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“おれはシーザーを愛さぬのではく、ローマを愛したのだ” 高潔な勇将ブルータスは、自らの政治の理想に忠実であろうとして、ローマの専制君主シーザーを元老院大広間で刺殺する。民衆はブルータスに拍手を送ったが、アントニーの民衆を巧みに誘導するブルータス大弾劾演説により形勢は逆転し、ブルータスはローマを追放される……。脈々と現代に生きる政治劇。
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Posted by ブクログ
227P 1623年に発刊された『ジュリアス・シーザー』 ウィリアム・シェイクスピア イングランドの劇作家・詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされる英文学の作家。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語...続きを読むの実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている。 ジュリアス・シーザー by シェイクスピア、大山敏子 この劇がちょうど十六世紀から十七世紀へ移り変わる時に書かれたということにわれわれは注目しなければならない。ロンドンに出て来たばかりの若いシェイクスピアが書き上げた『タイタス・アンドロニカス』や『リチャード三世』などと比較してみると、われわれはシェイクスピアが人間としても劇作家としても成長して来た あと をたどることができる。エリザベス朝の 華やかな英国から、世紀末、さらに十七世紀の英国へと、時代は移り変わり、 旧い世界観、自然観、人間観から新しい考えへの転換、新旧思想の対立、 相剋 などがみとめられ、『ジュリアス・シーザー』には、初期の劇にはみとめられなかったような懐疑や幻滅の気配もうかがわれる。『ハムレット』と共通な思考の形式や論理の展開の中にも、われわれはこの偉大な劇作家シェイクスピアが生きて来た時代を感じとることができる。 「彼がもう少し肥っていたら! だがわしは彼を恐れはしないぞ。しかし、かりにシーザーというわしの名前が何者か恐れることがあるなら、わしはあのやせこけたキャシアスほど、避けたい人間はほかにはないと思うのだ。彼は本を読みすぎる。それに彼はするどい観察者でもある。彼の目は人々の行為の底まで見通してしまう。彼は君とはちがって芝居などは好まんのだ、アントニー。彼は音楽など聞こうともしない。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「彼がもう少し肥っていたら! だがわしは彼を恐れはしないぞ。しかし、かりにシーザーというわしの名前が何者か恐れることがあるなら、わしはあのやせこけたキャシアスほど、避けたい人間はほかにはないと思うのだ。彼は本を読みすぎる。それに彼はするどい観察者でもある。彼の目は人々の行為の底まで見通してしまう。彼は君とはちがって芝居などは好まんのだ、アントニー。彼は音楽など聞こうともしない。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「わたしにだってできる。奴隷になっても、人間というものは、自分自身の手に自ら束縛をときはなつ力はもっているものなのだ。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「そうすることにしよう。われわれは杭につながれたも同然、多くの敵にとり囲まれ、ねらわれているのだ。ほほえんでいる者どもも、心の中には限りない悪意を持っていないとは限らないのだ。〔退場〕」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「いつもおぼえていてくれ、ルーシリアス、愛情が病気になり、くずれそうになる時には、わざとらしく、形式的な儀礼をよそおうものなのだ。率直で単純な信頼にはとりつくろうところはないのだが、不誠実な人間に限って、威勢よく駆けだす馬のように、見かけだけは勇敢な様子をし、さも勇気ありげに思われるが、しかし血なまぐさい戦いで、十分に働かなければならない時に、たて髪を垂れ、見かけだおしのやくざ馬のように、すぐに参ってしまうのだ。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「シェイクスピアはいかなる種類の劇を書く時にも、人間への強い興味と関心を示している。彼の初期の喜劇の技巧の中にも、いわゆるロマンティック・コメデイの中にもみられる彼の深い人間理解の態度は、『ジュリアス・シーザー』を契機として、新しい悲劇観に連なって行った。そしてプルタークの『英雄伝』は彼にとってまさに適切な素材であったし、主題や表現の面でも、シェイクスピアに多くのものを与えてくれたのである。シェイクスピアはこのような素材を用いて、彼の劇を創り上げたのであるが、彼は『ジュリアス・シーザー』の劇の中で何を描こうとしたのであろうか? その主題はシーザーの暗殺であり、ローマの内乱である。当時の人々がよく知っていた物語である。しかし、この劇は、このような史実や物語を単に劇化したものではない。シェイクスピア批評家のウィルソン・ナイトは言う、「この劇の単純さはただ表面だけの単純さである。厳密に分析してゆくと、この劇はその繊細さと複雑さを示すようになり、これがこの劇の解釈を困難にしてゆくのである」と。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「ところがこの悲劇の主人公シーザーは、この劇の前半において、ローマの指導者としてはおよそふさわしくないほど、欠点だらけ、弱点だらけの人間に描かれている。肉体的にも精神的にも欠陥だらけの人間であり、虚勢をはっても現実の伴わない人間、迷信に左右される弱い人間に描かれているシーザーは、高潔の士ブルータスとまことに対照的である。このようなシーザーに対するキャシアスの不満も、われわれには容易に納得できる。理想君主のイメージからはあまりにも遠いシーザーの姿がまずわれわれに強く印象づけられる。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「シェイクスピアは大学教育も受けなかったし、古典修辞学を学問として学んだこともなかった。しかし彼も時代の子であり、その豊かな想像力と言葉に対する大きな関心は、彼の作品の中で見事に示されている。ストラットフォードのグラマスクールで学んだであろう基礎的な修辞学の知識は、彼の才能とするどい感受性と、豊かな表現愛によって、彼の作品の中で、劇的効果を十分に発揮し、喜劇においても悲劇においても、劇の生命をになうものとなった。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「『ジュリアス・シーザー』を正しく理解するためには、われわれはその言葉に注目しなければならない。そして同時に、われわれは作者シェイクスピアの興味が、言葉にとどまってはいないことも知るのである。 この劇に対して単一的な解釈を与えることは無意味である。もちろん読者であり、観客であるわれわれはそれぞれ異なった解釈の態度や方向を持っている。しかしどのような角度からこの劇に近づいても、必ずわれわれは簡単に解決できない問題点に遭遇する。そしてそのような時、われわれはもう一度テクストに帰ることが必要である。そして、シェイクスピアの言葉の豊かさ、複雑な使い方を理解するようにしたい。そのような努力をした時、『ジュリアス・シーザー』のもつさまざまの問題点の意味は前より明らかになるであろう。そしてこの劇を契機として、さらに四大悲劇へと円熟して行った劇作家シェイクスピアの姿をそこに認めることができるであろう。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著 「『リチャード三世』はシェイクスピアの悲劇の中でもっともセネカ的のものであると言えよう。醜く生まれついた自分自身を呪い、「おれは悪党になってやる」と大見得を切ったグロスターは次々と悪事を重ねてゆく。自分の殺したエドワードの妻アンに巧みに求婚して成功し、甥たちを殺害して王位につく。自分の野心の達成と、自己の地位の安泰のためには手段を選ばないリチャードはやがてアンをも殺し、終始彼に忠実であったバッキンガムをも殺してしまう。彼はまさにマキァベリ的悪党である。野望は達したが彼は孤独、ついに追われる身となり、ボズワースの戦場に傷つき、「われに一頭の馬を持て、この王国を与えよう」と叫んで倒れる。セネカ風の悲劇の主題や技巧を鋭い感覚と表現の意識でとらえ、リチャードの人間性への配慮と関心も示しながらシェイクスピアはこの劇を書いている。」 —『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア著
「賽は投げられた」、「ルビコン川を渡る」、「来た、見た、勝った」、「ブルータス、お前もか」 これらを見てピンとくる方もおられると思います。 私自身、ジュリアス・シーザーという名ではピンと来なかったのですが、この人物のローマ式の本名はと言いますと、ガイウス・ユリウス・カエサルとなります。 『ジュリアス...続きを読む・シーザー』は私の中でも強烈な印象を残した作品でした。あらすじや背景を知ってから読むと最高に面白い作品でした。非常におすすめです。
「ブルータス、お前もか」 「賽は投げられた」 セリフが独り歩きしてしまっている作品。私もそのセリフしか知らなかったのだが、その背景をようやく知れた。 シェイクスピア四大悲劇前に執筆された政治悲劇で、大雑把に史実をなぞる展開になっているのでローマ史の勉強にもなるかも。
ローマの専制君主シーザーを殺害するブルータスたち。 しかし、アントニーが演説によって民衆の心をつかみ、ブルータスを追い詰めてゆく… 解説でも触れられていた、登場人物たちの交わす「愛情」や「友情」を楽しんで読んだ。 政治の話だし、権力争いの話だし、普通はもっとドロドロすると思うんだけど、びっくりする...続きを読むくらいに爽やか。 「ブルータス、お前もか!」は有名なセリフだけど、その直後のセリフが面白い。 みんな潔く死ぬから爽やかなのか、でも現実ではあんなに潔く死ねないよな…と思った。
「ブルータス、お前もか」で有名なカエサル暗殺。 タイトルはジュリアス・シーザーとなっているが、シーザーによる、ブルータスのための劇のように感じる。 『ハムレット』『マクベス』『オセロ―』『ロミオとジュリエット』など、シェイクスピアの悲劇はたくさんあるが、このジュリアス・シーザーはそれらとは一線を画す...続きを読むる。 たしかに、役一人あたりの発言量は多い。それはどの悲劇でも大抵そうだ。だが、他の悲劇とは違って、ジュリアス・シーザーでは、すべての発言が重みをもって迫ってくる。歯切れのいい洒落や猥談は全くない。 そして、振る舞いによる対比が見られない。多くの悲劇では、身分が低い場合には、とことん猥雑な振る舞いで、悲劇に関わる人物の流麗さを際立たせていた。ところがそれがない。どの役も勇ましく、美しく、哀しい。 さらに、悲劇さも、偶然や神妙なものによってもたらされるのではなく、かなり人に密着して起こる。 シンプルなのに、でも他の作品にも劣らない、あふれるほどの悲劇。そんな感じ。 それにしても、ブルータスは、人間としてのシーザーを愛していたのではなく、ローマとしてのシーザーを愛していたのだと知る。キャスカをはじめとする、他の共謀者が人間シーザーを殺したのだとすれば、彼が殺したのは野心や独裁。 作戦からすれば、確かにブルータスのものは下等だ。だが、憎しみに駆られて殺したり、人民を盾に戦争をしたりということは、徳や正義を汚すことに他ならない。目先の生に囚われず、最も深遠なものを見つめていたのだから、彼の作戦は何よりも上等だ。 役割をすべて終えたからこそ、彼はその胸に剣を突き刺せた。見事なまでの幕引き。正義の人にもっともふさわしい最期であった。
結局、善人などいないのだ。シーザー、ブルータス、アントニー、それぞれの信念は理屈が通っているのに、どこかに決定的な弱さがある。もし、シーザーが決然と王冠を退けていたら、ブルータスはキャシアスの唆しには乗らなかったろうし、また身内と政治を決然と分けていたら、ブルータスは暗殺に乗り出さなかっただろう。ア...続きを読むントニーは弁舌の巧みさを押し隠して、民衆を煽動する。いずれ、勝者たる彼も敗者に転じる。強さの中の一点の弱さが人間の破滅を呼ぶ。
セリフが有名なシーザーの最期をはじめ、死を予期していないあっけない別れ、友情を確かめ合ったあとの爽やかな別れ、部下との信頼にあふれる別れなど、人と人とが別れるシーンが印象的な作品。
「…いくらでも怒れ、その傲慢な心臓が裂けるまで。まあ、自分の奴隷どもでも相手に、その癇癪に猛り狂った姿を見せてやり、精々奴らを震え上がらせてやるのだな。この俺まで尻尾を巻かねばならぬと言うのか?…よしてくれ、貴様の腹の虫が吐いた毒汁ではないか、またその胃の腑に押しもどしてやるだけだ、それで貴様の腹が...続きを読む爛れて裂けようと、おれの知ったことか。…」 どは〜ブルータス。
タイトルからの想像を裏切る構成が面白い! 読んでいて思ったこと。 シーザーは織田信長 ブルータスは明智光秀 アントニーは豊臣秀吉 オクタビアヌスは徳川家康 と設定かぶりがあるような気がした。 シーザーは暗殺されたから偉大な存在になったとも言えるのかもしれない!そんな史劇のカタルシスがなんともたまらな...続きを読むい作品でした。
シーザーの勉強していたついでに初のシェイクスピア作品 どのセリフも格言チックで面白い 個人的に好きなのは シーザーの「勇者にとって、死の経験は一度しかない」 ブルータスの「おおよそ人のなすことには潮時というものがある」 ブルータスとアントニーの演説を比べて、 具体的な事実で感情的に訴えることが民...続きを読む衆を扇動するうえで重要なのだなと。
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