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Posted by ブクログ
安岡章太郎の「質屋の女房」に収録された短編たちがフレッシュだった。小島信夫がこの文庫の解説で「ガラスの靴」について書いている「新鮮」さとは少し違う意味で。
それぞれの短編で描かれる、戦争、徴兵までの、童貞喪失、“男”になるまでの、決めかねる将来までの、あるいは占領下、“戦後”という時代にあったモラトリアム。そこには熟れる寸前に残った青さのようなギリギリのフレッシュさがあった。
モラトリアムは猶予された期間ではあるけれど、そこには気楽さや安心感、希望よりも「漠然とした不安の未来」「前途には悲惨なものが待っている」という思いが渦巻き不安や焦燥感が募る。それでも、周りが動いたり決めたりし始めるなか、なにも決められないまま動き出せないまま『相も変わらず』過ごすうちに時間や時代や他人が前途や未来、将来を”決めて“しまったとき、猶予期間が終わったと「そうわかった瞬間」「ふと安堵に似た溜息がもれ」る。ああ、モラトリアムとはそういうものだった。と感傷的に昔を思い出し、わたしも素晴らしい小説を読んだことに感傷が加わった溜息をもらす。
しかし”大人“に父になったことで、時代が変わったことで、そして母親の死(を実感する様を描いた「海辺の景色」は本当に傑作)によって終わったはずのモラトリアムは最後の「家族団欒図」「軍歌」という二篇で父親の姿をして帰ってくるのだった。ああ、そうか。モラトリアムという期間は、若者だけのものではなかったのか。先の予定や期限が切られた決断、作らなくてはいけない金や時間、生きている限りある、将来や未来。幾つもの猶予と不安と焦りが人生には常にある。わたしにはある。今もある。それらを抱えながらも、決めたり決められなかったり、動いたり動かなかったり、右往左往や思い悩みながら、(わたしの人生では)多くは時間に押しつけられるように訪れるモラトリアムとその終わりがこの短編集のように繰り返される。そして何度も安堵に似た溜息を漏らす。そうやって人生は続いていくのか、ともう一度溜息が漏れたのだった。
安岡章太郎の書く小説はその時代的には「遠い」のだけれど、そこで主人公が起こす、あるいは起こせない行動、感慨や思い悩みは普遍的というか、わたしに「近い」と思ってしまえるのだった。そして安岡章太郎も小説がめちゃくちゃうまい。毎回、うまい素晴らしい小説を読む喜びと一緒に、自分を省みたり気がついたり、人生を思ったりしてしまう。ちょっと落ち込んだりもするけれど、やはり素晴らしい読書体験なのだった。
Posted by ブクログ
学生時代(出征前)を描いた作品が一番多く、終戦直後がひとつ、戦後10年以上経った時代を舞台にしたものが2つ。芥川賞受賞作を含む。
発表された時期はバラバラ。安岡章太郎の代表作を集めたと言っていいだろう。
「ガラスの靴」は恋愛(それも未熟な恋愛)小説の傑作。若さと才能だけではなく、あの時代に生きていたからこそ書けた。今の上手い作家が同じ時代を舞台にしたところで、これは絶対に書けない。「待つことが、僕の仕事だった。」忘れられない。
代表作だけあって、どれも良かったし、戦争中に浪人していた、母に愛された取り柄のない一人っ子の気分というのは、彼だからこそ書けたと思うが、自分が中年となり、かつては不在ながらも存在感と威圧感のあった父が老いた姿を描いた最後の2作も素晴らしい。
もっと読みたい、安岡章太郎。
Posted by ブクログ
慶応大学在学中に結核を患い、戦後、脊椎カリエスを病みながら小説を書き始めた著者が、世間に対する劣弱意識に悩まされた経験をベースに綴った10編から成る短編集。
戦中、戦後を哀しく、無器用に生きた学生の自堕落で屈折した日常をユーモアも盛り込んで描く。
標題作「質屋の女房」は、戦時中、外套を質屋に持って行った学生と質屋の女房との関係を甘酸っぱく余韻を含ませて描いたもので印象に残った。学徒出陣で召集令状が来たその学生にとって一度きりの秘め事が結果的にはなむけとなったのだった。
「ガラスの靴」は猟銃店で夜番をしている「僕」が散弾を届けに行った米軍軍医の屋敷で出会った風変わりなメイド・悦子との間に生じた特別な時間が生々しく描かれている。
この他、兵役で病気になり、月に一度生活費をもらいにいく男の屈折した感情、厳格な母親を怖れ、呪縛を感じながらも反発する男子学生や悪徳仲間と現実逃避に終始する学生たちの姿を描く作品が盛り込まれている。
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