・プラトンは全ての人にとっての理想は善のイデアと説いた。人に限らず、全てがよりよい状態を目指している。
・デカルトは我思う故に我ありで主観こそ万物の存在する基盤と説き、自律的に存在する自分は近代個人主義の基礎となった。
・カントは実践理性批判で定言命法として人類全員がそれを行なっても構わないことしか
...続きを読むしてはならないと説いた。それをやると最後は自分が困る。
・カントは判断力批判で、大自然や宇宙の神々しさを経験することを崇高と呼び、ひたすら想像力を拡げられるとした。全体の流れを阻害するものがなく適切なものが然るべき場所に置かれた宇宙全体の合目的性の流れに乗ることができ、すでにある知識や認識を超えて自然全体の中での方向性に乗る判断ができる(例えば、些細なことはどうでもよくなる)。芸術に触れるときも想像力が混乱なく拡がる点で同じく合目的性の流れに乗れる。
・マルクスは唯物史観で生産手段や生産活動などの下部構造が思想や言論、政治などの上部構造を規定すると説いた。
・ニーチェは善悪の根拠はルサンチマンによって弱者に有利なように作られたものであると説いた
・フロイトはナルシシズムで愛する自分というのは、ありのままの自分ではなく、もっと望ましい自分、理想自我とした。
・ハイデガーは日常の自分はつねに交換可能であり、自分の死を死ぬという非日常のみ、交換不可能な本来の自分に一瞬だけなれるという。
・サルトルは実存的決断を通じて自分の本質を決めるという実存主義を説いた。この困難さを、人間は自由の刑に処せられていると表現した。
・レヴィ=ストロースは人間が本人すら把握できない構造の一項としてのみ存在し、その行動が規制されているとして人間中心主義を否定した。
・フーコーは近代的自我は生の権力や性言説によってその行動と欲望を規格化されて作られたものに過ぎないと説いた。
・強権的政府の権力や、資本主義における生産体制からの疎外から自由になっても、欲望のままに生きるのであればそれは欲望の奴隷でありかえって不自由になっている。フーコーは生の権力や性言説に従って自分を縛る技術や技巧を自在に使いこなすことで、新たな自分だけの方向が創発的に形を結ぶという生存の美学を説いた。
・世界的な脳外科医と母親のどちらを助けるか。ベンサムの功利主義によれば医者、カントの規範主義によれば各人を対等に扱う、サルトルの実存主義によればどちらも不正でない限りどちらを選ぶかは自分の決断次第となる。公益重視の親不孝者か、親孝行者か。
・未来の世代のために環境問題を解決するという行為は、他人に危害を加えないのは自分が加えられたくないから(カントの定言命法など)、という近代倫理理論の範疇外にある。
・宗教、経済成長、戦争という超越的価値がなくなった今、人生の普遍価値はなくなった。ただ、個人レベルでは一期一会の状況で意味は自発的に発生し、それを積み上げるのがフーコーの言う生存の美学となる。哲学が教えるのはその人の人生の意味が何かということではなく、どこに意味があり得るかということである。
・状況が大きく変わりつつある現代では、いま・ここ・わたしよ哲学を自分で作り上げていかねばならない。