朱喜哲のレビュー一覧
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個人個人の正しさで溢れかえってしまったSNSはもはや地獄だし、現実社会でも力を持った大国が正義という拳で殴り合っている。私たちの生活のいたるところに「正しさ」で殴り合う状況が見られる。
このバラバラになってしまった世界でどう生きるかをローティの哲学を梃子に論じているのが本書である。息苦しい公的空間としてのバザールと危険をはらむ私的空間としてのクラブの例えは秀逸だし、バラバラを乗り越えるためには答えを導くことを目的とする議論や対話ではなく、何気ない会話が必要だというのも納得感がある。正義を纏った言葉は鋭利で人を傷つける。それは安易に公的空間ですべきではない。対立したり意見が異なったりする人とも会話を続けたほうが共に生きてる感があって攻撃性は弱まる気もする。ローティの哲学は今の時代にしっくりくる。
ただひとつ課題もあるように思う。それはローティの哲学自体が西洋世界の知識基盤をベースに組み立てられていることだ。会話は1人では成り立たない。相手が西洋世界の知識基盤を持たず、むしろ嫌悪してる場合、そもそも会話は成り立たない。自国の歴史が世界の中心であると考えてる人や信じている神こそすべてと思っている人、そもそも知識基盤が脆弱な人などの前でローティの哲学は無力で、西洋社会対その他の社会の対立解消の手段にはならなそうにも思う。
話のわからない人や国との付き合い方の解決策にはならないかもしれないが、それでも共通の社会規範やアイデンティティを有するまとまりのなかで同他社と生きるかは学ぶべき点が多い。イマココがクラブなのかバザールなのかは常に意識したい。 -
Posted by ブクログ
朱さんの本は初めて読みましたし、リチャード・ローティという哲学者も本書で初めて知りました。
個人的には決して優しい内容ではありませんでしたが、面白かったですし、朱さんの解釈や説明はかなり分かりやすく書いてくれているのだと思います。引用部分だけでは、ほぼ理解できなかったと思うので。
世界に「これが正解だ!こうあるべきだ!」は本当はないじゃないか。だからこそ、自分の正解や価値観は、常に変わるものだと(変えていいものだと)理解しておく。
そうやって自分を拡張して、拡張された自分が周りの拡張された他者に触れ合う。それが「バラバラな世界で共に生きる」ことなのかな。と感じました! -
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饒舌な三人である。by 三宅香帆
抽象度の高い、それでいて個人の生活と密接に接続している話題を縦横無尽に展開させていく語りに魅了される。三人とも芯の通った主張を持っているが、押し付けるのでなく鼎談の中でより拡散させようという気概が感じられるのが亢進症である。
彼らも適宜指摘してるが、この三人のような柔軟な姿勢をどうやってより多くの人に共有し、理解してもらうのかというのが課題である。マジョリティは短絡的なドパガキアダルトたちが占めている世の中で、かなり劣勢な状況なのは間違いない。
個人的な取り組みとしては、「私たちの疲労」というキーワードを参照していきたい。一問一答で論破しあう侃々諤々な対話で決着を急ぐのでなく、同じ空間で時間をある程度かけてうんうん唸りながら一緒に過ごす。ある種のダルさが表れるまで粘ってみる。そのような姿勢が、ネガティブケイパビリティの実践になるのではないか。
最近の思想系書籍の対立軸はSNSや動画サービスになりがちで、本書もその傾向に沿っている。しかし、本書の特徴はそれらをただ糾弾するのでなく、存在する環境を認めたうえでどのように暮らしていけばいいのか、その解決の糸口を探究していく試みと感じた。明確な答えは提示されない。それが本書の狙いなのだ。 -
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ネタバレとても面白かった。
トランプ現象の予言をしたということで再評価されたリチャードローティというアメリカの哲学者の考えを紐解いてくれる1冊。
柔らかい語り口で丁寧に説明されるので、難しいところもありつつ、とても面白く読んだ。
本質や普遍性に裏付けされた何かを求めるのではなく連帯を、という話では、人権が人間の普遍的な価値、としてしまうと、相手を人間と見做さない場合には人権がある存在として認めない、という現象につながりえるので、残酷な行為が行われることの予防線にはならない、というような指摘で、確かになぁ、と思った。人権は大事な人類の発明、概念だけれど、人権侵害だ!というときに、なんだかあまり有効な手ではないようにいつも感じていた。相手が人権など理解してないからやってきているわけで、それを言ったところで伝わらない、という虚しさ。
残酷さへの感性を磨きそれをブレーキとして働かせるために、頭で人権があるから、と考えるのではなく、小説やエスノグラフィーなど「正しくなさ」を内側から描いたものにふれ、他者と自分を近づけることを勧めている。
この部分では何年か前に読んだ「テヘランでロリータを読む」で、遠い国だと感じていたイランの女性たちが読み終わった途端、身近な存在、女性として(頭では知っていたけれど)本当に「感じられた」という強烈な経験を思い出した。
エスノグラフィーでは沖縄の女の子とたちのルポ「裸足で逃げる」で同じような感覚を得た経験があるので、本当にそうだよなぁ、と納得すると同時に、そのようなものに触れる努力や機会を持たない人には広がりにくい、という難しさもあると思う。
アイデンティティポリティクス、という言葉も最近ネガティブなニュアンスで使われれることが多いけれど、実際にはきちんと理解できていなかったことが整理されてとても良かった。
アイデンティティポリティクスのみで押し続けると、マジョリティにその論理を反転して利用されてしまうよ、そうすると激しいバックラッシュで議論どころじゃなくなるという警告で、これはアメリカのヴァンス副大統領が書いた「Hillbilly Elegy」を読んだ後の複雑な後味の悪さを思い出させた。
断言せず、文脈を丁寧に示しながらの解説で、わかりやすいのだけれど、付箋を貼ったところだけ読んでも内容が思い出せず、かなり前後を読み直して文脈を理解しないと内容が入ってこない本で、人とのコミュニケーションとは本来そうなんだよな、ということがそのまま実践されているような書き振りの、良い本だった。 -
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いろいろな言論が飛び交う時代に、
改めて「ことばづかい」について、
アメリカの哲学者リチャード・ローティの著作、
『偶然性・アイロニー・連帯』を軸に考察する。
「界隈化」とか「コクーン化」などと形容されて、
何かと分断が話題にはなるけれど、
もともと人類が一枚岩だったことなんていちどもない。
その現実は現実として受け止めて、
その状態にどのように継続性をもたせるか。
《終極の語彙》という考え方がいちばん印象に残った。
ことばや現象を固定してしまうことなく、
常に流動的に現実に即して受け止めること。
「わかる」「知っている」という楽な状態に安易に縋りつかないことが重要。 -
Posted by ブクログ
死後十年近くを経た2016年になって「トランプ現象を予言していた」と再評価されることとなったアメリカの哲学者リチャード・ローティの思想の全体像について、主著の『偶然性・アイロニー・連帯』を中心に置いて解説し、分断や分極化が進む現代においてローティを読むことの意義を説く。NHK番組の「100分de名著」のテキストがもとになっているということで、例え話等もふんだんに盛り込まれ、平易な文章でとてもわかりやすい内容となっている。
リチャード・ローティについては、20年ほど前に大学の哲学の授業で触れたことがあり、もともと興味があったが、本書で改めてその哲学のアウトラインを理解することができた。自分や社会の「偶然性」を認識し、絶対的な<正しさ>を否定して、自身にとって重要な「終局の語彙」であっても改訂の可能性を肯定し、「リベラル・アイロニスト」として、小さなところから「われわれの拡張」としての「連帯」を目指すというローティの考え方には、自分としてもとても共感するし、この分断や分極化が進む「バラバラな世界」において、我々が「共に生きていく」ための大きなヒントがあると感じた。また、公共空間と私的空間の関係性についての「バザールとクラブ」の比喩も公私の区別が融解しがちな現代社会において示唆に富んでいると思った。そして、ルワンダ内戦における虐殺の事例等を通して、言葉の重要性についても改めて認識した。 -
Posted by ブクログ
**本を読んだ理由**
- [[三宅香帆]]が推薦していたから
**この本を一言で**
- 普遍的な真理を共有できない人々が、バラバラなまま共に生きる方法を考える本
**本の要点3つ**
- 自分の価値観や言葉も歴史や文化によって偶然につくられたものであり、絶対的ではない。自分の正しさを改訂可能に保ち、小さな共感から連帯をつくる。
- 普遍的真理、哲学、宗教を公共的判断の絶対的根拠にすると、異なる背景を持つ人との会話を止める可能性がある。
- 言葉は現実を記述するだけではなく、人間の認識や行動を変え、現実そのものをつくる。
**自分への持ち帰り3つ**
- 家族であっても「心から理解し合うこと」を目標にしなくてよい。完全な理解がなくても、言い換えと交渉によって共同生活はできる。
- クラブとバザールの境界を意識して振る舞う。
- 自分なりの正しさは持ってよいが、常に改訂可能にしておく。 -
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ良かった。真理や本質といったものはなく、文化も個人も偶然の産物に過ぎない、という主張はすごくしっくりくるし、好みでもある。それを認識することでこそ手を取り合う事ができる、というのも素敵。そう思うと、個々人がフラットというか、一つの尺度で優劣がつけられる存在ではないという感覚が自然と湧いてくる。
この本を通して価値観が再記述されたと思うし、その過程は楽しかった。今後も自分の価値観を改訂に開き、再記述し続けるためにも、どんどん本(特に哲学書)を読んでいきたいと感じた。
丁寧で謙虚な語り口も好み。長過ぎないのも読みやすかった。5章はちょっと難しかった。
メタ(?)なところで行くと、今後自分が、「唯一の正しさ」を信奉している人に対して否定的になってしまいそう。そういう人も一つの「偶然の産物」として見られると良いが。 -
Posted by ブクログ
世界が混迷を極め、先行きが見通せない世界が目の前にある。世界全体が、戦争を推し進めていく方向に進んでいるような気がする。停戦の合意を掲げながら、攻撃をしている。停戦を呼びかけても、意地でも戦争を続けている。力による現状変更を断行し、民間人の虐殺を伴う大規模な武力行使が続いている。それを世界の右傾化というべき時代かもしれない。世界は戦時下にある。そこにある分断と立場によって正しさが違っている。今の時代をどう見るのか?
ちょうど、そのどうしようもない時代の問題意識に、フォーカスした本があった。
そのバラバラな世界で、どう生きるのか?SNSで、世界は繋がっているのに、全く相容れないような対立があり、何を事実とみなすかという基準さえ、一致できなくなってきている。
「国民の総意」なるものが、共通の軸や極そのものが不明になり、言ったもん勝ちの状況にある。
アメリカの共和党支持者(保守、右派)と民主党支持者(リベラル、左派)という両極の間での分断が進み、対立が深まっている。トランプの強引なベネズエラ大統領逮捕、ホメイニ暗殺など好戦的で、自らの暗殺計画には怯えるというチキンハート的口撃。分断を煽ることで、自らの支持を集めようとする。ポリティカルコネクトネス(政治的正しさ)を振り翳して、分断を推し進めている。正しさを武器とする。そして、リベラルを徹底的に攻撃する。
第2次世界大戦以後の新たな世界秩序は、自由主義(リベラリズム)と民主主義という二つの理念、そしてそれらに根差した資本主義経済を体現したのがアメリカだった。アメリカは世界をリードした覇権国家だった、自国と自陣営の都合を圧倒的な武力によって諸外国に押し付けてきた超大国だった。そして、アメリカの凋落が誰の目にも明らかになり、バラバラに分断し、むき出しの力の存在感が高まる世界になってきている。バラバラなままで、一緒に生きていかねばならないという、現実に生きている。
なぜ、バラバラな世界に生きていかなければならないのか?
「個々の正しさ」の衝突が生まれる。かつて社会を一つに繋ぎ止めていた宗教や、国家・科学といった共通の大きな物語(絶対的な正しさの基盤)が機能しなった。基盤を失った結果、誰もが自分なりの正義やアイデンティティを掲げるようになる。特にSNSの普及は、似た者同士の意見を増幅させる一方で、異なる価値観を持つ他者を「敵」とみなして攻撃し合う〈正しさ〉の凶器化を加速させた。世界がバラバラになったのは、多様性が進んだからだけでなく、それぞれが自分の正しさで他者を殴り合うようになったためだ。
著者はいう「客観性や必然性、そして真理といった絶対的に確かな正しさはどこにもないとしても、私たちは正しさ、それ自体を諦める必要はない。」
著者は、リチャード・ローティの哲学を解説する。ローティは「アンチ哲学(反・伝統的哲学)」の旗手であり、同時に「対話(カンバセーション)の擁護者」として位置づけられている。
ある意味では、ローティは、トランプの出現を予言していたともいわれる。
西洋哲学は長い間、「客観的な真理」や「人間を超えた普遍的な正しさ」を追い求めてきた。ローティはこれを「自然の鏡(世界をありのままに映し出す鏡)」としての哲学にすぎないと批判し、そのような絶対的な基盤は存在しないと考えた。ローティはアメリカ独自の思想であるプラグマティズムを受け継ぎ、哲学を「真理の探究」ではなく、人々がよく生きるための「終わりなき会話」へと引き戻そうとした。
ローティは、 哲学の本質は、正解を出すことではなく、わかり合えない他者と「言葉を交わし続けること」になる。その対話を拒絶することは、バラバラな世界を固定するしかない。世界がバラバラになった時代において、哲学の役割は「何が正しいかを判定する基準」から「対話を途切れさせないための触媒」へと変化することになる。
ローティは、真理というべき正しさを追求することから、わかり合えない他者と「言葉を交わし続けること」という。そして、その解決する道は、というかワードは、連帯だという。 本書で強調されるのは、正しさの共有ではなく「他者の残虐さや苦しみに対する想像力」だという。「あの人も自分と同じように傷つく存在だ」という感覚を、言葉や文学、ジャーナリズムを通じて「われわれ」の範囲を広げるように拡張していくこと、それがローティの連帯の本質なのだ。
痛み、苦しみ、そして孤立の中で、共感力を呼び起こし、感受性を豊かにして、相手への共感、その力が、連帯だという。論破や排除が横行する現代において、会話を拒絶すれば残るのは暴力であり、
非‐人間化だ。人間は「誤りうるバラバラな存在」だからこそ、それでも共に生きていくために、意図的に「連帯」を作り出さなければ社会が崩壊してしまうという危機感を持つべきだという。
ローティの思想は「対話を開き続けよう」と呼びかけるが、これは「対話のルール」を重んじるリベラルな知識人層の理想論にすぎないのではないか、という批判がある。すでに聞く耳を持たず、他者を徹底的に排除しようとするマジョリティや極端な勢力に対して、「言葉づかいに気をつけよう」「会話を続けよう」と諭すことが本当に有効な抑止力になり得るのかという現実的な課題がある。
トランプの考えを改めることはできず、トランプに大統領を辞めさせることしか道はないようにも思える。トランプに連帯はできない。ローティは生前(1990年代末)、現代のポピュリズムやトランプ現象のような「強い指導者を求める大衆の分断」を予言していたことで知られている。
「揺るがない共通の足場など持たない、ばらばらで誤りうる私たちが、それでもどうにか共に生きていかなければならない、という端的な事実に向き合うこと」でしか、救いの道はないのだろうか。
ローティの目指した哲学、対話し続ける。会話し続けるという姿勢こそが、哲学のあり方だという提示は、避け難いバラバラの世界を繋ぎ止める一つの回答かもしれない。力の論理、そして力の増強と準備では、解決しないということだけは、ローティの正しさとも言える。 -
Posted by ブクログ
哲学者ローティの歩みをたどりながら、「言葉」について考える一冊。
ルワンダでのジェノサイドから分かるように、言葉、語彙、ことばづかいというものが人の命を奪うことがありうること。
本質主義に囚われる限り、人権の概念すら「われわれ」と「やつら」を線引きし、攻撃してよいという正当化に繋がってしまうこと。
一方で人は自分や自分が使う言葉、自分を表す言葉(終局の語彙)には可塑性があり、常によりましな方に向かっていくことができること。
共感や感情を育む、それらに訴えるという意味で文学や報道の役割が決して小さくないこと。
対話というより、非言語コミュニケーションも含めた、会話を諦めないこと。
アイデンティティポリティクスの副作用についても触れつつ、よくある安易なリベラル批判にとどまらず、叫びをあげるまで耳を傾けることをしなかったマジョリティ構造について言及しているのが良かった。
様々な思想による分断の溝がますます深くなっているように感じられる世の中での自分の在り方を考えるのにとても良い一冊で、また折に触れて読み直したい。 -
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白い。
谷川さん、朱さんの著書を齧ってから読んでいるので、各々の研究・思考というベースがあり、それを対談で発揮するとこういう展開になるのかと感動。
『アイデンティティ』『社会秩序』『社会通念』は仮固定的なものであり、いくつかのノイズに晒されながら絶えず己を変化させつつある。という現代思想の立場を踏まえた上で読み解くべき一冊かと思う。
以下、印象に残った箇所。
【対話は自分の能力以上の力を発揮させる】
人間の能力は「脳」単体ではなく、状況や周囲との相互作用の結果のパフォーマンスとして考えるべき。
人との対話の中ではじめて浮かんでくるボキャブラリーもある。
【諍いを生み出す「疲労」、和解や合意につながる「疲労」】
長い会議や紛争を経て合意にたどり着くプロセスでは、当事者同士が「そろそろ手を結ぼうや」と疲労を共有しあう。これを「私たちの疲労」と呼ぶ。
明確な結論が出なくても手を打てる、一種のネガティヴ・ケイパビリティ。
【インテンションとアテンションという対比構図】
アテンションエコノミーからの距離の取り方にスポットライトを当てているが、その具体策は正直示されていない。ここは自分でもう少し詳しく調べてみたい。