あらすじ
老王リアは退位にあたり、三人の娘に領土を分配する決意を固め、三人のうちでもっとも孝心のあついものに最大の恩恵を与えることにした。二人の姉は巧みな甘言で父王を喜ばせるが、末娘コーディーリアの真実率直な言葉にリアは激怒し、コーディーリアを勘当の身として二人の姉にすべての権力、財産を譲ってしまう。老王リアの悲劇はこのとき始まった。四大悲劇のうちの一つ。
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心に残ったのは、登場人物たちの「感情の揺らぎ」。リア王の言動は、その瞬間の気分によって大きく変わり、子どもたちへの態度も一貫しない。それが物語の不穏さを生み出し、読者として「自分はどうだろうか」と考えさせられた。多分、規模は違うけど、自分も似たようなもんだろーと。
立場や役職にかかわらず、人はときに自分の都合で物事を解釈してしまう──その普遍的な姿が作品全体に映し出されているように感じた。
また、メタファーや難解な言葉が多用されていて、読みながら「もっと教養を深めたい」と思わせてくれ、深い背景知識があれば、さらに豊かな読み方ができそうだ。
余談で、リア王が嵐の中に身をさらす場面です。自分では経験したことのない極限の情景でありながら、言葉によってその心情がじわりと伝わってくる。「嵐に打たれる」とはどういう感覚なのだろうか?
全体として、人間の弱さや醜さ、そして目を逸らしたくなるような姿まで描き出される、非常に濃密で、心を揺さぶられるドラマでした。自分(人間?)の在り方を静かに問いかけてくる作品だと感じます。
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この作品はリア王を含め幾人もの人間が悲惨な運命を辿ります。その悲惨さは目を覆いたくなるようなものがあり、彼らの悲痛な叫びには思わず圧倒されてしまいます。 ですがこの作品は単に悲劇的な厭世的な物語というわけではありません。苦痛の中にこそ人間の偉大さや測り知れぬ神秘があるのだと述べられています。 苦悩の中に救いがある。これはドストエフスキーにも通ずるものが感じられます。 単に苦悩が絶望になるのではなく、そこにこそ人間の奥深さがあることに目を向けたという点でもこの悲劇作品の偉大たる所以があるように私には思えました。
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分配される領土のことだけを考え、得るものを得たら父リアを見捨てる上の二姉妹、父を尊敬するがゆえに自分の正直な気持ちを言ったばかりに父から激怒され勘当までされたのに最後まで見捨てなかった末娘。
人ってバカというか、大事に思ってくれる人の気持ちは見えなくて、見えるのは自分の承認欲求を満たしてくれるものだけ。って、リア本人だけでなく、大事に思っていた末娘や忠臣や、周りの人にも救いがない。
で、リアは何者だったのだろう。一番大事な人をないがしろにして、口が上手いやつを高く評価し、ほんとうに助けてくれる人がしていることには気づかず、自分の悲劇しか考えない。いまの社会もほぼ同じことが起こっていると思うんだけど、それが400年以上前に書かれているというのは、やっぱりシェイクスピアが天才なのか、人間が変わってないのか、現実見せつけられ感が痛すぎる。
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1600年代の作品だが、登場人物に台詞を言わせる事によって、緻密な人間関係が生まれている。
娘に裏切られる王と争いが起因して家族皆が命を落としてしまうなんて。
ケントやエドガーが、
最終的に謀反人に向かって行く様は、胸が熱くなった。
娘が父を陥れる心情は、この時代には珍しいのか
心理描写が上手く描かれている。
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シェイクスピア作品の中で最も愛している作品です。人間の愚かさが招く悲劇の大きさに因果の不均衡を感じます。それが世界であると知りつつも救いを求めたくなる、やるせない気持ちが心を抉ります。一生消えないであろう深い傷を付けられた感動的な作品です。
ところで自分の記憶のリア王と結末が違っていてビックリ。どうやらシェイクスピアが参考にしたリア王の作品がありそれをシェイクスピア作品だと思っていました。
調べてみたら、なるほどなるほど。気になる方やまだ読んだことのない方には是非ともお勧めしたい一冊です。
傷友になりましょう。
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リア王
(和書)2009年02月26日 20:17
1967 新潮社 シェイクスピア, 福田 恒存
舞台背景が目に浮かぶようで野原や荒野を彷徨うリア王がその中で美しく浮かび上がっていくようです。
コーディーリアとゴネリル・リーガンとの差異が人間の諸関係を司る現実原則・快感原則そしてコーディーリアの意志がその諸関係をコペルニクス的転回の中に見いだすことができるように感じました。
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シェイクスピアから一冊入れたいと思って、なんとなくリア王になりました。
信じるべき人を信じられず、口先だけの相手にたぶらかされるリア王が、人間くさくておもしろい。
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四大悲劇中最高傑作かな。
"運の女神に見放され、この世の最低の境涯に身を置けば、常に、在るのは希望だけ、不安の種は何も無い。人生の悲哀は天辺からの転落にある、どん底を極めれば笑いに還るほかは無い。"
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因果応報と理不尽とが入り乱れるまごうことなき悲劇。
多層的な過失・悪意の連鎖がやがてカタストロフィに達する過程で、どこに共感しどこに憤懣を抱くか、恐らく人によって異なるのだろう。
同時代の常識で眺めたらどう感じるのだろうか。
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リア王は悲劇の主人公だ。娘であるリーガン・ゴネリルからは信用されず、一番素直なコーディーリアを可愛がらなかった。だから側近も亡くなっていく。やはり人は信用しないと人からは信用されないと思う。人間不信、どん底を極めれば笑いに変えられる、等人としてどうすべきかが良くわかった。信用が第一なのだと思う。
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目に見えないものは、どうやって測ろう。
口から出る建前ではなく、底にある意地の悪さにだけ目を向けてその人を知った気になってしまうことがあるけれど、それを隠そうとするのもまたその人であって、本音だけが全てではないのにね。
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「人は泣きながら生まれる。このあほうどもの舞台に引き出されたのが悲しくてな」
〈あらすじ〉
ブリテンを治めるリア王は引退を控え、3人の娘に「父である自分を最も愛している者に領土、権力を分け与えること」を宣言する。長女ゴネリルと次女リーガンが美辞麗句を並べる中、末娘のコーデリアは「何も」と答える。怒り狂った王はコーデリアを追放し上の娘2人に財産を与えるも、その後2人に手のひらを返され酷い扱いを受け、自分の過ちに気づく。
〈不器用な末娘〉
父の要求に対し「自分の本心」よりも「相手の求めている言葉」を並べることができる長女や次女と比べ 、1番若いコーデリアが「何も。」と答えるのは、一見すると思春期の者にありがちな言動にみえる。けど実際は愛を言葉で測ろうとしている父親の愚かさに気づいていて、それに対し自分なりに反抗し自身の信念を貫こうとした若さゆえの不器用且つ純粋で正直な言動でもあったのではないかと今になり思う。
歳を重ね空気を読む、相手に合わせる力を身につけた姉たちと、不器用で幼いながら真っ直ぐな妹のコントラストが印象的だった。
〈不器用な父〉
またリア王の不器用さも本作品の醍醐味である。自分への愛を言葉で測ろうとしたり、姉達が引き受ける自分の従者の数により愛を測ろうとしたりと、とにかく愛を何かで測ろうとする。長年王として国をまとめていたであろう大の大人が見せる弱さ、不器用さから人情味が溢れているのもまた、本作品が時と国を越え人から愛される理由だと思った。
四大悲劇のうちの一つであるリア王、不器用が生んだ悲劇だった。
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四大悲劇の一つで、主人公リア王とその娘たちの闘争が展開される。三人姉妹の長女ゴネリルと次女リーガンは、リア王の権力と財産を得たことで、物語は急展開する。ここから、貴族たちの血みどろの争いが繰り広げられる。物語が進むにつれて、次々と登場人物が無残に死んでいく様は、人間の業の深さをよく表している。たとえ身近な人々であったとしても、あるものを手に入れるために、自分の敵となる者を徐々に排除していくのを見ると、人間はここまで惨い存在になってしまうことがわかる。解説にあるように、本作で用いられる動詞は、苦痛を感じさせるようなものが多く、読んでいくうちに、読者側も実際にダメージを受けるような表現が散見される。
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シェイクスピア読み直し企画第二弾は『リア王』を。
最初はじいさんまじやめてくれ…と姉姉妹たちにも同情的に読んでいたのですが、最後まで読むと、結局正義とは何か、正義は最後に勝ったといえないかもしれない…と、いい意味でもやもやするストーリーだったなと思いました。
狂気と見えて狂気でなく、正気と見えて正気でなく、ただ本当に正気な時も狂気な時もあって、いやなんか本当にニヒリズム文学だなと思って終わりました。真っ黒な虚無が口を開けて我々を待っている、リア王。。。
正気なことが正義に繋がるわけではない、正しいことが正しいこととして認められるわけではない。自己を見つめることは必ずしもいいことではない、、と全てが否定形で語られるストーリーでした。
これは深い虚無なんだけど、みんな感激して落ち込まないのですか?笑
トラジディーの、ある種のカタルシスはないんだもの。
Act5 Scene II
エドガー: 人間、忍耐が肝腎、己れの都合でこの世を去る訳には行かない、こいつは出て来た時と同じ理窟さ、万事、木の実の熟して落ちるが如し。さ、行こう。
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時々、残酷な描写が出てくる。
気性の激しいおじいちゃん王が、周りに翻弄されて破滅していくまで。
心優しい末娘まで犠牲になってしまったのが悲しかった。
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年老いた王リアは、退位にあたり、三人の娘のうち上の姉妹二人に、その甘言を見抜けず、権力・財産を全て譲ってしまう。そのうえ、王を心から慕う末娘コーディーリアを無一文で他国へ嫁がせ、また、腹心ケントの忠告にも耳を貸さず追放する。まさに裸になった王は、邪悪な二人の娘とその取り巻きの策略により、何の力も持たない老人へ貶められる。そして、流浪の末、自分を愛してくれる娘コーディーリアを亡くし、失意の中で自分の命をも失うことになる
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「リア王」一行解説 王様が狂って乞食同然の姿で荒野をさまよう衝撃的な物語 シェイクスピアの4大悲劇の中でも一番過激らしい一応サラッとでも読んでおきたい古典だよね 残す悲劇は「オセロー」だけ
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シェイクスピア四代悲劇のうちのひとつ。
小説というよりも、舞台でお馴染みの名作と言われている。
2025年、大竹しのぶがリア王、宮沢りえがゴネリルとなると言う。見に行かねばなるまい。先ずは予習から。
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シェイクスピアってめっちゃ古いしなーと少しハードルが高く感じていたのですが、現代語訳されているので全然読みやすかったです。
戯曲はハマれば一気に読めてしまいます。
リア王の愚かさがとことん言動やその因果とも言える嵐の中に表れており、しかし自分の愚かさに気づいたリアの行動はその愚かさに負けず真っ直ぐ(愚直)で見ていて清々しい気持ちになりました。ヘミングウェイがこの話から勇気を貰うと言った意味もわかる気がします。
少し読み返しただけでキャラクターの台詞の伏線を発見したので作者の技術面にもびっくりしました。
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先日読んだ「ゴリオ爺さん」がリア王を意識して書かれたものに違いないとあったので気になって読んでみた。こちらは文章から場面を想像するのに苦労した。特に唐突に道化が出てきて、理解が難しい台詞を言うのに戸惑った。登場する人の感情がずっと嵐のように激しいので読んだあとぐったりしてしまった。
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キングリアを読む。
シェイクスピアが活躍した時代から現代まで数多の物語が生まれていて、それを時代性を考慮せずに知っている僕らは、この悲劇の偉大さを正確に感じられないかもしれない。
愚かな王、家族の裏切り、兄弟の不信,人間の虚飾僕には正直言って目新しさを覚えることができない。
でも、このキングリアという作品があることによってそれ以降の作品はめちゃくちゃ影響を受けてるやろうし、僕らがよくあると感じるまでにこの題材は古びず使われ続けているということは、やはり偉大な作品なんだろう。
道化は確かにこの物語のキーパーソンだろうと思うけど、僕にはどうしてもリアの人格の一部として遊離したものに思えてならない。
つまり道化はリア自身であり、客観的ニヒルキャラとして登場人物化したものだと思う。
誰にも指図されない王という立場の人が自己防衛的に自制を促すために狂気を阻止するために、出てきたのではないかと思う。
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劇として進んでいくので、回りくどくなく、最初から濃ゆい内容にはいっていきます。
展開も早いです。
悲劇ですが、ためになる内容です。
口の上手い人には気をつけろ。
今が人生どん底だと言えるうちはまだ大丈夫。
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学生時代に読んだけど、シェイクスピアで一番思い出に残っていたので、久しぶりに読み直し。
道化の役割とか、色々研究したくなる点が多いです。
もちろん名作ですが、古典ゆえにか、言葉の言い回しが独特で、理解するのに苦労しました。(例えば、『嫌いじゃないこともない。』って、え?どっちみたいな。)
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シェイクスピア四大悲劇の最高峰、というフレーズに釣られて読んだ。
老害とお家騒動と不倫のお話。
登場人物の大半が死んでしまう。
物語りの終盤、英仏戦争が始まる頃から怒涛の展開で、お話としては面白かった。(王の娘で公爵夫人のゴネリルとリーガンの二人共がグロスター伯爵の庶子エドマンドとの結婚を望んでいるなんて、昼ドラかと思ってしまった。。)
最初にコーディーリアの発言にリア王が怒り狂う場面が、『何で?』という感じで、老害感を拭えず。
グロスター伯爵が目玉を二つともくり抜かれる場面が大変残酷。。
Posted by ブクログ
古典を読もうと思ってシェイクスピア四大悲劇の2冊目に手を伸ばしました。(1冊目はハムレット)
感想として、一言で言うとあまり面白くは感じませんでした。
原因として老王リアの気狂いと壊れていく様子が痛ましく感じたことがあります。また、私にはリアの側に出てくる道化が言っていることが全く理解できなく、走り読みしました。しかし、一見理解できないところにこそ、17世紀のシェイクスピアが伝えたかったことが凝縮されているのではと思います。