西尾幹二のレビュー一覧
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2を読んだので3を
「一等兵戦死」は自分が初めて読んだ焚書だけと、なんでこの本が焚書になったのか分からない。日本人は残忍な奴だと嘘宣伝流布するのに邪魔だった?戦場に行った兵士達の日常が書かれてて、歴史的事実として知っただけでは感じない生身の人間がそこに行って実際に戦ったという事実を感じることが出来た気がする。もう亡くなった有名著者と本の中で会うような感じ。
「敗走千里」 当時の中国兵の実態の話。陳登元はなんで偽名で物語風に書いたんだろ。そこがなんか狡い。
日本はおせっかいな国だな・・・。
中国内は争いばかりだから租界に行きたいなんて、今やってることと同じじゃないか・・・。
菊池寛の「大衆 -
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1を読んだので2を。
読んでいて だんだん腹が立ってしまった。
西洋諸国の欲深な覇権争いにムカついてしまった。
ひたすら侵略しまくることしか考えてない。
侵略、征服、虐殺、略奪、奴隷・・・。
もう地球という劣等生の星は核戦争でも起きて日本人も含めて人類滅亡してしまえばよいと思ってしまった。
ユダヤ富豪も貧乏人も、みんな平等に死んでリセットしてしまえばいいような気がした・・・。
400年かけて、欧米諸国は太平洋の島々を征服。
スペインとポルトガルが地球を東西に分けようとしたところ、ユーラシア大陸を南北で取り合おうしたのがイギリスとロシア。四方向から狙われる日本。
林子平が欧米諸国の世界侵略構 -
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今まで歴史に興味が無くて、世界史すら取ってこなかったことを後悔・・・。
焚書の事を知ったのも数年前で、知りたくて読んでみました。
戦前・戦中の文章を見ると昔の人は頭が良いなと思っていたけれど、
焚書によってその頃の様子を学ぶことが出来てない今の日本人(私も)は浅はかなのかもしれないと思いました。
中国が南京大虐殺を大々的に宣伝してますが、紹介されている「征野千里」を見ると、中国兵が逃げるときに自国兵を殺して逃げたのであって日本が虐殺したのではないようです。
以前「一等兵戦死」を読んだけども、やっぱり同じような様子が書かれてました。しかも、自国民の妊婦さんすらひどい殺されかたをしていたと -
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ばりおもろい。
ニーチェの哲学的熱情を駆り立てたショーペンおじさんの主著であり、二十世紀の西洋思想を語る上で特に重要な一冊。
時間と空間の考察を読むあいだアインシュタインの相対性理論が脳内をチラチラしたが、案の定アインシュタインはショーペンハウアーを深く敬愛していたらしい。
科学的努力とは世界の仕組みを理解するのに欠かせないが、我々人間という意識主体を説明するのには不十分で、そこには「哲学」や「思想」が必要になる。
主観と客観は表象によって統合されていて、我々の無方向で盲目的な意志だけがあるのみ。
人の根源的な欲動性や力の偏在を認めるあたり、その後出てくるフロイトやニーチェの思想にも接近してい -
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最終巻となる本書には『意志と表象としての世界(正篇)』の第四巻「意志としての世界の第二考察」および序文が収められている(付録の『カント哲学の批判』は収録されていない)。
第四巻の冒頭でショーペンハウアー自身がおごそかに宣言しているとおり、『意志と表象としての世界(正篇)』のクライマックスである本書では、生(性)と死、善と悪、などといった倫理的な問題が集中的に論じられている。ショーペンハウアー哲学に対する「性と死の哲学」という形容は、この第四巻のためにあるといっていい。
世界は私の表象に過ぎず、知性は意志の奴隷に過ぎない。その知性が意志に対し謀反を起こし、芸術という形で脱却する可能性が第三 -
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本書はショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界(正編)』の第三巻に相当する(第四巻の一部も含まれる)。「表象としての世界の第二考察」は芸術論であり、ショーペンハウアー哲学の最も個性的な側面といえよう。
世界は私の表象に過ぎず、その表象を認識させている知性は意志の奴隷に過ぎない。しかしこの知性が異常に発達した人間、すなわち天才においては、例外的に知性が意志の支配から脱却することがある。そのとき知性は世界を客観的に映す明澄な鏡となる。かかる過程を経て生産されたものが芸術作品であり、天才の業である。
ショーペンハウアーの芸術至上主義が遺憾なく発揮されている本書では、空間のみを形式とした -
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ニーチェに影響を与えた実存主義哲学者として、ヘーゲルと犬猿の仲だった在野哲学者として、数々のアフォリズムを残した厭世哲学者として、間接的に名前だけは知られているショーペンハウアーを、直接読もうとする読者があまりにも少ないのが残念で仕方が無い。これほど分かりやすく、面白く、魅力的な哲学者は滅多にいないというのに。
ドイツ本国でさえ発売当時見向きもされなかった『意志と表象としての世界(正篇)』の難点は、ショーペンハウアー哲学の独創性が遺憾なく発揮されている第三巻と第四巻が、その前置きに過ぎない第一巻と第二巻の背後に隠れている点であろう。その第一巻と第二巻が収められた本書は、ショーペンハウアー哲 -
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ネタバレ普通人にとって認識能力とは、自分の実生活上の道を照らしてくれる提灯であるが、天才にとってのそれは、世界を明らかにしてくれる太陽である。p46
「草木はこの世界の仕組みが目に見えて美しいかたちをなすよう、感覚に対しその多様な形態を提供して知覚に役立ててくれる。草木は自分では認識することができないから、いわば認識されることを欲しているようにみえる」(聖アウグスティヌス『神国論』)p91
純粋に後天的(アポステリオリ)には、つまり単なる経験だけからでは、いかなる美の認識も可能にならないであろう。つねに美の認識は、先天的(ア・プリオリ)である。それはわれわれにア・プリオリに知られている根拠の原理の -
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現在我が国は米国と軍事同盟を結んでをり、さういふ意味ではいたづらに反米を煽ることは得策ではない。
しかし、大東亜戦争の遠因が遡ればペリー来航にあったといふこと、そして支那大陸を目指す米国にとって日本は邪魔者として立ちはだかってゐたこと、また、アメリカはマニフェスト・デスチニーといふ強迫観念に囚はれてゐたことなどは、覺えて置くべきであらう。
そして、歴史を見れば、永遠の同盟などあり得ない、それは日英同盟がアメリカによって壊されたことを見ても明らかであらう。
だからこそ、我が国は我が国で自らの身を守らねばならない、といふ、当たり前のことに思ひ至るのである。 -
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二年前に発刊された「尖閣戦争」の第二段。
中国情勢に精通したジャーナリスト青木直人さんと、博識な評論家、西尾幹二さんの対談ということで、楽しみに予約購入していたのに、なんだかんだでずるずると積読……
ようやく読み終えることができました。
あいかわらず、青木さんの何者にも寄りかからず、こびず、遠慮せず、気兼ねのないずばりとした発言は刺激的です。
そして穏やかそうでありながら、ぴりりとした西尾さんの発言もずしりと脳みそに響きます。
中国の政策やアメリカの思惑などなど、不安やいら立ちを覚える記述がいくつも出てきますが、なにより問題だと思うのは日本政府や一部財界人、言論人などの身勝手さ、いい加減 -
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愛、生と死、正義、自己肯定、虚無。ショーペンハウアーの説明はなんとも清々しく感じる。
読んでいて、「そうだ、そういうことなのだ」と自分の内奥に通ずる思いを感じるのだ。
我が意を得たり。あやふやで悩んでいたことへの理解を与えてくれたことに感謝しよう。
愛とは無償の献身であること。
友情とは自己愛と同情の混合であること。
泣くことは他者への同情を介した、自分への同情であること。
永続する幸福など無いということ。
性欲は生を肯定し、死もまた生の一部であるがゆえに生を否定するものではないということ。
真に正義である人は、自分を肯定し、他人を支配せず、自分の受けた分だけ他人にも施そう -
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ネタバレショーペンハウアーが多くの芸術家から支持されたのは当然とも言える。
なぜなら、ショーペンハウアーが登場する以前の時代から、もしかしたらペシミズム(厭世観)という言葉が登場する以前から、絵画、音楽、詩など様々な形で、芸術家たちはこの世が苦しみや悲しみで満ちていることを描くことを試みてきたのだから。
そして、さまざま芸術の中にイデアを見出し、伝達しようとする試みも、芸術の作り手たちが考えてきたことだからこそ、共感を得たのではないかと思う。
悲劇が、人物の特性を遺憾なく発揮し、人間の心情の深さを開示するという点で、詩芸術の最高峰というのはまさに言い得たことだろう。人間の本質は楽なとき、喜びに満ちて -
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ネタバレ私たちは、自分が「享楽的消費社会」の只中でその『自由』と恩恵を享受しながら、収入、生活、老後などの様々な問題で身動きが取れない『孤独』を感じざるを得ない。
水がどのような形であっても、その本質を表すことに変わりないように、人もまた、どのような場合にもその本質が現れることをショーペンハウアーは述べている。
しかし、2012年の現実は、どの場合に誰かが作ったレッテルを貼られ自分の本質で内容に感じられてしまう。
今こそ、自分の好む、好まざるの思想を超え、新しい考え方、生き方を見ようとしなければ。
そのヒントを与えて食えるかもしれないと思える本である。