山我哲雄(やまが・てつお)
1951年,東京生まれ.北星学園大学教授.同大学大学院文学研究科教授を兼任.北海道大学文学部非常勤講師.専攻は聖書学,宗教学,キリスト教学.日本聖書学研究所所員.岩波書店版『旧約聖書』(旧約聖書翻訳委員会訳)では「出エジプト記」,「レビ記」,「民数記」を担当.主著に『聖書時代史 旧約篇』(岩波現代文庫),『海の奇跡 モーセ五書論集』(聖公会出版),『一神教の起源 旧約の「神」はどこから来たのか』(筑摩書房),『聖書』(PHP研究所),『図解これだけは知っておきたいキリスト教』(洋泉社)など.訳書にノート『旧約聖書の歴史文学』(日本基督教団出版局),シュミート『旧約聖書文学史入門』(教文館)など.共編に『旧約新約聖書大事典』(教文館),『新版総説旧約聖書』(日本キリスト教団出版局)など.学会関係では,日本宗教学会評議員,日本基督教学会理事,日本旧約学会会長などを歴任.
「キリスト教文化圏では、復活祭はクリスマスと同じぐらい盛大に祝われますが、日本ではキリスト教徒以外には今一つ人気がないようです。一二月二五日に固定されているクリスマスとは異なり、毎年日付が変わる移動祭日なので、あまり一般化しにくいのかもしれません。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「ローマを中心とする西方教会とギリシアを中心とする東方教会では、時と共に異なる伝統が形成され、それが後のローマ・カトリック教会と東方正教会の違いに繫がっていきます。最大の違いは、教会の組織で、直前にも述べたように、ローマ・カトリック教会がさまざまな国にまたがる中央集権的な世界教会であるのに対し、東方正教会は国ごと、場合によっては地方ごとに独立した国民教会を形成し、それぞれの正教会ごとに首長である総主教や大主教、府主教が置かれます。教皇に当たるような、全体を統括する単独の教会首長は存在しません。「東方正教会」とは、それらの独立した諸教会の総称なのです。ローマ・カトリック教会の首長である教皇は、本来はローマ司教なのですが、キリストから全権を委ねられた使徒ペトロ(第 2章参照)の後継者として、全教会に対する「首位権」を主張しました。これに対し、東方正教会は、各地の総主教の同格性を強調しました。東方正教会から見れば、教皇はあくまで「ローマの総主教」にすぎないのです。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「教皇は前教皇が死去したり退位した場合、八〇歳未満の枢機卿たちの中から互選で選ばれます。バチカンのシスティナ礼拝堂の中で外部との連絡を絶った秘密会議で選ばれるので、教皇選挙はイタリア語で「鍵をかけた」を意味する「コンクラーベ」の名で呼ばれます。枢機卿たちは議場で一日複数回の投票を、三分の二以上の得票者が出るまで繰り返します。場合によっては何日間も決まらないので、わが国では「根競べ」というダジャレもあるほどです。外部への連絡は、投票用紙を暖炉で燃やした煙によります。再選挙の場合には普通の黒い煙ですが、新教皇決定の場合には薬品で白い煙が出るようにします。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「この間、全世界の報道はバチカンの一本の煙突にカメラを釘付けにし、煙の色に一喜一憂します。聖ペトロ大聖堂前の広場は、新教皇の最初の祝福を受けようと世界中からやって来て、徹夜で待ち構える信徒たちで埋まります。まさに上を下への大騒ぎで、カトリック世界最大のイベントとも言えます。一九七八年に即位したヨハネ・パウロ 1世は、在位わずか三三日で急死した(暗殺説も出たほどです)ので、当時は一か月強のうちにこれが二回繰り返されました。関係者はさぞたいへんだったことでしょう。ちなみに、二〇一三年に即位したアルゼンチン出身の現在の教皇フランシスコは、ペトロから数えて第二六六代に当たります。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「 黒船来訪を経た一八五四年、幕府は開国に踏み切ります。居留する外国人のための教会堂建設は認められましたので、横浜と長崎にカトリックの天主堂が建てられますが、キリシタン禁令は続けられました。ところが、長崎の大浦天主堂が完成すると、一八六五年の三月、長崎市北部の浦上の隠れキリシタンたちが礼拝のために名乗り出てきたのです。このことは、迫害を乗り越えて信仰を守った美談として世界中に報じられ、大きな反響を呼びましたが、幕府は主だった信徒を捕縛し拷問するなどして弾圧に乗り出しました。明治維新(一八六七─六八年)後の新政府もキリシタン禁止政策を継承し、浦上のキリシタン三千人以上を逮捕、各地に流刑するなどして弾圧を続けましたが、これが信教の自由をめぐる外交問題に発展し、欧米からの厳しい批判を受けました。そこで明治政府は一八七三年、やむを得ず、各地に掲げさせていたキリシタン禁止の「高札」を撤去しました。これが事実上のキリスト教解禁に当たります。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「 「プロテスタント教会」とは、西方教会において一六世紀以降、宗教改革によってローマ・カトリック教会から分離独立したり、新たに創建された諸教会の総称で、実際には一枚岩ではなく、神学や伝統、教会組織などによってさまざまに異なる教派に分かれています。なお、「プロテスタント」とは「抗議する者」の意味で、神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝カール 5世がシュパイアー国会(一五二九年)でルターの改革運動への弾圧政策を進めようとした際に、改革支持派の諸侯が「抗議状」(プロテスタティオ)を提出したことに由来します。日本では、キリスト教的「福音」の原点に帰るという意味で、「福音主義」とも呼ばれます。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「ルターが宗教改革の牽引力として、どちらかといえば直情的で痛烈、挑戦的な文章を得意とし、その著作の多くも聖書注解を除けば、カトリック教会を痛罵し信徒の奮起を促すような短いパンフレット状のものが多かったのに対し、もともと学者であったカルヴァンは論理的思考と体系的論述に優れ、スコラ哲学に基礎を置くカトリック神学に対抗し得るプロテスタント固有の神学体系を確立したと言えるでしょう。なお、この著作の最初には大胆にもフランソワ 1世への手紙が置かれています。この著作は、宗教改革を弾圧するフランス王に対して、福音主義の正当性を擁護する目的で書かれたのです。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「プロテスタントは一般に、世俗の職業労働に価値を置きます。ルターは職業を「天職」と位置付けましたし、カルヴァンは「神の栄光を現す」ために働くことを勧めました。単に生活のためや、金もうけのためにではなく、神のために働くというのです。神のために誠実、勤勉に働けば当然利潤があがります。他方でウェーバーは、プロテスタントの倫理の本質を、カトリックの修道生活のような「現世逃避的禁欲」ではなく、世俗の世界に留まりながら浪費を避け、質素堅実に生きる「現世内禁欲」に見出しました。勤勉な労働の結果である利潤を節約して無駄な消費に回さないのであれば、余った利潤は再び職業のための「資本」となって仕事に投資されます。こうして結果的に、営利活動が積極的に推進され、資本主義的なプロセスが生まれたとされるのです。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「日本に最初に伝わったキリスト教はカトリックであり(第 5章参照)、しかも江戸時代以降、日本は鎖国によって長らくキリスト教世界とは切り離されていました。一八五四年(嘉永七年)の開国後もしばらくは禁教体制が維持されましたが、明治政府は「和魂洋才」を標榜して西洋の知識や技術の導入を奨励しましたので、日本宣教の志に燃える主としてアメリカのプロテスタント系の宣教師たちは、開国直後の一八五九年頃から洋学教師や医師として来日し、密かに日本人青年たちへの接触を始めました。浦上事件に関連して一八七三年(明治六年)にキリスト教禁教の高札が撤去され、キリスト教の布教が事実上解禁されると、彼らの活動はにわかに活発化し、続く各派の宣教師たちの来日も著しく増加しました。初期のプロテスタント伝道の中心となったのは横浜、熊本、札幌で、それらの土地にできたプロテスタントの青年たちの群れは、「若者の集まり」という意味で「バンド」と呼ばれます。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「まず、各地にいわゆるミッションスクールが建てられ、キリスト教主義に基づく教育が行われ、特に従来軽視されてきた女子教育が推進されました。主たるプロテスタント系の学校としては、北海道では北星学園と酪農学園、東北では東北学院と宮城学院、関東では関東学院、立教学院、青山学院、明治学院、桜美林学園、女子学院、東京女子大学、フェリス女学院、中部では金城学院、関西では同志社、関西学院、神戸女学院、平安女学院、四国では四国学院、九州では西南学院、活水学院などがあります。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「しかしながら、昭和に入って日本の政府と軍部が軍国主義に傾き、天皇を現人神(人間の姿をした神)とする国家神道が強制されるようになると、一神教であるキリスト教は、しだいにさまざまな統制を受け、国威発揚や戦勝祈願などの戦争協力を強いられるようになります。キリスト教徒にも天皇崇拝や宮城遥拝(皇居に向かって敬礼すること)、神社参拝が義務づけられ、拒否や批判をすれば、不敬罪で投獄され、拷問されました。教会での礼拝や説教にも憲兵の監視がつくのが日常茶飯事になり、ミッションスクールでもキリスト教教育が禁止されました。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著
「 ③統一教会──「統一協会」とも書きます。正式名称は「世界基督教統一神霊協会」です。韓国の文鮮明(一九二〇─二〇一二年)が一九五四年にソウルで設立、全宗教を統一し、さらには宗教と科学をも統一する「統一原理」を説きます。旧新約聖書を教典とすると称しますが、事実上は教祖の教説をまとめた『原理講論』が教典的な位置を占めます。 同書などによれば、人類の祖先(アダムとエバ)が堕天使と淫行したことにより、人類にはサタンの血が混入しました。イエスはサタンの支配する世界の罪を贖って「地上天国」を実現するために遣わされたのですが、ユダヤ人の不信仰により、使命を完全には果たせないまま十字架上で死んでしまいました。しかしイエスは救いの業を完成させるため、二〇世紀の初めの頃「東方の国」に再臨したとされます(教祖自身が再臨の救世主であることが強く示唆されています)。現在はサタンの力(共産主義はその一部)と神の力が最終的な決戦を行っている、(旧約時代、新約時代に継ぐ)「成約時代」であり、ついには「第三次世界大戦」によりサタンの勢力が殲滅されて「地上天国」が実現する、とされます。 統一教会では、サタンの血を浄めるために、教祖の指名する集団結婚を行います。わが国では、著名な芸能人がこれに参加して話題になったこともあります。世界本部はソウルにあり、世界一九〇か国以上に支部があり、信徒数は約一六〇万人とされますが、実際の活動の中心は韓国と日本とアメリカで、信徒数も多分に誇張されているようです。大学などの「原理研究会」などを活動の拠点とするほか、最近では実態を隠したサークル活動などの名目で勧誘を行っているようです。その特異な布教方法や、「悪霊が憑いている」などとして除霊のための印鑑や壺などを高額で売りつける「霊感商法」などを通じた強引な集金活動をめぐって、数々の社会的な問題が指摘され、損害賠償を求める訴訟なども多数起きています。「地獄に落ちる」など恐怖を煽る布教方法が、マインドコントロールに当たるという批判もあります。教祖の死後は後継をめぐっていくつかの団体に分裂しましたが、多数派は「世界平和統一家庭連合」の名称で活動を続けています。」
—『キリスト教入門 (岩波ジュニア新書)』山我 哲雄著