朱喜哲のレビュー一覧
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ジョン・キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」を書名に冠している通り、安易に結論を出さずに、様々なテーマの多面性に光を当てながら三人の哲学者の鼎談が進んでいく。ポラリゼーションや単純化・効率化の加速に違和感を感じていたためか、とても多くの含蓄や示唆を得られた。
・ファクトフルであることを手放しに称揚する危うさ
個人的には、ファクトや真実への立脚や反証可能性を主張するカール・ポパーやハンナ・アーレントの論につい賛同してしまうが、そうではないものを切り捨てることは「愚かさの批判」であるという著者の警鐘は肝に銘じたい。これは、本書中でも引かれている『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読んだ時にも感 -
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全てを理解できたとはとても言えないですが、非常に興味深い内容でした。
「虐殺の言語ゲーム」は衝撃的でした。忘れない。
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今生きている世界を少し俯瞰で見られるようになった。カメラをちょっとズームアウトする感覚。
他人を傷つけないために、伝えたいことをどう表現して伝えるか・どの言葉を選び取るかということに脳をフル回転させる時間が多いのですが、
言葉の選択肢は自分の努力次第で増やすこと・入れ替えることができる。
その為には他人と対話し、個々人のバックグラウンドから醸成された言葉に触れ、知ること。
そして他人の痛みを理解するために有効なのは小説を読むこと。
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対談形式を読むのが私は苦手なのだが、この本は対談形式だから難しい(私にとって)という訳でなさそうだ。ネガティブケイパビリティの定義がそもそも難しいのだ。ネガティヴケイパビリティは「わからない」と開き直ることでもないし、「考え続けよう」と呼びかけることとも違う。捉えどころのないもので、まさに「不確実性への耐性」という表現がしっくりくる。安易な落とし所で考えを押し付けるのではなく、揺れながら実際に考え続けることであり、それ以上に表現する必要があるのであれば、それぞれの現場で引き取って具体化したり、別の概念と組み合わせたりすることでしか表現できない。
実際この本でも、ネガティヴケイパビリティを陰謀論 -
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ネタバレ感想。
なかなかおもしろかった。
リチャード・ローティは、アンチ哲学の哲学者である。それゆえ、哲学そのものを疑う言葉が多く紹介される。なかでも、あまりに残酷な現実に対して「いまは哲学の出番ではない」とまで考えるのはすごい。
あとは、ボキャブラリーすなわち「ことばづかい」が受肉したものがわたしたち自身である、との考えも、なんとなくそんな気がするけど、そこまで言い切られると、なんか凄みがある。
しかし、こりゃすげぇやと興奮するような本ではないか。あくまでも入門書的な内容なので、おそらくローティ自身の本を読まないといけないのだろう。
とはいえ、本書でいろいろ紹介されるローティ本人の文章の、なんと分か -
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前提として知識の少ない私には、難しい箇所も多く、もしかすると本書の半分も理解できていないかもしれません。
しかし、それでも気付かされることも多く、以下にまとめます。
1. 正しさを「見つける」のではなく、これからも「問い続ける」ことが大切
普遍の心理は、存在せず哲学者は「会話」を続けるのが使命である。そして、それは私たちにもあてはまり、「これが正しい」と決めつけるのではなく、「本当に正しいのか?」と疑い続ける必要がある。
2.公共性と私的性は異なって構わない
各人に本音と建前があるのは当然。むしろちゃんと「正しくないかもしれないこと」を口にしたり、行動できる私的な空間を確保しておくべきだ -
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時宜を得た好著だ。
いま、なぜ「リベラル」がこんなに疎まれ、「権威主義国家」が幅を効かせるのかを、実にわかりやすく解きほぐしてくれる。
トランプ大統領のような「強い男」があらわれ、力による現状変更が国際社会で行われることを30年も前に「予言」していた哲学者がいたことも驚きだ。
おそらく「分断」はもうなくならないし、たったひとつの「正しさ」でそれを乗り越えることもできないだろう。
「目の前に、隣に、自分とはちがうひとが、同じ生身の身体を持ってそこにいる」ことにきちんと向き合うこと、そして「会話」を絶やさないことが、「バラバラな世界で共に生きる」術であるという主張に大いに納得。 -
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哲学者リチャード・ローティの思想を、言語哲学を中心に据えながら分かりやすく解説した一冊。ローティの生い立ちや彼が置かれていた社会状況にも触れつつ、重要な用語を一つひとつ丁寧に説明し、段階的にその思想へと導いてくれる。もちろん、それでも難解な部分は残るが、ローティが何を問題とし、どこへ向かおうとしたのか、その大筋はつかむことができる。
個人的に特に共感したのは、「終極の語彙」をめぐる議論と、それを絶えず再定義していくことの重要性である。私たちは、自分にとって疑うことのできない言葉や価値観によって世界を理解しようとする。しかし、それが「これ以上議論する必要はない」という、とどめの語彙になってしま -
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思考の共犯者による対談。対話からではなく観察から。
・一問一答的世界観
・信仰と陰謀論
・アテンションとインテンション
・「言葉」に乗っ取られる世界観
金づちしか使えなければ釘に見える
◯(陰謀論やカルトも、フェアネスを求めるリベラルや保守も、区別がつかない)危うさを避けたいなら、「正しきナラティヴへの覚醒」ではなく、自分の体験を吟味する批判的な姿勢が必要となるはずです。自分の経験や行動を、多角的な視点から捉え直し、評価すること、つまり、自己相対化です。
・「観察」の役割
・イベントではなくエピソード
・いつでもどこでも誰とでも成立する言葉ではなく、手触りのある言葉で -
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私が本書を手に取ったのは、世界で進む分断や対立の潮流を乗り越えるためのヒントを得たいと考えたから。また、意見の異なる相手との対話をあきらめずに続けるためには、どのような姿勢が必要なのかにも関心があった。
その答えは、とてもシンプル。価値観の異なる相手を論破したり、自分の考えに変えたりすることではなく、互いの違いを認めながら根気強く対話を続けること。その積み重ねこそが、分断を乗り越えるための現実的な道筋であるという。このローティー哲学にどこまで共感できるかで本書への評価は分かれるだろう。
もっとも、ローティという哲学者を知らない人であっても、彼の対話を通じた共生のメッセージに同調する人はそれ -
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「アンチ哲学」の哲学者ローティから学ぶ「バラバラな世界で共に生きる」を読んだ。以下自分のために抜粋と要約。
共通の足場などないバラバラで誤りうる私たちが出来ることは、どうにか共に生きていかなければいけない、という事実に向き合うこと。
なんの根拠も保証もないが相手のことばに自分を委ねたり、時には手を携えたり、せめてお互いに降りかかる苦しみや痛みについて、それがとりのぞかれるよう願えること──それをローティは「連帯」と呼んだ。
必要なことは「自己の偶然性」の認識。自分が相手に影響されたり、相手が自分に影響されたりする可能性があると認識する。つまり、それぞれが変わりうる存在であり、必然に固執するので