哲学・宗教・心理 - 筑摩書房の検索結果
検索のヒント
検索のヒント
■キーワードの変更・再検索
記号を含むキーワードや略称は適切に検索できない場合があります。 略称は正式名称の一部など、異なるキーワードで再検索してみてください。
■ひらがな検索がおすすめ!
ひらがなで入力するとより検索結果に表示されやすくなります。
おすすめ例
まどうし
つまずきやすい例
魔導士
「魔導師」や「魔道士」など、異なる漢字で検索すると結果に表示されない場合があります。
■並び順の変更
人気順や新着順で並び替えると、お探しの作品がより前に表示される場合があります。
■絞り込み検索もおすすめ!
発売状況の「新刊(1ヶ月以内)」にチェックを入れて検索してみてください。
-
変な心理学 ――バズっているアレの正体
誤謬の温床か、現代の神話か。 「いけねえ癖」をもつ心理学者が、「変」を解剖する。 いまの日本の「心理学」は、奇妙な状況にあります。そこにあるのは、アカデミックな心理学と大衆的な心理学の混乱です。この本では、この状況を整理し、今後の共存のための考え方を示します。読み終わると、きっと心理学が好きになる。そんな本です。 「私は心理学というもの自体が大好きなのです。私は、海外の学会サイトや学術誌の著者欄をはじめとするあらゆるプロフィール欄に「I like dogs」と書くくらいに犬も好きなのですが、それに匹敵するレベルの心理学好きと言っても過言ではないでしょう」 イラスト:たにあいこ -
自他の境界線を育てる ――「私」を守るバウンダリー
◆こんな「モヤモヤ」ありませんか? ・断りたかったけどNOと言えなかった。 ・嫌だと言ったけど「あなたのため」と言われた。 ・意見が他人と違った時に自分が間違えていると感じる。 ・スマホを勝手に見られるのが嫌だけどやめてくれない。 ・好きなものを否定されると自分まで拒否されたように感じる。 これらは「境界線(バウンダリー)」で起きている問題です。日常の「モヤモヤ」や「しんどさ」から心と体を守るために、傷ついた自他の境界線を引き直そう。 【目次】はじめに──私の「生きづらさ」とバウンダリー/第1章 「バウンダリー」は「私は私」の境界線/第2章 もやもや、イライラの正体はバウンダリーの侵害かも?/第3章 こころの境界線を育む言葉と行動を知ろう/第4章 バウンダリーの侵害がひきおこす「生きづらさ」/第5章 傷ついたバウンダリーを引き直す/第6章 バウンダリーという視点で世の中を見てみよう/おわりに -
ムガル帝国 ――インド・イスラームとペルシア文化
イスラーム神秘主義の歴史 南アジアで花開いたスーフィーたちのペルシア文化とは 広大なインド亜大陸の一三世紀から一七世紀の思想史は複雑である。インドとパキスタンの分離独立など政治的な影響から、いまの南アジアは、イスラームとヒンドゥーという宗教アイデンティティーに依拠して、解説されることが多い。けれども言語に注目して歴史を概観すると、従来と異なる景色も見えてくる。本書は、西アジア、中央アジア、南アジアの文化的共通言語として一八世紀まで機能した「近世ペルシア語文献」から、ムガル帝国で花開いたスーフィーたちの神秘主義思想と、ペルシア文化を概説する。 === 【目次】 第一部 デリー・スルターン朝時代(一二〇六年~一五二六年) 第一章 デリー拠点の教団――チシュティー教団(ラージャスターン~パンジャーブ~デリー) 第二章 地方拠点の教団――スフラワルディー教団(パンジャーブ)、クブラウィー教団(カシミール)、フェルドゥスィー教団(ビハール) 第三章 スーフィーとヒンドゥー神秘主義者の思想的交流Ⅰ 第二部 ムガル帝国時代(一五二六年~一七世紀半ば) 第四章 イラン高原からの影響――救世主運動とオカルト科学 第五章 古参教団と新興教団――チシュティー教団(続)、カーディリー教団、ナクシュバンディー教団 第六章 スーフィーとヒンドゥー神秘主義者の思想的交流Ⅱ 第七章 「万人の平和」と神の宗教――アクバル皇帝(一五四二年~一六〇五年)の時代 第八章 『二つの大洋の合流』 === -
イエスは四度笑った
キリスト教において正典とされる四つの福音書のどこにも、イエスの笑いは出てこない。だがナイル川流域の土中から1970年代に発見された『ユダの福音書』では、イエスは四度笑っている。一人のグノーシス主義者によって書かれたこの笑いはいったい何を意味するのか。じつは四度ならず、イエスは大いに笑ったのだ――『寅さんとイエス』で、イエスが寅さんのようなユーモアに満ちた存在だったことを描き出したカトリック神父が、聖書のミステリーに挑む。 【目次】はじめに/第一章 イスカリオテのユダと『ユダの福音書』/第二章 イエスを四度笑わせた『ユダの福音書』/第三章 正典福音書におけるイエスの〈怒り・苦しみ・悲しみ・喜び〉/第四章 正典福音書におけるイエスの〈ユーモア〉/第五章 正典福音書におけるイエスの〈笑い〉/追記1 聖夜を前に聖書ひもといて/追記2 ガザの「壁」/おわりに -
神社の古代史
古代の人々の生活や信仰、祭りの中から神社は各地で発生した。では彼らはどのような神々を祀ってきたのだろうか。明治以降の国家神道の影響を受ける以前の“祭祀の原像”を求めて、主要な神社の成り立ちや特徴を解説する。取り上げられる神社は大神(おおみわ)神社、伊勢神宮、宗像大社、住吉大社、石上(いそのかみ)神宮、鹿島神宮、香取神宮などで、それらは大和王権の国家運営が進むに従い、それぞれに役割を付与され性格づけられて、律令体制下の神社制度として確立していくことになった。日本古代史における神社の起源と変遷をていねいに辿り、その存在意義を考察する。 -
読めば分かるは当たり前? ――読解力の認知心理学
読解力は一朝一夕で身につくものではなく、絶えず鍛えていかなくてはならないものです。まずは、自分の読解力の現状や、自分が望んでいるような「読解力がある状態」にどうやったらたどり着けるのか、その道筋を考えます。そして、自分の読解のクセやつまずきを知って、読解力を高めるためにもっともよい練習方法は何か選べるようになる事が重要です。この本を通して、皆さん自身で練習方法を見つけたり、練習方法を編み出すことができるようになってほしいと思います。 【目次】第一章 三つの読解/第二章 読んで理解するための心の「道具」/第三章 文字を読むのは簡単か/第四章 単語を知っているということ――ボキャブラリー/第五章 文の意味を読み解く/第六章 文章全体を把握する/第七章 表象構築のために何ができるか/第八章 心を動かす読解/第九章 状況モデルの批判とアップデート/第一〇章 おわりにーー読解力の地図は描けたか -
心はこうして敵と味方をつくりだす ――分断と争いの社会心理学
人はなぜ「我々」と「ヤツら」に分かれるのか? 隣の部署、外国人、富裕層、エリート、若手とベテラン、右派と左派、男と女――人はつい「我々」と「ヤツら」に線を引き、その「敵」を容赦なく叩いてしまう。なぜ人は、ときに集団の一員として敵への攻撃に駆り立てられるのか。異なる価値観をもつ人々と共に生きるには、「敵を作りがち」な私たち自身の心のクセを知っておく必要がある。職場での摩擦や民族対立、SNS炎上、陰謀論など。身近なギスギスから社会の深刻な分断まで、その背後にある集団心理のメカニズムを読み解く。 === 【目次】 はじめに――「我々」と「ヤツら」に線を引く心 第一章 「我々」として敵と争う――社会的アイデンティティ 1 「私」から「我々」へと切り替わる 2 紛争状況――我々のために戦おうとするとき 3 優越感――「我々こそ上だ」と思うとき 第一章のポイント 第二章 仲間が見ているから暴走する――賞賛獲得と拒否回避 1 褒められるために攻撃する――仲間内の英雄になりたい 2 嫌われないために攻撃する――仲間はずれになりたくない 第二章のポイント 第三章 「我々」はなぜ都合のよい世界しか見えないのか――内集団中心バイアス 1 同じ情報でも「ウチ」と「ソト」では違って見える 2 バイアスの原因は「結論ありき」で考えるから 3 バイアスにブレーキをかけるには 第三章のポイント 第四章 なぜ左と右はわかりあえないのか――イデオロギーと政治 1 政治イデオロギーはいかにして暴力と結びつくか 2 右派的価値観はよそ者に厳しくなりやすい 3 左派集団 vs. 右派集団――党派間対立 4 インターネットで強まる政治的分断 第四章のポイント 第五章 「よそ者」はいかにして「敵」となるのか――脅威・被害・報復 1 ヤツらの何がどう怖いのか?――脅威 2 やられたから復讐する――被害と報復 3 我々は被害者だ――被害感 第五章のポイント 第六章 闇の勢力が我々を狙っている――陰謀論 1 陰謀論を個人ではなく集団心理から読み解く 2 陰謀論で生じる二つの集団目標 3 陰謀論にどう向き合うか 第六章のポイント 第七章 「やっつけろ」が当たり前の世界で起こること――暴力的な規範・文化 1 規範は集団のアクセルにもブレーキにもなる 2 暴力や偏見を後押しする規範 3 文化に根づいた暴力的規範 4 規範を反転させるためには――ヘイトから反ヘイトへ 第七章のポイント おわりに――敵をつくる心を知ったその先に 注 === -
正義の暴走 ――凡庸な悪についての心理学
この世には「自分は正しい」が多すぎる! 人の心の癒したい/クマを駆除するのはかわいそうだ/この動画、拡散しないと/「われわれ」以外はすべて敵/被害者だろうと許さない/エビデンスなんてしったことか/もうこの手段しか残されていない こうなってしまうのは、全部「こころ」のせいだ。 === 【目次】 第1章 「正しさ」が衝突するとき――クマの駆除は悪か 相次ぐクマ被害/クマ被害の背景/二つの「正義」の衝突/不幸を「自己責任」に変換する心理/基本的帰属の誤り/後からなら何とでも言える/なぜ人は単純な説明を求めるのか/「クマがかわいそう」という正義/不可視化される自己関与/「正義」が暴走するとき 第2章 制裁という快楽――いじめ動画の拡散とネットリンチ 相次いだいじめ動画の拡散/動画拡散は「正義」の行為か/いじめとは何か/傍観者効果/道徳的免罪と道徳的不活性化/匿名性が攻撃のハードルを下げる/集団極性化/告発と私刑は同じではない/制裁の快楽 第3章 分断か共生か――外国人を排斥する心理 増える外国人、強まる「違和感」/外国人犯罪増加という噓/ゼノフォビアの心理構造/内集団バイアスと「われわれ」意識の肥大化/確証バイアス/島国的「同質性神話」という前提/スケープゴート化される外国人と政治/日本人ファースト/共生は可能か ―― エビデンスが示す事実/排外か共生か ―― 「正義」を問い直す 第4章 被害者バッシングはなぜ起こる――スターを育てるという「正義」 公然の秘密が前代未聞の世界的スキャンダルになるまで/BBCによるドキュメンタリー/性暴力とは何か/世界に広がる子どもへの性暴力/性暴力への対応/「才能を見出し、育てる」という「正義の仮面」/組織文化が「共犯」となるとき/被害者が受けたトラウマ/男性性被害者特有の問題/文化としてのジャニーズ/被害者バッシングという二次加害 第5章 世間にはびこる自称カウンセラー――「人の心を癒したい」という思い上がり 「人を助けたい」という動機の正しさと危うさ/心理支援という非対称な関係「誰でも名乗れる」制度が生む問題/海外のカウンセラー制度/善意が専門性の/錯覚に変わるとき/「自分も苦しかった」という経験の一般化/ケース・フォーミュレーション不在の危険性/倫理なき支援がもたらす二次的被害/診断ラベルが「支援」から「管理」に変わるとき/自己成就予言という呪い/自称カウンセラーが不用意に与える予言/専門家を名乗る「正義」が暴走したとき 第6章 パンデミックの恐怖心の果てに――「敵」は心の中にいる コロナ禍という異常事態/緊急事態宣言が明けたとき/曖昧さ耐性とリスク認知/「コロナ警察」の出現/斉一性への圧力/コロナ警察の「正義」/コロナでの分断/都会の人お断り/分断と排斥/心と体のソーシャルディスタンス/ある保健所の話/「敵」はわれわれの外にあるのではなく、心のなかにいる/隠喩としての病/コロナと隠喩/人々の恐怖心/隠喩の生まれる理由 第7章 エビデンスと物語の相克――人は事実より信じたいものを信じる マスクや感染対策を拒否する人々/矛盾する二つの意見/エビデンスに基づく医療/エビデンス・ピラミッド/医師Aと医師Bのどちらを信じるか/エビデンスと人間の心理/エビデンスを活用するために/専門家への誹謗中傷という構造的問題/複雑な因果推論の誤り/オンライン脱抑制と転移性攻撃/曖昧さ耐性と極端化/敵意帰属バイアスと脅威認知/ゆがんだ「正義」と道徳的不活性化/誹謗中傷の強化学習モデル/ダーク・テトラッド・パーソナリティ/誹謗中傷の代償/オンラインでの誹謗中傷を減らすために 第8章 人はなぜ陰謀論にハマるのか――デマこそ広がりやすい 陰謀論とデマ/陰謀論とは/陰謀論という生き方/陰謀論の害/陰謀論を語る自由はあるのか/陰謀論への対策/具体的な誤情報対策/1 常に誤情報のモニタリングをする/2 人々の声を聴く/3 正確な情報を提供する/誤情報を放置しないこと 第9章 人生をかけた正義の暴走――安倍元首相暗殺の心理 元首相の暗殺/事件をエンターテインメントとして消費する人々/「専門家」による加害者の心理分析/山上徹也被告と「私的正義」の形成/生い立ちと家族崩壊 ―― 喪失が日常化する家庭/怒りの方向転換/標的の転換/人生の意味/偶然か必然か/ほとんど語られてこなかった「孤立」の問題/セントラルエイト/なぜ「止められなかった」のか/個人の凶行で終わらせないため === -
子は親を救うために「心の病」になる
「泣きながら一気にページをめくったあの日を忘れることはできません」。 ひとりの読者の感想から広がり、子育てに悩む女性たちの間で話題に。 子は、親が大好きだ。 かつて子どもだったあなたへ、子育て中のあなたへ。 どの子も親が大好きで、「自分が役に立っているだろうか」「必要とされているだろうか」と考えている。しかし思春期になり、親から逃れようとする心と、従おうとする心の葛藤に悩み「心の病」になってしまう。真の解決は、親が子を救い出すのではなく、子に親が救われるのだと分かった時に訪れる。「引きこもり」や「拒食症」で悩む多くの子どもたちに向き合い、心の声に耳を傾けてきた著者が綴る、あなたの子どもと、かつて子どもだった親を救う本。 -
人間の条件
条件づけられた人間が環境に働きかける内発的な能力、すなわち「人間の条件」の最も基本的要素となる活動力は、《労働》《仕事》《活動》の三側面から考察することができよう。ところが《労働》の優位のもと、《仕事》《活動》が人間的意味を失った近代以降、現代世界の危機が用意されることになったのである。こうした「人間の条件」の変貌は、遠くギリシアのポリスに源を発する「公的領域」の喪失と、国民国家の規模にまで肥大化した「私的領域」の支配をもたらすだろう。本書は、全体主義の現実的基盤となった大衆社会の思想的系譜を明らかにしようした、アレントの主著のひとつである。 -
あいだ
自己が生命の根拠に支えられて世界と出会う行為的原理である「あいだ」。その構造を、ゲシュタルトクライス理論に拠りつつ、ノエマ・ノエシスの円環的関係を西田哲学の「行為的直観」と関連づけて、多面的に解き明かす。自己が主体として生きるということは、生命一般の根拠の「おのずから」の動きにかかわると同時に、間主体的な世界を維持することではないか。ユクスキュル、ブーバー、レヴィナスらへの言及を通じて自他の関係を考察し、ダブル・バインド仮説の可能性を改めて問う。独自の学問的地平を切り拓いた著者の世界をわかりやすく示す。 -
アイデンティティが人を殺す
集団への帰属の欲求とは何を意味するのか。この欲求が他者に対する恐怖や殺戮へとつながってしまうのはなぜなのか――。グローバル化の進展は、さまざまな文化の保持者たちの基盤を揺るがし、時に偏狭で排他的な帰属意識を生み出してしまう。複数の国と言語、そして文化伝統の境界で生きてきた著者は、本書のなかで新しい時代にふさわしいアイデンティティのあり方を模索する。鍵となるのは、「言語」だ。言語を自由に使う権利を守ること、言語の多様性を強固にし、生活習慣のなかに定着させること、そこに世界の調和への可能性を見る。刊行後、大きな反響を呼んだ名エッセイ、ついに邦訳。文庫オリジナル。 -
アガンベンの思想圏 ――越境する哲学
20世紀を代表する哲学者・ジョルジョ・アガンベンは言う、「わたしはエピゴーネン(亜流)である」と。ハイデガー、ベンヤミン、フーコー、デリダ、ネグリ、そして道化プルチネッラ……他者という「鏡」の中に自己の哲学を見出すこの思想家の概念の起源と展開を著作群に読み解く。デビュー作『中身のない人間』から最新刊『クアデルニ』までを射程に収め、認識と無知、聖と俗、アナーキーとデモクラシー、悲劇と喜劇など、両極間を宙吊り状態のまま渡っていく、そのスリリングな思考はどこに向かうのか? 【目次】I アテンション・プリーズ――序に代えて/II 「エピゴーネン」という身振り/III アートと抵抗/IV ハイデガーを読むデリダを読むアガンベン/V ネグリVSアガンベン、あるいはオルター・エゴの応答/VI ドン・キホーテの存在論/VII 「アナーキーはデモクラシーよりも興味深い」/VIII 精神分析について彼が知っている二、三の事柄/IX 瀆聖と異端の神学/X 喜劇に始まり喜劇に終わる――結びに代えて -
阿含経典
ブッダはなにを語り、どのように説いたのか。その教えを最も純粋なかたちで伝える最古層の重要な仏教経典の集成。阿含=アーガマとは伝承されてきた聖典を意味する。これらの経典群のなかには、あらゆる宗派を超えた仏教の原初のすがたがあり、その根本がある。本書は厖大な阿含経典群のなかから、よく古形を保ち、原初的な経と判定される諸経をとりあげ、パーリ語原典からの現代語訳と注解で構成。第1巻は、ブッダの悟りの内容を示す「存在の法則(縁起)に関する経典群」と、その法則に即して人間をかたちづくる要素を吟味した「人間の分析(五蘊)に関する経典群」を収録する。 -
アナキズムQ&A ――やっちゃう、やっちゃえ、やっちゃった
アナキズムとは何にも支配されないこと。ビギナーからマニアまで。QさんAさんの軽快なトークで、自分の中の固定観念から解放され、人を縛る社会の仕組みから逃れ、統治から自由に生きる! ブレイディみかこ氏、角幡唯介氏推薦。/・税金、政府、議会制民主主義、警察、監獄、統治。どうして全部いらないか?(第1章)/・アナキストは「労働からの自由」を求め、資本主義に浸かった「魂」を自分たちの手に取り戻す。(第2章)/・直接行動とは? 権力を取らずに世界を変えるには?(第3章)/・別の世界は存在しない、別の生き方があるだけ。「他律」も「自律」もなく生きる(第4章) -
歩くと心が軽くなるのはなぜか ――散歩の心理学
受験生から哲学者まで。 頭を使う人ほど、歩いてる。 散歩とは、心の世界を耕しながら、世界と私のあいだにある微妙な“間(あわい)”を感じさせる営みです。公認心理師・臨床心理士という立場で、“心の回復”の場面に身を置いてきた著者は、さまざまな心の支援の局面において、散歩の要素が関係していることに気がつきます。散歩と心の関係をひもとく、稀有な一冊。 この本は、散歩に関心のある皆さんに、その豊かな人間回復の世界を見出していただければという願いのもとに書かれた本でもあります。いろんな時空を散歩するような気軽な気持ちで、読んでいただけると幸いです。 === 【目次】 第1章 散歩という営み 第2章 散歩は時空を超える 第3章 散歩は交配する 第4章 散歩は世界と私を接続する 第5章 散歩は世界と私のあわいにある === -
維新の夢 ──渡辺京二コレクション1 史論
『逝きし世の面影』の著者渡辺京二は、日本近代史の考察に、生活民の意識を対置し、一石を投じてきた思想家である。その眼差しは表層のジャーナリズムが消費する言説の対極にある。本巻には、西欧的な市民社会の論理では割り切ることのできない、大衆の生活意識にわだかまる「ナショナル」なものを追求した「ナショナリズムの暗底」、明治国家への最大の抵抗者としての西郷隆盛を常識的定説から救抜する「逆説としての明治十年戦争」、北一輝と日本近代の基本的逆説の関連を問う「北一輝問題」など、日本近代史を根底から捉え返すことを試みた論考を集成する。 -
一百四十五箇条問答 ──法然が教えるはじめての仏教
法然が登場する以前、仏教は驚くことに、一部のエリートのためだけに存在する宗教だった。漢文で書かれた難解な経典が読めること、日常生活を気にせず修行に打ち込めること、が条件だったからだ。しかし実際に苦しみ、救済を必要としたのは、文字も読めない市井の人びとに他ならない。そこで法然は、誰でも、いつでも、どこでも実践可能な「念仏」を柱とする浄土宗を打ち立てた。この『一百四十五箇条問答』は、法然の教えに惹かれながらも、従来の仏教との違いに戸惑ったり、生活を改めなければならないのかと不安に思った人びとの145の疑問に、法然がやさしく答えたもの。浄土仏教や法然その人を理解するための、またとない入門書となっている。 -
意味がわかるAI入門 ――自然言語処理をめぐる哲学の挑戦
「AIは言葉の意味を理解している」――2020年に行われた調査で、回答者の半数近くがこのように回答した。2022年に公開されたChatGPTは、当時よりいっそう自然な受け答えが可能だ。はたして現在のAIは言葉の意味を理解しているのだろうか。そもそも意味を理解するとはいかなることなのか――。AIの開発史をたどりながら、現在のAIを支える大規模言語モデルのメカニズムを解き明かし、深い霧に包まれた「意味理解」の正体に一歩ずつ迫る。哲学者によるスリリングなAI入門! 【目次】序章 哲学者、大規模言語モデルに興味を持つ/第一章 AIの歴史──心の哲学を補助線として/1 ダートマス会議にはじまる/2 第一次AIブーム──「一人で立てたよ!」/3 AIの冬(1)──「時バエは矢を好む」?/4 第二次AIブーム──「知識には力が宿っている」/5 AIの冬(2)──「あなたたち人工知能研究者はいつもそうやって噓をつく」/6 第三次AIブーム──「私たちはずっと正しかったのだ」/7 1980年代のコネクショニズム批判/8 残された疑問──ニューラルネットワークは自然言語を扱えるのか?/第二章 自然言語処理の現在──言語哲学を補助線として/1 AIは言葉の意味を理解すると思いますか?/2 意味に対する伝統的アプローチ/3 真理条件意味論に対する疑い/4 コネクショニズム化する自然言語処理/5 分布意味論の批判的検討/6 大規模言語モデルと言葉の意味理解/7 意味と意味理解についてわかったこと、まだわかっていないこと/終章 機械に心は宿るのか? -
ウィトゲンシュタイン〔増補新版〕 ――言語の限界
理論への誘惑を退け、思考の悪癖を断ち切る── 現代哲学を方向づけた天才の思考をたどる最良の入門書! 哲学とは、言語の限界に突き当たってできた思考の瘤を取り除くことである。ウィトゲンシュタイン哲学の核心にふれる、定評ある入門書の増補完全版! === 哲学とは、言語の限界に突き当たってできた思考の瘤を取り除くことだ。哲学者のつとめは、自らがこうした瘤や病気をもっていることを自覚しながら、それを治療することにある。ウィトゲンシュタインの哲学は、著述の特異なスタイル、そして彼の人柄と切り離すことができない。本書は、理論への誘惑を退け、思考の陥る悪癖を断ち切ろうとするウィトゲンシュタインの粘りづよい思考を、主著『論理哲学論考』や『哲学探究』のみならず、膨大な遺稿や講義録にも分け入り、その数奇な生涯をたどりながら一望する試みである。その後の解釈論争や最新研究を踏まえ、増補を施した入門書の決定版! 【目次】 まえがき 第1章 一九二九年 第2章 『論理哲学論考』とはどんな書物か(一) 第3章 『論理哲学論考』とはどんな書物か(二) 第4章 ウィーンからケンブリッジへ 第5章 否定の謎 第6章 像としての命題 第7章 語りえぬ事柄 第8章 再出発と破局 第9章 復帰までの道のり 第10章 ふたたびケンブリッジにて 第11章 現象言語 第12章 意味と検証 第13章 哲学とは何か 第14章 『哲学探究』まで(一) 第15章 『哲学探究』まで(二) 第16章 意味と理解 第17章 私的言語 第18章 数学の哲学 第19章 心理学の哲学 第20章 最期の日々 第21章 科学主義に抗して 補章 二一世紀のウィトゲンシュタイン ウィトゲンシュタイン略年譜 主要著作ダイジェスト キーワード解説 読書案内 あとがき ちくま学芸文庫版あとがき 参考文献一覧 索引 -
生まれてよかったか? はじめての反出生主義
「生んでくれなんて頼んでない」 「親ガチャ“ハズレ”」 「子どもはほしくない」 その気持ちを論理で考える一冊 子どもは「生まれるか」を選択することはできません。親の一方的な考えのみで「存在させられる」のです。だから「生んでくれなんて言ってない!」と思うのは当然のこと。「親に感謝すべき」「幸せな人生を目指すべき」という重圧をほどき、生きづらさとともに生きるために。 ◎本書抜粋 反出生主義は「死んだほうがいい」と言っている思想ではありません。ここが最も誤解されやすいところです。反出生主義が問題にしているのは、「新しく人を存在させること」です。すでに存在している人に「存在するな」と言っているわけではありません。まったく逆です。今いる人には、できるだけ良く生きてほしい。苦しみを減らし、少しでも良い人生を送ってほしい。反出生主義は、そういう思いから出発しています。(「まえがき」より) === 【目次】 まえがき 第1章 生まれるって、だれの決断? 1 「頼んでない」は言ってはいけない? 2 親は依頼されていない/子は選べない 3 存在させることの一方通行性 第2章 「親ガチャ」を考え直す 1 そのガチャって誰が回してる? 2 金持ちに生まれたら幸せ? 3 「子ガチャ」の視点 第3章 「幸せ」を倫理学で考えてみる 1 快と苦は相殺できる?──功利主義という考え方 2 存在させることは「害」か?──ベネターの非対称性 3 「正解」はあるのか?──事実と価値を区別する 第4章 家族は「当たり前」じゃない? 1 「家族を大事に」の圧をほどく 2 一人でいるのは悪いこと? 3 友だち関係の作り直し 第5章 「ふつう」と「がんばれ」から自由になる 1 「1/2成人式」ってなんだろう? 2 どうしてがんばらなきゃいけないの? 3 「ふつう」を自分で定義する 第6章 「子どもをつくらない」を選ぶ倫理 1 作る権利・作らない権利 2 中絶・養子・教育の超入門 3 親を責めてもいいの? 第7章 ぼくらの生まれたこの世界で 1 ケアは血縁を超えられる 2 「持たない」生の充実 3 今日を生きる ブックガイド──さらに考えたい人のために あとがき === -
英語のルーツ
三単現の-sは「最後の名残り」、be動詞は「保守的」?! ルーツをたどればルールがわかる! 印欧祖語からゲルマン祖語、古英語を経て現代英語へ──。波乱万丈の歴史を知れば、複雑な規則も腑に落ちる! 読めば英語の見え方が変わる快著。 === いわゆる「三単現」の場合にだけ、なぜ一般動詞は末尾に-sが付くのだろう。be動詞はam, are, isなど色々な形をなぜ使い分けなければならないのだろう。英語には一見不可解なルールがあふれている。本書は古英語、ゲルマン祖語、果てはインド・ヨーロッパ祖語にまでルーツをさかのぼり、それらと比較しながら現代英語の特徴を解明する。完成されたインド・ヨーロッパ祖語が時代と共に崩れ、新たな形の言語に再構成されてゆく──。その波乱万丈の歴史を知れば、動詞の変化や厳格な語順、仮定法の感覚、綴りと発音のずれなど、難しいルールも腑に落ちるはずだ。読めば英語の見方が一変する快著。 【目次】 はじめに─英語の3つのルーツ 序章 英語発達史概観 第1章 インド・ヨーロッパ祖語民族の言語・文化・神話 第2章 英語の語源と印欧語比較言語学 第3章 印欧諸語の中の英語 第4章 古英語から現代英語まで 第5章 文字と綴りのルーツ あとがき/文庫版あとがき/参考文献/索引 -
英米哲学史講義
英米哲学の諸潮流は、「経験」を基盤に据えるという発想に導かれている。それは、ロックやヒュームらの「経験論」を共通の源泉とするためだ──。ベンサム、J.S.ミルに発する「功利主義」。フレーゲとラッセルを先駆に、ウィトゲンシュタイン、クワインをへて現代に連なる「分析哲学」。パースが提唱しアメリカを体現する思想となった「プラグマティズム」。そして、ロールズやノージックらの「正義論」。本書は、こうした英語圏の哲学的系譜を、経験論を基点として一望のもとに描き出す。主要哲学のつながりを明快にとらえる、入門書決定版! -
英米哲学入門 ──「である」と「べき」の交差する世界
私が生まれる前にも世界は本当に存在していたのか? ものごとには原因と結果があるという確信は、実は思い込みにすぎないのではないか? この世界の当たり前のありようを疑い、立ち止まって問うてみること。それこそが哲学の入口であり核心である。ロック、バークリ、ヒューム、ラッセル、ウィトゲンシュタイン……「経験」や「言語」を足場に考え抜いた哲学者たちの議論を糸口に、素朴にして深遠な哲学の根本問題へといざなう。事実(である)と規範(べき)が織りなす世界の謎を読者とともに思考する、笑いあり涙あり(?)の入門講義。 -
エクスタシーの神学 ――キリスト教神秘主義の扉をひらく
キリスト教には合理主義と神秘主義の二つの極がある。二千年におよぶキリスト教の歴史は、さながら理性と感性のはざまを揺れ動く振り子のようであった。この構図は近代以降も変わらない。宗教改革以後、むしろ振り子の振幅はますます大きくなった。イエズス会による布教活動、神秘主義の興隆、悪魔憑き、魔女狩りなど、熱狂的な信仰が西欧近代の宗教的エネルギーを吸収した。本書では、キリスト教における神秘主義の思想を、「エクスタシー」という視点から読み解いていく。ギリシア時代に水源をもち、ヨーロッパ思想の伏流水であるカトリック神秘神学を俯瞰し、キリスト教の本質に肉薄する危険な書。 -
エロティシズム
労働の発生と組織化、欲望の無制限な発露に対する禁止の体系の成立、そして死をめぐる禁忌……。エロティシズムの衝動は、それらを侵犯して、至高の生へ行き着く。人間が自己の存続を欲している限り、禁止はなくならない。しかしまた人間は、生命の過剰を抑え難く内に抱えてもいる。禁止と侵犯の終りなき相克にバタイユは人間の本質を見ていった。内的体験と普遍経済論の長い思考の渦から生まれ、1957年に刊行された本書によって、エロティシズムは最初にして決定的な光を当てられる。バタイユ新世代の明快な新訳で送る、待望の文庫版バタイユの核心。 -
科学と仮説
数学はなぜ科学といえるのか、連続体や幾何学空間の概念はどこから生まれたか、仮説にはどういう役割と種類があるか、科学は自然に対してどういうスタンスをとるべきか――。「ポアンカレ予想」の提唱者としても名高い科学者が、数学・物理学を題材に、関連しあう多様な哲学的問題を論じる。「幾何学の公理や物理学の原理は、人間が自由に決めた定義、あるいは人間の精神が創った規約である」という「規約主義」の立場を打ち出した。科学の要件に迫り、刊行時大反響を呼び、アインシュタインら若き科学者たちを「何週間か呪文をかけられたように」高揚させたという科学哲学の古典。オリジナル新訳。 -
悲しみから立ち直りたかったら悲しみを忘れてはいけない ――マインドフルネスと心理療法ACTで新しい人生をみつける
ACT(アクト)をはじめとする認知行動療法が提案するグリーフケア 死別、別離、離職、失恋、ペットロス……悲しみと向きあう過程では、しばしば強い苦痛の感情に襲われる。この感情を解消するためには、コンパッション、つまり慈悲の心が不可欠になる。喪失は人生の本質のひとつであり、上手に対処すればそこに大きな意味を見いだせる。自分に残された人生をいかに生きるべきかを明確にしてくれるのだ。注意深く、自分に優しく接していこう。 悲嘆にくれることは決して悪いことではない。 悲しみの居場所を作り、嘆くことを通して自分を見つめる方法を学ぶ。 悲しみによる痛みを上手に受け止めよう。 -
鎌倉仏教
法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍―彼らを開祖として鎌倉時代に相次いで勃興した新たな宗教運動は、日本思想史上の頂点をなすと広くみなされている。「鎌倉(新)仏教」と呼ばれるこの潮流は、民衆を救済対象に据えたという点において、とりわけ高く評価されてきた。だが、新仏教の意義は、はたしてこの民衆的性格に言い尽くされるのか? 本書では、旧仏教との異同を深く掘り下げて考察することで、鎌倉仏教の宗教的特質の核心をあざやかに浮き彫りにする。思想家である前につねに実践の人であった偉大な宗教者たちの苦悩と思索の足跡をたどり、中世仏教の生きた姿をとらえた好著。 -
柄谷行人講演集成1995‐2015 思想的地震
われわれは、もはや脱構築ではなく、建設をこそ語らねばならない──。あらゆるものが瓦解したこの20年間に、思想家・柄谷行人は、はたして何を考え、語ってきたか。本書は、その崩壊が誰の眼にも明らかとなった1995年以降の講演を著者みずから精選した、待望の講演集である。近代文学の使命とその盛衰を反照的に論じた「近代文学の終り」、日本にいつしか根づいた特異な民主主義観を、近代における個人化という根源から再考する「日本人はなぜデモをしないのか」など、計11本の講演を収録。その言葉には、いま最も必要とされる強靭な思想が確かに宿っている。学芸文庫オリジナル。 -
柄谷行人講演集成1985‐1988 言葉と悲劇
ソシュールからウィトゲンシュタインへ、西田幾多郎からスピノザへ──。1980年代後半の代表的講演を収録した本書で、柄谷は哲学、文学、宗教、言語学、経済学、数学など多様な領野を自在に行き来しつつ議論を繰り広げる。そこで執拗に追求されるのは、言語コミュニケーション(交換)における人間の悲劇的条件であり、他者との交通を可能にする普遍性がいかに生み出されうるかという問いである。いまなお多くの示唆に満ちたこれらの講演は、後の柄谷理論の展開を予感させるのみならず、批評という営み自体をも再審に付す魅力的な内容となっている。旧版の内容を再構成し、改稿を加えた決定版。 -
カルメル山登攀
神との合一に到るための階梯を詳述したカトリック神秘思想を代表する作品。ヨハネは自らの詩に註解を施すかたちで神学的思索を行い、魂の浄化に向かう道を指し示す。「この山にはただ神の誉れと栄光だけが住まう」とされるカルメル山。すべてが闇の内へと沈む「暗夜」を通り抜け、山の頂きへ達するには、この世のあらゆることどもから──自分自身からさえも──逃れなければならない。魂の全き赤裸と神的一致をめぐる教説は、キリスト教徒を超えて人々に多大な影響を与えた。スペイン文学の至宝でもある古典を名訳でおくる。 解説 鶴岡賀雄 -
カント入門講義 ――超越論的観念論のロジック
我々が生きている世界は、心の中の世界=表象にすぎない。その一方で、しかし同時に「物自体」はある、とも言うカントの超越論的観念論。そのカラクリとして、基本的なものの見方・考え方の枠組みが人間の心にはあらかじめセットされているとカントは強調したわけだが、この点を強調することによって、その哲学は、後年の哲学者達の思想的転回に大きく貢献したと著者は説く。平明な筆致で知られる著者が、図解も交えてカント哲学の要点を一から説き、各ポイントが現代の哲学者に至るまでどのような影響を与えてきたかを一望することのできる一冊。