「信頼」とは何か? どうすれば信頼される人になれるのか? そんな問いに対する答えを、本書『信頼と不信の哲学入門』は深く掘り下げている。ただ「誠実でいればいい」という単純な話ではなく、「信頼を得るには、慎重に約束をすることが重要」 という視点が提示されている。
信頼されるためには、「できない約束はしない」ことが大事
本書を読んで特に印象に残ったのは、「信頼されるには、ただ約束を守るだけではなく、そもそも無理な約束をしないことが大切」だということだ。これは相田みつをの言葉 「できない約束はしないことだな」 にも通じる。誠実に見せかけるために何でも「できます!」と言ってしまうと、結局守れずに信頼を失う。
例えば、政治家が「消費税ゼロにします!」と大見得を切ったものの、実行できなかった場合、信用を失うのは当然だ。職場でも、「わかりました!」と勢いよく返事をしたものの、いざ仕事が進むと「あ、ちょっと無理かも…」となる人は少なくない。本書では、こうした「無謀な約束」が信頼を損なう原因になると指摘されている。
私の職場にもいる、「できる」と言いながらやらない人
私の職場にも、まさにそういうタイプの同僚がいる。その場では「はい、やります!」と快く引き受けるものの、結局は指示通りに動かない。指摘すると、「ああ、勘違いしてました」「そういうことでしたか」と言い訳をする。最初は「まあ、ミスはあるよね」と思っていたが、何度も繰り返されると、「この人の『わかりました』は信用していいのか?」と疑問を抱くようになった。結局、彼の言葉よりも「実際の行動」を基準に判断するようになった。
この経験を振り返ると、本書で述べられている「慎重に約束することの重要性」がよくわかる。信頼されるためには、口先だけの約束ではなく、「自分が本当にできるかどうかを考えた上で、約束すること」 が求められるのだ。
「慎重な人」は信頼される
本書では、「慎重に約束すること」が、長期的に信頼を得る秘訣だと繰り返し述べられている。たとえば、「この仕事、今日中に終わらせます!」と意気込む人よりも、「状況を見た限り、明日までかかります」と冷静に判断する人のほうが、最終的には信用される。慎重に判断し、確実に実行できることだけを引き受ける姿勢こそが、信頼を積み上げるのだ。
これは、個人の信頼だけでなく、組織や国家レベルの信頼にも当てはまる。たとえば、企業が「この製品は絶対に安全です!」と宣伝しながら、後になって不具合が発覚すると、顧客の信頼を一気に失う。同様に、政府が「この政策で経済が良くなります!」と約束したのに、何の効果も出なければ、国民の信頼は揺らぐ。信頼とは、短期的な誠実さではなく、長期的な一貫性によって築かれるもの なのだ。
「信頼できる人」を見極めるために必要なこと
本書では、「信頼を与える側の責任」についても触れられている。つまり、「信頼する相手を慎重に選ぶこと」 もまた重要なのだ。そのためには、人間の心理的なクセである「対応バイアス」に気をつける必要がある。これは、「相手の状況を考慮せずに、行動だけを見てその人の本質だと判断してしまうこと」を指す。
たとえば、会議に遅刻した同僚を「時間にルーズな人」と即断するのではなく、「電車の遅延があったのかも?」と考える余裕を持つことが大切だ。逆に、表面的な態度だけを見て「誠実そうだから信頼できる」と判断するのも危険である。
本書を読んで、「信頼される人になること」と「適切に信頼すること」はセットで考えるべきだと気づいた。無闇に信頼するのも、不信感を抱きすぎるのも、どちらも問題なのだ。
まとめ:信頼とは積み重ね
この本を読んで、改めて「信頼とは長期戦」だと実感した。ちょっと誠実なことをしたからといって、すぐに得られるものではないし、一度裏切れば回復は困難。だからこそ、慎重に、そして着実に積み上げるしかない。
「信頼される人」になるために必要なのは、ただ誠実でいることではなく、 「できない約束はしないこと」 だ。そして、適切に信頼するためには、相手の状況や行動を慎重に見極めることが求められる。本書を読んで、仕事でもプライベートでも、この視点を忘れずにいたいと思った。
さて、この学びを活かして、まずは職場の「信用ならん同僚」への対応をどうするか考えてみるとしよう。
コミットメント、対応バイアス、一貫性。
この本にはとても重要なことが記されている。重要なのは「信頼」なのかそれとも「信頼に値すること」なのか。論理的に議論が展開されてゆく。なかなかに骨太で、一読しただけでは容易に理解出来なかった(私の理解力の問題)
一言で言うと「難しくてよく分からない」のだけれど、そうして放棄するには勿体ない内容なことは理解出来る。何度も読み返したい。
何故か?少なくとも自分が信頼している人から、信頼に値する人だと思われたいという欲望がひとつ。
もう一つは、組織内やその他社会で、信頼出来ない人間に対して「私はどの部分が信頼出来ないのか?」を客観的に確認したい(言語確認したい)。
たとえば政治家やコメンテーター、メディアやSNS、陰謀論や怪しげな自己啓発書。会社の乗車道標、地域社会でかかわる人。
信頼とは何か?改めて思考すべきと思う。