講談社文芸文庫作品一覧
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3.5「海松」を超えた、究極の「半島物語」。東京を離れ、志摩半島を望む町で暮らし始めた中年女性。孤独な暮らしのなか、彼女がそこで見つめたものは? 川端賞受賞作「海松」を超えた、究極の「半島物語」。谷崎潤一郎賞、中日文化賞、親鸞賞受賞作! その春、「私」は半島に来た。森と海のそば、美しい「休暇」を過ごすつもりで――。たったひとりで、もう一度、人生を始めるために――。川端賞受賞の名作「海松(みる)」を超えた、究極の「半島小説」 顔を上げると、樹間で朝を待つものたちの気配がした。たぶんメジロやウグイス。どこに巣があるのかわからないが、葉擦れや枝のこすれとは違う音がする。寝覚めの脳に届いたのは身じろぎする鳥たちの気配だったのかもしれない。やがて、森のあちこちに青みを帯びた筋が差しこむ。樹間に広がる光の筋は、やがて明るい金色を帯びていった。途端に森の奥から、鳥の声がにぎやかに聞えてきた。なかに「リッカ、リッカ、ピイィ」と鳴く鳥がいる。そういえば、今日は立夏。東京から半島にきて、もう一ヵ月がたっていた。――<本文より> 第47回谷崎潤一郎賞受賞作 解説・木村朗子
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3.5私が漱石山房に出入したのは明治四十年から大正五年先生が亡くなられた時まで、十年間である。その間に私はただの一度も先生に叱られることがなかった。それは私が入門した時の事情から、先生がとくに私の神経をいたわって下さったということもあろうが、とにかく私は一度も先生から叱られたことがなかった。それで私は先生を恐いと思ったことがなかった。神経衰弱でいじけており、この偉い先生の前で畏まってはいたが、恐いと思ったことは一度もなかった。こんな優しい人が世にあろうかと先生の在世中も思いつづけたし、死後の現在でもあんな優しい人には二度と遭えないと信じている。(「世にも優しい人」) 漱石晩年の弟子の眼に映じた師とその家族の姿、先輩たちのふるまい……。文豪の風貌を知るうえの最良の一冊。
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3.5潜在的な<妻殺し>を断罪 江戸川乱歩の「パノラマ島綺譚」に影響を与えたとされる怪奇的幻想小説「金色の死」、私立探偵を名乗る見知らぬ男に突然呼びとめられ、妻の死の顛末を問われ、たたみ掛ける様にその死を糾弾する探偵と、追い込まれる主人公の恐怖の心理を絶妙に描いて、日本の探偵小説の濫觴といわれた「途上」、ほかに「人面疽」「小さな王国」「母を恋ふる記」「青い花」など谷崎の多彩な個性が発揮される大正期の作品群7篇。 清水良典 『小さな王国』のような政治小説も、探偵小説も、怪奇幻想小説も、足フェチ小説も、母恋い小説も、みんな谷崎文学という偉大な大樹の、大正期の枝に生った果実である。昭和に入って谷崎文学は急速に日本の伝統に近づき、大家として飛躍的な成長を遂げた。(中略)谷崎の大正期は、決して失われた時代ではない。むしろ作家谷崎が、全力を傾けて拡大と成長に努めた時代だったのであり、その土台が彼を「大谷崎」へと押し上げたのである。――<「解説」より>
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3.5「それは人間であることとなんの関係があるのか。」フランス・ルネサンス文学の泰斗が、宗教改革をはじめさまざまな価値の転換に翻弄されながらも、その思想を貫いたユマニスト(ヒューマニスト)たち――エラスムス、ラブレー、モンテーニュらを通して、「人間らしく生きようとする心根と、そのために必要な、時代を見透す眼をもつこと」の尊さを平易な文章で伝える名著。●大江健三郎氏による、本書の底本(講談社現代新書版、1973年)への推薦の言葉より〈この平易な小冊子にこめられているのは、先生が生涯深められてきた思想である。「人類は所詮滅びるものかもしれない。しかし、抵抗しながら滅びよう。」という言葉を見つめながら、先生はその抵抗の根本の力を明らかにしてゆかれる。〉 【目次】 1 ヒューマニズムということば2 ユマニスムの発生3 宗教改革とユマニスム4 ラブレーとカルヴァン(一)5 ラブレーとカルヴァン(二)6 ユマニスムとカルヴィニスム7 宗教戦争とモンテーニュ8 新大陸発見とモンテーニュ9 現代人とユマニスム
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3.31985年になされた最初の対談「オリエンタリズムとアジア」で、柄谷行人は「政治と離れた言説などはありえないということを、もう一度強調すべき時期にきて」いると言う。本書では、思想や芸術など多様な話題を次々繰り出しつつ、かならず世界そして日本はいかにあるべきかという問いかけに戻っていく。二人の知識人は縦横無尽に語り合うことを通して、読む者に思考と発言を続けることの重要性を訴えているのである。日本を代表する知識人二人が、自在に語りあった諸問題――解決にはほど遠くさらなる混迷に突き進む世界の現在を予見した、奇跡の対話集。目次オリエンタリズムとアジア昭和の終焉に冷戦の終焉に「ホンネ」の共同体を超えて歴史の終焉の終焉再びマルクスの可能性の中心を問う あとがき 浅田彰と私(柄谷行人)
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3.014歳の夏休みに、養家の盛岡を訪れ、そこで知った親戚の少女に淡い恋心を抱いた思い出を語る表題作。家を出て、大阪での芸者との恋愛・結婚の経緯を清新に描いた「妻を買う経験」等、自伝とフィクションを綯い交ぜに、流暢な文体と精妙な会話で、人の心の機微を巧みに描いた名作5篇を収録。明治、大正、昭和の文芸界を悠々と生き抜いた「馬鹿正直」で「一徹」で「涙脆い」、白樺派最後の文士・里見弴の真骨頂。 人の生の営みの機微を描いた心温まる短篇集――“最後の文士”里見は、94歳の最期まで現役作家として活躍した。抒情的で穏やかな、哀愁を帯びた感動を与える私小説の世界。読売文学賞受賞の表題作他6篇。
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3.02002年群像新人文学賞評論部門優秀作となった「神々の闘争――折口信夫論」を軸に、書き継ぎ推敲を重ねた論考が2004年にまとめられ、文芸評論家・安藤礼二の最初の単行本『神々の闘争 折口信夫論』となった。 その後の2008年に雑誌掲載された「『死者の書』という場(トポス)」という短い評論に作家・大江健三郎が目を留め、高く評価する。その出会いが2009年安藤礼二の『光の曼陀羅 日本文学論』(2016年に文芸文庫版を刊行)による大江健三郎賞の受賞につながっていく―― 折口信夫の文学と思想の源泉を探る問いかけは、やがて折口の生きた時代を共有した井筒俊彦、大川周明、北一輝、石原莞爾、西田幾多郎といった思想家たちの言葉を参照することにつながっていく。それは世界におけるアジア、アジアにおける日本を考えることにつながる。 第二次世界大戦以前の君主制日本、それは「天皇」の存在を抜きにして何かを考えることは不可能な時空間だが、そのような状況下での権力のあり様の本質を、昭和天皇の即位を契機に定義したのが折口信夫だった。 著者は論を進めるうち、やがて折口信夫の背後にある平田篤胤の神学の存在に至る。 折口信夫という孤高の文学者・思想家をその特殊性で理解するのではなく、つねに普遍性を備え同時代に生きて闘う存在ととらえる本書は単行本の刊行から20年を経て、新たに戦争状態が世界を覆っているかのように見える現在こそ読まれるべきなのかもしれない。 知られざる折口信夫の姿――衝撃のデビュー作 本書は、あたかも「本格探偵小説」を読むような、スリリングな読書時間を味わわせてくれる。 あちこちにちりばめられた、細かな謎の集積とその解明。もちろん真犯人は最初からわかって いるはずなのだが、本書を読み終えたとき、その「真犯人」の姿は、まったく違って見えてくる。 ――斎藤英喜「解説」より 目次: 第一章 神々の闘争――ホカヒビト論 第二章 未来に開かれた言葉 第三章 大東亜共栄圏におけるイスラーム型天皇制 第四章 戴冠する預言者――ミコトモチ論 第五章 内在と超越の一神教 あとがき 初出一覧 補論 『死者の書』という場(トポス) 著者から読者へ 解説 斎藤英喜 年譜 著者自筆
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3.01969年に「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」が第12回群像新人文学賞評論部門当選作となり、文芸評論家としての執筆活動をスタートした柄谷行人氏は様々な相手と刺戟的な対話をおこなってきた。本書ではこのうち気鋭の文芸評論家として活躍していた1970年から『探究』連載開始前年の1983年になされた7篇を精選。現在は思想家としての執筆・発言が主な活動となっている柄谷氏が当時どのような知識人に関心を抱き、どのように語ってきたかあらためて知ることは、現代の社会を行きていくうえでも重要な道標となるであろう。柄谷ファンに限らず、知的刺戟を求める読者必読の書。 第一弾は、吉本隆明、中村雄二郎、安岡章太郎、寺山修司、丸山圭三郎、森敦、中沢新一。
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3.0「凡庸さは金になる。それがいけない。何とかそれを変えてやりたいと思い悩みながら、何世紀もの時間が無駄に過ぎてしまった」――28年間の会社員生活を終え自由の身となった小説家。並外れた美貌を持ちながら結婚に破れた女優。「鳥獣戯画」を今に伝える高山寺を興した高僧明恵。父親になる三十歳の私。恋をする十七歳の私。時を超え、主体を超え、物語は旋回していく。語りの力で何者にもなりえ、何処へでも行くことができる小説の可能性を、極限まで追い求めた谷崎賞作家最大級の野心作「鳥獣戯画」。単行本未収録の傑作短篇「我が人生最悪の時」を併録。自筆年譜付きの決定版。
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3.0はかなく取りとめない日常の中に現代の至福を描き出す長篇小説。家族を愛し人生を慈しむ――丘の上に住む作家一家。息子たちは高校生・大学生になり、嫁いだ娘も赤ん坊を背負ってしばしばやってくる。ある時から作家は机の前に視点を定め、外に向いては木、花、野鳥など身近な自然の日々の移ろいを、内では、家族に生起する悲喜交々の小事件を、揺るぎない観察眼と無限の愛情を以て、時の流れの中に描き留めた。名作『夕べの雲』『絵合せ』に続く充実期の作家が、大いなる実験精神で取り組んだ長篇。 ◎庭に来る鳥や、庭の樹木から書き起こされる章が多いが、人の心が自然現象のなかに融け、照らし出されているように感じられる。八章には、「四十雀が飛び立ったあと、水盤の水に映った空が揺れている。」という小景描写があった。水面が揺れているのではなく空が揺れている。こんなところを読むと、今、見ているような気がする。昭和の小説には、このような豊かさがあった。<小池昌代「解説」より>
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3.0二つの国と二つの言語。夭逝した芥川賞作家の内面の葛藤を描く長篇小説――若くして亡くなった、在日韓国人女性作家。日本で生まれ育ち、韓国人の血にわだかまりつつも、日本人化している自分へのいらだちとコンプレックス。母国に留学し直面した、その国の理想と現実への想い。芥川賞作家の女の「生理」の時間の過程を熱く語る長篇と、「私にとっての母国と日本」という1990年にソウルで、元原稿は直接韓国語で書かれた講演を収録。 ◎アイデンティティを追求した李良枝の私小説は、「目に見えない」心のミステリーを解明しようとした鮮烈なテキストなのである。日本から、見知らぬ「母国」へやってきた「刻」の主人公は、だから、母語ではない母国語の文字の前で落ち着きを失う。その「私」の1日においては、だから、一刻一刻、親近感と距離感の間で心のゆらぎを覚えて、最終的には選ぶことができないのだろう。<リービ英雄「解説」より>
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3.0関東大震災の混乱のなか亀戸事件で惨殺された若き労働運動家は瑞々しくも鮮烈な先駆的文芸作品を遺していた。 知られざる作家、再発見 関東大震災の混乱のなか亀戸事件によってわずか三十四歳で非業の死を遂げた労働運動家・平沢計七。 彼は少年時から鉄道会社の大工場で労働現場に立ち、やがて労働組合活動に入っていったが、その短い生涯で、瑞々しくも鮮烈な文芸作品を遺していた。 短篇小説十三篇、戯曲七篇と評論・エッセイ七篇を精選し、知られざる先駆的作家に再び光をあてる。 祖国の手で打砕かるゝか、 民衆の手で打砕かるゝか 死を予想しえた若き労働運動家、 その知られざる文学的航跡。 大和田 茂 平沢は日々の労働運動や社会運動の中で、数々の軋轢、暗闘、分裂をいやというほど味わってきた。なぜ、人々は階級的憎悪をもってテロリズムに走るのか、なぜ思想のちがいや意見対立、すなわち小異を捨てて大同団結できないのか。彼にとって、革命は遼遠の彼方であった。(中略)平沢はさらに労働者の意識に下降しようとしていた。彼は指導者意識が強かったが、一方では小説、戯曲、講談などで人々の内面にわかりやすく訴えかけていこうとした。「解説」より
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3.0なぜ忠臣藏は人気があるのか。『たった一人の反乱』の作者が、あのたった47人の反乱の謎を解明し、忠臣藏論のパラダイムを変革した、文芸評論の名作。野間文芸賞受賞作。
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3.0対照的な文学的軌跡をたどりながら、最終的にはともに自死を選んだ芥川龍之介と太宰治。「近代的自我」の問題を問うた福田恆存が、その問題意識から二人の傑出した作家に見出したものは何だったのか。初期の作家論を代表する「芥川龍之介I」をはじめ、戦後に書かれた「芥川龍之介ll」、太宰の死の前後に書かれた二つの評論を所収。独自の視点で描かれた傑作文芸評論集。
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