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Posted by ブクログ
シェイクスピアの初期の喜劇。
いかにも試行錯誤を続けた感じ。じゃじゃ馬ならしの最初に出てくる酔っ払いの効果や空騒ぎの急激に変化する人間関係など、役者が自由に動いている感じはあんまりしない。一生懸命、筋を成り立たせようとしている感じ。
そうではあるが、すでにことば遊び、目まぐるしいナンセンスの応報、ずれた人間関係のパーツとその解消、たくみな心理要因を活かした関係の色彩といった、今後シェイクスピア花開かせていく力の数々の萌芽はもう十分に感じられる。
あまりのナンセンスの多さに、訳者は大変苦労されたのではないかと思うが、厳密な意味での訳ではなく、多少意味を損ねても、その勢いや快活さを壊さぬよう、苦心して配慮されたのだと思う。どこかの解題で言っていたが、書きことばではなく、それが話されることば、演じられることばであることをいつも信じて翻訳にあたっているから成せる。
どちらの演目も従順な女性像という点から、あまり最近では好まれないタイトルのようであるが、裏を返せば、こうでもしなければ、男性は強がることさえ出来なかったのかもしれないし、演じる女性役者によっては、巧みに男性をたてるしたたかな女性というのも十二分にありうる。それをただ価値観にそぐわないという理由だけで上演しないのは非常にもったいない。あくまでどこまでいっても劇なのである。本気の剣幕でまくしたてあっても、どんなに従順飼いならそうとも、幕が閉じればそれが単なる空騒ぎだったと思い至る。
このふたつの演目の成功のカギは、男性役者にかかっているとあったが、やはり、それも含めて、女性役者と男性役者の本気で遊びを演じるという点にあるのではないか。それがあるから、従順になったり、空騒ぎに過ぎないと知ったときの強力な感情の動きがうまれるのだと思う。
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