精選した、待望の講演集である。近代文学の使命とその盛衰を反照的に論じた「近代文学の終り」、日本にいつしか根づいた特異な民主主義観を、近代における個人化という根源から再考する「日本人はなぜデモをしないのか」など、計11本の講演を収録。その言葉には、いま最も必要とされる強靭な思想が確かに宿っている。学芸文庫オリジナル。
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ソシュールからウィトゲンシュタインへ、西田幾多郎からスピノザへ──。1980年代後半の代表的講演を収録した本書で、柄谷は哲学、文学、宗教、言語学、経済学、数学など多様な領野を自在に行き来しつつ議論を繰り広げる。そこで執拗に追求されるのは、言語コミュニケーション(交換)における人間の悲劇的条件であり、他者との交通を可能にする普遍性がいかに生み出されうるかという問いである。いまなお多くの示唆に満ちたこれらの講演は、後の柄谷理論の展開を予感させるのみならず、批評という営み自体をも再審に付す魅力的な内容となっている。旧版の内容を再構成し、改稿を加えた決定版。
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神との合一に到るための階梯を詳述したカトリック神秘思想を代表する作品。ヨハネは自らの詩に註解を施すかたちで神学的思索を行い、魂の浄化に向かう道を指し示す。「この山にはただ神の誉れと栄光だけが住まう」とされるカルメル山。すべてが闇の内へと沈む「暗夜」を通り抜け、山の頂きへ達するには、この世のあらゆることどもから──自分自身からさえも──逃れなければならない。魂の全き赤裸と神的一致をめぐる教説は、キリスト教徒を超えて人々に多大な影響を与えた。スペイン文学の至宝でもある古典を名訳でおくる。 解説 鶴岡賀雄