今年初めて太陽の塔の実物を見た。
駅の出口を出て、遠目から見たときに「えっ、なにこれ?!」と衝撃をうけ、言葉にするのが難しいのけれど、迫力に圧倒され感動し涙しました。
自分は特に岡本太郎氏にも太陽の塔にも思い入れはなく、好きなアイドルが万博公園に少し縁があったので見てみるか~の軽い気持ちでいったら太陽の塔に心射抜かれて衝撃でした。
間近で見ても圧倒的なエネルギーに胸のときめきがとまらず目が離せなかった。
本当にすごくて一気に太陽の塔と岡本太郎氏への興味がわきました。
そして本を読んでみようと手を伸ばしたのがこちら。
読んでみてさらに惹かれました。めちゃめちゃまともじゃん、と衝撃。
テレビで偉大な人として紹介されたり強烈なエピソードとかで奇人変人という先入観を抱いていたけれどそれが全く違っていたと彼がつづる言葉で気づきました。
今の世の中は一部の権力を持った偉くもないのに偉い足場を作ってそこに執着する人たちが作ったシステムで、その中で奪い争いしている気がするのだけど。
そういうスケールとか、学校で教えるような言うことを聞く人間を育てる教育とかそういうものにおさまらない人間とは…ということが語られていて読みながら本当に心が躍りました。こんなに心に響く言葉を語ってくれる人がいたのかという感動、興奮。
多くの人にとにかくたくさん手に取って言葉に触れてほしい。
印象に残ったもの達↓
P108
先生は大人であり、体制の側にいる。だから子供に対しては、マトモに、人間同士として純粋に向かいあおうとしない。かなり油断してもいるのだろう。平気でごまかしたりする。子供たちはそれを見抜いているのだが。
子供は子供でチャッカリしていて、先生のごまかしに気がつかないフリをして、ちゃんとあわせてやっているのだ。
P122
考えてみると、人生には、
考えてみると、人生には、世渡りと、ほんとうに生きぬく道と二つあるはずだ。
ところが、ほとんどの人間は、この世をどううまく渡っていくかという処世的なスジしか考えない。そして大学に進むということは、そのためのお守り札である。だから、別に学問がしたいという切実な願望があるわけではないのだ。
その証拠に、たいていの学生は大学にはいったとたん、てきめんに勉強しなくなる。人生をエスカレーションしていく、その手段なのだから。大学は学問の府だなどというが、今日、そんな美辞麗句は、誰もピンとこない。楽に、おていさいよく世の中に出る、エスカレーターである。
ぼくは思うのだが、かつて若者にとって、社会はもっと厳然としていたし、人生はもっと神秘であり、不可解であった。危険とスリルに満ち、希望と不安の間に揺れ動いていた。若い人生は、あたかもジャングルを押し分けて進む危険のようなものだった。
ところが、現在社会ではまったく違う。もはや至るところ、整然とルートがついているのだ。それも、たんたんとした舗装道路。
そこには、ハイスピードの直通大型バスが定期的に走っている。車の前面には行き先が明示してあり、それに乗り込みさえすれば、黙っていても目的地に着くのである。
p172
ウーマン・リブの声が高くなり、男女同権が実現されるのはいいことだけれど、それは男と女が同じように行動し、同じ役割を果たすということではないはずだ。
もっとも、先進国の文明社会では今日、子供を産むという以外に女でなければならない、男でなければ、という条件はほとんどなくなってきている。それなのに、世の中の慣習や制度の面では、まだまだ女性は不利だ。賢い、自覚した女たちがそれにいらだち、同権をかちとろうとすることは当然と言えるだろう。それは人間としての自由と自立の問題であるし、自立のないところに愛も、人格も、誇りも何も成り立ちはしないからだ。
ただその主張がとかく男と女の間に国境をかまえ、陣とり合戦のような、権利拡張にはしりがちなのは悲しい。不毛だと思う。
繰り返して言う。男と女は異質であり、だからこそ一体なんだ。
p207
政治・経済は人間にとってもちろん欠くことのできないシステムである。というより生活自体なのだ。しかしおかしなことは、日常、ぼくらにとって、「政治」「経済」と聞くと、何かひどくよそよそしい。多分これらの機構がいわゆる政治家、経済人によって勝手にコントロールされ、「芸術」つまり「人間」が抜け落ちてしまっているからだろう。
ぼくはこういう場合には「政治屋」「商売人」と呼ぶ方が適切だと思う。彼ら専門家だけでがっちり自分たちの領分を抑えている。われわれ一般は好むと好まざるとにかかわらず、つくられた枠の中に生活をつつみ込まれ、規定されて、そのツケだけを払わされているような感じがする。
p223
人間の生命、生きるという営みは本来、無条件、無目的であるはずだ。何のためこの世に来たのか。そして生きつづけているのか。ほんとうを言えば、誰も知らない。本来、生きること、死ぬことの絶対感があるだけなのだ。