朱喜哲のレビュー一覧
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あなたがいることでこの会話ができる・この発言ができる。
対話ってこうありたいなと思える3人の会話だった。ボキャブラリー自体を引き出し、引き出される関係で柔軟に展開される語りに非常に引き込まれたり、引き出されて視点を調節しなおしたりされる本だった。本書はネガティブケイパビリティというワードから創発される様々な論点(陰謀論、言葉遣い、アテンションエコノミー、SNS、ethic、中間共同体、観察、エピソード)で自由に話されている。
終盤の、「イベントよりエピソードに焦点を当てる」という話は本当に腑に落ちた。別に目立たなくてもいい、自分自身がそこにアテンションを当てて手触りがある、他の人にはあまりアテンションされない日常に光を当てる。それって大事だよねと再認識させられた。
また、本書の良いところは、単にーという論点が間違っているというマスターアーギュメントに終わらして読者を安易に納得させた気にならず、かといって「試行錯誤って大事だよね」で終わラズ、視点を絶えず導入して、この答えってこの視点では足りていない部分があるとか、絶えず絶えず視点を導入してマスターアーギュメントに終始しないところが非常に良かった。 -
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短絡的な理解、紋切り型の言葉遣い、敵味方思考、バカと言う優越。
この時代をめぐる悪弊の流れに棹さす試み。
たくさんの抜き書きをしました。
願わくば、ネガティブ・ケイパビリティそのものをもっと掘り下げて欲しかった。
しかし、それは自分に託された部分かも知れない。
対話の面白さと限界も感じた。
<ネガティブ・ケイパビリティについての思索>
*どんどん決めて物事を進めていく。進まないのはつらい。ゴールが見えないのもつらい。そんなとき、強権的なリーダーが欲しいと思うが、現れたら現れたで、「自己」への抑圧は本当に苦しい。
*ポジティブ・ケイパビリティの特質を列挙してみる。
・スピード感
・集約的、階層的な組織構造
・太陽と月で言うと太陽
・能動と受動の役割の明確化
*みなで場を分かち合って、決めがたいものに耐え、よいものを生み出していく努力を共有する。それがネガティブ・ケイパビリティでは。高度な忍耐力、自己抑制力が求められる。本書で触れていた「観察」というのは大事な視点かも知れない。相手をのぞき見るのではなく、触れずして触れさせてもらう。そこには良心が発揮され、「待てよ」という言葉が発せられる土壌がある。 -
Posted by ブクログ
ジョン・キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」を書名に冠している通り、安易に結論を出さずに、様々なテーマの多面性に光を当てながら三人の哲学者の鼎談が進んでいく。ポラリゼーションや単純化・効率化の加速に違和感を感じていたためか、とても多くの含蓄や示唆を得られた。
・ファクトフルであることを手放しに称揚する危うさ
個人的には、ファクトや真実への立脚や反証可能性を主張するカール・ポパーやハンナ・アーレントの論につい賛同してしまうが、そうではないものを切り捨てることは「愚かさの批判」であるという著者の警鐘は肝に銘じたい。これは、本書中でも引かれている『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読んだ時にも感じたことだった。議論の妥当性を論理で考えるだけでは見落としているものがある。誰もが弁証法的な西洋的価値観であるわけでもない。当事者の事情や渇望に焦点を当てることが重要だ。そして、誰もが包摂される感覚や言葉が必要となる。熊谷晋一郎が主張する言語の「ユニバーサル化」も大切な論点だ。
・アテンションエコノミーからのデタッチメント
情報量の増大と能力主義の加速はアテンションの必要性をもたらす。インターネット空間、特に SNS では多様性・複雑性やコンテキストが低下するために、これに拍車をかける。本書内では触れられていないが、グローバル化もこの要因の一つなのだろうと外資系企業で働いてきて肌で感じるところだ。
注目を集めなければ大きなうねりや成果は生み出しにくいが、単純化によって複雑性は失われてしまう。
・観察と自己相対化によるナラティブからの解放
「自分のナラティブに振り回されるのではなく、自分のものにした方が良い。」という言葉が最も印象に残った。私たちは原体験や問題意識が言語化されたナラティブには安易に飛びつきがちだ。そしてそれを「正しい」ものだとして信じてしまう。エビデンスや社会倫理など、「正しい」とされている側のナラティブであれば尚更であり、リベラルこそその危うさを孕んでいるとも言えるだろう。安易にこれに飛びつくのではなく、身の回りをこの目で観察して世界の解像度を上げること、そして対話を通じて互いのズレを認識し、どちらかの極へと偏るのではなくバランスをとることが重要だ。(ジョン・ロールズの「正義」の考え方に常に意識的でありたい。)
・何でも自分ごと化しなくていい
既存のナラティブに安易に絡め取られないようにするためには、パブリックとプライベートの間のコミュニティが重要となる。物事を安易に自分に接続せずに、問題を問題としてクールに扱うことも大切だ。SNS やブログサービスが提供する「お題」に過度にフレーミングされないようにしたい。「イベント」ではなく「エピソード」を大切にしながら生活していきたいと思った。 -
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全てを理解できたとはとても言えないですが、非常に興味深い内容でした。
「虐殺の言語ゲーム」は衝撃的でした。忘れない。
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今生きている世界を少し俯瞰で見られるようになった。カメラをちょっとズームアウトする感覚。
他人を傷つけないために、伝えたいことをどう表現して伝えるか・どの言葉を選び取るかということに脳をフル回転させる時間が多いのですが、
言葉の選択肢は自分の努力次第で増やすこと・入れ替えることができる。
その為には他人と対話し、個々人のバックグラウンドから醸成された言葉に触れ、知ること。
そして他人の痛みを理解するために有効なのは小説を読むこと。
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対談形式を読むのが私は苦手なのだが、この本は対談形式だから難しい(私にとって)という訳でなさそうだ。ネガティブケイパビリティの定義がそもそも難しいのだ。ネガティヴケイパビリティは「わからない」と開き直ることでもないし、「考え続けよう」と呼びかけることとも違う。捉えどころのないもので、まさに「不確実性への耐性」という表現がしっくりくる。安易な落とし所で考えを押し付けるのではなく、揺れながら実際に考え続けることであり、それ以上に表現する必要があるのであれば、それぞれの現場で引き取って具体化したり、別の概念と組み合わせたりすることでしか表現できない。
実際この本でも、ネガティヴケイパビリティを陰謀論やSNSといった様々な切り口から表現しようと試みているものの、はっきりした何かが見えてくることはない。このモヤモヤがポイントなのだ。
にしても、ナラティブ合戦とか物語的誤謬とか興味深い話が盛りだくさん。
そして、最後の三宅香帆の解説が印象的。
私は人間を見るとき、「何を言うか」ではなく、「何を言わないか」でしか人を判断しない。何を言いたくないのか、何を言い淀むのか、どんな言葉に抵抗を覚えるのか。言い淀む様子こそ人間らしさが潜む。
本当にその通りだなーと思って、一人で感動していたことは秘密。 -
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ネタバレ感想。
なかなかおもしろかった。
リチャード・ローティは、アンチ哲学の哲学者である。それゆえ、哲学そのものを疑う言葉が多く紹介される。なかでも、あまりに残酷な現実に対して「いまは哲学の出番ではない」とまで考えるのはすごい。
あとは、ボキャブラリーすなわち「ことばづかい」が受肉したものがわたしたち自身である、との考えも、なんとなくそんな気がするけど、そこまで言い切られると、なんか凄みがある。
しかし、こりゃすげぇやと興奮するような本ではないか。あくまでも入門書的な内容なので、おそらくローティ自身の本を読まないといけないのだろう。
とはいえ、本書でいろいろ紹介されるローティ本人の文章の、なんと分かりにくいことか。哲学者、思想家の文章って、本当にまだるっこしい。もうちょっと分かりやすく書こうとしてもバチは当たらんと思うけど、あかんのか。
以下は単なる読書メモ。
p51
「リベラルなユートピア」
リベラルなユートピアの市民には「自己の偶然性」を、認識することが必要。自分が相手に影響されたり、相手が自分に影響されて、変化していく可能性があること。お互いを改定されることに対して開きながら、どうにかして時には手を携える。
本質など持たない互いに偶然的な存在であるからこそ、連帯できる。
社会正義として残酷さを最小化することと、私的な自己創造を追求することを両立するリベラル・アイロニストが希望する社会のあり方。
p54
「ロマンティックアイロニー」
18〜19世紀、ドイツ・ロマン派の批評家シュレーゲルらが用いた言葉。芸術家が自らの作品を高みから見下ろし、反省し、さらなる創造につなげていく態度。常に別様な表現がありうるのではないかと自らを疑い、それによって次の創造の可能性を開く。
p57
『アイロニーの対極にあるのは常識(コモンセンス)である』
自分の考えは人間としての常識だから自分は正しい、と考える人はアイロニストの対局にあると言える。
p64
公共的なものと私的なものは統一すべきでないが、しかし統一すべきでないものとして一人の人間のなかに同時に存在しうる。
p134
アイデンティティ・ポリティクスは、「このつらさはお前にはわかるまい」といったことに繋がり、会話をストップさせてしまう危険がある。
ただしこの話法に訴えざるを得ないマイノリティ当事者が悪いわけでもない。
p163
道徳とは、たまたま生きているこの集団における常識でしかない。考えた先にあるものでもない。特定の集団における習慣的な実践にすぎない。
非道徳な行いというのは、「われわれならやらないこと」でしかない。
p165
自らのマジョリティ性に向き合い、それゆえの責任を真摯に引き受けることが、ローティ哲学の美点の最たるものである。
p166
哲学は原則として民主主義に道を譲らねばならない。世界の残酷さをなんとか最小化しようというときこそ、「いまは哲学の出番ではない」。
p170
リベラルとは本来むしろ、「わたしたちの正しさにともなう攻撃性に向き合い、できるだけ抑制的であるように努め、それを自らに課す態度」なのだ。
p172
ジョン・ロールズ(1921-2002)は、
「正義(justice)」と「善(the good)」を区別した。
ロールズにおける正義とは、競合しうる善の構想どうしを調停し、合意に至った状態にといて実現するものであり。そのための一連の手続きである。
公共的なバザールにおける諸手続きが正義。
私的なクラブで共有されるものが善。
p178
リベラルを自認する者たちは自分たちの側に無謬の正しさを前提としており、現実の正しくなさを見出しては一方的に糾弾し、裁く権利を有しているかのような傲慢なふるまいをしている。 -
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前提として知識の少ない私には、難しい箇所も多く、もしかすると本書の半分も理解できていないかもしれません。
しかし、それでも気付かされることも多く、以下にまとめます。
1. 正しさを「見つける」のではなく、これからも「問い続ける」ことが大切
普遍の心理は、存在せず哲学者は「会話」を続けるのが使命である。そして、それは私たちにもあてはまり、「これが正しい」と決めつけるのではなく、「本当に正しいのか?」と疑い続ける必要がある。
2.公共性と私的性は異なって構わない
各人に本音と建前があるのは当然。むしろちゃんと「正しくないかもしれないこと」を口にしたり、行動できる私的な空間を確保しておくべきだ。
3.「私たち」を広げていく
正しさが多くなると、正しくない「ヤツら」が生まれる。もしくは、マジョリティの声ばかり注目されて、マイノリティは「いないもの」とされてしまう。
また、間違いを犯した人でさえ、「私たち」とみなすことで、私自身も同じような感情を抱いたり、行動を起こす可能性があると省みる機会になる。
4.「善」と「正義」は異なる
善=個人が良いと思うことと、正義=社会的に正しいことは異なる。その中で、善が異なる人々が正義を守っていくためには、会話を続け、相手の背景やニーズを知る努力をすることが大切。
私は、よく「正しさ」を武器に人を批判する癖がある。そうすると、皆何らかの「正しさ」から外れており、周りの人が敵に見えてくる。結果、無意識のうちに「独り」を選ぶようになり、独りでいる時間だけが「私的空間」となっていた。一度「正しさ」を決め、それに固執してしまえば、いちいち議論したり、悩む必要もないから楽ではある。けれど、それは人と繋がることを遠ざけ、また時折「正しくない自分」を刺す刃物にもなる。だから、明日からは、大変面倒かもしれないが相手の「背景」や「ニーズ」を知ろうとし、「私たち」を増やすことを意識していく。 -
Posted by ブクログ
時宜を得た好著だ。
いま、なぜ「リベラル」がこんなに疎まれ、「権威主義国家」が幅を効かせるのかを、実にわかりやすく解きほぐしてくれる。
トランプ大統領のような「強い男」があらわれ、力による現状変更が国際社会で行われることを30年も前に「予言」していた哲学者がいたことも驚きだ。
おそらく「分断」はもうなくならないし、たったひとつの「正しさ」でそれを乗り越えることもできないだろう。
「目の前に、隣に、自分とはちがうひとが、同じ生身の身体を持ってそこにいる」ことにきちんと向き合うこと、そして「会話」を絶やさないことが、「バラバラな世界で共に生きる」術であるという主張に大いに納得。 -
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哲学者リチャード・ローティの思想を、言語哲学を中心に据えながら分かりやすく解説した一冊。ローティの生い立ちや彼が置かれていた社会状況にも触れつつ、重要な用語を一つひとつ丁寧に説明し、段階的にその思想へと導いてくれる。もちろん、それでも難解な部分は残るが、ローティが何を問題とし、どこへ向かおうとしたのか、その大筋はつかむことができる。
個人的に特に共感したのは、「終極の語彙」をめぐる議論と、それを絶えず再定義していくことの重要性である。私たちは、自分にとって疑うことのできない言葉や価値観によって世界を理解しようとする。しかし、それが「これ以上議論する必要はない」という、とどめの語彙になってしまえば、異なる価値観をもつ人との会話はそこで終わってしまう。
だからこそ重要なのが「会話の継続」なのだろう。社会には、簡単には分かり合えない問題がいくらでもある。完全に分かり合うことを目指すのではなく、分かり合えないからこそ会話を続け、その中で自分たちの語彙そのものを更新していく。考え続けるためには、自分が依拠する言葉や価値観を固定しないことが必要なのだという点が、とても印象に残った。
この一冊だけでローティを理解できるはずもない。しかし、その思想に触れ、さらに読んでみたいと思わせてくれる「入り口」としては秀逸な一冊だと思う。 -
Posted by ブクログ
思考の共犯者による対談。対話からではなく観察から。
・一問一答的世界観
・信仰と陰謀論
・アテンションとインテンション
・「言葉」に乗っ取られる世界観
金づちしか使えなければ釘に見える
◯(陰謀論やカルトも、フェアネスを求めるリベラルや保守も、区別がつかない)危うさを避けたいなら、「正しきナラティヴへの覚醒」ではなく、自分の体験を吟味する批判的な姿勢が必要となるはずです。自分の経験や行動を、多角的な視点から捉え直し、評価すること、つまり、自己相対化です。
・「観察」の役割
・イベントではなくエピソード
・いつでもどこでも誰とでも成立する言葉ではなく、手触りのある言葉で