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初期作品世界デビュー作「ガラスの靴」芥川賞受賞「悪い仲間」「陰気な愉しみ」他、安岡文字一つの到達点「海辺の光景」への源流・自己形成の原点をしなやかに示す初期短篇集。幼少からの孤立感、“悪い仲間”との交遊、“やましさ”の自覚、父母との“関係”のまぎらわしさ、そして脊椎カリエス。様々な難問のさなかに居ながら、軽妙に立ち上る存在感。精妙な“文体”によって捉えられた、しなやかな魂の世界。
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Posted by ブクログ
◼️所感 安岡章太郎は戦中戦後の不可解な事件や一貫しない世論から世の中はよく分からんものだと悟ったらしい。それと同時に自分の内面に関心が向ったようで、今まで無意識だった感情を観察することで、はっきりと自分を認識出来るようになったとか。これを「自己認識というあそび」と表現しており、遊びと言えるぐらいの...続きを読むめり込んだのだろう。だからこそこの小説ような深く密度の濃い内面描写が出来るようになったのだと思われる。これを見習って「自己認識というあそび」を自分も実践してみたくなった。 またもうひとつ安岡章太郎の面白いところは自己認識として意識される感情がだいたい自己嫌悪や劣等感に偏っている点。ただそれらは、だから自分は駄目なんだ、みたいに悲観的に捉えるわけではなく、ニュートラルにこういう感情がよぎった、とだけ捉えられている。だからこそ読んでて悪い気はしないしユーモアとして読み進めることができる。これが非常に面白い。普遍的で仏教的な感じもする。 ◼️メモ 「第三の新人の定義」 ①外部の世界も、高遠かつ絶対なる思想も、おのれのうちの気分の高揚も信じないこと。 ②おのれが優等生でなく、おのれの自我が平凡であり卑小であることを認めること。 ③大方の私小説作家のように、深刻ぶった思いつめた顔つきをしないこと。 ⇒戦後に現れた第三の新人と呼ばれる人の特徴は上記の3つらしい。そしてこの原型が安岡章太郎であるとか。確かにこの3つがちょうど安岡章太郎の魅力を表している。 「戦後の混乱や流言で世の中は不可解と感じた。」 「世界は不可解だが、不可解なものだと悟った。」 「同時に自分の内面に目が向くようになった。」 「自己認識という面白いあそびを覚えた。」 ・戦時中から戦後の混乱期にかけては、生きることに忙しく、文学に心を傾ける余裕はなかった。もっとも戦後の混乱期は、言論思想の解放期でもあったから、すでに自己形成を了えていた人たちは、この時期、いっせいに活躍しはじめたわけだが、私たち未熟な者にとっては、文学どころか新聞一つ読んでも戸惑わされることが多く、何をどう考えていいかわからなかった。〜〜、何にしても、この頃起った三つの怪事件は、いずれも真犯人は上らぬままに終ったが、私自身はこの頃から、かえって世の中の不可解なことが不可解なりにわかってくるように思った。 ・同時に私は、自分の内部に眼を向けて、これまで無意識に見過ごしてきたことを、あらためて意識的に捉え直してみるようになった。すると、自分という者が、これまでとは違ってハッキリと見えてくるような気がしてきた。この発見、というか自己認識は、私としては初めて知った面白いあそびであった。〜〜。この自己認識というあそびを覚えると私は、それまでの反現実主義の小説論は馬鹿ばかしいものに思われてきた。実際、小説を書くためにわざわざ架空の自己など設定しなくとも、自己というのはそれ自体が架空と見えるほど奥深いものであって、それを探ることは生じっかな小説を書くことよりも、もっとずっと小説的な作業ではないか。 ⇒自分の外には依るべき確かなものはないと悟った点や自分の内面を掘り下げて観察する方法などに仏教っぽさを感じる。本人はそんな気ないだろうけど。 ⇒実際に自分が感じたという確かな土台があるからこそ、内容に薄っぺらさがなく読み応えがあるように思う。
昭和26年から昭和29年(西暦でいえば1951年から1954年)にかけて発表された、全13編からなる初期短編集。 このうち「陰気な愉しみ」と「悪い仲間」が芥川賞受賞作。 クセがあるようでないようで、解説にも書かれていたが非常にニュートラルで読みやすい文体を書く人だな、と思う。 かなり以...続きを読む前の作品であるから、使われている単語や歴史的な背景には古臭いものもあるのだが、その文体だけはとても現代的。 思うに当時にこの文体を読んだ人は、確かに「モダンな文体だ」と思っただろう。 殆どの作品の根底に横たわっているのは「自己嫌悪」であり「罪悪感」であり、「自己憐憫」であるように思える。 脊髄カリエスで苦しんでいる間、ずっと自己を見続けていた結果なのかも知れないが、これらの心理描写が非常にたくみで、まるで目の前に「ほら、こんな感じでしょ」とまざまざと披露されているように思えてくる。 その都度その都度、点としての心理描写もさることながら、心理の変遷というか、ゆるやかな変化や突然の豹変の様など、まるで読者である自分自身の心理が、作品と同期を取られるが如くコントロールされているように思えてしまう。 私小説のようでいて、僕が私小説から受ける閉塞感みたいなものはあまりなかったように思う。 作者自身が解説の中で「実際、小説を書くためにわざわざ架空の自己など設定しなくとも、自己というのはそれ自体が、“架空”と見えるほど奥深いものであって、それを探ることは生じっかな小説を書くことよりもずっと小説的な作業ではないか」と書いているように、そこには作者自身というよりも、もう一つ上のレベルに立った状態で自分自身を見つめたうえでの「自己」を書き写したように感じる。 だから、そのニュートラルな文体と相まって、息苦しさを感じずに済むように思える。 いずれにしても、とても面白く読み進めることが出来た。 名前は以前から知っていたのだが、遅まきながら今回初めて読んだ作家。 今年の初めに鬼門に入ってしまった作家。 もっともっと早く読んでおくべきだった作家。 遅まきでもいいから、他の作品もぜひ読んでみたいと心から思わせてくれる作家。 そんな作家に出会えたことに感謝している。
もちろん内容は現代向きではないけど、第三の新人と言われた人なだけあって、現代作家さんにも見られる文体や作風を感じることができる。暗い中になんとも可笑みのある気の抜ける表現はとても面白くセンスの塊だと思った。
自分は小説を読むのが好きですが、選り好みが激しいです。 たとえば、戦後の作家ですと、「第一次戦後派」「第二次戦後派」と呼ばれる作家たちは結構つまみ食いしてきましたが、その後に登場した「第三の新人」はほとんど手付かず。 小島信夫を少し齧ったくらいです。 第三の新人を飛ばして「内向の世代」は古井由吉さん...続きを読むが大好き。 大江健三郎以降は割と万遍なく目配りしていて、近年もきっかけがあれば手に取ってきました。 ただ、文壇で重要な地位を占める作家も含め、取りこぼしがかなり多いです。 端的に言うと、系統的な読書をしてこなかったということですね(そんな読書は不健全なので向後もするつもりはありませんが)。 ただ、食わず嫌いは避けたい。 食指が動けば、いつでも読もうという気持ちはありました。 で、先年、村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」を読み、第三の新人たちの作品の魅力に触れて俄然、興味が沸きました。 前置きが長くてすみません。 というわけで、まずは安岡章太郎。 本書は安岡の初期作品を集めた短編集です。 初めて読みましたが、今読んでも色褪せない。 石原慎太郎流に言えば、アクチュアルなものを含んでいるな、と感じました。 それはどこに依拠するのかと考えて、登場人物ではないかと思いました。 本書に収録されている作品の主人公は、今で言えば、「負け組」に分類される人たちでしょう。 しかし、そのことを主人公たちは悲しんでもいなければ、逆に楽しんでいるわけでもない。 非常にニュートラルに現実を受け入れているのですね。 その構えが現代的(都会的とも言えるかもしれません)ですし、作品としても間口の広さにつながっていると感じました。 個人的には安岡の初期の代表作とされ、表題にもなっている「ガラスの靴」や「悪い仲間」も良かったですが、「愛玩」や「剣舞」が気に入りました。 愛玩で仲買人が兎を始末するシーンは、静かに戦慄したものです(中上健二の作品にもあんな場面があったような…)。 ちなみに、現在、純文学のジャンルで活躍している作家の多くは、この第三の新人の系譜を好むと好まざるとに関わらず引いているのだとか。 戦争や天変地異など大状況の変化がない中、文学は洗練へと向かわざるを得ません。 平凡な日常の中に題材を見つけ、人間の本質に迫る現代作家の作品を随分と読んできましたが、その端緒が安岡ら第三の新人にあるのだと言われれば、なるほどと得心します。 なお、個人的な見立てでは、東日本大震災後、震災の記憶を携えてものを書き始めた作家は、後年、「震災後派」と呼ばれるようになるのではと見ていますが、今思い浮かぶのは、先年、芥川賞を受賞した沼田真佑さんくらいで、まだ塊とはなっていません。 もう少し時間がかかるかもしれませんね。
# ガラスの靴・悪い仲間 戦前戦後の雰囲気が味わえる。 今と変わらない人々が暮らしていたんだなあと。 いい文章。 ## ガラスの靴 ファンタジーの時間は終わる。それも外的な力により強制的に。 シンデレラのガラスの靴のように残されたかのように見えた時間も、あっという間に割れて消える。 素直に読める...続きを読む。青春。 戦後すぐの話。 ## ジングルベル 父親の就職の世話をする話。 終戦直後。 ## 宿題 小学生時代の思い出。 夏休みの宿題をやらずに学校に行けなくなる。 戦前。 ## 愛玩 ダメ父親の話。毛を売るためにウサギを飼育するがうまくいかない。 終戦直後。 ## 蛾 耳に蛾が入る。 戦後かなあ? ## ハウス・ガード 米軍に接収された、ボヤで半分焼けたままの家の住み込み管理人となる。 終戦直後。 ## 陰気な愉しみ 野毛山の役所に戦傷者慰労金をもらいにいく。 終戦直後。 ## 悪い仲間 大学予科に通う少年が友達とささやかな悪行を繰り返すが、こんなことばかりはしていられないと気付き、迷いながらも抜け出す。 素直に読める。青春。 開戦直前の話。 ## 剣舞 ダメ父親の話。父親にハウス・ガードを紹介するもうまくいかない。 終戦直後。 ## 勲章 終戦直後、勲章と交換に米兵からタバコをもらう。 ## 築地小田原町 悪い仲間に似ている。 ## 吟遊詩人 メリヤス問屋でろくな働きもしていないが、なぜか社長の親戚と見合いをし、気に入られる。社歌を作った。 戦後かなあ。 ## 王様の耳 自分の内にいる卑怯者は自分だけが知っている。友人を戦地に送り、自分は残る。 開戦直前。
個人個人の、意地・悩みをかいている本。本人は、どうしようもないくらい大きな問題として考えているけど、他人からは(読者の僕)ぜーんぜん、どうでもいい意地・悩みを抱えている。 けど、これこそ、僕自分自身のテカセ足枷になっている、根本のもののようなきがして、気付きがありました。
芥川賞受賞作「悪い仲間」「陰気な愉しみ」などがおさめられた短編集。暗くどんよりとした空気を感じるのだけど、主人公自身の心の中の迷いからきているものなんだろうと思う。 理由はうまく言えないけど、好きな作品。
「ガラスの靴」「陰気な楽しみ」「悪い仲間」他計13編収録。戦後数年間の混沌とした時代に青年の憂鬱な生活。とは言え自暴自棄ではなく、人に気を使う面を失ってはいない。2025.3.16
うーむ時代の違いか 戦後すぐのウェットな感じで、現代の例えば『コンビニ人間』が人間を描くというのと違う次元の印象を持った
昔は大好きだった安岡章太郎 でも今はあの頃の熱狂はない きっと私が自分嫌いとか劣等感を克服したからだと思う もう自分が大嫌いで殺してしまいたいくらい憎かったときに、安岡章太郎の小説は「俺だって同じだよ」って言ってくれている気がして励まされた そんな人に読んでほしい
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ガラスの靴・悪い仲間
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安岡章太郎
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