西尾幹二のレビュー一覧
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戦前の愛国心を盛り立てるような、熱に浮かされたような国家主義を説いた焚書の紹介。あまり現実的ではない理想だけの国家主義。日本的国家主義の甘さはリアリズムの欠如と西尾さんは言っています。今の日本人が読むと??ってなる。行き過ぎた国家主義は良くないけれど、最近は外国人労働者受け入れの問題や日中関係の問題で日本を大事に思う雰囲気があって、日本再生なるかと期待。
気になったところ
建国の三大網
・養正(正義を行う「義勇の徳」)→勇気は養うもの
・重暉(闇を取り除く文化の新しい「知恵」)→知恵は重ねるもの
・積慶(仁徳)→仁は積むもの
・集団では強いが個では弱い
・他者(外国)と対面したときのした -
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ショーペンハウアー「 意志と表象としての世界 」
3冊(4巻)は長いが、認識論(主観と客観)に始まり、芸術論(純粋主観)を経て、倫理学(主観と客観の無)に終わる展開は見事。想像をはるかに超える結論(ユートピア)だった。
人生に関する名言格言も多い。西尾幹ニ 氏の訳も良かった
印象に残った論考
*生きんとする意志の否定し自由に転換することと、自殺と生きんとする意志の否定を明確に区別
*個体化原理を乗り換えて、苦しみを与える者と苦しみを受ける者は同一とした
著者が目指す人間像は「世界の超克〜真の認識を開き、生きんとする意志を捨離し、真の自由を得て、寂静たる生活振舞いをする」と捉えた
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ショーペンハウアー「 意志と表象としての世界 」
3巻 天才論と芸術論から 新しい世界秩序を展開。全体像が少し見えてくる。2巻の意志の世界を、生に盲目的であり、自由の代償として孤独を感じる苦悩の世界としている。
イデアは 本質、普遍的な真理、不変の原型、意志が適切に客観化されたもの
イデアは いっさいの現象(表象)の普遍的な形式(客観は主観に対応した存在)をまもっている〜イデアのみが意志(物自体)の適切な客体性といえる
純粋な認識主観はイデアを認識しているだけ
著者の伝えたいことは「目前に存在するのは、自分自身でなく 客観のみであるという幻覚を作り出せれば、あらゆる苦悩から免れる -
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「意志と表象としての世界」第3巻と第4巻の一部を掲載したのが本書。ショーペンハウアーの芸術論(第3巻)と世界観(第4巻の一部)で構成されている。
芸術論はイデアの世界観と芸術の世界観をテーマにペシミストたるショーペンハウアーが垣間見せるポジティブな世界観。音楽を最高の芸術と称して芸術はイデアの世界を認識させてくれるという。
そしてこの意志というものは万物を動かすエネルギーみたいなもので、盲目なるエネルギー。こうやって考えるとドーキンスの「盲目の時計職人」を想像させる論理で、人間が制御できないエネルギーだからこそ人間の生は苦悩という次巻の結論につながっていく。 -
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日本は大東亜戦争開戦において、帝国政府声明文(昭和16年12月8日)を発表し、その戦争目的は亜細亜解放であることを明言していた。西尾氏はこの政府声明文を認める数少ない保守派の論客である。GHQ焚書図書開封シリーズでは、戦争当時、日本人がどのように現状を考えていたか、また、米国がその事実を消すために、どのように焚書を行ったかが、焚書図書の内容を紹介しながら、淡々と書き進められている。実に我々は戦後70年間もいいように洗脳され続けてきた。しかし、少しずつではあるが、その事実が知られるようになった。米国の力が弱まり、日本の自立も近づいていると思われる。本シリーズ及び帝国政府声明文を発見した安濃豊氏の
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太平洋戦争に対する評価は難しい。戦後の教育がGHQによる「彼らに都合のよい歴史史観」に基づいて行われたことは容易に推測できる。かといって右派のいうように戦前の日本が無謬であったとは思えない。問題は帝国主義、植民地主義の時代から民族自決、自由平等主義へと舵を切っていくおおきな流れの中で、どの時点で何が非難されるべきことであったのか、ということである。それまで散々アフリカやアジアや太平洋地域を征服し、植民地化してきた欧米諸国がなぜ急に「きれいごと」を言い出したのか。日本が犯した罪を認めながらも、同時に欧米諸国の欺瞞を指摘し続ける事も必要だろうと思う。
太平洋戦争は日米の宗教戦争であったという西尾 -
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ネタバレ『意志と表象としての世界』の構成 p37
第一巻=認識論、第二巻=自然哲学、第三巻=芸術哲学、第四巻=倫理学
《第一巻 表象としての世界の第一考察―根拠の原理に従う表象、すなわち経験と科学との客観》
冒頭 p5
「世界はわたしの表象である」―これは、生きて、認識をいとなむものすべてに関して当てはまるひとつの真理である。
(解説)わたしの意識の外に世界が実在する、と主張してみても、そのことを確信するのもまたわたしの意識である。この言葉は、外から押しつけられるいかなる既成の価値をも疑う、という態度表明でもある。
継続こそ時間の全本質である。p20
理性によって正しく認識されたものが真理 W -
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ネタバレ日本の個人と社会の関係について論じた文化論。この本は1969年に出版された『ヨーロッパの個人主義』という本に加筆修正がなされたもの。西洋が個人主義を旨としながらも集団レベルになると一致団結できる一方で、日本は集団が一見まとまっていながらも同床異夢、呉越同舟である場合が多いが、それはなぜか。
明治維新以降、日本は「自由」、「平等」といった西洋から輸入した概念を用いて近代化=西欧化に邁進してきた。しかし、著者はいわゆる近代知識人が「進歩」、「自由」、「平等」を絶対化し、古い価値観を帰るべきだという態度を頑なに取り続けてきたことを採り挙げ、これを「ヨーロッパを鏡として常に自国を見てきた」と説明 -
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1969年の講談社現代新書に加筆したもの。
30代のときに執筆した内容を変える必要はなかった、と自ら評価している。
たしかに、日本人の状況は驚くほど変わっておらず、またこの頃の西尾の筆は冴えている。
あまり覚えていないのだが、たぶん私は西尾を読んでいたのかもしれない。
そう思えるほど、ここに書かれている7割ぐらいの部分は、完璧に同意できる。
いまの日本はおかしいのではないか、いや自分の方がおかしいのか・・・、そんなことを感じている人は是非一読されると良いだろう。
ただ、個人としていきてゆくなら覚悟を決めや、というのがニーチェなり西尾から読み取るべきことで、それ以上の社会で現にとるべきスタンスは -
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西洋文明、米国、チャイナ、韓国、日本、ぼっこぼこに批評。
皇室にも意見申し上げる。
韓国の「反日」と日本の「平和主義」はまあ、似たようなもんと。
米国は利己的で独善でよく判断を間違えるが、ロシアや、チャイナのような悪の帝国ではない。
先の戦争は、日本がなぜ戦争をしたのかではなく、米国がなぜ戦争をしたかも考えるべき。戦争は相手があって始まる。
日本は、従来の「限定戦争」のつもりであったが、終わってみてそれが米国による殲滅戦、「全体戦争」であることに気が付かされた。
いつまでも反省とお詫びではない。
当たり前のことを、しっかりと語られる。
ただ、「保守」ってなんだろうなと考える。
「保守