朱喜哲の作品一覧
「朱喜哲」の「世界最先端の研究が教える すごい哲学」「増補 ネガティヴ・ケイパビリティで生きる ――答えを急がず立ち止まる力」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
言ってることは具体的でわかりやすく頭に入るが、
しかし、何の話をしているのか、なかなか理解のできない対談だった。
テーマはタイトル通り「ネガティヴ・ケイパビリティ」
しかし、対談の中身がネガティヴ・ケイパビリティについて語られているのか
さっぱりわからない。
わからないけど、話している内容は、なんとなくなじみがある。
政治関係の話題が多いせいもあろう。
構わず読み進めて、なんとなく全体像が見えてきた、気がしてきた。
メタ認知的な話なのではないか。
ノリで物事を決めるのでなく、熟考しよう、と言っているのではないか。
と。
今回「増補」とあるように、この本、数年前に刊行され、
「願生き」と略されるほど話題になり、
しかし「結局ネガティヴ・ケイパビリティってわからない」というコメントも多くもらった、と、
今回増補された4つ目の対談で語られている。
私の感想ももっともなのだ。
それでいいのだろう。
なにせ今の世の中、ズバッと決めることを善しとしすぎているところがある。
もちろん、日本は他国に比べ判断が遅く、それがビジネスチャンスを逃している、
とよく言われる。
そういう分野もあるだろう。
しかし、今の某首相のように、ろくに考えもせず言い切る
(これをポジティブケイパビリティというのか?)
をすればあちこちに軋轢を生むのは当然なのだ。
反知性主義は安倍政権時代から言われていたこと。
自民が、維新が、参政が、ますますその度合いを強めていく。
立ち止まってほしいものだ。
はじめに
第一の対話――2022/04/04
▼イントロダクション ナラティヴと陰謀論をめぐって
第1章 「一問一答」的世界観から逃れる方法――陰謀論、対人論証、ファシリテーション
第2章 自分に都合のいいナラティヴを離れる方法――フィクション、言葉遣い、疲労の意味
第二の対話――2022/05/07
▼イントロダクション 地球を覆い尽くすアテンションエコノミー
第3章 「アイヒマンにならないように自分の頭で考えよう」という言葉に乗れない理由――コンサンプション(消費)、アテンション(注目)、インテンション(意図)
第4章 信頼のためには関係が壊れるリスクを負わねばならない――マーケティング、トラスト、脱常識
第5章 「言葉に乗っ取られない」ために必要なこと――SNS、プライバシー、言葉の複数性
第三の対話――2022/07/16
▼イントロダクション 徳と観察をめぐって
第6章 自分のナラティヴ/言葉を持つこと――倫理、相対化、ナッジ
第7章 公と私を再接続するコーポラティヴ・ヴェンチャー――関心、実験、中間集団
第8章 イベントとしての日常から、エピソードとしての日常へ――観察、対話、ナラティヴ
第四の対話――2025/08/05
第9章 ネガティヴ・ケイパビリティにとって孤独とは何か――政治、クラフト、オルタナティヴ
第10章 AI時代の言葉を哲学する―― ケア、孤独、熱狂
第11章 言葉はごまかせないもの――メタファー、沈黙、責任
解説 三宅香帆「饒舌な時代に、それでも言い淀む瞬間」
索引
Posted by ブクログ
個人個人の正しさで溢れかえってしまったSNSはもはや地獄だし、現実社会でも力を持った大国が正義という拳で殴り合っている。私たちの生活のいたるところに「正しさ」で殴り合う状況が見られる。
このバラバラになってしまった世界でどう生きるかをローティの哲学を梃子に論じているのが本書である。息苦しい公的空間としてのバザールと危険をはらむ私的空間としてのクラブの例えは秀逸だし、バラバラを乗り越えるためには答えを導くことを目的とする議論や対話ではなく、何気ない会話が必要だというのも納得感がある。正義を纏った言葉は鋭利で人を傷つける。それは安易に公的空間ですべきではない。対立したり意見が異なったりする人とも会話を続けたほうが共に生きてる感があって攻撃性は弱まる気もする。ローティの哲学は今の時代にしっくりくる。
ただひとつ課題もあるように思う。それはローティの哲学自体が西洋世界の知識基盤をベースに組み立てられていることだ。会話は1人では成り立たない。相手が西洋世界の知識基盤を持たず、むしろ嫌悪してる場合、そもそも会話は成り立たない。自国の歴史が世界の中心であると考えてる人や信じている神こそすべてと思っている人、そもそも知識基盤が脆弱な人などの前でローティの哲学は無力で、西洋社会対その他の社会の対立解消の手段にはならなそうにも思う。
話のわからない人や国との付き合い方の解決策にはならないかもしれないが、それでも共通の社会規範やアイデンティティを有するまとまりのなかで同他社と生きるかは学ぶべき点が多い。イマココがクラブなのかバザールなのかは常に意識したい。