【感想・ネタバレ】バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学のレビュー

あらすじ

わかり合えない他者を、敵にしないために。

分断が極まり、「正しさ」がSNSでぶつかり合う社会で、私たちは他者といかに語り合えるか。アメリカの哲学者リチャード・ローティは、共通の基盤なき世界でそれでも人が共に生きる可能性を問い続けた。その哲学から、分極化の時代を生きるための知的作法を鮮やかに引き出す。大好評だった『100分de名著 リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』』テキストを大幅改稿。死後に注目された「予言」や主著以外の発言にも光を当て、その思想の先進性をいま問いなおす。著者初の新書!

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Posted by ブクログ

めちゃくちゃ良かった。真理や本質といったものはなく、文化も個人も偶然の産物に過ぎない、という主張はすごくしっくりくるし、好みでもある。それを認識することでこそ手を取り合う事ができる、というのも素敵。そう思うと、個々人がフラットというか、一つの尺度で優劣がつけられる存在ではないという感覚が自然と湧いてくる。
この本を通して価値観が再記述されたと思うし、その過程は楽しかった。今後も自分の価値観を改訂に開き、再記述し続けるためにも、どんどん本(特に哲学書)を読んでいきたいと感じた。
丁寧で謙虚な語り口も好み。長過ぎないのも読みやすかった。5章はちょっと難しかった。
メタ(?)なところで行くと、今後自分が、「唯一の正しさ」を信奉している人に対して否定的になってしまいそう。そういう人も一つの「偶然の産物」として見られると良いが。

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2026年07月26日

Posted by ブクログ

良かった。書名(作者の意図)とは少しズレた読みかたをしてしまった感もあるのですが、とにかく良かった。

高校生くらいからずっと「(実際の世界と比べて)自分の世界はどうしてこんなに狭いのか」という違和感を温め続けていたのですが、手掛かりが見つかった気がします。

底本(元ネタ本)の「偶然性・アイロニー・連帯」を買って読みます。楽しみ。

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2026年09月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

とても面白かった。

トランプ現象の予言をしたということで再評価されたリチャードローティというアメリカの哲学者の考えを紐解いてくれる1冊。

柔らかい語り口で丁寧に説明されるので、難しいところもありつつ、とても面白く読んだ。

本質や普遍性に裏付けされた何かを求めるのではなく連帯を、という話では、人権が人間の普遍的な価値、としてしまうと、相手を人間と見做さない場合には人権がある存在として認めない、という現象につながりえるので、残酷な行為が行われることの予防線にはならない、というような指摘で、確かになぁ、と思った。人権は大事な人類の発明、概念だけれど、人権侵害だ!というときに、なんだかあまり有効な手ではないようにいつも感じていた。相手が人権など理解してないからやってきているわけで、それを言ったところで伝わらない、という虚しさ。

残酷さへの感性を磨きそれをブレーキとして働かせるために、頭で人権があるから、と考えるのではなく、小説やエスノグラフィーなど「正しくなさ」を内側から描いたものにふれ、他者と自分を近づけることを勧めている。

この部分では何年か前に読んだ「テヘランでロリータを読む」で、遠い国だと感じていたイランの女性たちが読み終わった途端、身近な存在、女性として(頭では知っていたけれど)本当に「感じられた」という強烈な経験を思い出した。

エスノグラフィーでは沖縄の女の子とたちのルポ「裸足で逃げる」で同じような感覚を得た経験があるので、本当にそうだよなぁ、と納得すると同時に、そのようなものに触れる努力や機会を持たない人には広がりにくい、という難しさもあると思う。

アイデンティティポリティクス、という言葉も最近ネガティブなニュアンスで使われれることが多いけれど、実際にはきちんと理解できていなかったことが整理されてとても良かった。
アイデンティティポリティクスのみで押し続けると、マジョリティにその論理を反転して利用されてしまうよ、そうすると激しいバックラッシュで議論どころじゃなくなるという警告で、これはアメリカのヴァンス副大統領が書いた「Hillbilly Elegy」を読んだ後の複雑な後味の悪さを思い出させた。

断言せず、文脈を丁寧に示しながらの解説で、わかりやすいのだけれど、付箋を貼ったところだけ読んでも内容が思い出せず、かなり前後を読み直して文脈を理解しないと内容が入ってこない本で、人とのコミュニケーションとは本来そうなんだよな、ということがそのまま実践されているような書き振りの、良い本だった。

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2026年08月21日

Posted by ブクログ

いろいろな言論が飛び交う時代に、
改めて「ことばづかい」について、
アメリカの哲学者リチャード・ローティの著作、
『偶然性・アイロニー・連帯』を軸に考察する。

「界隈化」とか「コクーン化」などと形容されて、
何かと分断が話題にはなるけれど、
もともと人類が一枚岩だったことなんていちどもない。

の現実は現実として受け止めて、
その状態にどのように継続性をもたせるか。

《終極の語彙》という考え方がいちばん印象に残った。
ことばや現象を固定してしまうことなく、
常に流動的に現実に即して受け止めること。
「わかる」「知っている」という楽な状態に安易に縋りつかないことが重要。

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2026年08月20日

Posted by ブクログ

死後十年近くを経た2016年になって「トランプ現象を予言していた」と再評価されることとなったアメリカの哲学者リチャード・ローティの思想の全体像について、主著の『偶然性・アイロニー・連帯』を中心に置いて解説し、分断や分極化が進む現代においてローティを読むことの意義を説く。NHK番組の「100分de名著」のテキストがもとになっているということで、例え話等もふんだんに盛り込まれ、平易な文章でとてもわかりやすい内容となっている。
リチャード・ローティについては、20年ほど前に大学の哲学の授業で触れたことがあり、もともと興味があったが、本書で改めてその哲学のアウトラインを理解することができた。自分や社会の「偶然性」を認識し、絶対的な<正しさ>を否定して、自身にとって重要な「終局の語彙」であっても改訂の可能性を肯定し、「リベラル・アイロニスト」として、小さなところから「われわれの拡張」としての「連帯」を目指すというローティの考え方には、自分としてもとても共感するし、この分断や分極化が進む「バラバラな世界」において、我々が「共に生きていく」ための大きなヒントがあると感じた。また、公共空間と私的空間の関係性についての「バザールとクラブ」の比喩も公私の区別が融解しがちな現代社会において示唆に富んでいると思った。そして、ルワンダ内戦における虐殺の事例等を通して、言葉の重要性についても改めて認識した。

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2026年08月10日

Posted by ブクログ

**本を読んだ理由**
- [[三宅香帆]]が推薦していたから

**この本を一言で**
- 普遍的な真理を共有できない人々が、バラバラなまま共に生きる方法を考える本

**本の要点3つ**
- 自分の価値観や言葉も歴史や文化によって偶然につくられたものであり、絶対的ではない。自分の正しさを改訂可能に保ち、小さな共感から連帯をつくる。
- 普遍的真理、哲学、宗教を公共的判断の絶対的根拠にすると、異なる背景を持つ人との会話を止める可能性がある。
- 言葉は現実を記述するだけではなく、人間の認識や行動を変え、現実そのものをつくる。

**自分への持ち帰り3つ**
- 家族であっても「心から理解し合うこと」を目標にしなくてよい。完全な理解がなくても、言い換えと交渉によって共同生活はできる。
- クラブとバザールの境界を意識して振る舞う。
- 自分なりの正しさは持ってよいが、常に改訂可能にしておく。

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2026年08月01日

Posted by ブクログ

世界が混迷を極め、先行きが見通せない世界が目の前にある。世界全体が、戦争を推し進めていく方向に進んでいるような気がする。停戦の合意を掲げながら、攻撃をしている。停戦を呼びかけても、意地でも戦争を続けている。力による現状変更を断行し、民間人の虐殺を伴う大規模な武力行使が続いている。それを世界の右傾化というべき時代かもしれない。世界は戦時下にある。そこにある分断と立場によって正しさが違っている。今の時代をどう見るのか?

ちょうど、そのどうしようもない時代の問題意識に、フォーカスした本があった。
そのバラバラな世界で、どう生きるのか?SNSで、世界は繋がっているのに、全く相容れないような対立があり、何を事実とみなすかという基準さえ、一致できなくなってきている。

「国民の総意」なるものが、共通の軸や極そのものが不明になり、言ったもん勝ちの状況にある。
アメリカの共和党支持者(保守、右派)と民主党支持者(リベラル、左派)という両極の間での分断が進み、対立が深まっている。トランプの強引なベネズエラ大統領逮捕、ホメイニ暗殺など好戦的で、自らの暗殺計画には怯えるというチキンハート的口撃。分断を煽ることで、自らの支持を集めようとする。ポリティカルコネクトネス(政治的正しさ)を振り翳して、分断を推し進めている。正しさを武器とする。そして、リベラルを徹底的に攻撃する。

第2次世界大戦以後の新たな世界秩序は、自由主義(リベラリズム)と民主主義という二つの理念、そしてそれらに根差した資本主義経済を体現したのがアメリカだった。アメリカは世界をリードした覇権国家だった、自国と自陣営の都合を圧倒的な武力によって諸外国に押し付けてきた超大国だった。そして、アメリカの凋落が誰の目にも明らかになり、バラバラに分断し、むき出しの力の存在感が高まる世界になってきている。バラバラなままで、一緒に生きていかねばならないという、現実に生きている。

なぜ、バラバラな世界に生きていかなければならないのか?
「個々の正しさ」の衝突が生まれる。かつて社会を一つに繋ぎ止めていた宗教や、国家・科学といった共通の大きな物語(絶対的な正しさの基盤)が機能しなった。基盤を失った結果、誰もが自分なりの正義やアイデンティティを掲げるようになる。特にSNSの普及は、似た者同士の意見を増幅させる一方で、異なる価値観を持つ他者を「敵」とみなして攻撃し合う〈正しさ〉の凶器化を加速させた。世界がバラバラになったのは、多様性が進んだからだけでなく、それぞれが自分の正しさで他者を殴り合うようになったためだ。

著者はいう「客観性や必然性、そして真理といった絶対的に確かな正しさはどこにもないとしても、私たちは正しさ、それ自体を諦める必要はない。」
著者は、リチャード・ローティの哲学を解説する。ローティは「アンチ哲学(反・伝統的哲学)」の旗手であり、同時に「対話(カンバセーション)の擁護者」として位置づけられている。
ある意味では、ローティは、トランプの出現を予言していたともいわれる。

西洋哲学は長い間、「客観的な真理」や「人間を超えた普遍的な正しさ」を追い求めてきた。ローティはこれを「自然の鏡(世界をありのままに映し出す鏡)」としての哲学にすぎないと批判し、そのような絶対的な基盤は存在しないと考えた。ローティはアメリカ独自の思想であるプラグマティズムを受け継ぎ、哲学を「真理の探究」ではなく、人々がよく生きるための「終わりなき会話」へと引き戻そうとした。

ローティは、 哲学の本質は、正解を出すことではなく、わかり合えない他者と「言葉を交わし続けること」になる。その対話を拒絶することは、バラバラな世界を固定するしかない。世界がバラバラになった時代において、哲学の役割は「何が正しいかを判定する基準」から「対話を途切れさせないための触媒」へと変化することになる。

ローティは、真理というべき正しさを追求することから、わかり合えない他者と「言葉を交わし続けること」という。そして、その解決する道は、というかワードは、連帯だという。 本書で強調されるのは、正しさの共有ではなく「他者の残虐さや苦しみに対する想像力」だという。「あの人も自分と同じように傷つく存在だ」という感覚を、言葉や文学、ジャーナリズムを通じて「われわれ」の範囲を広げるように拡張していくこと、それがローティの連帯の本質なのだ。

痛み、苦しみ、そして孤立の中で、共感力を呼び起こし、感受性を豊かにして、相手への共感、その力が、連帯だという。論破や排除が横行する現代において、会話を拒絶すれば残るのは暴力であり、
非‐人間化だ。人間は「誤りうるバラバラな存在」だからこそ、それでも共に生きていくために、意図的に「連帯」を作り出さなければ社会が崩壊してしまうという危機感を持つべきだという。

ローティの思想は「対話を開き続けよう」と呼びかけるが、これは「対話のルール」を重んじるリベラルな知識人層の理想論にすぎないのではないか、という批判がある。すでに聞く耳を持たず、他者を徹底的に排除しようとするマジョリティや極端な勢力に対して、「言葉づかいに気をつけよう」「会話を続けよう」と諭すことが本当に有効な抑止力になり得るのかという現実的な課題がある。

トランプの考えを改めることはできず、トランプに大統領を辞めさせることしか道はないようにも思える。トランプに連帯はできない。ローティは生前(1990年代末)、現代のポピュリズムやトランプ現象のような「強い指導者を求める大衆の分断」を予言していたことで知られている。

「揺るがない共通の足場など持たない、ばらばらで誤りうる私たちが、それでもどうにか共に生きていかなければならない、という端的な事実に向き合うこと」でしか、救いの道はないのだろうか。
ローティの目指した哲学、対話し続ける。会話し続けるという姿勢こそが、哲学のあり方だという提示は、避け難いバラバラの世界を繋ぎ止める一つの回答かもしれない。力の論理、そして力の増強と準備では、解決しないということだけは、ローティの正しさとも言える。

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2026年07月25日

Posted by ブクログ

哲学者ローティの歩みをたどりながら、「言葉」について考える一冊。

ルワンダでのジェノサイドから分かるように、言葉、語彙、ことばづかいというものが人の命を奪うことがありうること。
本質主義に囚われる限り、人権の概念すら「われわれ」と「やつら」を線引きし、攻撃してよいという正当化に繋がってしまうこと。
一方で人は自分や自分が使う言葉、自分を表す言葉(終局の語彙)には可塑性があり、常によりましな方に向かっていくことができること。
共感や感情を育む、それらに訴えるという意味で文学や報道の役割が決して小さくないこと。
対話というより、非言語コミュニケーションも含めた、会話を諦めないこと。

アイデンティティポリティクスの副作用についても触れつつ、よくある安易なリベラル批判にとどまらず、叫びをあげるまで耳を傾けることをしなかったマジョリティ構造について言及しているのが良かった。

様々な思想による分断の溝がますます深くなっているように感じられる世の中での自分の在り方を考えるのにとても良い一冊で、また折に触れて読み直したい。

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2026年07月18日

Posted by ブクログ

「分極化」「対立」が起こっているこの社会において、どのような態度で考えるべきかを、リチャード・ローティの哲学に沿いながら示唆してくれる一冊。

新書なのだが、結果的には、前に読んだ「〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす」がコンパクトになったバージョン(その分、正義と善構想のあたりの議論が省かれていて、逆に読みにくかったかもしれない。)。

この本で徹底的に問われているのが
「残酷さを避けること」
「そのために会話をすること」

複雑になってしまったこんな社会の中では、もはや何か一つの「善構想」に対して一致はできないのは自明だし、そもそも社会というものは何かの「善構想」で一致するようにはできていない。

だったら、みんなが避けるべきことを避ける、残酷さを避けるために「何とかやっていくしかない」というのが現実。

マイノリティの掲げるアイデンティティポリティクスは、批判を浴びている。(勿論、マイノリティがこうした方法でしか意見を訴えることしかできない状況に追い込むべきではなかったのは大前提。)
それは誰もが当事者であるべき政治の世界で、「会話」を断つ主張だから。マジョリティが黙らせられてしまうから。
⇒だからこそ我々は、「会話」をすべきなのである。
 何かに向けて正義を一致させるために戦うのでなく、互いの人間関係に対するバランス感覚を身に着けながら会話をすべきなのである。
 
 この主張と合わせて、ローティの9.11に対するアメリカのテロ戦争の消極的肯定の理由も述べられている。そもそも、道徳とは特定の集団で偶然一致した習慣的実践に過ぎず、マジョリティがそのように育ってきて、現在やろうとしていること。だからこそ、我々はマジョリティとしての責任をまず果たさなければならない。
 →要するに、キレイごとを言わずに現実に向き合え、現実と向き合って、そこで起こっている残酷さを避けるために自分の責任を果たせ、ということである。
 
 わが身を顧みてみると、確かにインターネット上の対立に腹が立つが、じゃあその主張をしている人たちと、「会話」はしてもないし、できない。彼らと折り合ったことがあるのか、と言われると、折り合おうとしたこともない。
 そう考えると、我々にかけているのは、「まともな人間関係のバランス」なんだと思う。「まともな人間関係」だったら、目の前の人となんとかやっていくために、相手が嫌なこと、自分が嫌なことを避けつつ、何とか折り合える地点をさがしながら、何とか一緒に生活していくことになるだろう。そうしたバランス感覚がかけた状態を常に見せられているからこそ、こんなにも息苦しい。
 
 まあ、そうなるのだったら、一番楽なのは、自分の見える範囲だけ、自分の接する範囲の人たちだけで、何とかやり合って折り合って生きていくことなんだと思う(=私的なクラブに閉じこもる。)。
 ただ、そうして生きている中で場外から、今まであんたがのうのうと生きてきたから、我々マイノリティが不利を被ってきたんだ、という言葉を浴びせられることもあるだろう(=公共のバザールに引っ張りだされる。)。
 結局のところ、我々はいやおうなしに公共のバザールに引っ張りだされるのだから、そこでは折り合いを探りつつ、私的なクラブで一息を付く、そうしたバランス感覚を持ちながら生きることが、この世界で「やっていく」ために必要なことなんだろう。
 
 ただ、Xは絶対にやめた方がいい。やめてから心の平穏が幾分か訪れました。

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2026年07月08日

Posted by ブクログ

組織で賃金労働者やってると、すごく既視感のある話題だな〜と思う。社会の中での人文知の実装をとても丁寧にやっているな印象。素晴らしい。
一つの用語をどこまで抽象度を上げて話すか?ということだけでもイデオロジカルな話だし。また、バザールとクラブの話も身に覚えのある人は多いのではないかと思う。親しい人の前では建前を取り払って語りたいものだからね。

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2026年06月27日

Posted by ブクログ

「私たち」という言葉づかいには、常に逡巡をともないます。そこには誰が含まれて、誰が含まれていないのだろう。最近そんな事をよく考えます。

本書を友人に薦める際、ポイントにしている事があります。「正しさ」で殴り合っている渦中の人には届かないとしても、「殴り合っていたかも…?」と顔が浮かんだ人には薦めようと。後者は案外周りにたくさんいます。私たちの周りはそれらでしか成り立っていないのです。
「どうせ」「やっぱり」と、シニカルで諦念に満ちた言葉を使う前に、彼ら彼女たちがどうしてその言葉づかいを獲得し捻り出したのか、思い浮かべながら会話を楽しみたい。自分の底に本書を置き、バランスを取るための支えにできると良いなと思いました。

話し方や言語化のハウツーは世の中に溢れすぎていて辟易しますが、言葉はつかさどると同時に手放し、人へ委ねるものです。その逆も然り。
私にとって、言葉づかいは回路そのものなのだと本書を通して考え直しました。自らの改訂と、再記述に耐えうるこれからの私たちのために、広く長く読まれる本であってほしいと願います。

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2026年06月07日

Posted by ブクログ

全てを理解できたとはとても言えないですが、非常に興味深い内容でした。
「虐殺の言語ゲーム」は衝撃的でした。忘れない。

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今生きている世界を少し俯瞰で見られるようになった。カメラをちょっとズームアウトする感覚。

他人を傷つけないために、伝えたいことをどう表現して伝えるか・どの言葉を選び取るかということに脳をフル回転させる時間が多いのですが、
言葉の選択肢は自分の努力次第で増やすこと・入れ替えることができる。
その為には他人と対話し、個々人のバックグラウンドから醸成された言葉に触れ、知ること。
そして他人の痛みを理解するために有効なのは小説を読むこと。

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2026年09月04日

Posted by ブクログ

リベラルなアイロニスト、自己の更新を続けるマインド。ひとつのテーゼに安住するんじゃなくて、考え悩み続ける姿勢。今読むべくして読んだ気がする。

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2026年08月31日

Posted by ブクログ

やっぱり哲学って難しい。筆者は噛み砕いてくれたけれど、それでも途中むむむ…となるところがあった
私はやっぱり分断されている状況がもどかしく、どうすればいいんだろうと考えていたのだけれど、ローティ哲学に少し興味がわいてきた。
”「正しさ」とうまくつきあっていくためにも「正しくなさ」にも目を向ける必要がある”というのは、いまの私にとてもしっくりときた。
また左派が承認の政治を求めたことでマジョリティが剥奪感をいだいしまうメカニズムにも触れながら、会話をしていくことを諦めない内容に勇気をもらえた

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2026年08月30日

Posted by ブクログ

前提として知識の少ない私には、難しい箇所も多く、もしかすると本書の半分も理解できていないかもしれません。

しかし、それでも気付かされることも多く、以下にまとめます。

1. 正しさを「見つける」のではなく、これからも「問い続ける」ことが大切
普遍の心理は、存在せず哲学者は「会話」を続けるのが使命である。そして、それは私たちにもあてはまり、「これが正しい」と決めつけるのではなく、「本当に正しいのか?」と疑い続ける必要がある。

2.公共性と私的性は異なって構わない
各人に本音と建前があるのは当然。むしろちゃんと「正しくないかもしれないこと」を口にしたり、行動できる私的な空間を確保しておくべきだ。

3.「私たち」を広げていく
正しさが多くなると、正しくない「ヤツら」が生まれる。もしくは、マジョリティの声ばかり注目されて、マイノリティは「いないもの」とされてしまう。
また、間違いを犯した人でさえ、「私たち」とみなすことで、私自身も同じような感情を抱いたり、行動を起こす可能性があると省みる機会になる。

4.「善」と「正義」は異なる
善=個人が良いと思うことと、正義=社会的に正しいことは異なる。その中で、善が異なる人々が正義を守っていくためには、会話を続け、相手の背景やニーズを知る努力をすることが大切。


私は、よく「正しさ」を武器に人を批判する癖がある。そうすると、皆何らかの「正しさ」から外れており、周りの人が敵に見えてくる。結果、無意識のうちに「独り」を選ぶようになり、独りでいる時間だけが「私的空間」となっていた。一度「正しさ」を決め、それに固執してしまえば、いちいち議論したり、悩む必要もないから楽ではある。けれど、それは人と繋がることを遠ざけ、また時折「正しくない自分」を刺す刃物にもなる。だから、明日からは、大変面倒かもしれないが相手の「背景」や「ニーズ」を知ろうとし、「私たち」を増やすことを意識していく。

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2026年08月21日

Posted by ブクログ

「はい論破」みたいなのが流行ったときに「論破なんてした方が負けだろ」と直観的に思ったのはローティ的な考え方だったんだなぁと。なぜか読むのにとても時間がかかった。「公正<フェアネス>を乗りこなす」の方が読みやすかったかも。表紙がかわいくて好き

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2026年08月31日

Posted by ブクログ

時宜を得た好著だ。

いま、なぜ「リベラル」がこんなに疎まれ、「権威主義国家」が幅を効かせるのかを、実にわかりやすく解きほぐしてくれる。

トランプ大統領のような「強い男」があらわれ、力による現状変更が国際社会で行われることを30年も前に「予言」していた哲学者がいたことも驚きだ。

おそらく「分断」はもうなくならないし、たったひとつの「正しさ」でそれを乗り越えることもできないだろう。

「目の前に、隣に、自分とはちがうひとが、同じ生身の身体を持ってそこにいる」ことにきちんと向き合うこと、そして「会話」を絶やさないことが、「バラバラな世界で共に生きる」術であるという主張に大いに納得。

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2026年08月12日

Posted by ブクログ

哲学者リチャード・ローティの思想を、言語哲学を中心に据えながら分かりやすく解説した一冊。ローティの生い立ちや彼が置かれていた社会状況にも触れつつ、重要な用語を一つひとつ丁寧に説明し、段階的にその思想へと導いてくれる。もちろん、それでも難解な部分は残るが、ローティが何を問題とし、どこへ向かおうとしたのか、その大筋はつかむことができる。

個人的に特に共感したのは、「終極の語彙」をめぐる議論と、それを絶えず再定義していくことの重要性である。私たちは、自分にとって疑うことのできない言葉や価値観によって世界を理解しようとする。しかし、それが「これ以上議論する必要はない」という、とどめの語彙になってしまえば、異なる価値観をもつ人との会話はそこで終わってしまう。

だからこそ重要なのが「会話の継続」なのだろう。社会には、簡単には分かり合えない問題がいくらでもある。完全に分かり合うことを目指すのではなく、分かり合えないからこそ会話を続け、その中で自分たちの語彙そのものを更新していく。考え続けるためには、自分が依拠する言葉や価値観を固定しないことが必要なのだという点が、とても印象に残った。

この一冊だけでローティを理解できるはずもない。しかし、その思想に触れ、さらに読んでみたいと思わせてくれる「入り口」としては秀逸な一冊だと思う。

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2026年08月12日

Posted by ブクログ

バラバラな世界でバラバラな人がバラバラにただいる、ということ。
自らも改訂され続け得るテキストとして(過去の言い訳を行う修正主義のようなものではなく)。

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2026年08月07日

Posted by ブクログ

私が本書を手に取ったのは、世界で進む分断や対立の潮流を乗り越えるためのヒントを得たいと考えたから。また、意見の異なる相手との対話をあきらめずに続けるためには、どのような姿勢が必要なのかにも関心があった。

その答えは、とてもシンプル。価値観の異なる相手を論破したり、自分の考えに変えたりすることではなく、互いの違いを認めながら根気強く対話を続けること。その積み重ねこそが、分断を乗り越えるための現実的な道筋であるという。このローティー哲学にどこまで共感できるかで本書への評価は分かれるだろう。

もっとも、ローティという哲学者を知らない人であっても、彼の対話を通じた共生のメッセージに同調する人はそれなりにいるだろう。価値観の違いをなくすことはできなくても、対話をあきらめないことはできる。本書は、分断が深まる現代社会において、その当たり前でありながら最も難しい姿勢の大切さに気づきを与えてくれるという点で、本書には価値がある。

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2026年08月03日

Posted by ブクログ

ローティの理解はできていなかったので入門として良かった コレからしっかりと読み込んでいきたい 本屋でキレイに陳列されており偶然であって嬉しい

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2026年07月20日

Posted by ブクログ

著者が出演しているYouTubeを見て、関心があったので読んでみましたが、自分の中に、新たな視点を与えてくれる、とてもいい本でした❗️

哲学は、なにか真理となる回答があると思い、その回答を探求する学問でしたが、回答が一つになったとき、会話は終わる。必要なのは会話を続けることではないか?といった内容でしたが、私には、なかなか全部は理解できなかった感じがしています…

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2026年07月11日

Posted by ブクログ

「アンチ哲学」の哲学者ローティから学ぶ「バラバラな世界で共に生きる」を読んだ。以下自分のために抜粋と要約。
共通の足場などないバラバラで誤りうる私たちが出来ることは、どうにか共に生きていかなければいけない、という事実に向き合うこと。
なんの根拠も保証もないが相手のことばに自分を委ねたり、時には手を携えたり、せめてお互いに降りかかる苦しみや痛みについて、それがとりのぞかれるよう願えること──それをローティは「連帯」と呼んだ。
必要なことは「自己の偶然性」の認識。自分が相手に影響されたり、相手が自分に影響されたりする可能性があると認識する。つまり、それぞれが変わりうる存在であり、必然に固執するのではなく偶然に開かれていることを確認する。そうやってお互いを改訂されることに対して開きながら、どうにかして時には手を携える。そこに、連帯の可能性や必要性が生まれくるのだとローティは言う。
バラバラな私たちは、だからこそお互いが必要で、そしてそのためにはそれぞれに異なる〈正しさ〉を踏まえて、それでもいっしょにやっていけるような仕組みと、そして個々人として都度のふるまいを考えていかなければならない。それは、どこまでも終わることのない営為だ。
 「リベラル」であるとは、そうした道なき道を一歩一歩たしかめながら歩もうとすること。その道を行く以上、絶対的な〈正しさ〉をわがものとして他者を裁くことはできない。むしろ自身や「われわれ」に向けられる、心地よいばかりではない反省とことばづかいの改訂をしていかねばならない。

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2026年06月27日

Posted by ブクログ

バラバラなわれわれは偶然の中で獲得する「終極の語彙」を更新し続けるしかない。「われ/なんじ」という関係性の中で。

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2026年06月25日

Posted by ブクログ

分断の時代といわれる昨今、何でもかんでも二項対立したがるから、政治的にも右とか左とか、経済的にも貧とか富とか、メディアも対立を煽って話題づくりするから世の中ギスギスしてきますね。じゃあ、どのように考えればうまく生きられるのか、というのがアメリカの哲学者リチャード・ローティが考えたことであり、その解説書が出ていたので読んでみた。

ローティは脱哲学を考えた人で、真理や本質を見つけることではなく、より現実的でより実際的な対応を考えた。個人個人が違うことを考えているのは当然だ。しかしそれを各自が主張したら喧嘩になる。相手を言い負かして黙らせるのは愚策だ。

個人が私的に考えていることは「偶然性」から生まれる。それが正義な訳ではなく個人的に都合が良いのは偶々そういう環境に生きてるからに過ぎない。他の立場であれば他の考えを持つはずだ。つまり偶然なのだ。

そして公と私の二つの顔がある。公では公の人として振舞う。私では個人的な考えを持っていても、公ではそれを出さないことが大事。当たり前だ。公私が同じだと裏表がなくて良いかのようなことを言う人もいるが、良いはずがない。SNSを私の場と勘違いして余計なこと言って炎上する人もいる。それは悪い例だ。だから公では社会のルールを守る言動をする。私では家族や親友とはリラックスして個人的意見を言う。

その意見は当然ながら人によって違う。自分の意見を公私使い分けて発信しながらも、常に俯瞰してみて他人の意見など聞きながらそれを表現する言葉づかいを見直したり、考え直したりすることが必要だ。それが「アイロニー」な態度。

相手とは対話や議論ではなく会話を通じて「連帯」していく。それが社会を大切にし仲間と繋がっていく態度となる。

分断の世界では、われわれとやつらという区分けをしたがりますが、われわれを細かく細かく分けていくのではなく、逆に拡張させていく必要があるんです。地球防衛軍のように全人類がひとつとなって、いや「プロジェクト・ヘイル・メアリー」のように異星人とも「われわれ」で繋がって連帯したら楽しそうですね。

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2026年06月24日

Posted by ブクログ

公共的なものと私的なものは統一すべきでないが、しかし統一すべきでないものとして1人の人間の中に同時に存在うる。
ことばの選び方は人間や社会にとって決定的に重要である。
アイデンティティに訴える「ことばづかい」が、論法として相手を黙らせ、会話を止めるものになるという点については、マイノリティ当事者が悪いのではなく、そのような状況に追い込むのは、いつだって会話の主導権を握っているマジョリティ側である。
会話を通じて「ことばづかい」を考える。相手を尊重できる表現が、多様化社会に対応していける一つの方法である。

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2026年06月14日

Posted by ブクログ

ゆる言語学ラジオで「バザール」と「クラブ」の話を聞いて気になり購入。
「われわれ」と「やつら」の対立がルワンダ内戦の例をもとに書かれていて本当に恐ろしかった。恐ろしく感じたのは、身近でも起こりうるとリアルに感じたから。会話を続けて「われわれ」を拡張しながら共に生きること。バラバラだとわかったうえで付き合っていこうと前向きな気持ちになれた。

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2026年06月09日

Posted by ブクログ

学校に行き、社会に出ると、自分とは異なる視点や考え方をもった人が多くいることに気づきます。

そして学生時代に学んだ、 絶対的な正解 というのは、この世に意外とないのだなと気づきます。

本書で取り上げる哲学者のリチャード・ローティは絶対的な真理を追求するよりも、人々が対話をしながら、より良い社会をつくることが大切だと言います。

つまり、真理は一つではなく、「対話によって育っていく」ということです。

私たちの社会がバラバラであることから目を逸らさず、正しさもバラバラであることを受け止めつつ、ただそれを冷笑したり嘆いたりするのではなく、それでもどうすれば共にやっていけるか、それを考え抜くことが大切だと、本書を通して学びました。

対話を通した平和な世の中が1番です。

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2026年06月08日

Posted by ブクログ

ローティによるナボコフの”ロリータ”の読み解きから”バザールとクラブ”の話にまとめていくところがとても印象に残った。

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2026年08月18日

Posted by ブクログ

リチャード・ローティの思想のことはよく知らず初めて触れた。
正直よく理解できていない部分が多いので、タイミングを見て要再読。

俗に言う『ポリコレ』の声が大きくなり権威主義的な様相を示してきている今、面白く読み進められた。
日常生活で言うと多種多様な界隈がゆるく重なり合っている現代、それぞれの『善い』とされるものが違う中では会話でゆるい紐帯をつくり共存することが必要なのかも。
パッキリと言い切る、分け切ることのできない状態を許容すること、ネガティヴ・ケイパビリティ

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2026年07月22日

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