【感想・ネタバレ】カント入門のレビュー

あらすじ

真理の最高決定機関であるはずの理性が人間を欺く二枚舌をもつとしたら、一大事ではないだろうか。この理性の欺瞞性というショッキングな事実の発見こそが、カント哲学の出発点であった。彼の生涯を貫いた「内面のドラマ」に光をあて、哲学史上不朽の遺産である『純粋理性批判』を中心に、その哲学の核心を明快に読み解く。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

哲学史の本を一通り読み終え、考え方が比較的単純な経験論と合理論はすぐに学ぶ必要はないと思い、歴史的にはこれらの直後に位置するカント哲学を始めるべくこの本に手を出した。

本書はカントの三批判書である『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』について短くまとめたものであり、カント以外の哲学用語や知識も適宜与えてくれる良書である。

例えば
・理性批判の先駆としてのベーコンの「イードラ」(先入観)
・アンチノミー、テーゼ、アンチテーゼといった用語
・分析的と総合的の意味の違い
・アプリオリとアポステリオリの違い
の説明など。

アンチノミーにおける理性を「二枚舌の人」を例にして説明していたり、ヒュームによる因果律に対する懐疑など歴史的な記述もあり、わかりやすい。カント哲学に取り組むなら一冊目はまずこの本で良いと思う。

0
2025年08月21日

Posted by ブクログ

「アンチノミー論」を軸とした解説。

「太陽は東から上り、西に沈む」というテーゼと、「太陽は東以外の方位から昇り、その反対の方位に沈む」というアンチテーゼは、どちらも「太陽は地球の周りを回る」という誤った認識を前提としているゆえに、どちらも「偽」である。

これとパラレルな理屈で、第一アンチノミーの

「世界は空間・時間的に始まりを有する(有限である)」というテーゼと、「世界は空間・時間的に無限である」というアンチテーゼは、「空間・時間は世界自体に固有の量である」という誤った認識を前提としているゆえに、どちらも「偽」である。

と証明される。すなわち、空間・時間は主観の性質であって、世界自体に属する性質ではないことが間接的に証明される。

「金星は明けの明星である」というテーゼと、「金星は宵の明星である」というアンチテーゼは、「朝方見られる金星は明けの明星であり、夕方見られる金星は宵の明星である」というように、妥当範囲を限定すればどちらも真である。

これとパラレルな理屈で、第三アンチノミーの

「自由による因果性もある」というテーゼと、「すべてが自然法則によって起こる」というアンチテーゼは、一見矛盾するように見えるが、妥当する範囲を限定すればどちらも「真」となりうる。
人間は英知界(空間・時間から解放された物自体界)と感性界(空間・時間の制約のもとにある現象界)の両方にまたがって存在している。人間は、感性界に属する存在者としては、時間系列の中で「先なる原因」によって制約されている(自由ではない)が、英知界に属する存在者としては、時間の支配を免れており(それゆえに「先なる原因」などはない)、感性界の外から感性界に影響を及ぼすこともできる(自由である)。「自然法則」は現象界において妥当し、「自由による因果」は英知界において妥当するのであり、第三アンチノミーはどちらも「真」である。

と証明される。

カント哲学の理路がとてもわかりやすく書かれている。最初に読むカント入門として最適だと思う。

0
2023年10月12日

Posted by ブクログ

哲学初心者の立場から書評を書きます。そもそもカントの存在を知ったのは、本書では取り上げられていないコスモポリタン、あるいは永遠平和という概念におけるカントの貢献でした。そこからカントに対する関心が高まり、じゃあ勉強してみようと思って本書を手に取りました。全体的な印象ですが、「ギリギリ」入門書と呼べるレベルで、そこに著者の並々ならぬ苦労を感じました。内容は非常に興味深く読みました。「血の通ったカント」というキーワードがありますが、まさにカントの人間像までが浮かび上がってきて面白かったです。また本書を通じてカントの哲学についてほんの少しだけ理解が出来た気がしますが、なにか人間礼賛的なポジティブな雰囲気を感じたのは私だけでしょうか。

本書を読んでいて何度か仏教もしくは密教との共通性を感じました。「自由と道徳法則」の章で紹介されていたカントの「善意志」という概念。カントが唯一絶対として認めた善意志は、絶対的全体にもかかわらず人間が到達可能でもあるという。これなどは仏教で言うところの「仏性」に近いのではないでしょうか。真言密教的に言えば「大日如来」がそれにあたるでしょう。密教では、大日如来という絶対的な真理(法)が、色々な形になって世の中に(仮象として)あらわれます。そして大日如来を法身(ほっしん)と呼ぶのに対して、ゴータマ・シッダルタのように真理(法)を体現した存在は応身(おうじん)と呼ばれます。カントについても、本書の宗教論(第7章)では、キリスト教におけるイエス・キリストのような外部の存在は理念そのものではなく、キリスト教の理念は「われわれの理性の内に存在する」と述べています。これなども大乗仏教的に解釈すれば、キリスト教の理念そのものを法身とし、イエス・キリストを応身とみなしていると言えるのではないでしょうか。変な言い方になりますが、「小乗キリスト教」を「大乗キリスト教」に昇華させようとした試み、と言えるかもしれません。そのほかにも密教における理と智(胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅)、さらには五智の中の平等性智(共通点を見いだす智恵)と妙観察智(相違点を見いだす智恵)などを連想させるような記述もあり、非常に興味深く拝読しました。カントが空海と対談したらさぞかし面白いんじゃないかと勝手に妄想してしまいました。

0
2023年04月30日

Posted by ブクログ

 すでに鬼籍に入っているカント研究者による、ちくま新書初期のベストセラー。カント代表作『純粋理性批判』は既読だが、僕のような素人が一度や二度読んだところで理解できるはずもなく、またすぐに内容を忘れてしまう。本書のような哲学者の解説書は原著にあたる前に読むのが普通だと思うが、原著通読後に復習することによって、理解と記憶の定着が図られるのではと思う。
 
 本書の白眉は、「カントの仕事の本質は弁証的理性がもたらす欺瞞、すなわち『仮象』を批判することにある」という主張を一貫して保っていることだと思う。この「仮象」という言葉は本書のキーワードであり至る所で出てくるのだが、これにより論理に一本の軸が通され理解を助けてくれる。例えば、
- 空間と時間という本来主観(感性界)に属する性質が、客観的世界(理性界)に属するかのように装わせる「仮象」。
- ある命題が実質的には仮言命法であるのに、形式的に定言命法であるかのように装わせる「仮象」。
…のように、仮象批判の形でカントの理性批判が説明できてしまうのだ。

 このような仮象の原因とされる「理性」だが、この理性を有することによって、人間は感性界のみならず理性界(叡智界、物自体)にもリーチできる。まさにそのことによって人間は①自由意志を持って因果を自らスタートさせることができるし、②道徳法則(理性界)を参照して何らの前提もなしに定言命法を行うことができるのだ。本書ではこの2点が同一の図式で示されており、大変理解がしやすいものとなっている。

 そして、この自由と道徳が互いに他の根拠であるという「自律」が、他の何にも依拠することなく、原因と結果を一つの連環で繋ぐ「宙吊り構造」を持っていることが強く僕の興味を引いた。ゲーデルやマルクスを扱う知識人の著作(ダグラス・ホフスタッターや岩井克人)にこの宙吊り構造の話が出てくるのだが、この構造は(逆説的ではあるが)脆弱であるが故に強い。全く分野の異なる知識人たちが全く異なるアプローチでこの構造にたどり着いていることに、強い驚きを禁じ得ない。

0
2023年03月14日

Posted by ブクログ

カントの哲学を学ぶことができるだけでなく、カントが理性批判やその倫理学にどのようにして至ったかを学ぶことができる。アンチノミー論を軸として読み解いていくことからカントの理性批判への動向を理解できる。ただし入門と書かれているが、本当に初めて触れるのなら、純粋理性批判の概要や認識論の簡単な知識を頭に入れてからの方が理解が深まるだろう。

0
2021年06月23日

Posted by ブクログ

やー面白かった

これ読みはじめて、うわ、これあかんわ、と、フランシス・ベーコンまで遡ったのは、あれは去年の末のほうか?戻ってきて読み終わるまでに半年以上かかってる、、、

0
2020年06月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

世界は存在しない!時間や空間はない!

相対性理論や量子論などが発見される前に脳の中の思考のみで宇宙の真理にたどり着いたカントがすごい。

カント曰く時間や空間はないものであるということだ。あるとも言えるしないとも言える。ただし絶対的な意味での時間や空間というものはない。 人間から見た時に初めて時間や空間というものがあると言える。 人間は時間と空間に縛られているのであたかも絶対的にあるものと思い全てを考えてしまう。この理性をカントは批判している。これが純粋理性批判である。

どうやって時間や空間がないものであるかを証明したかと言うと、
①もし時間が無限であるとすると、私たちが感じている今この瞬間というもの以前にも無限の時間が経過していることになる。無限の時間ということは一生たどり着くことのない時間という意味である。それなのに現在という完結した時間がある。そこに矛盾が生じる。 無限なのに辿り着いているからである。つまり時間は有限である。
②もし時間が有限(始まりがある)であるとすると、その始まり以前には空虚な時間があることになる。何もないところから何かが生じることになる。無から有が生ずることだ。 これはあり得ないことなので、それにより時間は無限であるということになる。

これにより時間は有限でもあるし無限でもあるという矛盾を生じる。時間があるものとして極地まで思考を飛ばすと矛盾を生じる。つまり時間はないのだ。
しかし人間は時間と空間があるものとして世界を認識してしまう。よって人間の理性というものが信用できないということをカントは発見した。

このように極地まで話題を持っていくと理性や言語そのものが矛盾を生じることになる。 日本から見れば北極は北の方角だがもし北極点まで行けばもう北という概念は成立し得ない。所詮言葉も人間が作り出したものなので万能ではないのだ。つまり絶対ではない。 北極点まで達した時点で北という言葉の存在が 怪しくなる。

カントは人間が三次元四次元までの世界に縛られていて、それより高次の次元については思いも至らないということに18世紀に気づいている。

アインシュタインは数学によって時間や空間が絶対的なものではないことをを発見し、カントは言葉によって時間や空間が絶対的なものでないことを発見した。

また、知性の種類を分解していくことによりダーウィンより先に進化論を発見していた。

0
2018年12月29日

Posted by ブクログ

入門とはいっても敷居は決して低くないので、事前に予習が必要。こちらでカントの思考過程を踏まえれば、三大批判書にもチャレンジできるはず。少しずつ高みを昇るべし。

0
2017年04月17日

Posted by ブクログ

たいていのカント入門書は『純粋理性批判』の構成通りに解説が進んでいくが、この本はアンチノミー論(超越論的弁証論)を軸にして進んでいく。この構成のおかげで、カントがなぜ超越論的観念論という一見奇妙にも思える主張をしたのかがよくわかるようになっている。すぐれた入門書といえる。

0
2017年01月30日

Posted by ブクログ

カントを通して、目的と手段のエセ関係と根本目的を学ぶ。本文に回心とあるような、哲学する醍醐味を存分に味わった。たしかに生きることに厳格な哲学だ。真の批判だ。

・哲学においては定義は出発点ではなく、むしろ目標とすべき終着点。
・根本真理は原理的に証明不可能。
・アプリオリは先天的と訳すのではなく、経験に由来しないという意味。
・仮言命法と定言命法。
・定言命法は有限な人間にあっては、大なり小なり「~にもかかわらず」という意識を伴う。
・道徳法則は、その起点(理性)から落着点(感性)の方向において命法となる。
・悪への性癖は英知的所行。根源的である自由に基づいているから。
・現代的意味とは何であろうか。現代的意味があればあるほど、束の間の意味しかないということ。現代的意味を問うパラドックス。もし、ある哲学が時代の制約を受けながらも、どの特定の時代にも拘泥せずに営まれたものであるとすれば、その意味を問う者は時代を超えたスケールをもってしなければならない。

0
2016年02月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ヒュームの著作と純粋理性批判を読みたくなった♪
カントがヒュームとルソーに大きなトリガーを得ていたなんて・・・どちらも自分の好きな思想・理論の持ち主だったので、なおさら衝撃的でした^^
因果律として捉えるメカニズムって、本当にア・プリオリなのでしょうか?ん~、純粋理性批判を読もう!(^_^)

0
2015年04月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ウィトゲンシュタイン以外の哲学も勉強していかなきゃなー、ってことでまずはカントから。
いや、他にも手は出しているんだけど、自分の思想的に近いところからまずは…。

入門、と名された本書で確かにわかりやすいとは思うんだけど、『純粋理性批判』の部分しか十分に理解できたと言えないかも。

カントの言う「純粋理性」とは、つまり私達は世界の何を正しく知れているのか?という問い。そもそも知覚などの感覚から得ている情報しか知り得ない以上、私達が外界の情報を何も歪めず知ること(認識すること)は出来ない。
これを難しく言うと「物自体」なんてワードが出てくるわけだな。時間や空間を前提に私達は物を認識できないのに、「物自体」はそれを超えた場所にあるかも知れない。「神」も同じように、仮の答えを出すことはできるかも知れないけれど、それはあくまで私達にとっての答え。計算式に使う前提が歪んでいるのに、どうしてそれが正しい答えと言えるのか?

こう考えるとウィトゲンシュタインの「世界の限界」は出発点は違えど、形式は似ている気がするね。
うん、まぁ2,3割くらいしか理解できなかったのでまた再挑戦だな。

0
2025年08月12日

Posted by ブクログ

『純粋理性批判』を理解するために読んだ。特にアプリオリに関するカントの発見の箇所が印象的だった。

以下、自分の理解用のメモ。

カント以前はアプリオリ(生得的) or アポステリオリ(経験的)であり、アポステリが生得的、つまり人間に自然に備わっているものという前提があった。

しかしカントは、アプリオリのことを、生得的でもなく、経験的でもない「根源的に獲得する」という別の意味を見出した。

根源的獲得とは、一切の先なる所有者および、先なる根源を前提としない概念である。ということは、その判断の客観的妥当性をどのように担保すべきか?という難問が生じる。

もし生得的であるならば、全能な神がその客観性を担保できる。また、経験に依るのであれば、経験世界(客観)からの判断であり、客観性の担保はできる。

このように、アプリオリを生得的ではなく、根源的な獲得としたことが、問題を難しくしたとのこと。

これから原典を理解するのが楽しみになってきた。

0
2025年06月10日

Posted by ブクログ

カントはそもそも難しいということがわかった。入門といえど、難しい。著者が伝えようとしてくれていることがわかるが、自身がわかったのかわかってないのか、分からない箇所もあった。強いて言えば、読んでいる中で私の関心があるのは『判断力批判』だと気づいたのだが、『判断力批判』およびカントの触れた美学論についてはこの本ではあまり深く追われていなかったのが惜しかった。

0
2024年07月15日

Posted by ブクログ

難解なものは難解である。それでも、定言命法や仮言命法については「ちょっとわかったかも!!」という気持ちにはなれるくらいわかりやすく解説されている。
そして、ここらへんがわかってくると後半の道徳や宗教のくだりもなんとなしにわかったような気分になる。
もちろん自分の理解などは浅瀬でチャプチャプした程度で、その道の論客と議論を交わすことなどはとうていできない。本一冊くらいではそんなことにはならない。
けれどもこの読書体験が脳内で熟成され、数年後花開くのだ。

0
2022年11月02日

Posted by ブクログ

カントの考え方を解説しているYouTuberさんの動画で基礎を身につけてから読むのが頭に入りやすいかも。
読解力というものがつきそうなシリーズの人作品であることと、新たな視点を見るために最適ということからかなり面白かった。

0
2022年02月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 通常「善」とされている諸々の徳はつねに相対的であり、この善意志を欠けば容易に悪徳に転じる。その証拠に、たとえば「勇敢」という徳も「沈着」という徳も、悪人――たとえば計画的殺人や銀行強盗――にとってはひとつの犯罪を首尾よく遂行するための不可欠の条件なのである。通念ではこれらすべての徳が「善」とされているのは、それらが通常はすでに(暗黙のうちに)善意志を前提にして考えられているからにほかならない。たとえば、わが身の危険をかえりみずに激流に飛び込んで人命を救助する行為を「勇敢」と称するとか、不時着した飛行機のスチュワーデスが乗客を適切に誘導したことを、「沈着」と称賛するように。すなわち、通常の徳は善意志込みで語られており、それゆえにこそ、またそれゆえにのみそれらは善なのである。このことからも、善意志がやはり徳を真に徳たらしめる条件であることがわかる。

 ところで、カントは善意志というふくよかな概念を、一転して「義務」という厳しい概念でとらえる。したがって、カント倫理学の出発点をなす善意志は、ふくよかではあるが、同時にやっぱり厳格なのである。なぜそうするかというと、カントによれば善意志は義務という概念に凝縮しているからであるという。このことからも、カントのいう善意志は、よく口にされる安易な「善意」とは異なることがわかる。いわゆる「善意」には快感が前提され(「喜んで〜する」)、場合によってはそれが目的とされるのに対して、義務には少なくとも直接には快感は前提されないし、目的とされることもない(結果としての喜びや充実感をもたらすことはあるが)。この事情を理解するためには、ひとつの思考実験をしてみればよい。そして実験とは、事情をわかりやすくするために、極端なケースを想定して行われるのがよい。今の場合もそうである。なんの不自由も障害もない場合、善はひょっとして快感から実現されることもあるであろう。しかし、一切の利害を離れて、逆境にあってもなお(すなわち、場合によっては自分に災厄がおよび来たろうが)、善を実現するためには、少なくとも有限な人間にとっては、大なり小なり義務感(快感とは逆の感情)が前提され、それをもって臨む以外にはないのである。このことからも、善意志を義務の概念に還元するカントの意志は理解されうる。

 われわれにでき、また為すべき唯一のことは、幸福になることではなく、ただ道徳性(徳)の研鑽によって幸福に値する人間になることである、と。道徳が答えられるのはそこまでである。もちろん、だからといって、道徳性が幸福を約束するわけではない。道徳性は意志に懸かっているが、幸福の実現性には意志を超えた無数のファクターが控えているからである。それゆえに、幸福は「希望」に属する問題であり、宗教に託される以外にないものである。そのとき、希望は「信仰」という意味になる。

0
2022年07月04日

Posted by ブクログ

「どっかで聞いた気がするカントの説」を体系立ててコンパクトに解説する良書。カント哲学の内容そのもの難解さゆえ、初心の私には一気読みはできなかったけど、ポイント同士を繋げて有機的に解説してくれる筆者の文章のおかげで、朧げながら全体像を理解できた気がする。

0
2021年12月13日

Posted by ブクログ

・仮象批判という視点でカントの思想の全体像がわかりやすくまとまっていた。もっと早くに読めばよかったと後悔した。
・第4章(真理の論理学)は読む前から予測していたものの、やはり苦手な領域で読むのにかなり時間がかかった。所々読み飛ばしていると思うので、今後時間をかけて理解していきたい。
・思ったよりすんなり飲み込めなかったのは、自由による因果性のところと判断力、心的能力のところ。特に前者は私の研究テーマドンピシャなので、何度でも読みかつ人に聞いて自分の言葉で説明できるようにしたい。

0
2021年09月11日

Posted by ブクログ

カント哲学への挑戦。懇切丁寧に解説してくれているのはひしひしと感じるのですが、それでもとてつもなく難解。何とかかんとか理解してやろうと必死に食らいつきました。

特に「純粋理性批判」の内容に触れている前半部分は、結局何だったのと説明を促されても上手く表現できません。とほほです。また別の本やらネットで復習します。

まだ、「道徳形而上学原論」に触れている道徳感はまだ親しみやすい。自分の実体験として共感できる部分が少なからずあった。第三のアンチノミーは互いに真であるため矛盾が成り立たない、人間は理性と感性の存在様式を有している。そういった観点から論じられていると思っています。仮言命法は「~ならば~すべし」と目的と手段が別個になっており下心がそこにはあり純粋な善ではない。定言命法こそが「~すべし」と義務感を携えながらの真の善であるのだー。あとは、幸せの追求はどこか邪なことで、道徳の追求は幸せを享受するために己を高めることなのだー。とても厳格な生き方だと思いますし、カントの徹底性が表れているとな。

最後の「判断力批判」は全くの初見でついてのがやっと。「合目的性」という概念をもって快・不快の感覚を紐解いているといった感じでしょうか。美は悟性との調和による「目的なき合目的性」という解釈を経て、人間の「共通感覚」へ導いている。さらに昇華された解釈として自然の合目的性から人間自身のうちにある究極目的へとたどり着いている。もう頭がパンクしてしまします。

それでは、「純粋理性批判」そのものへアプローチしてみましょうか。多分な解説を所望します。ふふん。

0
2021年08月20日

Posted by ブクログ

結構難しかった。特に時間・空間の有限/無限のくだりは混乱した。

定言命法、仮言命法はよく理解できた。

0
2021年05月08日

Posted by ブクログ

「哲学は難しい」というイメージを絵に描いたようなカント。

わたしの経験では、「永久平和のために」は、あっさりと読めてしまったのだけど、主著とされる「純粋理性批判」は、全く歯が立たない。1ページも読めない感じですね。

カント自身による入門書ということになっている「プロレゴメナ」も数ページでギブアップ。

「日本語への翻訳が難しくしているだけで、日常的なドイツ語としてはそんなに難しくない」とか、「インドーヨーロッパ系の言語である英訳で読むと、意味が通じる」みたいなことをいう人もいた気がするが、アメリカで政治思想のコースを取ったときの先生も、「正直言って、カントは何言っているか、わからない」と言っていました。

やはり「カントは難しい」のだと思う。

さて、そういうわけで、「純粋理性批判」を読む日がやってくるとは、思わないけど、どうも、そこが近現代の哲学の出発地点であるようで、いろいろな哲学者がそこに言及しながら、議論を進めることが多いので、まったく無視するわけにはいかない感じがしている。

あと、アーレントの主著を年内に読破するプロジェクト(?)の最後にそびえ立つのは、難解なアーレントのなかでも最も難易度が高いとされる「精神の生活」で、これを読むためには、カントの3批判を理解するのが前提条件となる。というのは、「精神の生活」は3部作として構想されていて、内容的には、概ね、カントの3批判に準じる順番になっているらしい。。

というわけで、新書でカントに入門することにした。

入門といっても、結構、難しい。が、大きな見取り図というか、どういう問題意識をもって、カントがなにを、どう考えようとしていたのかというところがとてもよくわかった。(カントは、思考の結果を本にして、そのプロセスはあまり書かないのでわかりにくいという面があるようですね)

何が問題なのか?がわかると、だいぶ、接近できる可能性が増える感じがする。

なるほどと思ったら点はいろいろあるが、1点だけ紹介すると、「純粋理性批判」でやろうとしていたのは、形而上学が、考えることができる領域とそうでない領域を線引きしたこと。

カントの時代には、論理的に考えれば、なんでも理解できるという思想が主流だったらしい。その中心のヴォルフは、同一律と矛盾律。つまり、A=Aというロジックですべては説明できるという考え。

一方、カントは、ロジックをどんどん遡っていくと証明不可能な命題にたどり着くと考えた。

たとえば、「世界は空間・時間的に始まりを有する」ということは説明できない。
というか、その反対の命題「世界は空間・時間的に無限である」と同様にどちらも正しいと論理的に証明できてしまうという矛盾。

カントは、この問題は、空間・時間のなかにいる我々にはもともと説明できる範囲を超えた問題であると考える。

こうした線引きをすることで、いわゆる「物自体」はわれわれの認知の範囲外であり、知りえない。われわれは、認知の限界の範囲で哲学すべきである、ということのようだ。

これによって、伝統的な形而上学のお題だった「神」「自由」「魂の不死」は、学問としての形而上学から排除されることになった、そうである。

そういう話だったわけか!!!

と驚きつつ、それって、ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」でやったことと同じじゃないの?という疑問もわく。

ウィトゲンシュタインが「哲学的な「問題」への最終解答」と言っていたのも、「語り得ること」と「語りえない・沈黙すべきこと」を峻別することのはず。。。

カントがずっとさきにこの峻別を行なっていたとするなら、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」がどうしてそんなに衝撃的だったのか、どこが新しい発見だったのかがわからなくなった。

まあ、そんな感じで、まだ、カントの著作を読む気力はないが、カント関係の入門書を将来の読書リストに入れておくことにする。

0
2017年07月31日

Posted by ブクログ

カントの入門書として分かりやすいと聞いたので読んでみた。
「二律背反」という、聞いたことあるけど、あんまりよく分かってないことについて理解が深まった気がする。
ただ、一度読んだだけでは、理解しきれていない感が否めない。
また、再読するか、他のカントについての本を読む機会を持つ必要を感じた。
けれども、難解なことを要点をつまんでできるだけ分かりやすく理解させようとしている点で、やはりカントへの入口としてはいいのではないかな、と思う。

0
2016年06月04日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
真理の最高決定機関であるはずの理性が人間を欺く二枚舌をもつとしたら、一大事ではないだろうか。
この理性の欺瞞性というショッキングな事実の発見こそが、カント哲学の出発点であった。
規則正しい日課である午後の散歩をするカントの孤独の影は、あらゆる見かけやまやかしを許さず、そのような理性の欺瞞的本性に果敢に挑む孤高の哲学者の勇姿でもあったのだ。
彼の生涯を貫いた「内面のドラマ」に光をあて、哲学史上不朽の遺産である『純粋理性批判』を中心に、その哲学の核心を明快に読み解き、現代に甦る生き生きとした新たなカント像を描く。

[ 目次 ]
第1章 純粋理性のアイデンティティー
第2章 カント哲学の土壌と根―批判哲学への道
第3章 迷宮からの脱出―第一アンチノミーの解決
第4章 真理の論理学―経験世界の脈絡
第5章 自然因果の彼岸―自由と道徳法則
第6章 自由と融合する自然―反省の世界
第7章 理性に照らされる宗教

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

0
2014年10月27日

Posted by ブクログ

入門書ではあるが、私には難解だった。平易に記述しようという気持ちは感じられる。しかし用語に馴染みがなかったり、特有の意味が与えられていたり(例えば「自由」や「目的」)しているため、内容がなかなか頭に入ってこない。それだけカントを平易に語るのが難しいということなのだろう。

0
2024年03月15日

Posted by ブクログ

ジュニア新書からの推薦本である。入門と書いてあるが結構難解である。学部生がざっと読んで理解できるかどうかがよくわからない。ペテロの話はよく分かったのだが。

0
2022年12月15日

Posted by ブクログ

入門書ですが本当の初心者の自分にとっては難しかったです。新書ですが読み終わるのにすごく時間がかかりました。
理性批判の部分も目から鱗でしたが、道徳についての解説が印象に残っています。
とても重要なテーマだと思うので自分でも考えて、またこの本に戻ってきたいなと思っています。

0
2022年02月25日

Posted by ブクログ

この薄さで『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』さらには宗教論まで取り上げてくれています。
扱う内容は広いですが、これらに通底する「仮象批判」をテーマにしたことで、うまくまとめられています。
頻繁に参照すべきページが明示されて、復習しやすいのも好感が持てます。

ただ、それでも難しいです
例えば、まずピンとこないのが用語ですが、「知性」「純粋理性」「理論理性」「実践理性」の違いは何だろうとか、引っかかるところがたくさん出てきます。
著者も「悟性」(P106)や「格律」(p163)といった語を排するなど気を配っていますが、それでも…

あと、個人的には直前に読んだのが戸田山和久『哲学入門』の食い合わせが悪かった。
カントの二元論的な考え方に違和感を覚えてしまいました。

0
2022年01月20日

Posted by ブクログ

やたらと評判がいい本で、先輩にも勧められたし、ネットでも勧めている人がそこかしこにいる。しかし、どうも入門向けにいいかどうか疑問で、類書があるのでオーソドックスな構成で書くのは避けた、という旨のことが書いてあったのだが、入門書として書くのならばオーソドックスな構成にするべきではないか、とどうしても思ってしまう。まあ、内容を評価できるだけの知識はないし、私に哲学的な関心が欠けているからうまく読めないかもしれない。

0
2021年05月10日

Posted by ブクログ

大学1年だったか浪人生の頃、カント哲学(倫理学的な意味においての)を知った。
功利的な利益衡量に陥らない、頑として厳格な義務論を貫く姿勢(勿論万能ではないし「使い所」があるのは承知している)、何よりも、「人間への尊敬」、「汝の人格および他のすべての人格の内に存する人間性を、つねに同時に目的として扱い、決して単に手段として扱わないように行為せよ」という定言命法の異常な格好良さに圧倒的衝撃を受けて以来大好きに。
卒論もカントで書きました。

※例えば殺人事件があったとき、殺された人間がいかに人格の好い人物であったか、いかに周囲の人が悲しんでいるか、という報道があったりする。でも、それ(周囲の感情)を以って殺人への批難を強調する論法は絶対間違ってる。
それは、周囲から疎んじられていたような存在であったら、身寄りがなく、亡くなっても悲しむ人が誰もいないような人であったら、犯人への有責性は軽くなる という主張と表裏一体でしかないから。
どちらにしても周囲との関係性で生命の価値を決定している。社会的な地位、性格、他人や社会にとっての有益性、周囲との関係、そんなものが人間の価値を決定するのではない。
…というような考えの持ち主なのでカントは大好きなんだよ…

※何の学であれ、根底に「人間への尊敬」がないのなら、そんなもんは研究者気取りの自己陶酔、自慰行為にすぎないと思ってる
この辺は『トニオ・クレーゲル』と通ずるもので。所与の態度から100%尊敬しているようなものではなく、もっと色々な葛藤の末、絞り出すようにあるようなものだけど。

(まだ途中)

0
2015年02月01日

「学術・語学」ランキング