ひとはなぜ生きるのか~状況的意味【哲学マップ】
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哲学マップ (ちくま新書)
概要
本書では哲学的な思考法(ルール)を4つ提唱している。
1.全体志向:個別の具体的事象ではなく全体を問題にする。
2,一歩、日常の外へ:全体を問うために、日常を俯瞰的に眺める。
3.形式的
...続きを読む問い:具体的なディテールではなく、抽象的な物事を問う。
4.方法論的問い:問う際の探求方法が適切かどうかも問題にする。
また、本書では哲学的な問いを4つに分類している。
1.「~とは何か」
2.「それを問う私とは何者か」
3.1と2の掛け算
4.「なぜそうした問いを考えるのか」
これらは時代を経るごとに1→2→3→4と変遷していく。
1.「~とは何か」
古代ギリシャにおいて、「善とは何か」「美とは何か」など物事の本質を考える人々がいた。プラトンは現実の二項対立としての「イデア」を想起し、物事の本質は「イデア」であると提唱した。
2.「それを問う私とは何者か」
近世ヨーロッパでは、古代ギリシャの知見が復興(ルネサンス)し、キリスト教的知見と混ざり合った。天動説が否定され地動説が提唱されたりと今までの常識が通用しなくなる中、デカルトは「これこそは確実」といえるものを探求していき、その結果、「われ思うゆえにわれあり」に至る。
3.1と2の掛け算
デカルト的図式においては、主観による認識が問題となった。その認識において知性を重視する大陸合理論と、経験を重視するイギリス経験論が発展する。これら2つを調停したのがカントである。
カントは経験の前には「カテゴリー」がわれわれの認識メカニズムにあらかじめ組み込まれていると考えた。人間の脳特有の情報処理システムがある、というわけだ。
カントはその情報処理システムは認識・倫理・美学など分野毎に異なると考えたが、それらを統一しようと考えたのがドイツ観念論である(ヘーゲルなど)。
4.「なぜそうした問いを考えるのか」
ニーチェは従来価値とされていたものは弱者のルサンチマンに過ぎないと言い、価値というものの価値を否定した(ニヒリズム)。本質などというものは存在せず、固定的な自我という存在も否定した。その結果、哲学は「そもそもなぜそうした虚構を問題にしていたのか?」を問うことになる。
地道な分析が始まり、現象学的分析・言語分析・言説分析・精神分析などの分野が生まれた。
ひとはなぜ生きるのか~状況的意味
「ひとはなぜ生きるのか」という問いが本書の冒頭で想定される。
それに対して、終章で著者の考える「哲学者たちならどう答えるか?」が語られる。
その中で、メルロポンティの「状況的意味」という言葉が紹介される。
これは「状況に応じて各人の生き方や行為が動機づけられる」というような言葉である。
具体的な状況を想定してみる。
「将来プロテニス選手になるために生きる」。未来の目標・自己実現に向かって生きる。
「愛する家族のために生きる」。献身・奉仕こそが幸せだと。
「ローン返済のために生きる」。何らかの義務・責任のため。
「美しい空を眺める、この瞬間のために生きる」。現在を楽しむ、享受する。
何らかの状況を疑うことなくコミットできていて、眺望固定(byニーチェ)しているときには、その意味に没頭できる。
ただ、人は時折状況的意味から離れてしまうことがあり、そうしたときに「ひとはなぜ生きるのか」などの哲学的問いが生まれる。
ただし、状況的意味は流動性があるので、しばらく休んでいればあらたな状況的意味が稼働する。
メルロポンティは言う。
「生きることの意味はなにかとは言えない。けれども、つねに意味というものはある」と。
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いかがでしたでしょうか。
メルロポンティの状況的意味は、平野啓一郎氏の提唱する分人思想とも似ているような気がしており、私的には非常に興味深かったです。
私とは何か 「個人」から「分人」へ
アリストテレスとかロックとかフロイトとかいろんな哲学者が出てきましたが、今回のブログでは大幅に端折って、ざっくりと解説するにとどめました。
もしご興味がございましたら手に取っていただけたら幸いです。
ありがとうございました。