【感想・ネタバレ】読書についてのレビュー

あらすじ

「読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」……。率直さゆえに辛辣に響くアフォリズムの数々。その奥底には、哲学者ショーペンハウアーならではの人生哲学と深いヒューマニズムがあります。それが本書の最大の魅力です。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

常に考え続けることを辞めてはいけない
この本を読んでより一層そう感じました
惰性で本を読むのではなく、自分のアタマで考え続けることが重要

0
2025年09月13日

Posted by ブクログ


本書は散漫な読書や軽薄な文筆に対する罵詈雑言集だ。

ショーペンハウアー曰く、

・紙に書き記された思想は、砂地に残された歩行者の足跡以上のものではない。なるほど歩行者がたどった道は見える。だが、歩行者が道すがら何を見たかを知るには、読者が自分の目を用いなければならない。

なるほど、読書は受動的な行為であると考えていた私にとって耳が痛い言葉だ。

・真の思索家タイプや正しい判断の持ち主、あるテーマに真剣に取り組む人々はみな例外にすぎず、世界中いたるところで人間のクズどもがのさばる。クズどもは待ってましたとばかりに、例外的人物の十分に熟考した言説をいじくり回して、 せっせと自己流に改悪する。

・風刺は代数のように抽象的で不定の数値に向けられるべきで、具体的数値や量を備 えたものに向けられるべきではない。生きた人間を解剖してはならないように、風刺してはならず、これを顧みない者は皮はぎの刑、死刑に処せられるべきだ。

・書く力も資格もない者が書いた冗文や、からっぽ財布を満たそうと、からっぽ脳みそがひねり出した駄作は、書籍全体の九割にのぼる。評論雑誌は当然、それらを容赦なくこらしめ、書きたい気持ちにまかせてペンを走らせる詐欺まがいの売文行為を阻止しなければならない。それなのに著者や出版業者とのさもしい馴れ合い から、それらを奨励し、読者から時間と金を奪っている。

心が痛くなるほどの批判の数々!どの言葉も骨身に染みる。

0
2025年07月20日

Posted by ブクログ

ブ、ブチギレてる....?
清々しいばかりのキレ方と、その主張や論旨の鮮やかさに、スッキリ感満載の素晴らしい読書でした。今抱えている問いともぴったりでした。
大衆よ、アホになるから読書するなよ〜

他の訳は読んでないけどこの訳めっちゃ読みやすい!光文社の新訳シリーズほかにもチェックしてみようと思える

0
2025年05月16日

Posted by ブクログ

「自分の頭で考える」「著述と文体について」「読書について」の3章から成っているが、1,3章と2章で全く印象が異なる。
1,3章は現代にも通ずる鋭さがある。読書は他人の思索の過程をなぞる行為にすぎないという視点は秀逸。まぁ、何も考えないで生きてるよりは読書をする方が100倍マシであると思うけど。
しかしながら、2章が酷い。言ってることは「格式高い昔の文法を大事にしようね。端折るのはダメ。」ということだけなのに、それになんと106ページも費やしている。彼は「ドイツ人の文は曖昧で、入り組んだ長い挿入文が満載」と述べているが、ここまで綺麗なブーメランは見たことがない…

それでも歴史的大著であることは間違い無いので、読む時は2章を飛ばしましょう

0
2025年04月28日

Posted by ブクログ

本を読むことは空っぽの水路に水を流す行為だ。
バカが金のために書いた本は読むな。
本を読んだだけ、行動しただけで、全てをわかった気になるな。自分でそこから考えろ。
思考しない読書なら読まないほうがマシ。
痛快毒舌本だった。

0
2024年12月27日

Posted by ブクログ

「読書とは他人の頭で考えることである」
何度も何度も強調されています
いやもうほんとおっしゃる通りです

0
2024年09月04日

Posted by ブクログ

読書と著述について、一般に「善い」とされるそれら営為を改めて振り返り、愚鈍な手法について強い主観で批判した本。
ショーペンハウアーを読むのは初めてだったけど、最初から最後まで口が悪すぎて終始笑いながら読めた。ページをめくる度に新しい悪口が出てくる。

「読書」は著者の思索をなぞるだけであり、まず自身の思考軸を持ち、それを補するものとして接しない限りは空虚な営為だという批判が主。特に多読や流行り物を批判する。
これは昨今、web上でインフルエンサーの意見を多量摂取し、それをなぞった主張するだけの人へも同じ批判となるだろう。

流行りのビジネス書を何冊も読むより、現代まで残っている古典書をマイペースに読み進めて咀嚼する方が思考に深みが増す。これは自身の経験則とも一致する。
読書が進まないと流行りものに手を出してしまうものだが、読む度に空虚な気持ちになるし、自戒していきたい。

著述は著者の顔だとし、それに自らの誇りを持ち、整然とした文体で書かれるべきであるとする。文章の書き方としても学ぶべき論は多くあった。
一方、そうあるべきものを匿名で出すことについても厳しく批判する。なにを著述するにしても、この認識を持って人と対峙するようにしたいと思った。

なんにせよ「他人の思想を借りるのではなく自分の思想を持ち、その思想を正しく著述しろ」という主張は深く共感するし、常に意識していきたい。
下手な文章を書くとこんな感じで罵倒されそうなので、少しでもまともな言葉を紡げるように日々精進である。

0
2024年05月02日

Posted by ブクログ

哲学書の中ではかなり読み易い部類に入るだろう。全く哲学に触れてこなかった人や中学生くらいでもこれは読めると思うし、衝撃的ながらも「確かに」と首肯してしまう内容になっている。
「読書について」とあるが、ショーペンハウアーはその冒頭で「読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ」とバッサリ断じてしまう。しかしよくよく考えると確かにその通りなのだ。読書とは他人の思考をなぞる行為でしかない。下手な自己啓発本を礼賛する行為に嫌悪感を感じるのはそれが先鋭化されているからかもしれない。
とはいえ、ショーペンハウアーは読書そのものを否定している訳ではない。他人の心の運びをなぞる行為であるからこそ、良書を読み、自身で思考する力を育めと言っている。ただこれは非常に難しく、果てしない作業だと思う。ショーペンハウアーほどの飛び抜けた才能を持つ人ならともかく、我々は良書と悪書の区別が最初からつけられるほど賢くはない。悪書を読むことで良書を知ることもあるだろう。ショーペンハウアーは現代に残る古典を読むことを良書のみに当たる方法としているが、さすがに古典だけを読むわけにもいかないしね。(あるいは古典を読み耽った後であれば現代の良書もわかるという意味かもしれないが、そこまで簡単にいくのか?と個人的には感じる)
しかしそっちの系統を読んだ訳じゃないので賛同も反駁もできないけど、いくらなんでもフィヒテとヘーゲル嫌いすぎじゃないこの人?

0
2024年01月18日

Posted by ブクログ

SNSとかゲームとかに時間を食われている人間だから昔の時代の本ばかり読んでる人より頭悪いけど、ちゃんと本読むだけじゃなくて頭使わないとなって思った

0
2023年06月30日

Posted by ブクログ

読書を見直すきっかけになる
ショーペンハウアーの切れ味の鋭い主張が新鮮だった。
・良書を選りすぐって読むことの重要性
・自分の頭で考えることの重要性
・世間にはジャンキーな情報が溢れている
などなど、「読書」をする上での、基本スタンスを学ぶことができた。

今後、ReadHubを用いて、数多くの本を読んでいくことになると思うが、この本で学んだことをベースに読書をしていこうと思う。

0
2023年12月26日

Posted by ブクログ

読書という姿勢について哲学的視点から読み方と良書の選び方を勧め単に読むことで情報を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えながら思索し、批判的姿勢、疑問、問いを浮かべながら読むという行為をすることを推奨している。
本に限らず、動画やSNS等で様々な質の悪い誰が言ったのかもわからない情報や誤情報で溢れている。本でも同じことを情報への向き合い方について本著は示すものだ。100年前の書物であるが、良書とは何か、悪書とは何かを自分自身で吟味すると良いだろう。
著者が推奨する良書というのは時代を超えて価値を持つ本というものは、古典のように、長く読み継がれた理由があるもの。短命な流行書ではなく、世代を超えて人間の本質に訴える書物であり、その書かれた本の著者の独自の思想と体験に根ざしていること。金銭や人気のために書かれた本ではなく、思想や経験を伝える使命感から生まれたものである。
読者の思考を刺激し、創造性を喚起することであり、受け身の読書ではなく、思索を促すものであること、普遍的な真理や深い洞察を備えていること:単なる情報や技術書ではなく、人生や存在への洞察を提供するものを指している。
著者のショーペンハウアーは明確に「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである」と述べ、人生の時間と知的エネルギーには限りがあるため、価値の乏しい書物にそれを消費してしまえば、真に読むべき本に触れる機会を永遠に失うと警告しました。悪書は「知性を毒し、精神を損なう」とされ、彼にとって最大の敵と明確にしている。
私は思う。本著が指す内容を正確に読もうとするのは知的生産には特化しているが、本著もまた自身の読書について時代を超えて読まれるということは良書であるといえる。時間は有限であり、この著者が読書についてを発表してから100年経過して消えた本は数多にある。ネットの情報はもっと早いだろう。
本著は思索を読みやすく解説している。一度手に取り読むことをオススメする。読むという行為は人間である以上無くならない。デバイスは紙から変わるかもしれないがそれでも向こう遠い未来まで読み継がれる良書であるといえよう。

0
2025年10月19日

Posted by ブクログ

全体を通して批判的な文章なのだが、文章力強くエネルギーに満ち溢れていて一種の爽快感となっている。
本書内でも語られている通り比喩表現が秀逸で哲学書をあまり読まない自分でも比較的読みやすかった。
「著述と文体について」は当時のドイツ文学界に対する批判が延々と綴られているので現代に読む自分としては冗長に感じる部分もあるがそれだけ感情がこもっているとも受け取れる。
現代においても学ぶところの多い名著。

0
2025年06月10日

Posted by ブクログ

読書をしている人間なら、必ず一度は読むべき作品。

読書は自分で考える力を衰えさせるという言葉は、自分の胸に深く突き刺さった。ただ、彼の言葉を引用している時点で、私は自分で物を考えられてはいないのかもしれないが。

昨今読書の有用性ばかり主張されるが、今の世の中には悪書が蔓延っている。だからこそ、読むべき本は選ばなければならない。

0
2025年04月11日

Posted by ブクログ

「読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ」はよく引用される箇所だが、それ以外にも「良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。」だったり、「読書と同じように、単なる経験も思索の代わりにはなれない。」だったり、ギクリとする記述が多く見られる。その他にも古典や原著を勧めていたり、多読を批判していたりと、著者の読書についての独特の見解が読む者の心に突き刺さる。果敢に読書に取り組んできた自分にもこれらの言葉は突き刺さり、繰り返し問いかけた。読書できているのか、と。読む者に問いかける切れ味抜群の言葉たち。読書する者なら一度は手にして欲しい著書である。

0
2024年12月24日

Posted by ブクログ

読書とは、他人の掘った溝に水を流すようなものです。
作られた溝に水を入れ、思考の川を作ることです。
才能ある人によって作られた溝は、きれいな流れの川になります。
ですが自分の川ではない。

自分で考えることは、自ら溝を掘り川を作ることです。
苦労の多い方法ですが、完成した思考の川は自分にしっくりくるオリジナルなものになります。
天才の作る川より不恰好であったとしても、それは自分の考えです。

読書と考えることは似てはいますが、全くの別物です。
自分で考える習慣を大切にしたいです。

0
2024年08月08日

Posted by ブクログ

エッジの効いた言葉が軽快に続いていく。なんならこれでラップできるんじゃないかと思うくらいのディスもあったりして、マインドがラッパーと通じるような新鮮な感覚だった。
その一方で、
「読書は自分で考えることの代わりにしかならない」という言葉は、少し寂しいな とも思う。
物語が読者と繋がり、一つの世界を一緒に創りあげていく面白さや、それが生活の一部となり生きる糧になることも沢山あると思った。
ショーペンハウアーに「頭が空っぽの凡人」と形容されても、凡人が故の楽しみ方もあると思う。凡人がいるからこそ、非凡が生まれて、素晴らしい作品ができるとも思った。

けど、こう思えることもこの本があってからこそ。やっぱり楽しいね、読書って。

0
2024年04月07日

Posted by ブクログ

ショーペンハウアーが、無能な作家や出版社のことをめちゃくちゃに貶しててそこが面白い。主張
は的を得ており、どれも本質的だ。

0
2023年11月09日

Posted by ブクログ

耳に痛い。本を読んでも身になっていないと薄々感づいてはいた。そういうことだったのかと一撃を喰らう。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで、とにかくたくさん読めば得るものもあるだろうと読んできた。古典も新しいものもだ。欲深な私は両方を読みたい。せめてこれからは自分の頭でじっくり考えてから脳内にしまうことを心掛ける。

間違った使い方の日本語と匿名の書き込みが溢れる今の日本をショウペンハウアーがみたら何と言うか。罵られる。

0
2023年10月25日

Posted by ブクログ

ずっと読みたいと思っていた本。
本を読むのは大好きだけど、それで満足していてはだめ。
どんなにたくさん読んでも、自分の頭で考えずに鵜呑みにしていてはだめ。
自分の頭で考えろ! それが大事。

0
2023年10月09日

Posted by ブクログ

本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。

衝撃を受けた一冊。読書は量ではなく質であると再認識させてもらった。悪書はすぐに切り捨てることも大事だと感じた。
比喩が巧みで舌鋒鋭い批判は爽快ですらある。

0
2023年09月28日

Posted by ブクログ

読書のすすめみたいなものかと思って読み始めたら「本を読むより自分の頭で考えるべき」といきなり書かれていてズシリときた。「読書していると自分の頭で考える必要がなく、他人に代わりに考えてもらえるから気が休まるのである」というあたりは本当に耳が痛い。
とはいえショーペンハウアーだって本はしっかり読んでいるわけで、読むなら良書だけを読み、書かれた内容をしっかり反芻せよということ。
「著述と文体」という論説では、悪書ばかりが濫造される当時のドイツ文壇の姿勢から、ドイツ人の文章の書き方自体まで、くどいほどにdisりまくっている。(本当にくどいので途中から読まなくてもいい。くどすぎるので★を1つ減らした)
解説にも書かれているし各所でも言われていると思うが、比喩が的確でピリッとしていてとても伝わりやすいし、読んでいて楽しい。このあたりは流石。

自分の読書スタイルへの戒めとして座右に置いておくのもよいと思う。

0
2023年06月24日

Posted by ブクログ

読書についてと言語について どんな本を読もうかと悩んでいる時にシンプルなタイトルに惹かれ読んだ。本を読むことが本当に正なのかを問われる内容に衝撃をうけた。
また、読書についてとして読んでいたらいつの間にか言語の堕落について延々と語られていた。長ったらしく結論を装飾するなと言っているが、この本が長ったらしくないか?と感じた。
今後どのような本を読もうかと言う人に、読書の概念と本を選ぶ基準を与えてくれる。

0
2025年12月06日

Posted by ブクログ

ショーペンハウアーの『余録と補遺』から、読書に関する3篇、「自分の頭で考える(思索)」、「著述と文体について(著作と文体)」、「読書について」を収録したもの。上記カッコ内のタイトルは岩波文庫版の訳である。


3篇のうち、「著述と文体について」が一番ボリュームがある。そこではまず、お金のために書かれた本だと気付いたら、その本をすぐに投げ捨てなさいと促している。その部分を引用しよう。

まず物書きには二種類ある。テーマがあるから書くタイプと、書くために書くタイプだ。第一のタイプは思想や経験があり、それらは伝えるに値するものだと考えている。第二のタイプはお金が要るので、お金のために書く。書くために考える。できるかぎり長々と考えをつむぎだし (中略) ただ紙を埋めるために書いているのがすぐばれる (中略) 書くべきテーマがあるから書く人だけが、書くに値することを書く。(p32-33)


今日の日本でも、特にビジネス書では、お金のために書かれた中身のない本が数多く出版されている。そういう本に当たると、うんざりさせられる。そういった駄本に時間とお金を浪費しないように、私たちは本を見分ける力を身に付けなければならない。


残りの2篇、「自分の頭で考える」と「読書について」に共通しているのは、多読への注意喚起である。

読書は自分で考えることの代わりにしかならない (自分の頭で考える、p11)

読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ (読書について、p138)


そして、ここでも「悪書を読まないこと」の大切さを説いている。それでは、どのような本を読めば良いか?

新刊書、流行りの本ではない。また、偉人について論じた本でもない。

アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルの以下の警句を引いて、偉人自身が書いた本を読むことを薦めている。

古人の書いたものを熱心に読みなさい。まことの大家を。現代人が古人について論じたものは、たいしたことはない。(シュレーゲル「古代の研究」)
(読書について、p146)

そして、重要な本は「続けて二度読むべきだ」としている。その理由はもちろん、理解が高まるためである。

たしかに、現在でも読み続けられている古典は、時の審判を経たものなので、本当に優れていることが証明された本である。本書も古典のひとつだが、このような古典を繰り返し味わうのが一番効率が良い読書といえるだろう。


本書を強引にひと言でまとめると、「売れている本ではなく、古典を繰り返し読んで、自分の頭で考えよ」ということになる。


以上のように読書に関して様々な示唆を得られる本であるが、ショーペンハウアーの自己弁護にも見えた。自著の『意志と表象としての世界』が売れず、くだらない本が売れていることへの批判とも見て取れるのである。


最後に、別訳の岩波文庫 青 (斎藤忍随/訳)の文体について、違いを書いておく。
2024年の現時点ではどちらの文庫も現役本であるが、どちらを読むか迷った際の参考にしていただければ幸いである。

以下は出だしの部分である。内容は同じなので、読みやすい方、好きな方を選んでほしい。

【岩波文庫 青 (斎藤忍随/訳)】
数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識のばあいも事情はまったく同様である。


【光文社古典新訳文庫 (鈴木芳子/訳)】
どんなにたくさんあっても警理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。

0
2024年11月23日

Posted by ブクログ

偏屈なおじさんではあるけれど、言ってることはまぁまぁ共感。学びて思わざれば則ちくらし、思うて学ばざれば則ち危うしってね。

0
2024年07月07日

Posted by ブクログ

想像していたような、積極的な読書をすすめる本ではなかった。
というかぼーっと読んでいたら途中から「本を読むこと」というより「文章を書くこと」の話になっていて、ドイツ語の批判と文法解説になってきたので途中読み飛ばしてたらまた最後に読書の話に戻っていた。

読書は他人の知識を自分に刷り込むような行為だと著者は批判していましたが、まさに私が、自分の思考を本を読むことで上書きしてしまおうという目的で読書をしているので、ちょっと自分とは考え方が合わないもようです。
もちろん自分の頭で考えることは重要だけど、自分で考えるにも限界があるわけで。
他人の頭で考えた代表的なものが哲学だったりするし。
「自分の頭で考え抜いた仮説を補う手段」として読書を活用するのは是非やってみたいです。

0
2024年05月21日

Posted by ブクログ

読書よりも自分の思考の方が価値高いでしょって話。その考えもわかるが、その話のレベル感が違う気がする。ショーペンハウアーは1788-1860の人。その当時と比べて現代人は圧倒的に読書量が足りなさすぎて、思考しようにも①思考体力がない②思考する題材がない(ないものは考えようがない)から、読書はあまりするなという主張はあまり現代には適切でないかも。って思います。
でもその自分の思考が最高価値だよって主張自体は間違いなく、これまでの「読書系」の本とは別角度の意見で参考になった。読書マニアになりすぎず、そこからどう生かすかを軸にしようと思った。

0
2024年05月19日

Posted by ブクログ

思索と読書のバランスについて書かれた本です。いわゆる、学びて思わざれなすなわちくらしと言う事について書かれた本です。

ただ、これを真に受けて読書を怠れば、思いて学ばざればい即ち殆うしと言う事になりかねない。

この時代の人たちは、我々より圧倒的に読書していた事を忘れてはいけない。
要は友人同様、読む本は選びなさいという事。


ヘッセの読書術より訳文が平易で読みやすく、同様の主旨で書かれているのでおすすめ。
ただヘッセと違って、それなら何を読めばいいのかと言うリストはない。

0
2024年02月19日

Posted by ブクログ

確か友人に勧められて買ってあった。「読書について」10「反復は勉学の母である」は耳の痛い話しだった。「重要な本はどれもみな、続けて2度読むべきだ。」ああ、そうなんだなぁと思う。8「古人の書いたものを熱心に読みなさい。まことの大家を。」かの出口治明さんもそうおっしゃっていた。でも古典難しいもんなぁ。

0
2024年01月07日

Posted by ブクログ

「読書をすると頭が悪くなる?」
なるほど、、、と思いつつ、自分も前から思ってたことを昔の人も同じように思っていたことに感銘しました。

本読んで、感想をまとめて、もしくは線を引いたところを書き出して、そして読み返して、よく思索する、というプロセスは物凄く大事だと思いました

0
2023年07月13日

Posted by ブクログ

「悪書から被るものはどんなに少なくとも、少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも、読みすぎることはない。悪書は知性を毒し、精神をそこなう。
 良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから」(ショーペンハウアー『読書について』鈴木芳子訳、光文社古典新訳文庫 pp.145-146)

0
2023年07月12日

「学術・語学」ランキング