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真理の最高決定機関であるはずの理性が人間を欺く二枚舌をもつとしたら、一大事ではないだろうか。この理性の欺瞞性というショッキングな事実の発見こそが、カント哲学の出発点であった。彼の生涯を貫いた「内面のドラマ」に光をあて、哲学史上不朽の遺産である『純粋理性批判』を中心に、その哲学の核心を明快に読み解く。
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Posted by ブクログ
哲学史の本を一通り読み終え、考え方が比較的単純な経験論と合理論はすぐに学ぶ必要はないと思い、歴史的にはこれらの直後に位置するカント哲学を始めるべくこの本に手を出した。 本書はカントの三批判書である『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』について短くまとめたものであり、カント以外の哲学用語や知...続きを読む識も適宜与えてくれる良書である。 例えば ・理性批判の先駆としてのベーコンの「イードラ」(先入観) ・アンチノミー、テーゼ、アンチテーゼといった用語 ・分析的と総合的の意味の違い ・アプリオリとアポステリオリの違い の説明など。 アンチノミーにおける理性を「二枚舌の人」を例にして説明していたり、ヒュームによる因果律に対する懐疑など歴史的な記述もあり、わかりやすい。カント哲学に取り組むなら一冊目はまずこの本で良いと思う。
「アンチノミー論」を軸とした解説。 「太陽は東から上り、西に沈む」というテーゼと、「太陽は東以外の方位から昇り、その反対の方位に沈む」というアンチテーゼは、どちらも「太陽は地球の周りを回る」という誤った認識を前提としているゆえに、どちらも「偽」である。 これとパラレルな理屈で、第一アンチノミーの...続きを読む 「世界は空間・時間的に始まりを有する(有限である)」というテーゼと、「世界は空間・時間的に無限である」というアンチテーゼは、「空間・時間は世界自体に固有の量である」という誤った認識を前提としているゆえに、どちらも「偽」である。 と証明される。すなわち、空間・時間は主観の性質であって、世界自体に属する性質ではないことが間接的に証明される。 「金星は明けの明星である」というテーゼと、「金星は宵の明星である」というアンチテーゼは、「朝方見られる金星は明けの明星であり、夕方見られる金星は宵の明星である」というように、妥当範囲を限定すればどちらも真である。 これとパラレルな理屈で、第三アンチノミーの 「自由による因果性もある」というテーゼと、「すべてが自然法則によって起こる」というアンチテーゼは、一見矛盾するように見えるが、妥当する範囲を限定すればどちらも「真」となりうる。 人間は英知界(空間・時間から解放された物自体界)と感性界(空間・時間の制約のもとにある現象界)の両方にまたがって存在している。人間は、感性界に属する存在者としては、時間系列の中で「先なる原因」によって制約されている(自由ではない)が、英知界に属する存在者としては、時間の支配を免れており(それゆえに「先なる原因」などはない)、感性界の外から感性界に影響を及ぼすこともできる(自由である)。「自然法則」は現象界において妥当し、「自由による因果」は英知界において妥当するのであり、第三アンチノミーはどちらも「真」である。 と証明される。 カント哲学の理路がとてもわかりやすく書かれている。最初に読むカント入門として最適だと思う。
哲学初心者の立場から書評を書きます。そもそもカントの存在を知ったのは、本書では取り上げられていないコスモポリタン、あるいは永遠平和という概念におけるカントの貢献でした。そこからカントに対する関心が高まり、じゃあ勉強してみようと思って本書を手に取りました。全体的な印象ですが、「ギリギリ」入門書と呼べる...続きを読むレベルで、そこに著者の並々ならぬ苦労を感じました。内容は非常に興味深く読みました。「血の通ったカント」というキーワードがありますが、まさにカントの人間像までが浮かび上がってきて面白かったです。また本書を通じてカントの哲学についてほんの少しだけ理解が出来た気がしますが、なにか人間礼賛的なポジティブな雰囲気を感じたのは私だけでしょうか。 本書を読んでいて何度か仏教もしくは密教との共通性を感じました。「自由と道徳法則」の章で紹介されていたカントの「善意志」という概念。カントが唯一絶対として認めた善意志は、絶対的全体にもかかわらず人間が到達可能でもあるという。これなどは仏教で言うところの「仏性」に近いのではないでしょうか。真言密教的に言えば「大日如来」がそれにあたるでしょう。密教では、大日如来という絶対的な真理(法)が、色々な形になって世の中に(仮象として)あらわれます。そして大日如来を法身(ほっしん)と呼ぶのに対して、ゴータマ・シッダルタのように真理(法)を体現した存在は応身(おうじん)と呼ばれます。カントについても、本書の宗教論(第7章)では、キリスト教におけるイエス・キリストのような外部の存在は理念そのものではなく、キリスト教の理念は「われわれの理性の内に存在する」と述べています。これなども大乗仏教的に解釈すれば、キリスト教の理念そのものを法身とし、イエス・キリストを応身とみなしていると言えるのではないでしょうか。変な言い方になりますが、「小乗キリスト教」を「大乗キリスト教」に昇華させようとした試み、と言えるかもしれません。そのほかにも密教における理と智(胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅)、さらには五智の中の平等性智(共通点を見いだす智恵)と妙観察智(相違点を見いだす智恵)などを連想させるような記述もあり、非常に興味深く拝読しました。カントが空海と対談したらさぞかし面白いんじゃないかと勝手に妄想してしまいました。
すでに鬼籍に入っているカント研究者による、ちくま新書初期のベストセラー。カント代表作『純粋理性批判』は既読だが、僕のような素人が一度や二度読んだところで理解できるはずもなく、またすぐに内容を忘れてしまう。本書のような哲学者の解説書は原著にあたる前に読むのが普通だと思うが、原著通読後に復習することに...続きを読むよって、理解と記憶の定着が図られるのではと思う。 本書の白眉は、「カントの仕事の本質は弁証的理性がもたらす欺瞞、すなわち『仮象』を批判することにある」という主張を一貫して保っていることだと思う。この「仮象」という言葉は本書のキーワードであり至る所で出てくるのだが、これにより論理に一本の軸が通され理解を助けてくれる。例えば、 - 空間と時間という本来主観(感性界)に属する性質が、客観的世界(理性界)に属するかのように装わせる「仮象」。 - ある命題が実質的には仮言命法であるのに、形式的に定言命法であるかのように装わせる「仮象」。 …のように、仮象批判の形でカントの理性批判が説明できてしまうのだ。 このような仮象の原因とされる「理性」だが、この理性を有することによって、人間は感性界のみならず理性界(叡智界、物自体)にもリーチできる。まさにそのことによって人間は①自由意志を持って因果を自らスタートさせることができるし、②道徳法則(理性界)を参照して何らの前提もなしに定言命法を行うことができるのだ。本書ではこの2点が同一の図式で示されており、大変理解がしやすいものとなっている。 そして、この自由と道徳が互いに他の根拠であるという「自律」が、他の何にも依拠することなく、原因と結果を一つの連環で繋ぐ「宙吊り構造」を持っていることが強く僕の興味を引いた。ゲーデルやマルクスを扱う知識人の著作(ダグラス・ホフスタッターや岩井克人)にこの宙吊り構造の話が出てくるのだが、この構造は(逆説的ではあるが)脆弱であるが故に強い。全く分野の異なる知識人たちが全く異なるアプローチでこの構造にたどり着いていることに、強い驚きを禁じ得ない。
カントの哲学を学ぶことができるだけでなく、カントが理性批判やその倫理学にどのようにして至ったかを学ぶことができる。アンチノミー論を軸として読み解いていくことからカントの理性批判への動向を理解できる。ただし入門と書かれているが、本当に初めて触れるのなら、純粋理性批判の概要や認識論の簡単な知識を頭に入れ...続きを読むてからの方が理解が深まるだろう。
やー面白かった これ読みはじめて、うわ、これあかんわ、と、フランシス・ベーコンまで遡ったのは、あれは去年の末のほうか?戻ってきて読み終わるまでに半年以上かかってる、、、
入門とはいっても敷居は決して低くないので、事前に予習が必要。こちらでカントの思考過程を踏まえれば、三大批判書にもチャレンジできるはず。少しずつ高みを昇るべし。
たいていのカント入門書は『純粋理性批判』の構成通りに解説が進んでいくが、この本はアンチノミー論(超越論的弁証論)を軸にして進んでいく。この構成のおかげで、カントがなぜ超越論的観念論という一見奇妙にも思える主張をしたのかがよくわかるようになっている。すぐれた入門書といえる。
カントを通して、目的と手段のエセ関係と根本目的を学ぶ。本文に回心とあるような、哲学する醍醐味を存分に味わった。たしかに生きることに厳格な哲学だ。真の批判だ。 ・哲学においては定義は出発点ではなく、むしろ目標とすべき終着点。 ・根本真理は原理的に証明不可能。 ・アプリオリは先天的と訳すのではなく、経...続きを読む験に由来しないという意味。 ・仮言命法と定言命法。 ・定言命法は有限な人間にあっては、大なり小なり「~にもかかわらず」という意識を伴う。 ・道徳法則は、その起点(理性)から落着点(感性)の方向において命法となる。 ・悪への性癖は英知的所行。根源的である自由に基づいているから。 ・現代的意味とは何であろうか。現代的意味があればあるほど、束の間の意味しかないということ。現代的意味を問うパラドックス。もし、ある哲学が時代の制約を受けながらも、どの特定の時代にも拘泥せずに営まれたものであるとすれば、その意味を問う者は時代を超えたスケールをもってしなければならない。
『純粋理性批判』を理解するために読んだ。特にアプリオリに関するカントの発見の箇所が印象的だった。 以下、自分の理解用のメモ。 カント以前はアプリオリ(生得的) or アポステリオリ(経験的)であり、アポステリが生得的、つまり人間に自然に備わっているものという前提があった。 しかしカントは、アプ...続きを読むリオリのことを、生得的でもなく、経験的でもない「根源的に獲得する」という別の意味を見出した。 根源的獲得とは、一切の先なる所有者および、先なる根源を前提としない概念である。ということは、その判断の客観的妥当性をどのように担保すべきか?という難問が生じる。 もし生得的であるならば、全能な神がその客観性を担保できる。また、経験に依るのであれば、経験世界(客観)からの判断であり、客観性の担保はできる。 このように、アプリオリを生得的ではなく、根源的な獲得としたことが、問題を難しくしたとのこと。 これから原典を理解するのが楽しみになってきた。
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石川文康
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