【感想・ネタバレ】バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学のレビュー

あらすじ

わかり合えない他者を、敵にしないために。

分断が極まり、「正しさ」がSNSでぶつかり合う社会で、私たちは他者といかに語り合えるか。アメリカの哲学者リチャード・ローティは、共通の基盤なき世界でそれでも人が共に生きる可能性を問い続けた。その哲学から、分極化の時代を生きるための知的作法を鮮やかに引き出す。大好評だった『100分de名著 リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』』テキストを大幅改稿。死後に注目された「予言」や主著以外の発言にも光を当て、その思想の先進性をいま問いなおす。著者初の新書!

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Posted by ブクログ

めちゃくちゃ良かった。真理や本質といったものはなく、文化も個人も偶然の産物に過ぎない、という主張はすごくしっくりくるし、好みでもある。それを認識することでこそ手を取り合う事ができる、というのも素敵。そう思うと、個々人がフラットというか、一つの尺度で優劣がつけられる存在ではないという感覚が自然と湧いてくる。
この本を通して価値観が再記述されたと思うし、その過程は楽しかった。今後も自分の価値観を改訂に開き、再記述し続けるためにも、どんどん本(特に哲学書)を読んでいきたいと感じた。
丁寧で謙虚な語り口も好み。長過ぎないのも読みやすかった。5章はちょっと難しかった。
メタ(?)なところで行くと、今後自分が、「唯一の正しさ」を信奉している人に対して否定的になってしまいそう。そういう人も一つの「偶然の産物」として見られると良いが。

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2026年07月26日

Posted by ブクログ

個人個人の正しさで溢れかえってしまったSNSはもはや地獄だし、現実社会でも力を持った大国が正義という拳で殴り合っている。私たちの生活のいたるところに「正しさ」で殴り合う状況が見られる。

このバラバラになってしまった世界でどう生きるかをローティの哲学を梃子に論じているのが本書である。息苦しい公的空間としてのバザールと危険をはらむ私的空間としてのクラブの例えは秀逸だし、バラバラを乗り越えるためには答えを導くことを目的とする議論や対話ではなく、何気ない会話が必要だというのも納得感がある。正義を纏った言葉は鋭利で人を傷つける。それは安易に公的空間ですべきではない。対立したり意見が異なったりする人とも会話を続けたほうが共に生きてる感があって攻撃性は弱まる気もする。ローティの哲学は今の時代にしっくりくる。

ただひとつ課題もあるように思う。それはローティの哲学自体が西洋世界の知識基盤をベースに組み立てられていることだ。会話は1人では成り立たない。相手が西洋世界の知識基盤を持たず、むしろ嫌悪してる場合、そもそも会話は成り立たない。自国の歴史が世界の中心であると考えてる人や信じている神こそすべてと思っている人、そもそも知識基盤が脆弱な人などの前でローティの哲学は無力で、西洋社会対その他の社会の対立解消の手段にはならなそうにも思う。

話のわからない人や国との付き合い方の解決策にはならないかもしれないが、それでも共通の社会規範やアイデンティティを有するまとまりのなかで同他社と生きるかは学ぶべき点が多い。イマココがクラブなのかバザールなのかは常に意識したい。

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2026年10月11日

Posted by ブクログ

「ことばづかいが変われば人間は変わるし、流通することばが変われば社会も変わる」という一文が私にとってものすごく大きな希望に見えた。会話についてや正しさについてなど好きな話もたくさんあったけど難しかった!もう一回読み直してもっと理解したい!

【読んだ目的・理由】タイトルに惹かれて
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.5
【一番好きな表現】ことばづかいが変われば人間は変わるし、流通することばが変われば社会も変わる。(本文から引用)

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2026年10月05日

Posted by ブクログ

まさにタイトル通り。
いま少なからずこのバラバラな世界で生きることに悩んだり、自分のスタンスについて考える機会があると思うので多くの人に読まれることが大切だな、と。
一方で、この本に興味が湧かない人の思考があるのでその対比、そのような人とも生きる必要がある。
この言語化できないモヤモヤに対して刺さりました。ローティが今注目される理由を、知ることができた印象。

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2026年10月05日

Posted by ブクログ

朱さんの本は初めて読みましたし、リチャード・ローティという哲学者も本書で初めて知りました。

個人的には決して優しい内容ではありませんでしたが、面白かったですし、朱さんの解釈や説明はかなり分かりやすく書いてくれているのだと思います。引用部分だけでは、ほぼ理解できなかったと思うので。

世界に「これが正解だ!こうあるべきだ!」は本当はないじゃないか。だからこそ、自分の正解や価値観は、常に変わるものだと(変えていいものだと)理解しておく。

そうやって自分を拡張して、拡張された自分が周りの拡張された他者に触れ合う。それが「バラバラな世界で共に生きる」ことなのかな。と感じました!

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2026年09月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

とても面白かった。

トランプ現象の予言をしたということで再評価されたリチャードローティというアメリカの哲学者の考えを紐解いてくれる1冊。

柔らかい語り口で丁寧に説明されるので、難しいところもありつつ、とても面白く読んだ。

本質や普遍性に裏付けされた何かを求めるのではなく連帯を、という話では、人権が人間の普遍的な価値、としてしまうと、相手を人間と見做さない場合には人権がある存在として認めない、という現象につながりえるので、残酷な行為が行われることの予防線にはならない、というような指摘で、確かになぁ、と思った。人権は大事な人類の発明、概念だけれど、人権侵害だ!というときに、なんだかあまり有効な手ではないようにいつも感じていた。相手が人権など理解してないからやってきているわけで、それを言ったところで伝わらない、という虚しさ。

残酷さへの感性を磨きそれをブレーキとして働かせるために、頭で人権があるから、と考えるのではなく、小説やエスノグラフィーなど「正しくなさ」を内側から描いたものにふれ、他者と自分を近づけることを勧めている。

この部分では何年か前に読んだ「テヘランでロリータを読む」で、遠い国だと感じていたイランの女性たちが読み終わった途端、身近な存在、女性として(頭では知っていたけれど)本当に「感じられた」という強烈な経験を思い出した。

エスノグラフィーでは沖縄の女の子とたちのルポ「裸足で逃げる」で同じような感覚を得た経験があるので、本当にそうだよなぁ、と納得すると同時に、そのようなものに触れる努力や機会を持たない人には広がりにくい、という難しさもあると思う。

アイデンティティポリティクス、という言葉も最近ネガティブなニュアンスで使われれることが多いけれど、実際にはきちんと理解できていなかったことが整理されてとても良かった。
アイデンティティポリティクスのみで押し続けると、マジョリティにその論理を反転して利用されてしまうよ、そうすると激しいバックラッシュで議論どころじゃなくなるという警告で、これはアメリカのヴァンス副大統領が書いた「Hillbilly Elegy」を読んだ後の複雑な後味の悪さを思い出させた。

断言せず、文脈を丁寧に示しながらの解説で、わかりやすいのだけれど、付箋を貼ったところだけ読んでも内容が思い出せず、かなり前後を読み直して文脈を理解しないと内容が入ってこない本で、人とのコミュニケーションとは本来そうなんだよな、ということがそのまま実践されているような書き振りの、良い本だった。

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2026年08月21日

Posted by ブクログ

いろいろな言論が飛び交う時代に、
改めて「ことばづかい」について、
アメリカの哲学者リチャード・ローティの著作、
『偶然性・アイロニー・連帯』を軸に考察する。

「界隈化」とか「コクーン化」などと形容されて、
何かと分断が話題にはなるけれど、
もともと人類が一枚岩だったことなんていちどもない。

その現実は現実として受け止めて、
その状態にどのように継続性をもたせるか。

《終極の語彙》という考え方がいちばん印象に残った。
ことばや現象を固定してしまうことなく、
常に流動的に現実に即して受け止めること。
「わかる」「知っている」という楽な状態に安易に縋りつかないことが重要。

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2026年08月20日

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死後十年近くを経た2016年になって「トランプ現象を予言していた」と再評価されることとなったアメリカの哲学者リチャード・ローティの思想の全体像について、主著の『偶然性・アイロニー・連帯』を中心に置いて解説し、分断や分極化が進む現代においてローティを読むことの意義を説く。NHK番組の「100分de名著」のテキストがもとになっているということで、例え話等もふんだんに盛り込まれ、平易な文章でとてもわかりやすい内容となっている。
リチャード・ローティについては、20年ほど前に大学の哲学の授業で触れたことがあり、もともと興味があったが、本書で改めてその哲学のアウトラインを理解することができた。自分や社会の「偶然性」を認識し、絶対的な<正しさ>を否定して、自身にとって重要な「終局の語彙」であっても改訂の可能性を肯定し、「リベラル・アイロニスト」として、小さなところから「われわれの拡張」としての「連帯」を目指すというローティの考え方には、自分としてもとても共感するし、この分断や分極化が進む「バラバラな世界」において、我々が「共に生きていく」ための大きなヒントがあると感じた。また、公共空間と私的空間の関係性についての「バザールとクラブ」の比喩も公私の区別が融解しがちな現代社会において示唆に富んでいると思った。そして、ルワンダ内戦における虐殺の事例等を通して、言葉の重要性についても改めて認識した。

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2026年08月10日

Posted by ブクログ

**本を読んだ理由**
- [[三宅香帆]]が推薦していたから

**この本を一言で**
- 普遍的な真理を共有できない人々が、バラバラなまま共に生きる方法を考える本

**本の要点3つ**
- 自分の価値観や言葉も歴史や文化によって偶然につくられたものであり、絶対的ではない。自分の正しさを改訂可能に保ち、小さな共感から連帯をつくる。
- 普遍的真理、哲学、宗教を公共的判断の絶対的根拠にすると、異なる背景を持つ人との会話を止める可能性がある。
- 言葉は現実を記述するだけではなく、人間の認識や行動を変え、現実そのものをつくる。

**自分への持ち帰り3つ**
- 家族であっても「心から理解し合うこと」を目標にしなくてよい。完全な理解がなくても、言い換えと交渉によって共同生活はできる。
- クラブとバザールの境界を意識して振る舞う。
- 自分なりの正しさは持ってよいが、常に改訂可能にしておく。

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2026年08月01日

Posted by ブクログ

世界が混迷を極め、先行きが見通せない世界が目の前にある。世界全体が、戦争を推し進めていく方向に進んでいるような気がする。停戦の合意を掲げながら、攻撃をしている。停戦を呼びかけても、意地でも戦争を続けている。力による現状変更を断行し、民間人の虐殺を伴う大規模な武力行使が続いている。それを世界の右傾化というべき時代かもしれない。世界は戦時下にある。そこにある分断と立場によって正しさが違っている。今の時代をどう見るのか?

ちょうど、そのどうしようもない時代の問題意識に、フォーカスした本があった。
そのバラバラな世界で、どう生きるのか?SNSで、世界は繋がっているのに、全く相容れないような対立があり、何を事実とみなすかという基準さえ、一致できなくなってきている。

「国民の総意」なるものが、共通の軸や極そのものが不明になり、言ったもん勝ちの状況にある。
アメリカの共和党支持者(保守、右派)と民主党支持者(リベラル、左派)という両極の間での分断が進み、対立が深まっている。トランプの強引なベネズエラ大統領逮捕、ホメイニ暗殺など好戦的で、自らの暗殺計画には怯えるというチキンハート的口撃。分断を煽ることで、自らの支持を集めようとする。ポリティカルコネクトネス(政治的正しさ)を振り翳して、分断を推し進めている。正しさを武器とする。そして、リベラルを徹底的に攻撃する。

第2次世界大戦以後の新たな世界秩序は、自由主義(リベラリズム)と民主主義という二つの理念、そしてそれらに根差した資本主義経済を体現したのがアメリカだった。アメリカは世界をリードした覇権国家だった、自国と自陣営の都合を圧倒的な武力によって諸外国に押し付けてきた超大国だった。そして、アメリカの凋落が誰の目にも明らかになり、バラバラに分断し、むき出しの力の存在感が高まる世界になってきている。バラバラなままで、一緒に生きていかねばならないという、現実に生きている。

なぜ、バラバラな世界に生きていかなければならないのか?
「個々の正しさ」の衝突が生まれる。かつて社会を一つに繋ぎ止めていた宗教や、国家・科学といった共通の大きな物語(絶対的な正しさの基盤)が機能しなった。基盤を失った結果、誰もが自分なりの正義やアイデンティティを掲げるようになる。特にSNSの普及は、似た者同士の意見を増幅させる一方で、異なる価値観を持つ他者を「敵」とみなして攻撃し合う〈正しさ〉の凶器化を加速させた。世界がバラバラになったのは、多様性が進んだからだけでなく、それぞれが自分の正しさで他者を殴り合うようになったためだ。

著者はいう「客観性や必然性、そして真理といった絶対的に確かな正しさはどこにもないとしても、私たちは正しさ、それ自体を諦める必要はない。」
著者は、リチャード・ローティの哲学を解説する。ローティは「アンチ哲学(反・伝統的哲学)」の旗手であり、同時に「対話(カンバセーション)の擁護者」として位置づけられている。
ある意味では、ローティは、トランプの出現を予言していたともいわれる。

西洋哲学は長い間、「客観的な真理」や「人間を超えた普遍的な正しさ」を追い求めてきた。ローティはこれを「自然の鏡(世界をありのままに映し出す鏡)」としての哲学にすぎないと批判し、そのような絶対的な基盤は存在しないと考えた。ローティはアメリカ独自の思想であるプラグマティズムを受け継ぎ、哲学を「真理の探究」ではなく、人々がよく生きるための「終わりなき会話」へと引き戻そうとした。

ローティは、 哲学の本質は、正解を出すことではなく、わかり合えない他者と「言葉を交わし続けること」になる。その対話を拒絶することは、バラバラな世界を固定するしかない。世界がバラバラになった時代において、哲学の役割は「何が正しいかを判定する基準」から「対話を途切れさせないための触媒」へと変化することになる。

ローティは、真理というべき正しさを追求することから、わかり合えない他者と「言葉を交わし続けること」という。そして、その解決する道は、というかワードは、連帯だという。 本書で強調されるのは、正しさの共有ではなく「他者の残虐さや苦しみに対する想像力」だという。「あの人も自分と同じように傷つく存在だ」という感覚を、言葉や文学、ジャーナリズムを通じて「われわれ」の範囲を広げるように拡張していくこと、それがローティの連帯の本質なのだ。

痛み、苦しみ、そして孤立の中で、共感力を呼び起こし、感受性を豊かにして、相手への共感、その力が、連帯だという。論破や排除が横行する現代において、会話を拒絶すれば残るのは暴力であり、
非‐人間化だ。人間は「誤りうるバラバラな存在」だからこそ、それでも共に生きていくために、意図的に「連帯」を作り出さなければ社会が崩壊してしまうという危機感を持つべきだという。

ローティの思想は「対話を開き続けよう」と呼びかけるが、これは「対話のルール」を重んじるリベラルな知識人層の理想論にすぎないのではないか、という批判がある。すでに聞く耳を持たず、他者を徹底的に排除しようとするマジョリティや極端な勢力に対して、「言葉づかいに気をつけよう」「会話を続けよう」と諭すことが本当に有効な抑止力になり得るのかという現実的な課題がある。

トランプの考えを改めることはできず、トランプに大統領を辞めさせることしか道はないようにも思える。トランプに連帯はできない。ローティは生前(1990年代末)、現代のポピュリズムやトランプ現象のような「強い指導者を求める大衆の分断」を予言していたことで知られている。

「揺るがない共通の足場など持たない、ばらばらで誤りうる私たちが、それでもどうにか共に生きていかなければならない、という端的な事実に向き合うこと」でしか、救いの道はないのだろうか。
ローティの目指した哲学、対話し続ける。会話し続けるという姿勢こそが、哲学のあり方だという提示は、避け難いバラバラの世界を繋ぎ止める一つの回答かもしれない。力の論理、そして力の増強と準備では、解決しないということだけは、ローティの正しさとも言える。

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2026年07月25日

Posted by ブクログ

哲学者ローティの歩みをたどりながら、「言葉」について考える一冊。

ルワンダでのジェノサイドから分かるように、言葉、語彙、ことばづかいというものが人の命を奪うことがありうること。
本質主義に囚われる限り、人権の概念すら「われわれ」と「やつら」を線引きし、攻撃してよいという正当化に繋がってしまうこと。
一方で人は自分や自分が使う言葉、自分を表す言葉(終局の語彙)には可塑性があり、常によりましな方に向かっていくことができること。
共感や感情を育む、それらに訴えるという意味で文学や報道の役割が決して小さくないこと。
対話というより、非言語コミュニケーションも含めた、会話を諦めないこと。

アイデンティティポリティクスの副作用についても触れつつ、よくある安易なリベラル批判にとどまらず、叫びをあげるまで耳を傾けることをしなかったマジョリティ構造について言及しているのが良かった。

様々な思想による分断の溝がますます深くなっているように感じられる世の中での自分の在り方を考えるのにとても良い一冊で、また折に触れて読み直したい。

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2026年07月18日

Posted by ブクログ

ローティ、はじめて聞いた。読書会で面白いと聞いて読んだ。もう一回くらい読みたい。ことばづかいと言うのが素敵だし、会話を続けていくことと言うのが、抽象的だけど腑に落ちる感覚があった。

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2026年10月02日

Posted by ブクログ

通り過ぎる、気づかない、無関心である、そうやって共感できる自身の残酷さに向けられない不注意。とてもよい小説ほど、そのよさに隠れた残酷さがあるということ。

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2026年09月30日

Posted by ブクログ

面白い。自分の「ことばづかい」を「最終言語」と思わず、ブラッシュアップし続ける営みの大切さと難しさ。ネガティヴケイパビリティにも通じるのかも。
何度もタイトルとしては遭遇してきたが未読だった『虐殺器官』、読んでみようと思った。

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2026年09月25日

Posted by ブクログ

朱喜哲さんの著作が好きで、読むのを楽しみにしてた本!朱喜哲さんの解釈・語り方はとても面白くて、ローティ自体はそこまでご贔屓な哲学家というわけではないけれどもするする読み進められた
ニーチェにもこういう専門家がいたらいいのにな〜

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2026年09月16日

Posted by ブクログ

全てを理解できたとはとても言えないですが、非常に興味深い内容でした。
「虐殺の言語ゲーム」は衝撃的でした。忘れない。

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今生きている世界を少し俯瞰で見られるようになった。カメラをちょっとズームアウトする感覚。

他人を傷つけないために、伝えたいことをどう表現して伝えるか・どの言葉を選び取るかということに脳をフル回転させる時間が多いのですが、
言葉の選択肢は自分の努力次第で増やすこと・入れ替えることができる。
その為には他人と対話し、個々人のバックグラウンドから醸成された言葉に触れ、知ること。
そして他人の痛みを理解するために有効なのは小説を読むこと。

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2026年09月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

感想。
なかなかおもしろかった。
リチャード・ローティは、アンチ哲学の哲学者である。それゆえ、哲学そのものを疑う言葉が多く紹介される。なかでも、あまりに残酷な現実に対して「いまは哲学の出番ではない」とまで考えるのはすごい。
あとは、ボキャブラリーすなわち「ことばづかい」が受肉したものがわたしたち自身である、との考えも、なんとなくそんな気がするけど、そこまで言い切られると、なんか凄みがある。
しかし、こりゃすげぇやと興奮するような本ではないか。あくまでも入門書的な内容なので、おそらくローティ自身の本を読まないといけないのだろう。
とはいえ、本書でいろいろ紹介されるローティ本人の文章の、なんと分かりにくいことか。哲学者、思想家の文章って、本当にまだるっこしい。もうちょっと分かりやすく書こうとしてもバチは当たらんと思うけど、あかんのか。



以下は単なる読書メモ。

p51
「リベラルなユートピア」
リベラルなユートピアの市民には「自己の偶然性」を、認識することが必要。自分が相手に影響されたり、相手が自分に影響されて、変化していく可能性があること。お互いを改定されることに対して開きながら、どうにかして時には手を携える。
本質など持たない互いに偶然的な存在であるからこそ、連帯できる。
社会正義として残酷さを最小化することと、私的な自己創造を追求することを両立するリベラル・アイロニストが希望する社会のあり方。

p54
「ロマンティックアイロニー」
18〜19世紀、ドイツ・ロマン派の批評家シュレーゲルらが用いた言葉。芸術家が自らの作品を高みから見下ろし、反省し、さらなる創造につなげていく態度。常に別様な表現がありうるのではないかと自らを疑い、それによって次の創造の可能性を開く。

p57
『アイロニーの対極にあるのは常識(コモンセンス)である』
自分の考えは人間としての常識だから自分は正しい、と考える人はアイロニストの対局にあると言える。

p64
公共的なものと私的なものは統一すべきでないが、しかし統一すべきでないものとして一人の人間のなかに同時に存在しうる。

p134
アイデンティティ・ポリティクスは、「このつらさはお前にはわかるまい」といったことに繋がり、会話をストップさせてしまう危険がある。
ただしこの話法に訴えざるを得ないマイノリティ当事者が悪いわけでもない。

p163
道徳とは、たまたま生きているこの集団における常識でしかない。考えた先にあるものでもない。特定の集団における習慣的な実践にすぎない。
非道徳な行いというのは、「われわれならやらないこと」でしかない。

p165
自らのマジョリティ性に向き合い、それゆえの責任を真摯に引き受けることが、ローティ哲学の美点の最たるものである。

p166
哲学は原則として民主主義に道を譲らねばならない。世界の残酷さをなんとか最小化しようというときこそ、「いまは哲学の出番ではない」。

p170
リベラルとは本来むしろ、「わたしたちの正しさにともなう攻撃性に向き合い、できるだけ抑制的であるように努め、それを自らに課す態度」なのだ。

p172
ジョン・ロールズ(1921-2002)は、
「正義(justice)」と「善(the good)」を区別した。
ロールズにおける正義とは、競合しうる善の構想どうしを調停し、合意に至った状態にといて実現するものであり。そのための一連の手続きである。
公共的なバザールにおける諸手続きが正義。
私的なクラブで共有されるものが善。

p178
リベラルを自認する者たちは自分たちの側に無謬の正しさを前提としており、現実の正しくなさを見出しては一方的に糾弾し、裁く権利を有しているかのような傲慢なふるまいをしている。

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2026年09月07日

Posted by ブクログ

リベラルなアイロニスト、自己の更新を続けるマインド。ひとつのテーゼに安住するんじゃなくて、考え悩み続ける姿勢。今読むべくして読んだ気がする。

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2026年08月31日

Posted by ブクログ

やっぱり哲学って難しい。筆者は噛み砕いてくれたけれど、それでも途中むむむ…となるところがあった
私はやっぱり分断されている状況がもどかしく、どうすればいいんだろうと考えていたのだけれど、ローティ哲学に少し興味がわいてきた。
”「正しさ」とうまくつきあっていくためにも「正しくなさ」にも目を向ける必要がある”というのは、いまの私にとてもしっくりときた。
また左派が承認の政治を求めたことでマジョリティが剥奪感をいだいしまうメカニズムにも触れながら、会話をしていくことを諦めない内容に勇気をもらえた

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2026年08月30日

Posted by ブクログ

前提として知識の少ない私には、難しい箇所も多く、もしかすると本書の半分も理解できていないかもしれません。

しかし、それでも気付かされることも多く、以下にまとめます。

1. 正しさを「見つける」のではなく、これからも「問い続ける」ことが大切
普遍の心理は、存在せず哲学者は「会話」を続けるのが使命である。そして、それは私たちにもあてはまり、「これが正しい」と決めつけるのではなく、「本当に正しいのか?」と疑い続ける必要がある。

2.公共性と私的性は異なって構わない
各人に本音と建前があるのは当然。むしろちゃんと「正しくないかもしれないこと」を口にしたり、行動できる私的な空間を確保しておくべきだ。

3.「私たち」を広げていく
正しさが多くなると、正しくない「ヤツら」が生まれる。もしくは、マジョリティの声ばかり注目されて、マイノリティは「いないもの」とされてしまう。
また、間違いを犯した人でさえ、「私たち」とみなすことで、私自身も同じような感情を抱いたり、行動を起こす可能性があると省みる機会になる。

4.「善」と「正義」は異なる
善=個人が良いと思うことと、正義=社会的に正しいことは異なる。その中で、善が異なる人々が正義を守っていくためには、会話を続け、相手の背景やニーズを知る努力をすることが大切。


私は、よく「正しさ」を武器に人を批判する癖がある。そうすると、皆何らかの「正しさ」から外れており、周りの人が敵に見えてくる。結果、無意識のうちに「独り」を選ぶようになり、独りでいる時間だけが「私的空間」となっていた。一度「正しさ」を決め、それに固執してしまえば、いちいち議論したり、悩む必要もないから楽ではある。けれど、それは人と繋がることを遠ざけ、また時折「正しくない自分」を刺す刃物にもなる。だから、明日からは、大変面倒かもしれないが相手の「背景」や「ニーズ」を知ろうとし、「私たち」を増やすことを意識していく。

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2026年08月21日

Posted by ブクログ

「はい論破」みたいなのが流行ったときに「論破なんてした方が負けだろ」と直観的に思ったのはローティ的な考え方だったんだなぁと。なぜか読むのにとても時間がかかった。「公正<フェアネス>を乗りこなす」の方が読みやすかったかも。表紙がかわいくて好き

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2026年08月31日

Posted by ブクログ

時宜を得た好著だ。

いま、なぜ「リベラル」がこんなに疎まれ、「権威主義国家」が幅を効かせるのかを、実にわかりやすく解きほぐしてくれる。

トランプ大統領のような「強い男」があらわれ、力による現状変更が国際社会で行われることを30年も前に「予言」していた哲学者がいたことも驚きだ。

おそらく「分断」はもうなくならないし、たったひとつの「正しさ」でそれを乗り越えることもできないだろう。

「目の前に、隣に、自分とはちがうひとが、同じ生身の身体を持ってそこにいる」ことにきちんと向き合うこと、そして「会話」を絶やさないことが、「バラバラな世界で共に生きる」術であるという主張に大いに納得。

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2026年08月12日

Posted by ブクログ

哲学者リチャード・ローティの思想を、言語哲学を中心に据えながら分かりやすく解説した一冊。ローティの生い立ちや彼が置かれていた社会状況にも触れつつ、重要な用語を一つひとつ丁寧に説明し、段階的にその思想へと導いてくれる。もちろん、それでも難解な部分は残るが、ローティが何を問題とし、どこへ向かおうとしたのか、その大筋はつかむことができる。

個人的に特に共感したのは、「終極の語彙」をめぐる議論と、それを絶えず再定義していくことの重要性である。私たちは、自分にとって疑うことのできない言葉や価値観によって世界を理解しようとする。しかし、それが「これ以上議論する必要はない」という、とどめの語彙になってしまえば、異なる価値観をもつ人との会話はそこで終わってしまう。

だからこそ重要なのが「会話の継続」なのだろう。社会には、簡単には分かり合えない問題がいくらでもある。完全に分かり合うことを目指すのではなく、分かり合えないからこそ会話を続け、その中で自分たちの語彙そのものを更新していく。考え続けるためには、自分が依拠する言葉や価値観を固定しないことが必要なのだという点が、とても印象に残った。

この一冊だけでローティを理解できるはずもない。しかし、その思想に触れ、さらに読んでみたいと思わせてくれる「入り口」としては秀逸な一冊だと思う。

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2026年08月12日

Posted by ブクログ

バラバラな世界でバラバラな人がバラバラにただいる、ということ。
自らも改訂され続け得るテキストとして(過去の言い訳を行う修正主義のようなものではなく)。

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2026年08月07日

Posted by ブクログ

私が本書を手に取ったのは、世界で進む分断や対立の潮流を乗り越えるためのヒントを得たいと考えたから。また、意見の異なる相手との対話をあきらめずに続けるためには、どのような姿勢が必要なのかにも関心があった。

その答えは、とてもシンプル。価値観の異なる相手を論破したり、自分の考えに変えたりすることではなく、互いの違いを認めながら根気強く対話を続けること。その積み重ねこそが、分断を乗り越えるための現実的な道筋であるという。このローティー哲学にどこまで共感できるかで本書への評価は分かれるだろう。

もっとも、ローティという哲学者を知らない人であっても、彼の対話を通じた共生のメッセージに同調する人はそれなりにいるだろう。価値観の違いをなくすことはできなくても、対話をあきらめないことはできる。本書は、分断が深まる現代社会において、その当たり前でありながら最も難しい姿勢の大切さに気づきを与えてくれるという点で、本書には価値がある。

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2026年08月03日

Posted by ブクログ

ローティの理解はできていなかったので入門として良かった コレからしっかりと読み込んでいきたい 本屋でキレイに陳列されており偶然であって嬉しい

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2026年07月20日

Posted by ブクログ

哲学者であるローティの考えをもとに、分断された現代を生きるための考え方について述べている本。

人によって何が「善い」と思うかは異なり、自分が「善い」と思うことを追求しようとすると、無自覚に相手を傷つけてしまうことがある。だからこそ、自分が「善い」と思う考えは変わりうるものだということを受け入れ、どうしかして相手と手を取り合えないか考えることで、相手と連帯出来る可能性が出てくる。という話は、自分が考える「善い」ことに固執しそうになる自分に対する、戒めとなる内容だった。

周りと自分の考え方の違いに悩んでいる人や、自分の中にある矛盾した考え方、感情に悩んでいる人におすすめの本。

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2026年10月10日

Posted by ブクログ

ローティは「正しさとは何か」という普遍的な答えを追求するよりも、人々が会話を続け、互いの痛みを想像しながら、少しでも残酷さを減らしていけばいいと考える

その問題意識も価値観を無理に統一する必要はないという考えも理解できるけど、詩や文学を読み、会話を続けることで「われわれ」を広げていく方法は、どうしても理想論に聞こえてしまう 価値観や利害が対立すれば、他者との共存よりも排除や支配を選ぶ人もいるから

現実の社会を考えるうえでは、ローティが重視する人々の共存を促す文化・共感のレイヤーと、社会契約説のように人間同士の対立を前提として共存を可能にするための制度・ルールのレイヤー、その両方が必要なんだと思った

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2026年09月17日

Posted by ブクログ

ローティによるナボコフの”ロリータ”の読み解きから”バザールとクラブ”の話にまとめていくところがとても印象に残った。

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2026年08月18日

Posted by ブクログ

リチャード・ローティの思想のことはよく知らず初めて触れた。
正直よく理解できていない部分が多いので、タイミングを見て要再読。

俗に言う『ポリコレ』の声が大きくなり権威主義的な様相を示してきている今、面白く読み進められた。
日常生活で言うと多種多様な界隈がゆるく重なり合っている現代、それぞれの『善い』とされるものが違う中では会話でゆるい紐帯をつくり共存することが必要なのかも。
パッキリと言い切る、分け切ることのできない状態を許容すること、ネガティヴ・ケイパビリティ

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2026年07月22日

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