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オスカーワイルド
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド。アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。
ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)
by ワイルド、仁木 めぐみ
芸術家は美しいものを創造する。 芸術に形を与え、その創造主を隠すのが芸術の意図である。 批評家とは、美しいものから受けた印象を、別の手法や新しい素材で伝えることができる者である。 自伝の形をとるのは、批評の最高の形式であり、最低の形式でもある。 美しいものに醜い意味を見いだす者は汚れていて魅力がない。その行為は間違っている。 美しいものに美しい意味を見いだす者には教養があり、彼らには希望がある。 美しいものに美しいという意味しか感じない選ばれた人々なのだ。 倫理的な本というのも倫理に反する本というのもこの世には存在しない。本には、よく書けているか、よく書けていないかのどちらかしかない。 十九世紀が写実主義を嫌悪するのは、キャリバンが鏡の中に自らの顔を見て怒るのと同じである。 十九世紀がロマン主義を嫌悪するのは、キャリバンが鏡の中に自らの顔が映っていないといって怒るのと同じである。
「そうか、じゃあ教えてやろう。どうしてドリアン・グレイの肖像画を発表したくないのかを説明してくれ。本当の理由をきかせてほしい」 「本当の理由ならもう言ったよ」
「ハリー」バジルはヘンリー卿の顔をまっすぐに見つめて言った。「気持ちをこめて描かれた肖像画というのはみなモデルではなく、それを描いた画家の肖像なのだ。モデルは偶然のきっかけにすぎない。画家の筆によって描かれるのはモデルではない。カンバスに色をもって描かれるのは、むしろ画家本人なのだ。僕がこの絵を発表したくないのは、自分の魂の秘密をこの絵に描きこんでしまったのではないかとおそれるからだ」
「簡単な話なんだ」短い沈黙の後、画家は言った。「二ヶ月前、ブランドン夫人のところのパーティーに行ったが人でごったがえしていた。ご存じの通り、我々貧しい画家も時々社交の場に顔を出さねばならない。野蛮人ではないと世間に認めてもらうためにね。夜会服を着て、ホワイト・タイをすれば、いつか君が言っていた通り、誰だって、株屋だって、洗練された人間だという評判を得られる。そう、部屋に入って十分ほどしたとき、着飾りすぎている巨体の貴族の未亡人や退屈なアメリカ人なんかと話していたんだが、不意に誰かの視線を感じた。ちょっと振り返り、そして初めてドリアン・グレイを見たんだ。目が合った途端、自分が青ざめていくのがわかった。奇妙な恐怖に襲われたんだ。今目の前にいる男の魅力はあまりに強烈で、抵抗しなかったら、その魅力に僕の性格も魂も、僕の芸術そのものまでも、すべて飲み込まれてしまうだろう。それがわかったんだ。
「良心と臆病は本当は同じものさ、バジル。良心の方を看板にしているだけだ。それだけのことさ」
た。「彼女は客という客の素性をあばきたてたのだろう。以前に僕は彼女に、星章とガーター勲章に埋もれている 獰猛 そうな赤ら顔の老紳士のところへ連れていかれ、あのおそるべき部屋にいる全員にはっきりと聞こえるささやき声で、驚くほどこまごまとした身の上を述べたてられたのを今でも覚えているよ。とにかく逃げ出したよ。僕は自分に合う人間は自分で見つけたい。しかしブランドン夫人はまるで競売人が出品物を扱うみたいに客を扱う。ずばっとすべてをばらしてしまうか、さもなければ我々が知りたいこと以外のあらゆることを教えてくれる」
ホールワードは首を振った。「君には友情というものがわからないんだ、ハリー」とホールワードはつぶやくように言った。「あるいは憎しみというものもね。君は誰のことも好きだ。それはつまり、誰に対しても冷たいということなんだ」
「いや、冗談だよ。しかしどうしても身内は好きになれないんだ。人間はみな自分と同じ欠点を持つ者に耐えられないものだからじゃないかな。イギリスの一般大衆が、いわゆる上流階級の悪徳と呼ぶものに激しい怒りを感じる気持ちはよくわかるよ。大衆は飲んだくれることや愚かさや不道徳を、自分たちだけの領分にしておきたいのだろう。だから我々が笑いものになるようなことをすると、自分たちの猟場を荒らされたように感じるのだ。かわいそうなサザークが離婚裁判になったとき、大衆の憤慨ぶりといったらすばらしかったね。だからといって、ちゃんとした生活をしている者は労働者階級の一割もいないと思うよ」
すべてを知っている博識家──それが現代では理想とされている。しかしすべてを知っている博識家の頭の中ほど救いようのないものはない。まるで骨董屋みたいにほこりをかぶったガラクタばかりで、すべてに実際の価値より高い値がつけられている。やはり先に飽きるのは君だと思う。ある日君は友人を見て、彼の姿がどうも絵にならないとか、色艶が気に入らないとか思うだろう。心の中で彼を厳しく非難し、彼が君にひどくいやな態度を取ったと真剣に思うだろう。次に彼がやってきたときには、君は完全に冷淡な態度を取る。とても残念な話だろうが、君はすっかり変わってしまうのだ。君の話はまさに一つのロマンスだ。芸術のロマンスと言ってもいいだろう。そして最悪なのは、どんなロマンスにおいても、当事者は最後には全くロマンティックでなくなるということだ」
なぜなら美は何の説明も必要としない。日の光や春や、我々が月と呼んでいるあの銀色の貝殻が暗い水に落とす影のように、この世のすばらしき現実なんだ。美を疑うことはできない。美は天与の支配力を持っている。美は人を支配者にするのだ。笑ったね? ほう! 美を失ったら君は笑ってなどいないだろう……美など表面的なものにすぎないと言う者もいる。そうなのかもしれない。しかし思考よりは表面的ではない。僕にとって、美は驚異中の驚異だ。ものごとを外見で判断しないのは底の浅い人間だけだよ。世界の本当の神秘は目に見えないものではない。目に見えるものなのだ……
「そうですね」ヘンリー卿はそう言いながらボタンホールに挿した花を直した。「そして歳を取ってから、それが本当だったと知るのです。しかし私がほしいのは金ではありません。金をほしがるのは勘定の支払いをする奴らだけですよ、ジョージおじさん。僕は支払いなどしません。信用貸しこそ次男坊の資本です。それに信用貸しさえあればけっこう魅力的な生活ができる。それに僕はいつも兄のダートムアのところに出入りしている商人と取引していますから、困らされることなんてありませんよ。お願いというのは、教えていただきたいことがあるんです。もちろん教えてほしいのは役に立つことではなく、役に立たないことです」
この世に存在する美の裏側には必ずどこか悲劇的な要素がひそんでいる。
公爵夫人はため息をつき、話を中断するという、彼女だけが持つ特権を行使した。「アメリカなんて発見されなければ、どれほどよかったでしょう! 本当に、近ごろイギリスの女の子たちには全く機会がないじゃありませんか。とても不公平ですわ」 「しかしけっきょくのところ、アメリカはまだ発見されてなどいないのです」アースキン氏が言った。「まだその存在が気づかれただけだと私は思います」
「アメリカへ行くんですよ」とヘンリー卿が言った。(解説へ戻る) トーマス卿が眉をひそめ、アガサ夫人に言った。「どうも甥御さんは、あの偉大なる国に偏見を 抱いていらっしゃるらしい。私はあの国を隅々まで旅したよ。そういうことに関してはとても親切な重役たちが用意してくれた車でね。一度行ってみるといい勉強になりますよ」
「しかし本当に勉強のためにシカゴに行く必要があるでしょうか?」アースキン氏は憂鬱そうに言った。「どうも気が進まない」 トーマス卿は手を振った。「アースキン氏のトレッドレーの書棚には世界がおさまっている。我々のような現実主義者は何事も本で読むのではなく、この目で見たいと思うのです。アメリカ人は実に興味深い人々です。どこまでも合理的だ。それが彼らの一番の特徴だと思います。そう、アースキンさん、彼らはどこまでも合理的なのですよ。アメリカ人にはふざけたところがまるでないのです」
最近はみな、ものの値段は何でも知っているが、価値については何も知ら
「ああ、ドリアン、女に天才はいないよ。女というのは装飾的な生き物だ。彼女たちの話に内容はないが、魅力的なしゃべり方をする。女は精神に対する物質の勝利を体現しているんだ。ちょうど男が、道徳に対する精神の勝利を体現しているのと同じようにね」
「ああ、ドリアン、これは真実なんだよ。僕は最近、女性を分析しているんだ。だからわかる。ことは考えていたほど深遠ではない。僕はついに発見したよ、この世には二種類の女しかいないって。地味な女と華やかな女だ。地味な女はなかなか役に立つ。尊敬に値する人間だという評判を得たかったら、地味な女を連れて食事に行けばいいのだ。華やかな女のほうは、とても魅力的だ。しかし彼女たちは一つだけ過ちを犯している。若く見せようとして塗りたくってるんだ。我々の祖母の時代は、すばらしい会話をするために化粧したものだ。口紅とエスプリが共存していた。いまやすっかりそんなことはなくなってしまった。自分の娘より十歳若く見せられるうちは、女は完全に満足している。会話のほうは話し相手にできるような女はロンドン中に五人しかいないが、そのうちの二人は上流の社交界には入れてもらえない。それはさておき、君の天才さんのことを聞かせてくれ。知り合ってどのくらいになる?」
八時半ごろ、安っぽい小さな芝居小屋の前を通りかかった。大きなガス灯の光がゆらめき、けばけばしいビラが貼ってあった。見たこともないようなとんでもないベストを着た、醜いユダヤ人が入り口に立っていて、安物の葉巻をふかしていた。男の巻き毛は油っぽくて、汚れたシャツの胸には途方もなく大きなダイアモンドが輝いてい
「ああ、バジルは自分の魅力のすべてを作品に注ぎ込んでしまっているんだ。結果として、彼の現実の生活には、彼の偏見や主義や常識しか残っていない。僕が今まで知り合った芸術家の中で、人間として面白い人物はみな芸術家としてはだめだった。すぐれた芸術家というのは自らの作品の中にしか存在していないから、実生活ではとてもつまらない人間になってしまう。偉大な詩人ほど、真に偉大なる詩人ほど詩的でない生き物もいない。しかし才能のない詩人はおそろしく魅力的だよ。その詩が下手であればあるほど、人間としては輝いてくる。二流の 十四行詩集を一冊出したことがあるというだけで、その男はたまらなく魅力的になるんだ。その男は自分には書けはしない詩を生きている。もう一方の詩人たちは、現実に実行する勇気のないことを詩にしているんだ」
人間の生活、それこそが唯一研究する価値があると思えたのだ。それに比べれば価値のあるものなど何もない。苦しみと喜びのるつぼである人生を観察するには、ガラスの仮面をかぶることはできないし、硫黄のような煙に頭を悩まされるのも、想像力をおそろしい妄想と不幸の夢に混沌とさせられるのも防ぐことはできない。その性質を理解しようとするならば、冒されなければわからないようなひそかな 疾病 もある。しかし、それでも、なんという大きな報酬を得られることか! どれほど世界がすばらしく思えてくることか! 情熱の奇妙で厳しい論理と、豊かな感情に彩られた理性を知ることは──それらがどこで出会い、どこで別れ、どんな点で一致し、どんな点では一致しないのかを観察することは、とても楽しい! そのための犠牲など何でもない。なにかの感覚を得るためなら、どんな対価も決して高すぎることはない。
自分が誰かを材料に実験していると思っていても、実は自分自身を材料に実験をしていることはしばしばある。
「お前は私を傷つけているんだよ。お前がオーストラリアから金持ちになって帰ってきてくれると信じているよ。植民地には社交界なんてものはないだろうね。私が社交界と呼べるようなものは。だから財産を作ったら、帰ってきて、ロンドンでひとかどの人物にならなければ」 「社交界!」若者はつぶやいた。「そんなもののことは知りたくないよ。俺は母さんとシビルに舞台をやめさせるために金を稼ぐんだ。嫌なんだよ」
「僕は今は何も認めないが、反対もしない。どちらも人生に対して取るにはばかげた態度だ。人間は道徳的な偏見を撒き散らすためにこの世に生まれるのではない。凡庸な人間たちが言うことを気に留めたことはないし、魅力的な人々のすることを邪魔したこともない。僕を魅了した人物が選んだものなら、どんな表現方法だって、僕には非常に心地よいんだ。ドリアン・グレイはジュリエットを演じる美少女への恋に落ちた。そしてその少女に結婚を申し込んだ。なぜいけない? 彼が古代ローマのメッサリーナみたいな淫婦と結婚したら、やっぱり面白くないだろう。
知っての通り、僕は結婚においては勝者ではない。結婚の本当のデメリットは人を利己的でなくすることだ。利己的でない人間はつまらない。個性を欠いているんだよ。それでも結婚がさらに複雑にする要素もある。ある種の自己中心癖は失わず、さらに多くの自己中心癖をつけくわえていくのだ。自分以外の人生も背負うことになる。前よりしっかりせねばならなくなるが、しっかりすることこそ人間が存在する目的なのだ。それにすべての経験に価値があるが、結婚について人が何を言っても、それは一つの経験だ。ドリアン・グレイはこの少女を妻にして、六ヶ月は情熱的に彼女を崇拝し、それから突然他の人に魅了されてほしい、僕はそう思う。彼はすばらしい研究対象になるだろう」
僕は楽観論をもっともさげすんでいる。だめになった人生について言えば、その人物の成長が止まっている人生ほどだめになっているものはない。自然を傷つけたかったら、それを矯正するだけでいい。
結婚は、もちろんばかげたことだが、男と女の間には他にももっと興味深い結びつきがある。僕はそれなら間違いなく応援する。それは当世風で魅力的だ。だがドリアン本人がやってきた。本人のほうが僕より多くを語れるだろう」
ヘンリー卿は肩をすくめた。「わが友よ、中世の美術はすばらしいが、中世的価値観は時代遅れだよ。もちろんフィクションの中では使えるがね。しかしフィクションの中で使えるものといったら、現実には使われなくなっているものだけだからね。いいか、教養のある男で、快楽を後悔する者はいない。そして教養のない男は快楽とは何かを知らない」
僕は芝居が好きだ。実生活よりもはるかに本物らしいからね。行こう。ドリアン、一緒に来たまえ。悪いがバジル、 四輪箱馬車 には二人しか乗れないんだ。 二輪馬車 でついてきてもらわねばならない」
本当に魅力的な人間は二種類しかいない。本当にすべてを知っている人間か、何も知らない人間だ。
私、舞台は嫌いよ。自分のものではない情熱ならまねできるかもしれないけど、いま私の中で火のように燃えている情熱はまねできないわ。ドリアン、ドリアン、これで理由がわかったでしょう? まだ演技ができるとしても、恋をしているときに演技をするのは 冒瀆 だと思うわ。あなたのおかげでそれがわかったのよ」
彼女はいっとき彼を傷つけた。彼は彼女を一生傷つけたかもしれないが。しかし女というものは男より悲しみに耐えるのに適している。女たちは感情のままに生きている。自分の感情のことしか考えないのだ。恋人を作るのはいろいろな騒ぎをおこす相手がほしいからだけだ。ヘンリー卿がそういっていた。そしてヘンリー卿は女をよく知っている。どうしてシビル・ヴェインのことで悩まなければいけないのだ? 自分にとって彼女はもう何の価値もないというのに。
まったくギリシア悲劇みたいな残酷な美しさがある。僕はその中で大きな役割を果たしていたのに、傷つかなかった」
我々はストレートな野蛮さを感じ、それに不快感を抱くのだ。しかしときに我々の人生に美という芸術的要素を持った悲劇が起こることもある。その美という要素が本物であれば、その悲劇全体が我々に演劇のように思えてくる。我々は不意に、自分がもはや演者ではないことに気づく。観客になっているのだ。あるいはむしろその両方といった方がいいかもしれない。我々は自分自身を見て、その見世物のすばらしさにただ魅了される。今回、起こったことは本当はなんだったのか?
宗教に救いを求める者もいる。宗教の神秘は恋の駆け引きの魅力をすべて備えているのだと語ってくれた女がいたよ。僕にはよくわかったよ。それに罪人だと言われることほど人をうぬぼれさせることはないからね。良心は人をみな自己中心的にする。そう、女が現代生活に見いだす慰めは本当にきりがない。しかし、僕は一番重要なことを言っていない」
「いや」ドリアン・グレイは言った。「何もおそろしくなんかないよ。現代で最高にロマンティックな悲劇の一つだ。演劇をやる人間はだいたいはひどく平凡な人生を送るものなんだ。よい夫や忠実な妻といった、退屈な存在だ。僕の言いたいことはわかるだろう──中流階級の道徳とかそんなようなものさ。シビルはどれだけ違ったことか! 彼女は最高の悲劇を生きたんだ。
「使用人は関係ないんだ、バジル。僕が自分の部屋の配置を人にやらせるとは思わないだろう? ときどき花は活けさせるが、それだけだ。いや、僕が自分でやったんだ。肖像画に日が当たりすぎていたから」 「日が当たりすぎていた! もちろんそんなことはないだろう? 絵を掛けるには理想的な場所だ。見せてくれ」
家の中にスパイをおいておくのはおそろしいことだ。召使に手紙を読まれたり、会話を立ち聞きされたり、住所を書いたカードを拾われたり、枕の下からしおれた花やくしゃくしゃになったレースの切れ端を見つけられたりしたせいで、生涯脅され続けた金持ちの話なら聞いたことがある。
雲ひとつなく、ただ一つの星が輝いている青銅色の空が窓の向こうにほのかに光っている。ドリアンはもう読めなくなるまでその星明かりの中で読んでいた。召使に時間に遅れると何度か言われたあと、彼は身を起こすと、隣の部屋に入り、ベッドの脇にいつも置いてあるフィレンツェ風のテーブルに本を置くと、夕食のために着替え始めた。
ドリアン・グレイはその後何年間も、この本の影響から脱することができなかった。正確には、脱しようとしなかったと言うべきかもしれない。彼はパリから初版を九冊以上取り寄せて、それぞれ違う色の表紙をつけて装丁させた。時にほとんど自分ではコントロールできなくなってきている、さまざまな気分や移り気な志向に合わせるためだった。主人公はパリに住むすばらしい青年なのだが、ロマン主義的な気質と科学的志向がまじりあっているこの青年は、まるでドリアン自身を予期して描かれたようだった。そしてこの本はまさに、生まれる前に書かれたドリアンの人生の物語のようだった。
バジル・ホールワードら多くの人々を魅了したすばらしい美しさがドリアンから去ることはないようだった。彼の生活ぶりについて、ロンドンでは奇妙なうわさがささやかれていて、今やクラブでも話題にのぼっていたが、彼についてのひどく悪いうわさをきいた人々でさえ、その姿を見ると、彼の評判を落とすような話は全く信じられなかった。彼はいつも世間の汚れに染まらぬように見えた。下品な話をしていた 輩 もドリアン・グレイが部屋に入ってくると口をつぐんだ。彼の清らかな顔に、非難されている気分になるのだ。彼がそこにいるだけで、自分たちが汚してしまった、純潔だったころの記憶がよみがえるようだった。彼らは、このむさくるしく肉欲的な時代に、彼のように魅力的で美しい人が汚されずにいることが不思議でならなかった。
そして間違いなく、ドリアンにとって、「人生」そのものが第一の、そして最大の芸術であり、「人生」の前では他の芸術は単なる準備でしかないように思えた。「流行」、これによって真にすばらしいものがいっとき普遍的になり、「ダンディズム」、これは独自の方法で美の完全な現代性を主張しようとするものなのだが、もちろんこの二つのそれぞれに彼は惹かれていた。彼のファッションや、その時々に取り入れているさまざまなスタイルは、メイフェアの舞踏会やペル・メルのクラブの窓辺にいる流行に敏感な若者たちに絶大な影響を与えた。彼らはドリアンの行動のすべてを真似し、彼が適当に編み出した優美なおしゃれの偶然の魅力を再現しようとしていた。
感覚は、その本質がいまだ理解されたことがなく、未開で動物的だ。それは世の人々が感覚を、美を求める繊細な本能を主軸にする新しい精神主義の一部にしようとせず、それどころか感覚そのものを飢えさせて服従させようとしたり、苦痛によって死に追い込もうとしたりしているからだ。「歴史」の中を動いた人物たちを振り返ると、喪失感に襲われる。なんと多くの感覚が放棄されてきたことか。しかもほとんど意味もなく! 恐怖にかられ狂気じみた頑なな自己の拒絶やいまわしい自己虐待と自己否認をし、その結果、無知ゆえに逃れようとしている想像上の退化よりもはるかにおそろしい退化を招いてしまう。「自然」はそのすばらしい皮肉をもって、隠者に砂漠の野生動物と共に食事をさせ、世捨て人に野の獣を伴侶にさせる。
人間はきわめて多面的な人生を送り、さまざまな感覚を持ち、思想と情熱を奇妙に受け継ぐ多様な姿を持った複雑な存在で、その肉体は死者のおぞましい毒によって汚されているのだ。彼は田舎の屋敷のもの寂しい画廊を歩き回っては、自らの身体にその血が流れている人々の肖像画を眺めるのが好きだった。
「きみのところの召使がずいぶんくつろがせてくれたのがわかるだろう、ドリアン。彼はほしいものを何でも用意してくれたよ。君の金の吸い口のある煙草もね。とてももてなし上手だね。前にいたフランス人よりも僕は好きだよ。ところで、あのフランス人はどうしたんだ?」
「そんなのは知りたくない。他の人間のスキャンダルは好きだが、自分自身のスキャンダルには興味がない。目新しさという魅力がないから」 「君が必ず興味を持つ話だ、ドリアン。紳士はみな自分の評判には興味があるものだ。君だって人々に堕落した卑劣な男だとは言われたくないだろう。もちろん君には地位があり、富があり、そういうものはみな持っている。しかし地位と富がすべてじゃない。きいてくれ、僕はこんなうわさは一つも信じていない。少なくとも君を見たら、信じられない。罪を犯した人間の顔には、それが表われるものだ。隠すことはできない。秘密の悪徳を語る者もいる。そんなものは存在しないんだ。
ナルバラ夫人がいささかあわてて催したささやかなパーティーだった。夫人はとても抜け目のない女性で、ヘンリー卿に言わせると、「驚くべき醜さの残骸」といった女性だった。彼女は非常に退屈な大使の妻を立派につとめあげ、夫を自らデザインした大理石の立派な墓にきちんと葬り、娘たちを金持ちでやや年配の紳士たちに嫁がせた後、今はフランスの小説とフランスの料理法と理解できるかぎりのフランスのエスプリに熱中している。
「あなたは二度と結婚しませんよ」とヘンリー卿が割って入った。「あなたは幸せすぎる。女が再婚をするのは、最初の夫がひどく嫌いだったからだ。男が再婚をするのは、最初の妻を熱愛していたからだ。女は運を試し、男は運を賭ける」
「ナルバラは完璧な夫ではありませんでしたわ」老婦人は言った。 「完璧だったら、あなたは彼を愛さなかったでしょう」というのが答えだった。「女性は男の欠点を愛するんです。十分に欠点があれば、すべてを許してくれます。知性さえもね。これを言った後は、もう二度と夕食に招いてもらえないんじゃないかと心配なんですが、ナルバラ夫人。でも全部本当です」
「僕はあの男には退屈したよ。彼女と同じくらいにね。彼女はとても頭がいい。女にしては頭が良すぎる。あの人には弱さという漠然とした魅力が欠けている。黄金の像が貴重なのは粘土の足があるからだ。彼女の脚はとてもきれいだが、粘土の足ではない。白い陶器の足といったところだね。何度も火をくぐっている。火に焼かれて、壊れないものは強くなっている。たくさんの経験をしているんだ」
「ああ、グラディス、君たちの名前は決して変えたりしないよ。どちらも完璧だからね。僕が考えているのは主に花の名前だ。昨日僕はボタンホールにさすために蘭を切った。斑点のあるすばらしい花で、七つの大罪に劣らず印象的だったよ。僕はふと何も考えずに庭師にその花の名前をきいてしまった。庭師は『ロビンソニア』とかいう花の優秀な品種だと教えてくれた。悲しい事実だが、我々はものに美しい名前をつける能力を失ってしまったんだよ。名前がすべてだ。僕は行動について争ったことはない。争うのは必ず言葉についてだ。だからこそ文学に野卑なリアリズムを持ち込むことを嫌うんだ。 鍬 を鍬と呼べるような男は鍬を使わせておけばいい。そんな男にむいていることは他にない」
「金が少しありました。たいした額じゃありません。それから六連発銃が一丁。名前が書いてあるものは何もありませんでした。見苦しくない男ですが、荒っぽい感じです。船乗りだなと我々は思いました」
「あのね、ドリアン」ヘンリー卿は微笑んだ。「田舎では誰でも善人になれる。田舎には誘惑がないからだ。だからこそ田舎に住む者は洗練されていないんだけどね。洗練はどんな意味でも簡単に身につくものではない。身につける方法は二つしかないんだ。一つは教養を得ることでもう一つは堕落することだ。田舎の人々はどちらの機会もないから、すっかり停滞しているんだ」
「そう言ったらね、ドリアン、君は自分に似合わない役を気取っているんだなと言うよ。犯罪とはみな卑俗なものだ。ちょうど、すべての卑俗さが犯罪であるのと同じように。ドリアン、君には殺人を犯す素質はない。こんなことを言って、君の自尊心を傷つけてしまったらすまない。けれど間違いなくそれは本当だ。犯罪は下層階級だけのものだ。彼らを責めるつもりはこれっぽっちもないが。彼らにとっての犯罪は、僕らにとっての芸術のようなものじゃないかと思う。普通でない感覚を得るための方法というだけさ」
「ああ! どんなことでも繰り返せば快感になってくるものだよ」ヘンリー卿は笑いながら叫んだ。「これこそ人生のもっとも大きな秘密だ。だが僕は殺人はいつも間違いだと思う。食後の話題にできないようなことはするべきではない。しかしバジルの話はもうやめにしよう。彼が、さっき君が言ったような、ひどくロマンティックな最期をとげていると思えればな。しかし無理だ。乗り合いバスからセーヌ川に転落したのを、車掌がスキャンダルをおそれてもみ消したんじゃないかな。そうだ。きっとそれが彼の最期だと思う。大きな遊覧船が行きかう川のよどんだ緑色の水の底に長い水草を髪にからませて、あおむけに横たわっているのが目に浮かぶ。バジルにはそれ以上のことはできなかったと思うよ。この十年ほど、彼の絵はだいぶ衰えていた」
「ドリアン、君は本当に説教を始めたね。君はそのうち改宗者や信仰復興論者みたいに歩きまわって、自分が飽きてしまった罪について人々に警告するのだろう。そんなことをするには、君には魅力がありすぎる。それに、そんなことをしても無駄だ。君と僕は今のままだし、これからも変わらない。本に毒されたと言ったが、そんなことはありえない。芸術には行動に影響をおよぼす力などない。行動への意欲を消してしまうんだ。すばらしく何も生み出さないんだ。世間の人が不道徳だと言う本は、世間の恥辱を示している本だ。それだけのことだ。しかし文学を論ずるのはやめよう。明日来てくれないか。十一時に馬車に乗る。一緒に行かないか、そうしたらバークシャー夫人との昼食に連れて行ってあげよう。彼女は魅力的な女性だよ、それに君にいま買おうと思っているタペストリーのことを相談したいそうだ。ぜひ来たまえ。それともかわいい公爵夫人と昼食をとるか? 君に全然会っていないと言っていたよ。君はグラディスに飽きてしまったんじゃないかな? そうなると思っていた。あの才気煥発な口ぶりは気にさわるからな。まあ、どちらにしても、十一時にここに来てくれ」
美しい夜だった。暖かかったので、ドリアンはコートを腕にかけ、首にスカーフを巻いてもいなかった。煙草を吸いながら家に向かってゆっくりと歩いていると、夜会服を来た青年二人とすれ違った。一人がもう一人にささやくのがきこえた。「あれはドリアン・グレイだ」ドリアンは以前は指さされたり、じっと見られたりすると、どれだけうれしかったかを思い出した。今は自分の名前をきくのに飽き飽きしている。最近頻繁に通っていた小さな村は、誰も彼を知らないのも大きな魅力だった。彼に惹かれて恋をするようになった少女には、自分は貧しいのだと何度も語っていて、彼女はそれを信じていた。一度、自分は悪い男だと言ってみたこともあったが、彼女は笑って、悪い人は普通、歳を取っていて醜いものだと答えた。なんと愛らしい笑い方だっただろう! まるで 鶫 がさえずっているみたいだった。そして木綿のワンピースを着て、大きな帽子をかぶった彼女がどれだけかわいらしかったことか! 彼女は何も知らなかった。しかし彼が失ったすべてを持っていた。
解説 日髙真帆 清泉女子大学専任講師
両者を比べた時、細部の訳出の違いはさておき、まず感じるのは時代の移り変わりではないだろうか。現代の読者にとって、仁木氏の翻訳の美点は、まずその読みやすさ、身近さであろう。文庫本の手軽さも手伝って、一世紀以上前にイギリスで生み出された『ドリアン・グレイの肖像』の世界を、いともたやすくパソコンの傍らに、携帯電話の隣に滑り込ませてしまうのだ。
それにしても、ドリアンの魅力は華々しい。邦訳一つを取っても、この一世紀の間、絶えず訳者、読者を惹きつけてきた。先の平井氏の訳が出版された頃には、早くも平田禿木氏、矢口達氏、西村孝次氏らによる既訳があり、その後数十年の間に、福田恆存氏、平井正穂氏、渡辺純氏、富士川義之氏を始めとする数々の先達の手による訳書が発刊されてきた。
二人は一八五一年に結婚し、翌年、長男のウィリアム・ロバート・キングズベリー・ワイルドが生まれる。その二年後に生まれたワイルドは、女児を望んでいた母親に女児用の服を着せられ、それが後のワイルドのセクシュアリティに影響を与えたという説もある。続いて妹アイソラが誕生し、兄と不仲だったワイルドの寵愛を受けたが、不幸にも幼くして病死し、少年ワイルドの心に深い悲しみを刻んだと言う。
さて、一八六四年、ワイルドはアイルランド北部ファーマナーのエニスキリン町のポートラ・ロイヤル・スクールに入学した。読書家でもあった彼は在学中に優秀な成績を収め、ギリシャ語聖書の最優秀者として「カーペンター賞」を、古典語優秀者として「ポートラ金賞」を受賞し、一八七一年、奨学金を得てダブリンのトリニティ・カレッジに入学した。そして、やはり古典で優秀な成績を収め、一八七四年には最高の古典賞である「ギリシャ学バークレー金賞牌」を受け、同年給費生としてオックスフォード大学モードレン・カレッジに入学した。
ワイルドの才能は早くから認められ、オックスフォード大学在学中の一八七八年には、同大学学生による詩を対象とした「ニューディゲイト賞」を『ラヴェンナ』により受賞した。同年、文学士学位本試験を首席で合格し、文学士の学位を得てオックスフォード大学を卒業した。