ショーペンハウアーの一覧
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ユーザーレビュー
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SNSとかゲームとかに時間を食われている人間だから昔の時代の本ばかり読んでる人より頭悪いけど、ちゃんと本読むだけじゃなくて頭使わないとなって思った
Posted by ブクログ
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「自分の頭で考える」、「読書について」という2つのタイトルに興味を惹かれ手に取りました。
「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えること」というフレーズが衝撃でした。
確かに目的がなくただ読むだけでは「ふ〜ん」で終わってしまい、自分のものになりません。
なので、「本を読んでも、自分の血となり
...続きを読む肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけ」という考えには納得です。
「反復は勉学の母である」、「重要な本はどれもみな、続けて二度読むべき」を心がけていこうと思います。
Posted by ブクログ
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傲慢なほどにハッキリした主張。
主張の内容もよかったけど、著者の主張行為そのものが明快で気持ちよかった。
とはいえ、口の悪さには閉口した。
「大事なのは、なにを読むかではない。
なにを読まないで済ませるか、だ」
これは本当にそう思う。
迷ったときは、ロングセラー 一択。
とはいえ、古典やロングセ
...続きを読むラー 一辺倒だと息が詰まるので注意。
他にも名言多数。
繰り返し読みたい本。
Posted by ブクログ
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「本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、すばらしいことだろう。」
「読んだものをすべて覚えておきたがるのは、食べたものをみな身体にとどめておきたがるようなものだ。」
本が沢山あろうとなかろうと、自分の時間は変わらない。そして、読んだ本を消化して自分の中に落とし込むのもまた時間が必要である。
...続きを読む読んだ本を忘れない、という人がすごいと思ってた。でも、大事なのは内容を覚えてるだけじゃなくて自分の中に取り入れること。自分の、思索体系に。
読めなくて苦労する本があっても、それは自分に間違いじゃないことがわかった。
前読んだ岡本太郎の本に「知識は積み上げるな、むしろ蹴飛ばしてしまえ」と書いてあったのはこういうことか、と思った。岡本太郎もショーペンハウアーに読みふけっていたそうだ。なんとなく、つながった。
『著述と文体について』ではドイツ語の乱れと金儲けのために物書きをする風潮を激しく批判しいる。ショーペンハウアーは言葉を非常に大切にしているのだと感じた。それゆえに考えなしに言葉を使うこと、もとより乱れた言葉を使うほど何も考えてないことを鋭く批判している。
自分の頭で考えろ。
哲学の先人に、言葉で殴られた気分になるほど目が覚める本だった。
Posted by ブクログ
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すごく読みやすくて面白かった
読書が好きな人は共感する部分が多いのではと思う
人生の質は経験の数ではなく精神的充足の密度で決まると思っているけど、その根底を言語化してくれていて頭の中がスッキリした感覚
自分含め、皆が周りでなく自分自身を変えることに意識が向けば、少なくとも今より精神的に豊かな世界に
...続きを読むなるんじゃないかな
✏人が直接的に関わり合うのは、みずからが抱く観念や感情や意志活動だけであって、外的な事柄は、そうした観念や感情や意志活動のきっかけをつくることで、その人に影響をおよぼすにすぎないからである。
✏現在と現実の客観的半面は運命の手に握られており、それゆえ変化しうる。いっぽう主観的半面はほかならぬ私たち自身であり、それゆえ本質的に変わらない。したがって、ひとりひとりが送る生涯は、外界からいかなる変化が訪れようとも、終始一貫して同じ特色をもち、同一主題をめぐる一連の変奏曲にもたとえられる。
✏教育ですら、こうした領分を広げるのに、いくばくかは貢献できても、総じてたいして役に立たない。なぜなら、たとえ青年期に思い違いをすることがあっても、最も高尚で多様性に富み、最も長続きする喜びは、精神的喜びであり、これは主としてもって生まれた力に左右されるからである。
✏私たちが何を幸福とし、何を享受するのかということにとって、主観は、客観とは比べものにならないほど重要である。
✏空疎な内面、精彩を欠く意識、貧しい知性がかれらを社交へと駆り立てるけれども、類は友を呼ぶため、同類が集まる。みなで一緒に退屈しのぎの歓楽を追い求める。
✏なぜなら個性は四六時中、どこまでも彼に寄り添うものであり、彼が体験するすべては個性の色調を帯びるからだ。あらゆる点で、何事につけても、彼はなによりもまず彼自身を享受する。
✏だから英語で〈to enjoy oneself〉というのは、きわめて適切な表現だ。たとえば〈He enjoys himself at Paris.〉、つまり「彼はパリを堪能する」のではなく、「彼はパリにいる自分自身を堪能する」のである。
✏だから良き事も、悪しき事も、大きな災禍はともかく、人生において何に遭遇し、何がその身にふりかかったのかよりも、本人がそれをどう感じたのかが問題であり、何事も感受力の質と程度が問題となる。
✏したがって私たちの幸福にとって、気高い性格、有能な頭脳、楽天的な気質、心根が明るいこと、健康そのものの丈夫な体のような個人的特性にまつわる財宝、つまり「健全なる身体に宿る健全なる精神」が、第一の、最も重要な財宝である。それゆえ私たちは外的財宝や外的名誉よりも、こちらの財宝の維持増進をこころがけるべきだろう。
✏ これらすべての中で最も直接的に私たちを幸福にしてくれるのは、心根が明るいことである。
✏「客観的に現実にいかなる事態なのか」ではなく、「私たちにとって、いかなる事態なのか、私たちが事態をどう把握したのか」が、私たちを幸福にしたり不幸にしたりするのである。エピクテートスの「事態が人間を不安にするのではなく、事態に対する見解が人間を不安にする」という言葉は、まさにこれを言い表している。
✏気質や気分の究極の原因は、明らかに身体の根源的な、それゆえ不変の性質にあり、しかもたいていは多かれ少なかれ、刺激に対する感受力と再生力が正常なバランスを保っているかどうかにある。感受力が異常に大きいと、気分にむらがあり、周期的に過度の陽気さがあらわれたり、憂鬱が基調になったりする。
✏美という個人的な長所は、そもそも私たちの幸福に直接的に貢献するわけではなく、単に他人に与える印象を通して間接的に役立つだけなのに、男性においてもたいそう重要性をもつ。
✏精神の富が卓越性の域に近づけば近づくほど、退屈が入り込む余地がないからである。
✏したがって全体としてみれば、精神が貧弱で、総じて卑俗であればあるほど、群れたがることがわかる。
✏だからアリストテレスの「幸福は、自分に満足する人のもの」という言葉は、まことに正しい。
✏その人自身が常にそなえているものこそ、年齢の如何にかかわらず、幸福の真の源泉、唯一の永続的な源泉であり続ける。
Posted by ブクログ
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