朱喜哲のレビュー一覧
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私が本書を手に取ったのは、世界で進む分断や対立の潮流を乗り越えるためのヒントを得たいと考えたから。また、意見の異なる相手との対話をあきらめずに続けるためには、どのような姿勢が必要なのかにも関心があった。
その答えは、とてもシンプル。価値観の異なる相手を論破したり、自分の考えに変えたりすることではなく、互いの違いを認めながら根気強く対話を続けること。その積み重ねこそが、分断を乗り越えるための現実的な道筋であるという。このローティー哲学にどこまで共感できるかで本書への評価は分かれるだろう。
もっとも、ローティという哲学者を知らない人であっても、彼の対話を通じた共生のメッセージに同調する人はそれなりにいるだろう。価値観の違いをなくすことはできなくても、対話をあきらめないことはできる。本書は、分断が深まる現代社会において、その当たり前でありながら最も難しい姿勢の大切さに気づきを与えてくれるという点で、本書には価値がある。 -
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3名の哲学、政策学等にバックグラウンドを持つ有識者の対談を編集した一冊。正直、専門用語を追うことに精一杯で理解は半分もできたか怪しい難解さがある。まさに本書にて、拙速に理解した気になる態度の危うさを再認識した。物語的誤謬や陰謀論、マスターアーギュメントの魅力は、複雑さからの逃避でもあると感じた。わからなさに耐え、聞く姿勢を保つことが他者理解の出発点になる。世界は一問一答では動かず、視点を増やし、意見を暫定的に持つ柔軟さが必要だ。結論よりも態度を問い直す読書体験だった。この本は確実に再度決定本。読んで答えを明確にするのではなく、思考を、許容を深くする本。明確に手ごたえが得られなかったため、星は4としたが、とても良い本。最強の星4本かも。
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ネガティブケイパビリティ
本書によると、物事を宙づりししたまま抱えておく力と定義されています。早期解決が重要視さる現代とは真反対の考え方です。人からの紹介で読んでみたのですが、自分がとても苦手なことが良くわかりました。
言い換えると「待つ力」とも捉えることができます。他人に対してビジョンを指し示すのではなく、自分自身で描いてもらう、あるいは考え続けてもらうということだと考えております。
ある意味では他社に対して「問い続けること」に近いのかもしれません。互いにわからない答えを探すために問いを続けることで少しずつ課題や不安がクリアになっていく
その役割として「思考の共犯者」がとても大切な存在です。
これから自分が担うべきものは一般的なリーダーではなく、中核を成す主体的なフォロワーであり続けることです。
なんとも難しい課題ですが、取り組むと決めた以上、逃げずに取り組んでみたいと思います。 -
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(Twitterの連投から誤字や順序等修正した上で転記)
▼稲岡大志・森功次・長門裕介・朱喜哲 共編『世界最先端の研究が教える すごい哲学』(総合法令出版 2022)
『〔世界最先端の研究が教える〕すごい哲学』の長門さん(長門裕介)の問いの立て方は、情報技術(がもたらしがちな言説状況)に対する倫理学的回答の前線紹介という趣が多く、学問が(そのまま解説者本人の)キャラクターになってもいる。典型は「レアグッズの転売は道徳的に問題なのか?」だが、技術と関係ない「本当の愛に理由はいらないのか?」も好き。「巨大感情としか言えないからといって、その感情は他の恋愛感情や友情より明確に尊いものと言えるのか?」みたいな言い方も可能かもしれない。
千葉汐音「注意の仕方が変われば世界が美しくなる?」(同書: 94-98)で紹介されたペンス・ナナイ(Nanay, B. 2016,2019)を引いた「一つの対象の持つ多くの要素に向けられた注意」という美的経験における特別な注意の条件も面白かった。自分がムハ(=アルフォンス・ミュシャ)の巨大絵画に感動した時の経験を思い出した。
稲岡大志「スポーツとはなんだろうか?」(同書: 18-22)で、バーナード・スーツ『キリギリスの哲学』(※著名なゲーム定義論を提示したことで知られる、ゲームスタディーズでは重要な著作のひとつ)を参照していたり、長門裕介「プレーオフの優勝決定戦に納得がいかないのはなぜか?」(同書: 24-27)も年間のゲームデザインに関わる話としても読めたり、ゲーム研究的な節もよかった。
原虎太郎「差別的な冗談を面白いと感じるのは悪いことなのか?」(同書: 128-132)、遠藤進平「質問をしただけなのに怒られるのはなぜか?(」同書: 178-182)は、Twitterでよく見るお笑い批判・ハラスメント発言批判をもう半歩〜数歩先の目鼻のついた批判に進めるきっかけになりそう。
Tirrell 2012. Genocidal Language Games. という論文がルワンダ虐殺前夜の言説を分析して、『虐殺器官』(伊藤計劃. 2007. 早川書房)における「虐殺の文法」に通じるような言説環境の条件を挙げているらしい。朱喜哲さんの紹介文より。(同書: 194-8)
最後の方の二節使った「妖怪弁神論」(根無一信 ねむ かずのぶ)による宣言、前節で「弁神論は現代では用済みになりそうだ」とレヴィナスを引いて言ったその刀で「妖怪が伝承されてきた諸々の必然性を説明づけるのに弁神論はうってつけ」と言い出す(同書: 251)。今後の展開が気になる。
他の例示してない節も、いい話は多かった。なんというか、実に勝手な妄想であることを断りつつ、「SNSでイキれるだけの十分な知的バックボーンはある優秀な学生が、この著者陣の人文カラテで次々ふわっと投げられる」ような光景が想起された。「今のはメラゾーマではない、メラだ」感も含めて。自分も社会学の学部生向け教科書に寄稿してるので、インサイダー的な方向性でも勉強になった。自分の場合はissueをふんわり渡す感じで仕事をしたが、この『すごい哲学』は大学卒業以降のビジネスパーソンめがけてもissueで殴りつけるようなパンチの伸びが感じられて、いいですね。
あと『すごい哲学』の紙書籍としての面白いところ、「ノンブルが見開きページの左側に2ページ分ずつまとめて印字している」ことですね。たとえばp.149にあたる頁の左下隅に"149/148" と書いている(右頁がp.148に当たる)。 -
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哲学者であるローティの考えをもとに、分断された現代を生きるための考え方について述べている本。
人によって何が「善い」と思うかは異なり、自分が「善い」と思うことを追求しようとすると、無自覚に相手を傷つけてしまうことがある。だからこそ、自分が「善い」と思う考えは変わりうるものだということを受け入れ、どうしかして相手と手を取り合えないか考えることで、相手と連帯出来る可能性が出てくる。という話は、自分が考える「善い」ことに固執しそうになる自分に対する、戒めとなる内容だった。
周りと自分の考え方の違いに悩んでいる人や、自分の中にある矛盾した考え方、感情に悩んでいる人におすすめの本。 -
Posted by ブクログ
ローティは「正しさとは何か」という普遍的な答えを追求するよりも、人々が会話を続け、互いの痛みを想像しながら、少しでも残酷さを減らしていけばいいと考える
その問題意識も価値観を無理に統一する必要はないという考えも理解できるけど、詩や文学を読み、会話を続けることで「われわれ」を広げていく方法は、どうしても理想論に聞こえてしまう 価値観や利害が対立すれば、他者との共存よりも排除や支配を選ぶ人もいるから
現実の社会を考えるうえでは、ローティが重視する人々の共存を促す文化・共感のレイヤーと、社会契約説のように人間同士の対立を前提として共存を可能にするための制度・ルールのレイヤー、その両方が必要なんだと思った