最終巻となる本書には『意志と表象としての世界(正篇)』の第四巻「意志としての世界の第二考察」および序文が収められている(付録の『カント哲学の批判』は収録されていない)。
第四巻の冒頭でショーペンハウアー自身がおごそかに宣言しているとおり、『意志と表象としての世界(正篇)』のクライマックスである本
...続きを読む書では、生(性)と死、善と悪、などといった倫理的な問題が集中的に論じられている。ショーペンハウアー哲学に対する「性と死の哲学」という形容は、この第四巻のためにあるといっていい。
世界は私の表象に過ぎず、知性は意志の奴隷に過ぎない。その知性が意志に対し謀反を起こし、芸術という形で脱却する可能性が第三巻において明らかにされた。だがそれは天才において、しかも一時的に発生する束の間の夢でしかない。知性が永続的に意志から解き放たれる可能性はないのだろうか。
意志の否定。それがショーペンハウアーの回答である。意志に翻弄され苦痛を味わい尽くし、最終的に意志を否定する境地にたどり着くこと。それが解脱であり、悟りへの道である。だがそれは自殺ではない。自殺とは意志の強烈な肯定でしかない。意志が否定された暁には、私は夢から覚め、世界は無に帰することであろう――。
預言的な内容を含む本書は、事実宗教と、とりわけ仏教(インド哲学)との親和性が高い。だがショーペンハウアーは預言者としての道は歩まない。哲学者は聖人である必要はないからである。本書を読んだニーチェがやがてツァラトゥストラとなり、意志の肯定を説くことになるのとは対照的である。
ダイナマイト・ニーチェの導火線に火を点けた本書を読まずして、ニーチェ哲学の理解は覚束ないであろう。これなくして哲学者ニーチェは生まれなかったであろう本書を、ニーチェ研究家の西尾による名訳で読めるわれわれ読者は幸せである。