【感想・ネタバレ】ドリアン・グレイの肖像のレビュー

あらすじ

舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す……。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽。

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737

428P

オスカーワイルド
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド。アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動を行ったが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)
by ワイルド、仁木 めぐみ
芸術家は美しいものを創造する。 芸術に形を与え、その創造主を隠すのが芸術の意図である。 批評家とは、美しいものから受けた印象を、別の手法や新しい素材で伝えることができる者である。 自伝の形をとるのは、批評の最高の形式であり、最低の形式でもある。 美しいものに醜い意味を見いだす者は汚れていて魅力がない。その行為は間違っている。 美しいものに美しい意味を見いだす者には教養があり、彼らには希望がある。 美しいものに美しいという意味しか感じない選ばれた人々なのだ。 倫理的な本というのも倫理に反する本というのもこの世には存在しない。本には、よく書けているか、よく書けていないかのどちらかしかない。 十九世紀が写実主義を嫌悪するのは、キャリバンが鏡の中に自らの顔を見て怒るのと同じである。 十九世紀がロマン主義を嫌悪するのは、キャリバンが鏡の中に自らの顔が映っていないといって怒るのと同じである。

「そうか、じゃあ教えてやろう。どうしてドリアン・グレイの肖像画を発表したくないのかを説明してくれ。本当の理由をきかせてほしい」 「本当の理由ならもう言ったよ」

「ハリー」バジルはヘンリー卿の顔をまっすぐに見つめて言った。「気持ちをこめて描かれた肖像画というのはみなモデルではなく、それを描いた画家の肖像なのだ。モデルは偶然のきっかけにすぎない。画家の筆によって描かれるのはモデルではない。カンバスに色をもって描かれるのは、むしろ画家本人なのだ。僕がこの絵を発表したくないのは、自分の魂の秘密をこの絵に描きこんでしまったのではないかとおそれるからだ」

「簡単な話なんだ」短い沈黙の後、画家は言った。「二ヶ月前、ブランドン夫人のところのパーティーに行ったが人でごったがえしていた。ご存じの通り、我々貧しい画家も時々社交の場に顔を出さねばならない。野蛮人ではないと世間に認めてもらうためにね。夜会服を着て、ホワイト・タイをすれば、いつか君が言っていた通り、誰だって、株屋だって、洗練された人間だという評判を得られる。そう、部屋に入って十分ほどしたとき、着飾りすぎている巨体の貴族の未亡人や退屈なアメリカ人なんかと話していたんだが、不意に誰かの視線を感じた。ちょっと振り返り、そして初めてドリアン・グレイを見たんだ。目が合った途端、自分が青ざめていくのがわかった。奇妙な恐怖に襲われたんだ。今目の前にいる男の魅力はあまりに強烈で、抵抗しなかったら、その魅力に僕の性格も魂も、僕の芸術そのものまでも、すべて飲み込まれてしまうだろう。それがわかったんだ。

「良心と臆病は本当は同じものさ、バジル。良心の方を看板にしているだけだ。それだけのことさ」

た。「彼女は客という客の素性をあばきたてたのだろう。以前に僕は彼女に、星章とガーター勲章に埋もれている 獰猛 そうな赤ら顔の老紳士のところへ連れていかれ、あのおそるべき部屋にいる全員にはっきりと聞こえるささやき声で、驚くほどこまごまとした身の上を述べたてられたのを今でも覚えているよ。とにかく逃げ出したよ。僕は自分に合う人間は自分で見つけたい。しかしブランドン夫人はまるで競売人が出品物を扱うみたいに客を扱う。ずばっとすべてをばらしてしまうか、さもなければ我々が知りたいこと以外のあらゆることを教えてくれる」

 ホールワードは首を振った。「君には友情というものがわからないんだ、ハリー」とホールワードはつぶやくように言った。「あるいは憎しみというものもね。君は誰のことも好きだ。それはつまり、誰に対しても冷たいということなんだ」

「いや、冗談だよ。しかしどうしても身内は好きになれないんだ。人間はみな自分と同じ欠点を持つ者に耐えられないものだからじゃないかな。イギリスの一般大衆が、いわゆる上流階級の悪徳と呼ぶものに激しい怒りを感じる気持ちはよくわかるよ。大衆は飲んだくれることや愚かさや不道徳を、自分たちだけの領分にしておきたいのだろう。だから我々が笑いものになるようなことをすると、自分たちの猟場を荒らされたように感じるのだ。かわいそうなサザークが離婚裁判になったとき、大衆の憤慨ぶりといったらすばらしかったね。だからといって、ちゃんとした生活をしている者は労働者階級の一割もいないと思うよ」

すべてを知っている博識家──それが現代では理想とされている。しかしすべてを知っている博識家の頭の中ほど救いようのないものはない。まるで骨董屋みたいにほこりをかぶったガラクタばかりで、すべてに実際の価値より高い値がつけられている。やはり先に飽きるのは君だと思う。ある日君は友人を見て、彼の姿がどうも絵にならないとか、色艶が気に入らないとか思うだろう。心の中で彼を厳しく非難し、彼が君にひどくいやな態度を取ったと真剣に思うだろう。次に彼がやってきたときには、君は完全に冷淡な態度を取る。とても残念な話だろうが、君はすっかり変わってしまうのだ。君の話はまさに一つのロマンスだ。芸術のロマンスと言ってもいいだろう。そして最悪なのは、どんなロマンスにおいても、当事者は最後には全くロマンティックでなくなるということだ」

なぜなら美は何の説明も必要としない。日の光や春や、我々が月と呼んでいるあの銀色の貝殻が暗い水に落とす影のように、この世のすばらしき現実なんだ。美を疑うことはできない。美は天与の支配力を持っている。美は人を支配者にするのだ。笑ったね? ほう! 美を失ったら君は笑ってなどいないだろう……美など表面的なものにすぎないと言う者もいる。そうなのかもしれない。しかし思考よりは表面的ではない。僕にとって、美は驚異中の驚異だ。ものごとを外見で判断しないのは底の浅い人間だけだよ。世界の本当の神秘は目に見えないものではない。目に見えるものなのだ……

「そうですね」ヘンリー卿はそう言いながらボタンホールに挿した花を直した。「そして歳を取ってから、それが本当だったと知るのです。しかし私がほしいのは金ではありません。金をほしがるのは勘定の支払いをする奴らだけですよ、ジョージおじさん。僕は支払いなどしません。信用貸しこそ次男坊の資本です。それに信用貸しさえあればけっこう魅力的な生活ができる。それに僕はいつも兄のダートムアのところに出入りしている商人と取引していますから、困らされることなんてありませんよ。お願いというのは、教えていただきたいことがあるんです。もちろん教えてほしいのは役に立つことではなく、役に立たないことです」

この世に存在する美の裏側には必ずどこか悲劇的な要素がひそんでいる。

 公爵夫人はため息をつき、話を中断するという、彼女だけが持つ特権を行使した。「アメリカなんて発見されなければ、どれほどよかったでしょう! 本当に、近ごろイギリスの女の子たちには全く機会がないじゃありませんか。とても不公平ですわ」 「しかしけっきょくのところ、アメリカはまだ発見されてなどいないのです」アースキン氏が言った。「まだその存在が気づかれただけだと私は思います」

「アメリカへ行くんですよ」とヘンリー卿が言った。(解説へ戻る) トーマス卿が眉をひそめ、アガサ夫人に言った。「どうも甥御さんは、あの偉大なる国に偏見を 抱いていらっしゃるらしい。私はあの国を隅々まで旅したよ。そういうことに関してはとても親切な重役たちが用意してくれた車でね。一度行ってみるといい勉強になりますよ」

「しかし本当に勉強のためにシカゴに行く必要があるでしょうか?」アースキン氏は憂鬱そうに言った。「どうも気が進まない」  トーマス卿は手を振った。「アースキン氏のトレッドレーの書棚には世界がおさまっている。我々のような現実主義者は何事も本で読むのではなく、この目で見たいと思うのです。アメリカ人は実に興味深い人々です。どこまでも合理的だ。それが彼らの一番の特徴だと思います。そう、アースキンさん、彼らはどこまでも合理的なのですよ。アメリカ人にはふざけたところがまるでないのです」

最近はみな、ものの値段は何でも知っているが、価値については何も知ら

「ああ、ドリアン、女に天才はいないよ。女というのは装飾的な生き物だ。彼女たちの話に内容はないが、魅力的なしゃべり方をする。女は精神に対する物質の勝利を体現しているんだ。ちょうど男が、道徳に対する精神の勝利を体現しているのと同じようにね」

「ああ、ドリアン、これは真実なんだよ。僕は最近、女性を分析しているんだ。だからわかる。ことは考えていたほど深遠ではない。僕はついに発見したよ、この世には二種類の女しかいないって。地味な女と華やかな女だ。地味な女はなかなか役に立つ。尊敬に値する人間だという評判を得たかったら、地味な女を連れて食事に行けばいいのだ。華やかな女のほうは、とても魅力的だ。しかし彼女たちは一つだけ過ちを犯している。若く見せようとして塗りたくってるんだ。我々の祖母の時代は、すばらしい会話をするために化粧したものだ。口紅とエスプリが共存していた。いまやすっかりそんなことはなくなってしまった。自分の娘より十歳若く見せられるうちは、女は完全に満足している。会話のほうは話し相手にできるような女はロンドン中に五人しかいないが、そのうちの二人は上流の社交界には入れてもらえない。それはさておき、君の天才さんのことを聞かせてくれ。知り合ってどのくらいになる?」

八時半ごろ、安っぽい小さな芝居小屋の前を通りかかった。大きなガス灯の光がゆらめき、けばけばしいビラが貼ってあった。見たこともないようなとんでもないベストを着た、醜いユダヤ人が入り口に立っていて、安物の葉巻をふかしていた。男の巻き毛は油っぽくて、汚れたシャツの胸には途方もなく大きなダイアモンドが輝いてい

「ああ、バジルは自分の魅力のすべてを作品に注ぎ込んでしまっているんだ。結果として、彼の現実の生活には、彼の偏見や主義や常識しか残っていない。僕が今まで知り合った芸術家の中で、人間として面白い人物はみな芸術家としてはだめだった。すぐれた芸術家というのは自らの作品の中にしか存在していないから、実生活ではとてもつまらない人間になってしまう。偉大な詩人ほど、真に偉大なる詩人ほど詩的でない生き物もいない。しかし才能のない詩人はおそろしく魅力的だよ。その詩が下手であればあるほど、人間としては輝いてくる。二流の 十四行詩集を一冊出したことがあるというだけで、その男はたまらなく魅力的になるんだ。その男は自分には書けはしない詩を生きている。もう一方の詩人たちは、現実に実行する勇気のないことを詩にしているんだ」

人間の生活、それこそが唯一研究する価値があると思えたのだ。それに比べれば価値のあるものなど何もない。苦しみと喜びのるつぼである人生を観察するには、ガラスの仮面をかぶることはできないし、硫黄のような煙に頭を悩まされるのも、想像力をおそろしい妄想と不幸の夢に混沌とさせられるのも防ぐことはできない。その性質を理解しようとするならば、冒されなければわからないようなひそかな 疾病 もある。しかし、それでも、なんという大きな報酬を得られることか! どれほど世界がすばらしく思えてくることか! 情熱の奇妙で厳しい論理と、豊かな感情に彩られた理性を知ることは──それらがどこで出会い、どこで別れ、どんな点で一致し、どんな点では一致しないのかを観察することは、とても楽しい! そのための犠牲など何でもない。なにかの感覚を得るためなら、どんな対価も決して高すぎることはない。

自分が誰かを材料に実験していると思っていても、実は自分自身を材料に実験をしていることはしばしばある。

「お前は私を傷つけているんだよ。お前がオーストラリアから金持ちになって帰ってきてくれると信じているよ。植民地には社交界なんてものはないだろうね。私が社交界と呼べるようなものは。だから財産を作ったら、帰ってきて、ロンドンでひとかどの人物にならなければ」 「社交界!」若者はつぶやいた。「そんなもののことは知りたくないよ。俺は母さんとシビルに舞台をやめさせるために金を稼ぐんだ。嫌なんだよ」

「僕は今は何も認めないが、反対もしない。どちらも人生に対して取るにはばかげた態度だ。人間は道徳的な偏見を撒き散らすためにこの世に生まれるのではない。凡庸な人間たちが言うことを気に留めたことはないし、魅力的な人々のすることを邪魔したこともない。僕を魅了した人物が選んだものなら、どんな表現方法だって、僕には非常に心地よいんだ。ドリアン・グレイはジュリエットを演じる美少女への恋に落ちた。そしてその少女に結婚を申し込んだ。なぜいけない? 彼が古代ローマのメッサリーナみたいな淫婦と結婚したら、やっぱり面白くないだろう。

知っての通り、僕は結婚においては勝者ではない。結婚の本当のデメリットは人を利己的でなくすることだ。利己的でない人間はつまらない。個性を欠いているんだよ。それでも結婚がさらに複雑にする要素もある。ある種の自己中心癖は失わず、さらに多くの自己中心癖をつけくわえていくのだ。自分以外の人生も背負うことになる。前よりしっかりせねばならなくなるが、しっかりすることこそ人間が存在する目的なのだ。それにすべての経験に価値があるが、結婚について人が何を言っても、それは一つの経験だ。ドリアン・グレイはこの少女を妻にして、六ヶ月は情熱的に彼女を崇拝し、それから突然他の人に魅了されてほしい、僕はそう思う。彼はすばらしい研究対象になるだろう」

僕は楽観論をもっともさげすんでいる。だめになった人生について言えば、その人物の成長が止まっている人生ほどだめになっているものはない。自然を傷つけたかったら、それを矯正するだけでいい。

結婚は、もちろんばかげたことだが、男と女の間には他にももっと興味深い結びつきがある。僕はそれなら間違いなく応援する。それは当世風で魅力的だ。だがドリアン本人がやってきた。本人のほうが僕より多くを語れるだろう」

ヘンリー卿は肩をすくめた。「わが友よ、中世の美術はすばらしいが、中世的価値観は時代遅れだよ。もちろんフィクションの中では使えるがね。しかしフィクションの中で使えるものといったら、現実には使われなくなっているものだけだからね。いいか、教養のある男で、快楽を後悔する者はいない。そして教養のない男は快楽とは何かを知らない」

僕は芝居が好きだ。実生活よりもはるかに本物らしいからね。行こう。ドリアン、一緒に来たまえ。悪いがバジル、 四輪箱馬車 には二人しか乗れないんだ。 二輪馬車 でついてきてもらわねばならない」

本当に魅力的な人間は二種類しかいない。本当にすべてを知っている人間か、何も知らない人間だ。

私、舞台は嫌いよ。自分のものではない情熱ならまねできるかもしれないけど、いま私の中で火のように燃えている情熱はまねできないわ。ドリアン、ドリアン、これで理由がわかったでしょう? まだ演技ができるとしても、恋をしているときに演技をするのは 冒瀆 だと思うわ。あなたのおかげでそれがわかったのよ」

彼女はいっとき彼を傷つけた。彼は彼女を一生傷つけたかもしれないが。しかし女というものは男より悲しみに耐えるのに適している。女たちは感情のままに生きている。自分の感情のことしか考えないのだ。恋人を作るのはいろいろな騒ぎをおこす相手がほしいからだけだ。ヘンリー卿がそういっていた。そしてヘンリー卿は女をよく知っている。どうしてシビル・ヴェインのことで悩まなければいけないのだ? 自分にとって彼女はもう何の価値もないというのに。

まったくギリシア悲劇みたいな残酷な美しさがある。僕はその中で大きな役割を果たしていたのに、傷つかなかった」

我々はストレートな野蛮さを感じ、それに不快感を抱くのだ。しかしときに我々の人生に美という芸術的要素を持った悲劇が起こることもある。その美という要素が本物であれば、その悲劇全体が我々に演劇のように思えてくる。我々は不意に、自分がもはや演者ではないことに気づく。観客になっているのだ。あるいはむしろその両方といった方がいいかもしれない。我々は自分自身を見て、その見世物のすばらしさにただ魅了される。今回、起こったことは本当はなんだったのか? 

宗教に救いを求める者もいる。宗教の神秘は恋の駆け引きの魅力をすべて備えているのだと語ってくれた女がいたよ。僕にはよくわかったよ。それに罪人だと言われることほど人をうぬぼれさせることはないからね。良心は人をみな自己中心的にする。そう、女が現代生活に見いだす慰めは本当にきりがない。しかし、僕は一番重要なことを言っていない」

「いや」ドリアン・グレイは言った。「何もおそろしくなんかないよ。現代で最高にロマンティックな悲劇の一つだ。演劇をやる人間はだいたいはひどく平凡な人生を送るものなんだ。よい夫や忠実な妻といった、退屈な存在だ。僕の言いたいことはわかるだろう──中流階級の道徳とかそんなようなものさ。シビルはどれだけ違ったことか! 彼女は最高の悲劇を生きたんだ。

「使用人は関係ないんだ、バジル。僕が自分の部屋の配置を人にやらせるとは思わないだろう? ときどき花は活けさせるが、それだけだ。いや、僕が自分でやったんだ。肖像画に日が当たりすぎていたから」 「日が当たりすぎていた! もちろんそんなことはないだろう? 絵を掛けるには理想的な場所だ。見せてくれ」

家の中にスパイをおいておくのはおそろしいことだ。召使に手紙を読まれたり、会話を立ち聞きされたり、住所を書いたカードを拾われたり、枕の下からしおれた花やくしゃくしゃになったレースの切れ端を見つけられたりしたせいで、生涯脅され続けた金持ちの話なら聞いたことがある。

雲ひとつなく、ただ一つの星が輝いている青銅色の空が窓の向こうにほのかに光っている。ドリアンはもう読めなくなるまでその星明かりの中で読んでいた。召使に時間に遅れると何度か言われたあと、彼は身を起こすと、隣の部屋に入り、ベッドの脇にいつも置いてあるフィレンツェ風のテーブルに本を置くと、夕食のために着替え始めた。

ドリアン・グレイはその後何年間も、この本の影響から脱することができなかった。正確には、脱しようとしなかったと言うべきかもしれない。彼はパリから初版を九冊以上取り寄せて、それぞれ違う色の表紙をつけて装丁させた。時にほとんど自分ではコントロールできなくなってきている、さまざまな気分や移り気な志向に合わせるためだった。主人公はパリに住むすばらしい青年なのだが、ロマン主義的な気質と科学的志向がまじりあっているこの青年は、まるでドリアン自身を予期して描かれたようだった。そしてこの本はまさに、生まれる前に書かれたドリアンの人生の物語のようだった。

バジル・ホールワードら多くの人々を魅了したすばらしい美しさがドリアンから去ることはないようだった。彼の生活ぶりについて、ロンドンでは奇妙なうわさがささやかれていて、今やクラブでも話題にのぼっていたが、彼についてのひどく悪いうわさをきいた人々でさえ、その姿を見ると、彼の評判を落とすような話は全く信じられなかった。彼はいつも世間の汚れに染まらぬように見えた。下品な話をしていた 輩 もドリアン・グレイが部屋に入ってくると口をつぐんだ。彼の清らかな顔に、非難されている気分になるのだ。彼がそこにいるだけで、自分たちが汚してしまった、純潔だったころの記憶がよみがえるようだった。彼らは、このむさくるしく肉欲的な時代に、彼のように魅力的で美しい人が汚されずにいることが不思議でならなかった。

そして間違いなく、ドリアンにとって、「人生」そのものが第一の、そして最大の芸術であり、「人生」の前では他の芸術は単なる準備でしかないように思えた。「流行」、これによって真にすばらしいものがいっとき普遍的になり、「ダンディズム」、これは独自の方法で美の完全な現代性を主張しようとするものなのだが、もちろんこの二つのそれぞれに彼は惹かれていた。彼のファッションや、その時々に取り入れているさまざまなスタイルは、メイフェアの舞踏会やペル・メルのクラブの窓辺にいる流行に敏感な若者たちに絶大な影響を与えた。彼らはドリアンの行動のすべてを真似し、彼が適当に編み出した優美なおしゃれの偶然の魅力を再現しようとしていた。

感覚は、その本質がいまだ理解されたことがなく、未開で動物的だ。それは世の人々が感覚を、美を求める繊細な本能を主軸にする新しい精神主義の一部にしようとせず、それどころか感覚そのものを飢えさせて服従させようとしたり、苦痛によって死に追い込もうとしたりしているからだ。「歴史」の中を動いた人物たちを振り返ると、喪失感に襲われる。なんと多くの感覚が放棄されてきたことか。しかもほとんど意味もなく! 恐怖にかられ狂気じみた頑なな自己の拒絶やいまわしい自己虐待と自己否認をし、その結果、無知ゆえに逃れようとしている想像上の退化よりもはるかにおそろしい退化を招いてしまう。「自然」はそのすばらしい皮肉をもって、隠者に砂漠の野生動物と共に食事をさせ、世捨て人に野の獣を伴侶にさせる。

人間はきわめて多面的な人生を送り、さまざまな感覚を持ち、思想と情熱を奇妙に受け継ぐ多様な姿を持った複雑な存在で、その肉体は死者のおぞましい毒によって汚されているのだ。彼は田舎の屋敷のもの寂しい画廊を歩き回っては、自らの身体にその血が流れている人々の肖像画を眺めるのが好きだった。

「きみのところの召使がずいぶんくつろがせてくれたのがわかるだろう、ドリアン。彼はほしいものを何でも用意してくれたよ。君の金の吸い口のある煙草もね。とてももてなし上手だね。前にいたフランス人よりも僕は好きだよ。ところで、あのフランス人はどうしたんだ?」

「そんなのは知りたくない。他の人間のスキャンダルは好きだが、自分自身のスキャンダルには興味がない。目新しさという魅力がないから」 「君が必ず興味を持つ話だ、ドリアン。紳士はみな自分の評判には興味があるものだ。君だって人々に堕落した卑劣な男だとは言われたくないだろう。もちろん君には地位があり、富があり、そういうものはみな持っている。しかし地位と富がすべてじゃない。きいてくれ、僕はこんなうわさは一つも信じていない。少なくとも君を見たら、信じられない。罪を犯した人間の顔には、それが表われるものだ。隠すことはできない。秘密の悪徳を語る者もいる。そんなものは存在しないんだ。

ナルバラ夫人がいささかあわてて催したささやかなパーティーだった。夫人はとても抜け目のない女性で、ヘンリー卿に言わせると、「驚くべき醜さの残骸」といった女性だった。彼女は非常に退屈な大使の妻を立派につとめあげ、夫を自らデザインした大理石の立派な墓にきちんと葬り、娘たちを金持ちでやや年配の紳士たちに嫁がせた後、今はフランスの小説とフランスの料理法と理解できるかぎりのフランスのエスプリに熱中している。

「あなたは二度と結婚しませんよ」とヘンリー卿が割って入った。「あなたは幸せすぎる。女が再婚をするのは、最初の夫がひどく嫌いだったからだ。男が再婚をするのは、最初の妻を熱愛していたからだ。女は運を試し、男は運を賭ける」

「ナルバラは完璧な夫ではありませんでしたわ」老婦人は言った。 「完璧だったら、あなたは彼を愛さなかったでしょう」というのが答えだった。「女性は男の欠点を愛するんです。十分に欠点があれば、すべてを許してくれます。知性さえもね。これを言った後は、もう二度と夕食に招いてもらえないんじゃないかと心配なんですが、ナルバラ夫人。でも全部本当です」

「僕はあの男には退屈したよ。彼女と同じくらいにね。彼女はとても頭がいい。女にしては頭が良すぎる。あの人には弱さという漠然とした魅力が欠けている。黄金の像が貴重なのは粘土の足があるからだ。彼女の脚はとてもきれいだが、粘土の足ではない。白い陶器の足といったところだね。何度も火をくぐっている。火に焼かれて、壊れないものは強くなっている。たくさんの経験をしているんだ」

「ああ、グラディス、君たちの名前は決して変えたりしないよ。どちらも完璧だからね。僕が考えているのは主に花の名前だ。昨日僕はボタンホールにさすために蘭を切った。斑点のあるすばらしい花で、七つの大罪に劣らず印象的だったよ。僕はふと何も考えずに庭師にその花の名前をきいてしまった。庭師は『ロビンソニア』とかいう花の優秀な品種だと教えてくれた。悲しい事実だが、我々はものに美しい名前をつける能力を失ってしまったんだよ。名前がすべてだ。僕は行動について争ったことはない。争うのは必ず言葉についてだ。だからこそ文学に野卑なリアリズムを持ち込むことを嫌うんだ。 鍬 を鍬と呼べるような男は鍬を使わせておけばいい。そんな男にむいていることは他にない」

「金が少しありました。たいした額じゃありません。それから六連発銃が一丁。名前が書いてあるものは何もありませんでした。見苦しくない男ですが、荒っぽい感じです。船乗りだなと我々は思いました」

「あのね、ドリアン」ヘンリー卿は微笑んだ。「田舎では誰でも善人になれる。田舎には誘惑がないからだ。だからこそ田舎に住む者は洗練されていないんだけどね。洗練はどんな意味でも簡単に身につくものではない。身につける方法は二つしかないんだ。一つは教養を得ることでもう一つは堕落することだ。田舎の人々はどちらの機会もないから、すっかり停滞しているんだ」

「そう言ったらね、ドリアン、君は自分に似合わない役を気取っているんだなと言うよ。犯罪とはみな卑俗なものだ。ちょうど、すべての卑俗さが犯罪であるのと同じように。ドリアン、君には殺人を犯す素質はない。こんなことを言って、君の自尊心を傷つけてしまったらすまない。けれど間違いなくそれは本当だ。犯罪は下層階級だけのものだ。彼らを責めるつもりはこれっぽっちもないが。彼らにとっての犯罪は、僕らにとっての芸術のようなものじゃないかと思う。普通でない感覚を得るための方法というだけさ」

「ああ! どんなことでも繰り返せば快感になってくるものだよ」ヘンリー卿は笑いながら叫んだ。「これこそ人生のもっとも大きな秘密だ。だが僕は殺人はいつも間違いだと思う。食後の話題にできないようなことはするべきではない。しかしバジルの話はもうやめにしよう。彼が、さっき君が言ったような、ひどくロマンティックな最期をとげていると思えればな。しかし無理だ。乗り合いバスからセーヌ川に転落したのを、車掌がスキャンダルをおそれてもみ消したんじゃないかな。そうだ。きっとそれが彼の最期だと思う。大きな遊覧船が行きかう川のよどんだ緑色の水の底に長い水草を髪にからませて、あおむけに横たわっているのが目に浮かぶ。バジルにはそれ以上のことはできなかったと思うよ。この十年ほど、彼の絵はだいぶ衰えていた」

「ドリアン、君は本当に説教を始めたね。君はそのうち改宗者や信仰復興論者みたいに歩きまわって、自分が飽きてしまった罪について人々に警告するのだろう。そんなことをするには、君には魅力がありすぎる。それに、そんなことをしても無駄だ。君と僕は今のままだし、これからも変わらない。本に毒されたと言ったが、そんなことはありえない。芸術には行動に影響をおよぼす力などない。行動への意欲を消してしまうんだ。すばらしく何も生み出さないんだ。世間の人が不道徳だと言う本は、世間の恥辱を示している本だ。それだけのことだ。しかし文学を論ずるのはやめよう。明日来てくれないか。十一時に馬車に乗る。一緒に行かないか、そうしたらバークシャー夫人との昼食に連れて行ってあげよう。彼女は魅力的な女性だよ、それに君にいま買おうと思っているタペストリーのことを相談したいそうだ。ぜひ来たまえ。それともかわいい公爵夫人と昼食をとるか? 君に全然会っていないと言っていたよ。君はグラディスに飽きてしまったんじゃないかな? そうなると思っていた。あの才気煥発な口ぶりは気にさわるからな。まあ、どちらにしても、十一時にここに来てくれ」

 美しい夜だった。暖かかったので、ドリアンはコートを腕にかけ、首にスカーフを巻いてもいなかった。煙草を吸いながら家に向かってゆっくりと歩いていると、夜会服を来た青年二人とすれ違った。一人がもう一人にささやくのがきこえた。「あれはドリアン・グレイだ」ドリアンは以前は指さされたり、じっと見られたりすると、どれだけうれしかったかを思い出した。今は自分の名前をきくのに飽き飽きしている。最近頻繁に通っていた小さな村は、誰も彼を知らないのも大きな魅力だった。彼に惹かれて恋をするようになった少女には、自分は貧しいのだと何度も語っていて、彼女はそれを信じていた。一度、自分は悪い男だと言ってみたこともあったが、彼女は笑って、悪い人は普通、歳を取っていて醜いものだと答えた。なんと愛らしい笑い方だっただろう! まるで 鶫 がさえずっているみたいだった。そして木綿のワンピースを着て、大きな帽子をかぶった彼女がどれだけかわいらしかったことか! 彼女は何も知らなかった。しかし彼が失ったすべてを持っていた。

解説 日髙真帆 清泉女子大学専任講師

 両者を比べた時、細部の訳出の違いはさておき、まず感じるのは時代の移り変わりではないだろうか。現代の読者にとって、仁木氏の翻訳の美点は、まずその読みやすさ、身近さであろう。文庫本の手軽さも手伝って、一世紀以上前にイギリスで生み出された『ドリアン・グレイの肖像』の世界を、いともたやすくパソコンの傍らに、携帯電話の隣に滑り込ませてしまうのだ。

 それにしても、ドリアンの魅力は華々しい。邦訳一つを取っても、この一世紀の間、絶えず訳者、読者を惹きつけてきた。先の平井氏の訳が出版された頃には、早くも平田禿木氏、矢口達氏、西村孝次氏らによる既訳があり、その後数十年の間に、福田恆存氏、平井正穂氏、渡辺純氏、富士川義之氏を始めとする数々の先達の手による訳書が発刊されてきた。

二人は一八五一年に結婚し、翌年、長男のウィリアム・ロバート・キングズベリー・ワイルドが生まれる。その二年後に生まれたワイルドは、女児を望んでいた母親に女児用の服を着せられ、それが後のワイルドのセクシュアリティに影響を与えたという説もある。続いて妹アイソラが誕生し、兄と不仲だったワイルドの寵愛を受けたが、不幸にも幼くして病死し、少年ワイルドの心に深い悲しみを刻んだと言う。

 さて、一八六四年、ワイルドはアイルランド北部ファーマナーのエニスキリン町のポートラ・ロイヤル・スクールに入学した。読書家でもあった彼は在学中に優秀な成績を収め、ギリシャ語聖書の最優秀者として「カーペンター賞」を、古典語優秀者として「ポートラ金賞」を受賞し、一八七一年、奨学金を得てダブリンのトリニティ・カレッジに入学した。そして、やはり古典で優秀な成績を収め、一八七四年には最高の古典賞である「ギリシャ学バークレー金賞牌」を受け、同年給費生としてオックスフォード大学モードレン・カレッジに入学した。

 ワイルドの才能は早くから認められ、オックスフォード大学在学中の一八七八年には、同大学学生による詩を対象とした「ニューディゲイト賞」を『ラヴェンナ』により受賞した。同年、文学士学位本試験を首席で合格し、文学士の学位を得てオックスフォード大学を卒業した。

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2024年10月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いつまでも子供の頃のように純真無垢でいたい。
とびきりの美男美女じゃなくとも、魂の清廉さを求める心は誰にでもあると思う。
そして、そんな願いを叶えたのが本作の主人公ドリアングレイ。彼は自分の肖像画に我が身にふりかかる不浄の一切を引き受けてもらえるように願い、そして叶えられた。

どう考えても悲劇的な結末しか予感させない。
なによりわたしが一番恐ろしいのは、日々頽廃するドリアングレイよりも、ヘンリー卿だ。
彼が毎度唱える逆説的な台詞には、19世紀末の暇にあかした貴族の物憂げさ、噂好き、結末のない議論好きな雰囲気がよくあらわされている。

そして彼こそ、側でドリアンが侵す悪行の数々を目にしていたはずなのにもかかわらず、登場の最初からドリアンが死ぬ最期までまったく何も(風貌以外)変わっていないのだ。
彼の論説も人の真理をつくかと思いきや、ふらりと捉えどころもなく薄気味悪い。
ドリアンに最初の穢れをもたらしたのもヘンリー卿だった。

本作を読んで、あまりに彼の台詞に共感、陶酔するのはちょっと怖い。
けれど、不思議と魅力的で、一見ねじくれて理解しにくい彼の言葉を何度も読み直し、落とし込めようとしてしまう自分がいる。
怖い。

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2024年07月04日

Posted by ブクログ

ヘンリー卿は時空を越えて存在する完璧な存在。
実在しなくて本当によかった。
出会った作品の中で最高ではないが、人生で最も影響を受けた物語。いまだに呪縛は取れず何度読んでもワイルドの恥美的な世界にどっぷり浸かってしまう。

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2024年04月24日

Posted by ブクログ

オスカーワイルド3冊目。また瘴気に当てられた…大筋のストーリーこそベーシックだと思いますが、とにかく会話と思考の逆説に次ぐ逆説。真理のようにも気取っているだけのようにもとられるけど、主要な登場人物3人こそワイルドの分身なのだろうと思います。

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2023年12月07日

Posted by ブクログ

昨年の『禁色』、今年の『標本作家』ときて、ようやく『ドリアン・グレイの肖像』にたどり着きました。本に関しては、読むべき時におのずと手に取ることになるという(?)運命論者なので、来るべき時が来たという感じです。
学生時代に『サロメ』にはまった時に、なぜこちらを手に取らなかったのか。福田恆存が好きだと話し合える友人がいたのに、なぜこの本を手に取らなかったのか。もう彼と話し合えることがないのに、今更彼にぴったりな本達を読むことになっているなんて、なんと残酷なのだろうと思います。でも私たちにとって、美しいものは悲劇的であるということはあまりに自明なことなので、きっとこれで良かったのだと思う自分もいます。が、一番に語るべき人物が思い浮かぶのに、彼と話し合いたい本だけが溜まっていく。このあまりにも美しい言葉でなるこの本もまさにそんな一冊でした。

読みだした最初からあまりにも『禁色』であって驚いたのですが、意外と読み終わったときには、「悠一の方が魅力的だったな…?」でした笑。だからといってこの本の満足度が下がることはないのですが。むしろヘンリー卿の方が魅力的に映った。きっと諸々の悪事が明記されているわけでもなく、それに悪魔的に酔いしれるドリアンが見られたわけでもないからだろう。BL的な観点でいうと一瞬だけ出てきた、アラン・キャンベルにもとてつもなく惹かれてしまい、ドリアンとの「18か月」詳しく…ってなりました笑

さて本編で私を酔わせた場面たち
「芸術が映しだすものは、人生を観る人間であって、人生そのものではない…有用なものを造ることは、その製作者がそのものを讃美しないかぎりにおいて赦される。無用なものを創ることは、本人がそれを熱烈に讃美するかぎりにおいてのみ赦される。すべて芸術はまったく無用である」p.8, オスカー・ワイルド(序文全てが魅力的で既に★5の気分だった)

「影響はすべて不道徳なものだー科学的にいって不道徳なものだ…他人に影響を及ぼすというのは、自分の魂をその人間に与えることにほかならないから。いちど影響を蒙った人間は、自分にとって自然な考えかたもしなければ、自分にとって自然な情熱で燃え上がることもない。美徳にしても本物でなく、罪悪だってーもし、罪悪などというものがあるとしての話だがーそれだって借物にすぎない。その人間はだれか自分以外の人間が奏でる音楽のこだまとなり、自分のために書かれたものではなく役割を演じる俳優となる。人生の目的は自己を伸すことにある。自己の本性を完全に実現すること、それこそわれわれがこの世に生きている目的なのだ。…」p.32, ヘンリー卿

「薔薇のように紅い若さと、薔薇のように白い幼さをもったあなた」p.34, ヘンリー卿

「音楽なら、いまと同じように心をゆすぶられたことがあった。一度ならず、音楽はかれを悩ました。しかし、音楽は、明晰な思想の表現ではない。音楽が人間の心のなかに創りだすものは新たな世界ではなく、むしろ、もうひとつの混沌にすぎない。言葉!ただの言葉!…言葉は無形の事物に形態を附与し、ヴィオラやリュートの音にも劣らぬ甘美なしらべを奏でることができる。ただの言葉!いったい、言葉ほどなまなましいものがほかにあるだろうか」p.34~35, ドリアン

「美というものは天才の一つの型なのだーいや、それは説明を必要とせぬゆえに、天才よりも高次のものにちがいない。美は、陽光や春、あるいはひとが月と呼ぶあの銀色に輝く貝が、暗い水面に落す影のごとき、この世のすばらしき現実に属しているのだ。美にたいして問いを発することはできない。美には天与の主権があるのだ…」p.38, ヘンリー卿

「…きみは、ずっしりとした重たげな蓮の花を頭にかざし、アドリアンの屋形船の舳に座して、緑色に濁ったナイル河を見渡し、あるいは、ギリシアの森林の静かな池に身をのりだして、その静まりかえった銀色の水面に映る自分の顔のすばらしさに見惚れたのだ。そして、こういったものこそ、芸術の真にあるべき姿なのだ、それは無意識的で理想的、かつ超絶的でなければならない。」p.172, バジル

「ドリアンは、いったい自分とバジル・ホールウォードはほんとうに会ったことがあるのだろうか、会ったとすれば、ふたりはたがいに相手のことをどう思っていたのだろうかと考え始めるのだった」p.250 おやおや…夏の日のあの庭が思い浮かぶ…

「文明というものは、容易なことで出来あがるのではない。それを達成する道はただふたつだ。ひとつは教養を高めることであり、もうひとつは頽廃することだ」p.299, ヘンリー卿

「きみは像を彫るでもなし、絵を描くでもなし、きみという人物以外のなにものをも造りだなかったのだ!人生こそきみの芸術だった。きみはきみ自身を音楽に編曲したのだ。きみの一日一日がソネットなのだ」p.310, ヘンリー卿

番外編
「自然のみならず、芸術にもまた獣的な形状と醜怪な声音をもった怪物があるのだという考えに、一種異様な喜びを感じるのだった。ところが、暫くするうちに、かれはそれにも飽き、ときにはひとりで、場合によってはハリーと連れ立ってオペラ座の自分専用の桟敷に坐り、「タンホイザー」の楽曲に恍惚とした耳を傾けては、この大芸術作品の序曲のうちに、自分自身の魂の悲劇が表現されているのだと感じるのだった」p.199, ドリアン

割と最初の方から、ワーグナーの音楽が頭に流れていたのですが、『ローエングリン』という言葉からおやっと思い、『タンホイザー』が出て、ワイルドってワーグナー好きだったんだ!と調べて知りました。だよね、わかるよ笑。同じ方向性の世界だもの

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2023年03月05日

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こんなに有名な本を今までなぜ読まなかったのか、それが最大の謎。特に、これだけ素晴らしい本だというのに!
高校のときに選択科目で取っていた演劇で、The Importance of Being Earnestという劇で初めてワイルドを知り、その後、同じく高校時代にスティーブン・フライ主演のWildeという映画が流行っていたのが二回目のワイルド体験。その後も、何度も彼の名前は色々な場所で見かけていたというのに、なぜかこの本だけは読んだことがなく。
「美しい」ことと「若い」ということが決してイコールだとは思えないけれど、でも、「若くて美しい」ことに意味があるというのはわかる。そこまでは、同調できる。でもだからといって、ああまで固執するものなのでしょうか。個人的には、年を取ることは若いことと同じかそれ以上に意味があると思っているので、正直、グレイの執着心には寄り添うことはできず。彼があれほどまでに追い求めたかったものも、私にはヘンリー卿に影響されて素直に動いてしまった結果であって、グレイが真実、追い求めたかったものとは少し違うような気がします。そういった意味で、彼は3人(画家、ヘンリー卿、グレイ)の中では一番精神的に弱かったのではないかと。ちなみに、一番の小心者はヘンリー卿でしょう。もしも本当にグレイが、バジルとヘンリー卿の言う通りに「完璧」であったのだとしたら、その後、グレイはその「完璧」を保持しようとしただけであって、それはつまり、「完璧」から遠ざかる行為だったのではないかな、とか考えたりしました。もしも「完璧」ならば、保持せずともグレイが存在するだけで良いわけで……。ただしその場合、ではグレイが保持するためだけでなく、ただただ快楽を追求した場合も彼は「完璧」になってしまうので、結局この論も袋小路に入ってしまいますが。
彼の肖像に彼の「祈り」(と呼ぶべきか否か)が届いたことを目の当たりにするシーンは、本当に寒気がするくらい怖ろしかった。口元に浮かぶいやらしさ、というのが目に浮かぶというよりも、もっとダイレクトに体に響くようで、読んでいた場所は電車だったはずですが、あの瞬間、私は確実にグレイと共に屋根裏部屋にいたように思います。
グレイが真に憎悪の思いをぶつけるべきはヘンリー卿だったように思えるのですが、ヘンリー卿は別格だったのでしょうね。かわいそうなバジル。バジル、ヘンリー卿、グレイの三角関係でもあるこの小説、男色であることが罪悪であった時代だからこそ、表立って描かれていない箇所が、文章の間から匂い立つようです。
ヴィクトリア朝がそうなのか、ワイルドがそうなのか、なぜか女性に対しては手厳しく、女性は必ず批判・非難の対象になっているように思えます。そこだけは、現代的な見方をしてしまい、肩をすくめてワイルドと議論したい気持ちに駆られますが、まあ、過去のことと笑って流すしかないでしょう。
描かれている心理と描かれていない心理、丁寧に描かれた箇所と端折られた箇所、感情的な箇所とぞっとするほど冷静で客観的な箇所の対比とバランスが秀逸です。
次はこれを原文で読んでみたい。美しいんだろうな。

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2015年03月24日

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大変面白かったです。確かに唯美主義的な物語でもありましたが、別の側面から見ると、「人生の目的は自己を伸すことにある」という思想の下、悪徳の限りを尽くして徹底的に自己の快楽のみを追い求め続けるという破滅的な「自己」を背負った主人公がどのように生きていくのかを追った物語でもありました。
その結果がいわゆる一般的な生き方をしていれば普通にはありえないような恐ろしい死であったとしても、各人が持つ交換不能の「自己」を存分に伸ばす生き方には、確かな魅力があります。しかし、それによって開示される「自己」が周囲の人々をことごとく不幸に巻き込むようなものであったとしたら? かなり面白いテーマだと思います。
「日常茶飯の世界では、悪人が罰せられることも、善人が酬いられることもない。成功は強者に与えられ、失敗は弱者に押しつけられる」、本当にそのとおり。きっとドリアンが日常茶飯の世界の住人であったならば、自らの良心にナイフを突き立てて死んでしまうことなどなく、周囲の弱者たちに不幸を振り撒きながら生き続けたことでしょう。しかし、言うまでもなくこのドリアンは空想の世界の住人、つまり小説の登場人物です。『ウィリアム・ウィルソン』よりもさらに手厳しく、良心と共に絶命してしまうという終幕は、この悪夢のように薄気味悪く美しい物語にいかにも相応しいと思います。

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2015年03月13日

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azuki七さんの影響。
何も考えずにこれを読んでいたら、青春賛美とかワイルドの同性愛趣味か、などど間違って読んでしまっていただろう。
年を取るということは、肉体が衰え苦しみが増えるのではない。ヘンリー卿が言いたかった青春賛美は、その時その時しかできないこと、感じられないものを楽しむことなのだと思う
そして、世界はいつも自分からしか開けない。どのような美しい姿をしていても、自分のしたことは、自分が一番よく知っている。肖像画は良心と呼ばれるものかもしれないが、紛れもない自分自身に他ならない。彼は良心から自分を殺したのか。いや、彼は考えることをやめ、自分で自分を否定したのだ。

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2014年03月14日

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美貌の青年ドリアン・グレイがとある人物との出会いを境に、人生が狂って行く…。

悍ましくも美しく芸術的な物語で、醜悪さと耽美さを併せ持つゴシックホラー小説。
非常に古い作品ではあるが、古臭さは無く、終始耽美的な世界観に魅了された。

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2024年10月06日

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ドリアンの悪行はベールに包まれているがギラギラと輝いて暗い中で光る宝石のような美しさを感じさせる。肖像画はドリアンの良心で、醜くなった分だけ彼が傷ついていたのだと感じた。

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2024年05月10日

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全編通して逆説を言い続ける友達と、
気に入った本を9冊買って違う色のカバーをかけ、その日の気分に合った色のを読むというくだりが良かった。

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2023年01月29日

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唯美主義に浸りたいだけの気持ちで読むには人生動かされすぎる問題作でした((汗

ここから得るものはかなり大きいので、人生で読んでおいた方がいい作品だと思うのですが、あらすじとか教養として知っていただけの大雑把な内容などから受けるイメージは軽すぎたかもしれません。
実際に読んでみたら無秩序が予想の遥か上をいっていて、とにかく怖い怖い!
怖がらせるためのホラー小説よりもずっと怖いです……。

凄く重く心にのしかかるものがあり、考えようによっては財産にもなり得ると思うので、読んでよかったというのは素直な感想ですが、ただ私は実際に読破する前の、大まかな知識だけの時の方がこの作品が好きでした。
全て含めて最終的に星4です。

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2022年10月15日

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ゴシック小説第2ブームの代表作(最初のブームの代表作は「フランケンシュタイン」)。もうプロットが大天才なんじゃ...天才であると同時にかなりシンプルなんだけど、しかしその肉付けがモリモリモリ...いやあものすごいものをよんだなあ...!

「なにはともあれ有害な書物であった。あたかも香の強烈な匂いがこの本の頁にまとわりつき、頭脳を濁らせているかのようだった。」(p.247)この本もそうだと思う(笑)わたしにとっての新しい視点からの考え方をめちゃくちゃ吹き込まれた!でもそれが良いことなのかこの作品に関してはちょっぴりわからないのも事実(笑)

オスカーワイルドの逆説は奇抜で常識に囚われてなくてほんと「美!」って感じで好きだけど、深くまで共感できなくてよかったってちょっと安心する部分もあるから(笑)まさに、「かれのことばは華麗にして奇抜、そして無責任きわまりないものだった。」(p.88)

「言葉!ただの言葉!その言葉のおそろしさ!明晰さ、なまなましさ、残酷さ!」(p.45)この本の中の言葉たちに何度か殴られた気がする...そしてゾクゾクもした...言葉ってすごい。本当になまなましい。

「一生にまたとないロマンスなどとは言わないほうがいい。わが生涯における最初のロマンスとでも言うのだ。」(p.102)オスカーワイルドの言葉って、"まあたしかにそうかも...たしかに当たってる...けど!本気でそれ思ってるの?!ハァ...!?"ってなることが多いんだけど、この警句?は唯一素敵だなって思った。

これもすき。「部屋のなか、あるいは朝空のなかにふと認められた色合い、昔好きだったために、いまでも嗅ぐたびに妙なる思い出を匂わせる香水、かつて眼にふれたことのある忘れられた詩の一行、弾くことをやめてしまった曲の一節、いいかい、ドリアン、こういったものにこそ、人間の生活は左右されているのだ。」

「この世に存在する精美なるものの背後には、つねに悲劇的な要素が宿っている。一輪のみすぼらしい花が咲きいでるためにも、世界は陣痛を味わわねばならない。」(p.76)まあこれも真理よなあ...こういうのがゴロゴロある...!!

総じて、ヘンリー卿ほど美男子アイドルオタクに向いている人いないと心の底から思った(笑)

2カ月前くらいから、生まれてはじめてアイドルにハマっているけれど、アイドルって偶像崇拝だから、ぐるぐる考えてしまうタイプのわたしには難しいなあって悩んでいるところ。もしわたしがこの作品の世界に生きているなら、ドリアンを偶像崇拝して身を滅ぼすうちの1人だな。しかも本文にすら載れないカットされる。まちがいないな。

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2020年08月06日

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期せずして永遠に続く美貌を手に入れてしまったことによる悲劇。
老いること、醜く歪むことが、どれだけ彼を留めさせることができただろうか。
ブラックジャックの「人面瘡」を思い出した。

この本はとにかくヘンリー卿の印象が強い。
ドリアンもそこそこ警句じみたことは言うのだけれど、何故かヘンリー卿に比べて非常に薄っぺらく見えてしまう。

1つ文句を言わせてもらうなら、裏表紙の豪快なネタバレ。
確かにストーリーの行く末自体は予測しやすいし、この本の魅力の一端でしか無い。
でも裏表紙に書いちゃうのは違うでしょう……。

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2017年10月21日

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深夜ドラマでこの作品を知って、いつか読まなきゃと思いつつ5・6年経ってしまいました。オスカーワイルドや彼の他の作品については何も知りませんでした。
肖像画が本人に代わって年をとる、というストーリーがわかりやすかったので、読みづらい文体でも読み進むことができました。特にヘンリー卿の(ワイルドの?)人生観が多すぎるくらいに散りばめられていたので、ひとつずつ咀嚼していたら時間がかかってしまいました。でも、印象に残る台詞ばかりで、納得するところも多かったのでとても興味深かったです。女性観については女性として、おや?と思う部分もありましたが。


美という芸術に捕らえられた少年が「罪」を巻き込んで「成長」していく様子が「人生の論理」とともに描かれています。
久しぶりに、読み返したい、と思う小説に出会いました。夢のような物語で、面白かったです。

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2016年08月04日

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耽美と頽廃の世界。やっぱり良い。ヘルムート・バーガーもドリアン・グレイを演じたことがあるらしい。納得!

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2016年02月15日

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 類いまれなる美貌をもち一切老けないドリアンと、ドリアンの悪事によって老けていくドリアンの肖像画。美貌が重荷になり、自分の人生こそが芸術だと他人に称せられるドリアンの人生の恐ろしさは、一生共感できないと思う。そんな自分の人生に苦しんだ結果ドリアンがとった行動は、解説の方がおっしゃるようにまさに真面目なモラリストであるドリアンらしくて、小説のラストとしては好き。

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2015年11月29日

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ものすごく読みたい衝動に駆られて読み始めたけど、途中、何言ってるんだかさっぱり分からなかった…。読み進めるとなかなか面白かったけど、言葉って恐ろしいよねと実感させられる話だった。ドリアンが何か罪を犯すとああだ、こうだと自分に言い訳するあたり、大なり小なり誰にでもあることだと思うと、ちょっと自分に置き換えて考えちゃうなぁ…。

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2015年11月10日

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ネタバレ

自分の代わりに肖像画が醜く老いていく。
自分は美少年のままで年齢を重ねる。

凡庸な善人、頭の切れる不道徳な人物
ドリアンは後者を選んでしまう。

不道徳に惹かれてしまう思春期。
ずっと思春期の中で過ごした顛末は
ハッピーエンドではなかった。

幻想的な物語でした。

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2015年06月14日

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ストーリー的には怪奇ホラーとかいう分類にでも入れるべきなのかもしれない。超自然的要素がある。耽美主義の作品とはいえ、現象自体は写実的でなかろうが根底の思想は写実主義、自然主義へと通じているものだろうなと。まあ、主人公は耽美主義者なんですけどね。そしてこの耽美主義の撒き散らす毒と行きつく地獄が描かれる。美への執着への批判か警告か。それとも美への執着に感じる作者の内省的な罪の意識が筆に乗り移ったのか。

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2014年05月27日

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昔読んだ時より全然耽美感が増してた。比較対象が少ない頃に読んだので、「なにこれ、めちゃくちゃ文学ってかんじだ。とにかく破滅的でかっこいい」みたいな感想を持ってたんですが、なんかそんなんじゃあなかった。大学でちょろっとシェイクスピアとかもやって、そういう、20世紀とか以前のちょっと古いイギリスとかその文学・劇文化を若干垣間見て、そこでのイギリス民衆の雰囲気とかも若干垣間見て、他にも世界の様々な作品を自分なりに色々読んで、改めてオスカー・ワイルドの耽美的なこだわりみたいなものも分かるようになったし、異質さも感じる。と同時に、そこまで私はこれに感動みたいなものは覚えないかもといった冷めた視点もあるし、それにしてもこの物語の美しさ、ドリアン・グレイというひとりの美しい青年の人生の破滅と、身代わりに歳をとってゆくよくできた肖像画、劇的なラスト、そういうものたちにはとても心惹かれる。距離を置いて適切な見方をできるようになってきたのかなとおもいました。

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2013年11月02日

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一時期快楽主義に入り浸っていた際に興味を持ち購入した後、久しく書棚に眠っていた作品。美青年で、純粋無垢という言葉がぴったり当てはまる容姿と魂を併せ持ったドリアン・グレイが、「逆説公」ヘンリー・ウォットン卿との出会いにより、堕落し悪徳を重ねて最後には自ら破滅する物語。
本書の最大の魅力は、何と言ってもヘンリー卿の警句にあります。「恋はつねに自己を欺くことにはじまり、相手を欺くことに終わるものなのだ。」「われとわが身を責めることには一種の悦楽がある。人間が自己非難をするとき、自分以外のだれも自分を責める権利がないと感じる。人間の罪状を消滅してくれるものは、牧師ではなく、告白なのだ。」など、ヘンリー卿の吐く台詞すべてが何か奥深く、芸術の香りを漂わせているように感じられます。
ヘンリー卿は、美とは可視的なもののうちにあるという趣旨の発言をしましたが、頭脳が作り出したもの(想念)が「行為」という動作を通じて善悪や真偽を表現する以上、各々の有する美的感覚のみならずそれぞれの正義や価値観もまた美しいものであり、卿の見解は非常に説得的なものであるように思われました。

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2013年09月04日

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読んでいて映像が目に浮かぶような筆致。
しかし、ぐいぐい引き込まれていく展開ではなかった。
発表当時はセンセーショナルだったと思われるが、21世紀の今だと特に印象に残らない。
ワイルドの他の作品も読んでみて、ワイルドの自分なりの評価を決めたい。

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2022年09月02日

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その若さと美貌と富ゆえに、純粋であった主人公ドリアン・グレイが、彼の信奉者たる画家のバジル・ホールウォードにその肖像画のモデルとされる。生き写しとされたその作品が保ち続ける若さと、重ねられていくグレイの悪徳の相反性に彼は苦しめられていく。ラストのモダンホラー的展開にしても何か彼の暗喩である肖像画に込められた芸術への皮肉が意味されているのだろうな、と浅はかな読者である僕は解釈した。作者であるオスカー・ワイルドの純粋な美と芸術の素晴らしさと恐ろしさの観念に当てられたのでした。

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2022年06月25日

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誰もが羨望する美青年ドリアンとその肖像画の話。画家が全精力を注いだドリアンの肖像画は、彼が悪行を行うことによって、醜い姿へと変貌してゆく。ストーリーとしては面白いが、主旨から反れていく場面がたびたびあるため、せっかくのところで興醒めしてしまった。

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2021年09月15日

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面白かったです。
ヘンリー卿の言うことは飛び飛びにしか分からなかったけれど、これはもっと頭が柔らかい時に詠んでたら影響を受けまくって、更に頽廃的な生き方してただろうと思います。
「自分の道徳的偏見を吹聴するためにこの世に送られてきたわけでもあるまいし」は、そう!と思いました。
芸術は疾病で、愛は幻想
幻想小説だったけど、悲劇的なラストも良かったです。
いきなりのチェーザレ。。。

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2020年05月02日

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ヘンリー卿の言葉が刺さる人には楽しいのかもしれない。
私はほとんどヘンリー卿の言ってることにも態度にも惹かれるところがなかったので…あまり楽しめなかったかな…。
特に、女は男は〜なんて大きな括りで語る人はどうも苦手なので…。
ドリアンも美しいは美しいんだろうけど、それ以外の魅力がイマイチ伝わってこなかった。

罪や肖像画に苦しむ様や、『過去を考える必要なんてない』みたいな部分には惹かれるものがあった。
オチは今となってはベタと思われがちな展開ではあると思うけど良い終わり方だったと思う。

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2018年12月15日

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表現が難解というかまどろっこしすぎて僕には御しきれませんでした(チーン
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物語を語るために言葉があるはずなのに、言葉を語るための物語になってる作品は初めてみたなぁ。この作品をかけるワイルドマジで頭狂ってるとしか思えない。蠱惑的で憧れる。このレベルになると訳書と原作じゃ大きく解釈が違うと思われるので、原書で読んでみたいなぁ。
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その点絵画はそういうことないよねってフェルメール展行ってる時に友達が言っててハッとした。

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2018年11月11日

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何度か映画化そして舞台化されており、設定自体が演劇っぽいので、小説よりも舞台や映画をみることをむしろお勧めしたい作品。
 ストーリー設定はごくシンプルで肖像画に老いを閉じ込め永遠の若さを得た美貌の主人公をめぐる話。主人公以外の登場人物もせいぜいWIKIPEDIAで紹介されてる数名のうち(バジルとハリーとベイン姉弟)だけ覚えておけばよい。
 友人ハリーの箴言が多すぎるのが難点であり、この作品を絶賛する人はそこにこそワイルドの真骨頂があると評価している。主人公が本当の罪を犯してからの展開は確かに面白い

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2018年05月06日

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"誠実に生きろ"という教訓でありながら、
"退廃する美しさ"を破棄しないところが
作家オスカー・ワイルドの凄いところ。

本音と建て前は別!ってことなのかな。

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2014年06月07日

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