岡本太郎のレビュー一覧

  • 自分の中に毒を持て<新装版>

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    どうしよう最高すぎる。
    読み始めて自分の頭に巨大な雷が落ちたような感覚に陥った。
    これは本では無い。
    神の創作物だ

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    2026年09月06日
  • 自分の中に毒を持て<新装版>

    Posted by ブクログ

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    驚いた。すごくいい本だと色々な人が言っているのは知っていたが、本当に素晴らしい。

    冗談でなく、一文一文に魂がこもっていて、全く無駄がない。

    初めから終わりまで、ぎくっとするフレーズだらけ。(流石に芸術が絡むと、その道の大家なので、若干話が難しくなる)

    「過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。」

    1ページ目からマーカー引いちゃったのは初めてかもしれない。絶対素晴らしい本だと最初から確信した。マジで、今の職場に必要な考え方。

    「ぼくは〝幸福反対論者〟だ。幸福というのは、自分に辛いことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、安全な状態を言うんだ。」
    ぎくっ。
    最近どういう時に幸せを感じるかって会話をしたばかり。

    「生命の緊張感を失い、逆に虚しくなっている」
    現代人の悩みの全てがここに通ずる気がする。今悩んでいること、それが生き死にに関わることだという人がどれだけいるだろうか。

    人生訓から、恋愛、結婚、キス、性的なことまで岡本太郎さんの考えが聞ける。そして全てにおいて説得力がある。

    人生の節目、節目で何度でも読み直したい一冊となりました。

    以下心に残った文章。

    「つまり、これでしあわせなんだと自分を納得させているが、一方にほんとうにしあわせなんだろうかというマイナスの面をあわせ持っている。人間として当然だ。外に向かって発言する時はそれをごまかして、なにごともないようににこにこしているが、もっと正直になって、恐れずに自分の内側を直視していいじゃないか。必ず心のどこかに満たされていないものがあるはずだ。それとマトモに向かいあうことはなかなかスリルのある、しあわせなんかよりも、もっとキリッとした面白さだと思う。」

    「サービス精神が旺盛で、ついまわりの期待するようにふるまってしまったり、チャラチャラと軽口を連発し、そのくせ軽薄だと思われてやしないかと内心絶望している人がいる。」

    「あなたは言葉のもどかしさを感じたことがあるだろうか。とかく、どんなことを言っても、それが自分のほんとうに感じているナマナマしいものとズレているように感じる。」

    読み返すたびに、人生で置かれている状況が変われば、刺さるフレーズはまた変わるのだろう。

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    2026年08月29日
  • 自分の中に毒を持て<新装版>

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    最高の一冊、バイブルです。

    岡本太郎の生き方は素晴らしい

    ・年齢は関係ない10代でも80代みたいなやつはいる
    ・チャレンジして失敗と何もせず失敗は全然違う次が無い
    ★他人は興味ないが自分はしこしこやりたくなる事が見つかれば目が輝く
    ・人に相談しても仕方ない、まずやってみろ
    ・惹かれるものが無いなら本を読め
    ・もしダメでも辞めればいい、続かなくても良い
    ・ぼくだったらこうするとしか言わない
    ・行動せずに意志はわかない
    ・才能なんてないほうがいい(親から資産相続とか可哀そうすぎる)
    ・相手が子供であれ人間同士向き合うべきである
    ・サラリーマンや政治家など自分の足で立ってない人は平気でうそをつく
    ・惰性で生きるのか、強烈な生きがいに満ち溢れて生きるのか全然違う

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    2026年08月29日
  • 自分の運命に楯を突け

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    岡本太郎さんの本を3冊読んでまず感じたことは一貫してブレないところ、「岡本太郎さんらしな」です。
    岡本太郎さんの本を久々に手に取って読んでみて久々に挑戦することへの抵抗感を外してくれる気がしました。ここまで行動に移したからこそ本人の説得力を感じ、勝ち負けを超えた自分を貫く、人に媚びないといった姿勢は自分も見習うところがありました。

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    2026年08月27日
  • 自分の中に毒を持て<新装版>

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    どこから読んでも、ハッとさせられる。漫然と生きている今、ふと立ち止まり、岡本太郎の言葉に耳を傾けたい。
    この令和の時代に、岡本太郎がいたら何というのだろうか。

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    2026年08月20日
  • 自分の運命に楯を突け

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    岡本太郎の世界観が最高に好き。
    当時はこの素晴らしい考え方が浸透するのは難しかっただろうなと想像します。

    ・朝一自分を貫くためにやる事を一つ決める

    ★能力は無い方が良い、無ければどんどん能力は開花する
    ・毎朝が人生の始まり
    ・一日情熱を燃やして夜はぐっすり寝る、毎朝情熱でめざめる、限界は無い
    ・逆境があればあるほどおもしろい
    ・世界が変わらなくても自分自身は変える事ができる

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    2026年08月16日
  • 自分の中に毒を持て<新装版>

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    14年ぶりぐらいに再読しました。
    歳を取ってから読むと、ひとつひとつのセンテンスやエッセンスが染み入るように、私の中に吸収されたと言っても過言ではないぐらい、腑に落ちました。また明日から爆発して頑張ろうと思いました。

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    2026年08月15日
  • 自分の中に毒を持て<新装版>

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    一言で言うと

    岡本太郎という人のすごさは、激しい情熱を持っていたことではなく、その情熱を知性で磨きながら、生涯ずっと燃やし続けたことなのだと思う。

    『自分の中に毒を持て』を読んで、一番強く感じたのはそこだった。

    「芸術は爆発だ」という言葉のイメージから、岡本太郎という人には、どこか破天荒で、常識から飛び出した「尖った芸術家」という印象を持っていた。

    でも、この本を読むと、その印象がかなり変わる。

    むしろ岡本太郎が語っていることは、驚くほど本質的だ。

    自分をごまかさないこと。

    安全な場所に逃げないこと。

    才能があるかどうかを言い訳にしないこと。

    一瞬一瞬を、自分の生命を使い切るように生きること。

    派手な言葉の奥にあるのは、意外なほど真っすぐな生き方だった。

    あらすじ・内容

    『自分の中に毒を持て〈新装版〉』は、岡本太郎の人生観や人間観を通して、「常識に合わせるのではなく、自分自身の生命をどう生きるのか」を問いかけてくる一冊だ。

    青春出版社から刊行された新装版で、出版社によれば2017年12月20日刊行。長く読み継がれてきた作品を、文字を大きくし、カラー口絵を加えて新装したものになっている。 (青春社)

    いわゆる成功法則の本とは少し違う。

    「こうすれば人生がうまくいく」という方法論よりも、もっと根っこの部分にある、

    「そもそも、自分は本当に生きているのか」

    という問いを突きつけてくる本だと思う。

    岡本太郎は「尖っている人」ではなかった

    読んでいて特に面白かったのが、岡本太郎に対する印象が変わっていったことだった。

    一見すると、とんでもなく尖ったことを言っている。

    普通の感覚からすれば、そこまでやるのかと思うような生き方でもある。

    でも読み進めるほど、

    この人は尖りたいから尖っているわけではないんだな

    と思った。

    むしろ逆だった。

    他人にどう見られるかよりも、自分にとって何が本当なのかを徹底的に考え続けた結果、世間から見ると尖って見える場所に立っていた。

    だから奇抜さが目的ではない。

    反抗すること自体が目的でもない。

    ただ自分をごまかさない。

    その姿勢を最後まで突き詰めている。

    そこがものすごく格好よかった。

    僕自身の読後メモにも、「尖ったことを言っているように見えて、実は本質的なところに重きを置いている」という感覚がかなり強く残っていた。

    情熱以上に惹かれたのは「知性」だった

    岡本太郎というと、どうしても「情熱」の人というイメージが先に来る。

    でも今回、僕がそれ以上に惹かれたのは知性だった。

    岡本太郎は単純に、

    「俺は芸術家だから芸術だけやる」

    という人ではなかった。

    若い頃にフランスへ渡り、パリ大学で民族学者マルセル・モースに学び、ジョルジュ・バタイユらとも交流している。帰国後は前衛芸術だけでなく縄文土器にも目を向け、1952年には「縄文土器論」を発表した。 (青春社)

    つまり、ずっと知的好奇心を失っていない。

    自分の専門分野だけに閉じこもるのではなく、世界そのものを知ろうとしている。

    そして、そこから得たものを表現する方法の一つとして「芸術」がある。

    そう考えると、岡本太郎の作品が強烈なのも少し分かる気がする。

    ただ感情を爆発させているわけではない。

    膨大に考え、学び、世界を見たうえで、それでも最後には生命そのものをぶつけるように表現する。

    知性と情熱が両方ある。

    ここが僕にはものすごく魅力的だった。

    一番すごいのは、生涯「燃え続けた」こと

    瞬間的に情熱を持つことなら、たぶん誰にでもできる。

    何かに感動した夜。

    新しいことを始めようと思った日。

    人生を変えたいと思った瞬間。

    そのときだけなら、人はかなり熱くなれる。

    難しいのは、それを続けることだ。

    岡本太郎がすごいと思うのは、人生の一時期だけではなく、自分のエネルギーを生涯出し続けたように見えることだった。

    岡本太郎は1970年の大阪万博で「太陽の塔」を制作した。太陽の塔は万博のテーマ館として建設され、現在まで残る代表作になっている。 (「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所))

    でも、僕がこの本を読んで感じた魅力は「太陽の塔を作った偉大な芸術家」という実績だけではない。

    その作品を生み出せるところまで、自分の生命を燃やし続けていた人間そのものに惹かれた。

    情熱を持っている。

    頭がいい。

    学び続ける。

    そして、人間に対する優しさもある。

    この組み合わせの人って、なかなかいない。

    「この人と友達になりたかった」と思った

    読み終えて僕の中に残った、かなり個人的な感想がある。

    岡本太郎が身近にいたら、大親友になりたかった。

    もちろん実際に会ったわけではないので、本当のところは分からない。

    でも、本を通して見える岡本太郎には、

    「もっと知りたい」

    「この人から学びたい」

    「一緒にいたら面白そうだ」

    と思わせるエネルギーがある。

    頭が良くて、知性的で、情熱的で、どこか優しくて、そして何より面白い。

    人がこの人についていきたくなった理由が、少し分かった気がした。

    大阪万博という巨大な国家的イベントで、岡本太郎に象徴的な仕事が託されたことについても、この本を読んだあとでは不思議に感じなかった。

    「この人なら何かをやってくれる」

    そう思わせるだけの強さが、確かにある。

    僕自身も読後に「ついていきたい」「学びたい」「一緒にいたいと思わせる人だ」と感じていた。

    この本を読んで一番考えたこと

    この本を「もっと自分らしく生きよう」という自己啓発本として読むこともできると思う。

    でも、僕にはもう少し重い本だった。

    「お前は、自分のエネルギーをちゃんと使っているのか」

    と聞かれているような感じがする。

    失敗しないように。

    恥をかかないように。

    嫌われないように。

    損をしないように。

    そうやって安全な選択を積み重ねているうちに、人間は自分の中にあるエネルギーそのものを弱くしてしまうのかもしれない。

    岡本太郎は、そこを猛烈に嫌った人なのだと思う。

    だから「毒を持て」という言葉も、単に他人に反抗しろという意味ではないように感じる。

    自分の中にある違和感や衝動や好奇心を、社会に合わせるためだけに殺してしまうな。

    もっと自分自身の生命に賭けろ。

    そんなメッセージとして僕には届いた。

    総評

    むちゃくちゃ面白かった。

    そして岡本太郎という人物が、以前よりずっと好きになった。

    僕がこの本から受け取ったものは、単純な「情熱を持とう」という話ではない。

    知性を磨き続けること。

    好奇心を失わないこと。

    自分をごまかさないこと。

    そして、そのすべてを抱えたまま、最後まで自分の生命を燃やすこと。

    岡本太郎は、ただ派手なことを言った芸術家ではなかった。

    学び続け、考え続け、それでも最後には自分の全エネルギーを世界にぶつけ続けた人だった。

    そんな人だからこそ、今も作品だけでなく「生き方」そのものが人を惹きつけるのだと思う。

    読み終わったあとに残ったのは、

    「岡本太郎みたいになりたい」

    というより、

    「自分は、自分の持っているエネルギーをちゃんと使い切れているだろうか」

    という問いだった。

    たぶん、この問いが残ること自体が、この本の一番すごいところなのだと思う。
    :::

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    2026年08月14日
  • 芸術と青春

    Posted by ブクログ

    565円

    私はレズだし元々日本の結婚とかに強い興味とか意見を持ったことがないんだけど、現代の「日本の結婚式って、みんな同じドレス着て、同じ演出して、親への手紙読んで、ご祝儀3万円で……変じゃない?」みたいな批判って岡本太郎から始まってるんだなとこれ読んで思った。私はそれに関してはどうでもいい。普通に友達がそれをやりたいなら本気で乗るし。

    岡本太郎って両親がどっちも大成功してるお坊ちゃんで、超有名人の子供だから、あんまり共感出来ないんだよね。幼稚舎から慶応の一般人とは違う後ろ盾があるやつに、自分はいつも孤独を選ぶ選択を敢えてしてきたって言われても響かないよ。そういうのが出来る人間と出来ない人間がいるのは別にいいとして、よくそんな発言出来るなとしか思えない。

    岡本太郎は泣く女を見るのが好きな性癖があるらしいけど、私は泣く女はそれほどでもなくて、怒る女になんか興奮する。

    岡本太郎
    (おかもと  たろう)芸術家。一九一一年生まれ。二九年に渡仏し、三〇年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。四〇年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。五一年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。七〇年大阪万博で『太陽の塔』を制作し、国民的存在になる。九六年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。『今日の芸術』(光文社)、『強く生きる言葉』(イースト・プレス)、『自分の中に毒を持て』(青春出版社)ほか著書多数

    「国境を越えて、北フランス一の大都会リルについたのは、午後八時頃だったと思う。燈火の明るい停車場前の広場に出たとき、私は泣きたいほどに嬉しかった。  ああ、やっぱりフランスだ!  もうそこには懐しいパリの匂いさえただよって来ている。私は停車場前の一番賑っているホテルに飛びこんだ。食堂も、部屋も、人々の顔も、みな明るい。私は旅の憂鬱なおもみを解きほぐし、投げ棄てるように軽快な気持になった。ここの博物館ではドラクロアとドーミエを見た。  アミアンで一泊して、有名な大伽藍の壮麗さに驚嘆し、この市にあるシャヴァンヌの大壁画を見学してパリに向った。いつもながら、パリに帰ったときの感激は素晴らしい。世界にこんな明快で、優美で、心の奥までしみ入る情緒のあるところはない、この町以外で、どうして人間が人間らしく生活できるのか、とふしぎに思えるくらい、この町のユニークなよさに感動してしまうのである。  ロンドンから帰ったときも、イタリー旅行から帰って来たときも、また、フランス国内の小旅行から帰ったときもそうであった。旅をして来るごとにパリのよさが身にしみて、しまいにはパリこそ、本当の自分の故郷だと考えてしまう。だから、何か絶対的な理由でもなければ、一生、この都から身も魂も離れることができなくなるのである。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「パリの讃歌は、古今を通じて数限りない。人々は、パリを世界の女王とたたえ、魂の故郷を懐しむ。人工の美がこれほど極致に達した都を、人類はかつて知らない。  しかしパリはただ華やかで近代的であるのではない。街なみは古色を帯びて、ほとんど灰一色である。ある人は「パリは巨大な灰色の装飾画である」と云った。「しかしそれは極めて多彩の灰色だ。薔薇色にも黒ビロードにも近い。無限の色調で彩られた新しい原色。……その限りないニュアンスは、いつも新しい歓びとなってこころを高める。まことにこの市は、美しい色彩の泉である」  この灰色に、柔い街路樹の若葉が、何と微笑ましく映ることであろう。しかし、晩秋、マロニエが黄金色の葉を街路に吹き散らす時、その透明な諧調はまた、凄愴な華やかさである。晴れた日の街の輝き。だが、雨にそぼ濡れて黒々としたマロニエの木肌が、銀色にくすぶる時、また却ってなまめかしい気配がただよう。パリは常に情感をたたえている。その風情は、ふと優美に洗練された年増女の容姿を思わせたりするのである。  このような背景の中から、女の美しさ、芸術の豊かさが浮び出て来る。パリの美しいイメージは、世界の人のこころをそこはかとなくゆり動かしてやまない。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著


    「パリの地図を二つに分けて、中央を東から西へセーヌが流れている。南側をリヴ・ゴーシュ(左岸)といって、ソルボンヌ等の各学府のあるラテン区とか芸術家の街モンパルナッスがある。北側はリヴ・ドロアット(右岸)で、パリの銀座であるグラン・ブールヴァール、シャンゼリゼー等があり、外郭に近い丘一帯をモンマルトルと呼ぶ。頂上に白亜のサクレキュール(聖心)寺院がそびえて、パリ全市を見おろしているが、その脚下から丘の麓、グランドオペラの近くまでが、丁度浅草が垢ぬけしたといったような盛り場である。  ブランシュ、ピギャール、クリッシー等の広場を中心に、有名なムーラン・ルージュや、カジノ・ド・パリ、それにタバラン等の踊り場、その他、映画館、劇場、無数のキャバレー、ダンス・ホール、見世物等がむれ集って、世界一の歓楽街を形成している。  モンマルトルは文字通りの不夜城である。キャバレーは大てい十一時頃に開いて、暁方の五時頃までだし、軒並みのキャフェは、日夜扉を閉めることがない。映画も、深夜の二時頃から始まるのがあり、いつもかなりの客を集めている。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「よくそんなキャバレーの楽屋にまで入り込んだものである。戸口に番をしている婆さんもどういう訳か、私だと寛大だった。中に入ると、鏡が幾つも並んでギラギラ輝く部屋の中で、美女達が一糸もまとわぬ裸で化粧したり、衣裳がえをしたりしている。こちらも露骨に眺めはしないが、女達も平気で、むしろ自分達の肉体を誇っているようだ。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「我国では、このフランス全体の国祭日であるキャトールズ・ジュイエを、巴里祭と一般に呼びならわしている。戦前からの呼びならわしで(勿論当時の日本においては、革命の文字が避けられたのも当り前のことであるが)、この歪められた訳題が、極めて派手で日本人には却って魅力的のようだ。  私も、この訳題を巴里で伝え聞いて、巴里祭なんて、まことに奇妙だと思ったものである。しかし、よく考えてみると、この七月十四日のバスチーユ監獄の攻撃は、巴里市民のみによってなされ、この市の最も記念すべきドラマであり、また、革命そのものが、巴里を中心の舞台として行われたものであってみれば、巴里祭と呼ばれるのも、案外適切であるかもしれぬ。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「私は、私の住んでいたモンパルナッス区から、距離的にかなり遠く、また無縁なバスチーユ広場方面に行くことはあまりなかったが、所用で何度か、このかなり広漠とした広場を横切ったことがある。割石で舗装された上に、数条の線が刻まれ、路面一帯に引きまわされてあるのを見て、初めてここを通る者は誰でもがいぶかって足をとどめる。が、次の瞬間、その形状によって、それがかつてのバスチーユ監獄の城壁の跡を明示したものであるということに気付くのである。人血のしみ込んだ跡をそこに見るような気がして、痛々しい思いに身を慄わす。この城塞破壊を序曲として始まった凄惨なフランス革命のドラマが、絵巻物のように、脳裡に展げられる。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著


    「美しくて陽気な彼女のまわりには、自然と男の学生が集まる。同じソルボンヌの哲学科に籍を置いていた私は、いつも数名のカヴァリエ(騎士)が彼女を取囲んでいるのを見て、何となくうらやましい思いだったが、私自身、やがていつの間にか仲間入りするようになり、そのうち、グループの誰よりも、彼女と親しい友達になってしまった。  よくリュクサンブールの公園で、貸椅子に腰をかけ、陽光を浴びながら語りあうことがあった。そんなとき、話が不意に深刻な調子をおびて来たりする。青春の底を流れる哀愁が、ひたひたと浮び上って来て、こころがもつれあう。表現を持たない憂愁、がもどかしい……。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「 私は相当なフェミニストで、その点、決して人におくれをとらないつもりである。  ところがまたロマンチストで、悲痛であったり、哀愁をたたえた表情の美に強く惹かれる。美しい女性の泣き顔は全く珠玉である。  怪しからぬ性質だが、といってもたいしたことではない。つい愛する女性を泣き出すまで責め、美しい眼から涙があふれるのを見ると、しびれるような歓びを味う。ところが同時に、激しい後悔に打ちのめされ、あわてて相手を慰めはじめるのである。つまり、少しこった愛撫の仕方であるにすぎないのだ。  リュシェンヌは私がパリで熱愛した女性の一人である。栗色の髪の愛くるしい美少女であった。  もちろん、その時何がもとで口論したのか、今は覚えていない。モンマルトルのクリッシー大通り、鬱蒼としたマロニエの街路樹が立ち並んだ遊歩道を歩いていた。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「芸術家の両親を持った私は、一般家庭の子弟のような躾は全く受けなかった。特に母からは、芸術が至上であり、それに殉ずることこそ生甲斐で、他はすべて俗事だという考えを注ぎこまれて育った。持って生れた素質の上に、さらに純粋すぎる教育を与えられた。結果はただごとでない。もの心がつかぬうちから、並の世界と遮断され、ために子供同志の交りにも、自他がかけ離れて、言葉の了解にさえ溝ができていた。学校が慶応の幼稚舎で、周囲はみな、分別のあるブルジョア子弟の「小さい大人」たちばかり、私のように、徹底的にもの知らずの未熟な子供は異例として、先生からも、仲間からも変り者扱いを受けた。今から考えると、かなりの人気者で、愛されていたのだが、私は己だけの世界に閉じこもって、他の世界との隔絶による無理解、ズレにいい知れぬ孤独を感じていた。そして、ひたすらに他から迫害されているというような妄想を抱いたのである。  結果、はげしい虚無感が子供心をしめた。それは死に対する憧れに昇華し、自殺を美しい行為のように空想しはじめた。やっと小学校二年の頃である。やがて転じて恐怖感となり、「死」の予感におびえた。殺されるという妄想である。殺人事件の噂などを聞くと、真剣に次は自分の番だと考え、夜、廊下の角を曲るときなどには、もの蔭に匕首をひらめかした兇漢を想像して身構えたものだ。床につくたびに、胸から腹にかけて、血みどろに斬り裂かれている私自身の惨殺死体を眼にうかべて戦慄した。その挙句、ひどい神経衰弱にかかって、二、三ヵ月学校を休んだことがある。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「 私は幼い頃から画が得意で、描くことが好きだったのだが、この画の業自体が、中学生頃にはひどい苦痛を伴うようになって来た。職業的に画技を習得しなければならないと考えはじめてから、逆に何のために描くのかという疑惑が、私を悩ませだしたのである。えらい職業画家になるためだとすれば、――非芸術的な徒弟修業はあまりにも卑俗で、芸術に対する憧憬は裏切られる。では、純粋に美の感動によって描くのであろうか、――美しいと人はいう。しかし、私には四囲の世界が少しも美しく見えないし、感動的でなかった。絵にするために強いて美化することは無意味であり、そのような努力をすれば、自然はかえって歪んで醜くうつる。芸術上の疑念は、直ちに己に対する不信に変った。もし自分が芸術家として失格ならば、芸術にのみ能力を信じ、生甲斐を見出していた私にとって、およそこれ以上の絶望と辱めはない。芸術が常に虚無との対決に於てあるものだということを識らなかった私は、その拒否にあって周章し、徒らに他を責め己をしいたげたのである。  画家として立つことに疑惑を持ち、迷いながらも、結局、私は美術学校に入った。そして半年後には中退して、パリに渡ったのである。芸術には、経歴や、技巧の蓄積は問題ではない。知名の芸術家を両親に持ち、若年で万人の憧れる芸術の都に遊学したからといって、それは勿論、資質を意味しはしないし、何ものをもそれに加えることにならない。選ばれた立場におかれたという責任感は却って未熟な私には大きな負目となった。ひどい自己不信と誇大妄想的な自負心がからみあう。丁度二十歳で、性の問題もそれにからまって来た。今こそ本当に孤独で日本から西欧文化へ、子供から大人の世界へ、未知数の学生から画描きの枠の中へ、私は絶望的に自分自身を導き入れなければならなかった。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「昭和四年十二月二日の宵、私達一家は連れ立ってヨーロッパへの旅に上った。一世を風靡した流行児の父と、歌人・仏教研究家として著名な母、そして当時十八歳で美術学校の人気者であり、若年で渡欧することに大きな期待をかけられた私、この芸術に携る一家三人の外遊が世間の興味を惹き、東京駅では空前の見送りが人垣をきずいた。  自動車を降りるや、私たちは熱狂した群衆、花束、喚声の渦に包み込まれた。沸きかえるフォームの柱によじ登って帽子を振る者、興奮のあまり泣き出す者、押し寄せ揺りかえす人波の中を〝もしもし、かの子さん、かの子さんよ〟とか〝太郎さん〟とか呶鳴りながら、遮二無二踊り狂う美校生、大学の幟――等々、群衆の呶号と喚声に押し出されるように、列車は東京駅を離れた。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「その前後、母はほとんど狂気に近かった。私が外で遊んでいると、近所の子供達がよく「お前のお母さんは幽霊だ。幽霊だ」といってからかった。子供心に極めて辛い恥辱であったが、たしかに蒼白な面に漆のような黒髪をおどろに乱し、うつろな眸をすえた母の姿は鬼気迫る趣があったに違いない。後に苦しかった時代のことを物語りながら、正視できないほど荒んだ、異常な表情の写真を母自身が見せてくれたことがある。  母はまったく身も魂も根底からすりへらされて、どうにも立ち上ることが出来ないどん底に喘いでいた。どういうきっかけだったか、私はよく知らないが、あの日父はこの母の惨めな姿に愕然と打たれたのである。  今までまったく彼女をかばっていなかったこと、彼が自負していた母に対する鷹揚さ、たとえば若い情人を自分の家に入れて平然と暮すというような、突放した寛大さは少しも彼女へのいたわりではなかったことに気づいて初めて母を本当に守らなければならないと心に誓ったようだ。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「母はいわゆる賢夫人型の女ではなかった。  子供っぽいところが多分にある童女型の女だった。泣きわめく自分の子をなだめ兼ねて、一しょになって泣き出すという稚拙さがあった。私の方がびっくりして黙ってしまうこともあった。母自らこのことを詠っている。かの子かの子はや泣きやめて淋しげに添い臥す雛に子守歌せよ (『愛のなやみ』)  純情と愛にかけては、おそらくかの女は稀にみる人であったろう。だが、当時は、悩みと、迷いと、愚痴に深く閉されていた。漆のような黒い髪が、蒼白な頬からやせぎすな肩の丸みをつたって背に流れ、長く垂れた姿を、私は印象的に覚えている。感覚はとぎすまされた白刃のように冴え、濃い青春の夢を追うロマンティストの母が、生活の幻滅に打ちひしがれ、起ち上る術も力も失っていた時代である。母は、その憂愁を幼い私に注ぎかけた。よく私を抱いて、はげしく泣いた。私にはその意味は理解できなかったが、狂乱の瞳よりあふれ出る母の泪は、幼心に拭い去ることのできない寂寥を刻みつけた。母はようやく物ごころつくかつかぬかの境の私に向って、一人前の男に対するように語ったり、相談したりした。それは教育上よいことか悪いことか知らない。しかし、ひたむきになって、むつかしいことも恥らうことも、うちあけて語る母に、私は自分が一人前の人格を備えた相手のように聞きながら、世の憂きことどもを心に灼きつけられると同時に、それらを撥ね返す力をも教えられ、しっかりさせられた。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「岡本かの子には、奇妙な噂がかなりある。私の耳には遠慮がちにしか入って来ないのであるが。恋愛問題だとか、自殺説、さらに私が一平の子でなかったり、その反対に彼女の実子ではない等という、まったく荒唐無稽なことから、罪のないのでは青山の家の離れに狂気の美女をかくまっていたという類のことに至るまでである。  女であり、特異な存在であったから、勿論いろいろと臆測が生れるのは当然だ。しかし、このような噂が少からず彼女自身の口から出ているから驚く。生前、母は自分の生活を絶対に人にのぞかれたがらなかった。それは病的な恐怖感であった。  彼女が生活に対して全く脆い性格であったからである。単にお嬢さん育ちとか詩人肌ということでは済まされない、絶望に近い脆さがあった。肉体的にも、精神的にも。それが彼女に一種の秘密癖となってあらわれたのであって、むしろ彼女にあっては、己の生命を護り生かす神聖ないとなみであったのだ。  それはまた一方に、当然ミトマニア的性格となってあらわれる。勿論芸術家にありがちな傾向であるが。意識して虚構を語るものもあり、また夢がいつの間にか現実と混り合い、己の作った人物や環境にとけ込んでいる場合もある。かの子は明らかに後者である。異常なほど激しい情熱の持主だったし、一方に終生童女のままで終ってしまったような未熟な面もあったから、それもうなずけるのである。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「勿論、ミトマニーは一種の自己防衛としてはたらいている。それは彼女が独自な性格を貫きながら、文壇的に進出して行かなければならなかったという点から来ていると思う。  純真無垢な彼女は意地悪や野卑な皮肉などには全く他愛なくひっかかってしまい、傍で見る目も耐え難いほどひどく傷ついた。少くとも私が幼い頃、身近に見た母はそうだった。あれでは到底世の中を生き抜くことは出来なかっただろうし、まして文壇のように狡猾な大人の世界を乗り切ることは不可能である。彼女が自分の周囲を子供っぽい神秘のヴェールでおおったのはむしろ正当であり、やむを得ないことだった。  しかし母親は一平の勢力と世智に後見されて、文壇的にはかなり巧妙に登場した。「文学界」との特別な関係もあり、川端康成、林房雄、亀井勝一郎といった、当時の最も新鮮な勢力が彼女を強力に支持し、「鴎外、漱石級の作家だ」というような呼声もあった。最初から非常に派手な押し出し方だった。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著


    「だが、この進出が派手だっただけに、文壇的には彼女に対する反感が根強く、かの子の立場は決して強固ではなかった。(一般が安心して認めるようになったのは彼女の死後である。)  たしかに、かの子は文壇への大変な執着をもっていた。彼女の兄大貫晶川の影響もあり、少女時代からの憧れであり、夢であった。  この気配は明らかに彼女の文学の根底に認められる。かの子は特異な作家であるように考えられているが、実は日本文学史上では極めて正統派であると私は考える。「文学に憧れる文学」という、現代日本文学発生から宿命的な雰囲気から外れてはいないからである。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「 お互の夢は無邪気で単純だった。かの子にとって美貌の青年画家一平は、芸術への憧れと彼女の美への執心をみたす、恰好な存在だった。一平はまた江戸ッ児的なその生活感情とはまるで違った、気品のあるかの子の重厚で深刻な性質にひかれた。また封建的な旧家の娘の背負っている「家霊」というような大時代な神秘感にも魅力を感じたらしい。  だがこのような軽い、いわば非本質的な憧れから一しょになった二人の新婚生活にはすぐ蹉きが来た。生い育った環境のちがい、それにもまして、性格の根本的な食い違いは致命的だった。  岡本かの子には生涯を通じて極めて未熟な稚純性があった。豊かに円熟した晩年に至っても、遂に童女のような馬鹿馬鹿しさを失うことがなかった。単に未熟とはいえない。彼女の本質である。そしてそれは成熟した人間以上の凄みと恐しさをもっているのだ。  ところで父の一平は、若い時分から大人びて世智に鋭く、苦労人型だった。妙に世の中が見えすくせいか、ニヒリスチックで批判的だ。かの子とはまるで裏返しの性質である。(一平のたどった道をふり返ってみると、かの子の死後はまるで乞食のような生活をして、疎開先の山村で一生を終っている。当人はそれで結構、満足していたようだ。何かより所につかまえられていない限り、積極的に生きる意味を見失ってしまうというたちの人間だった。たしかにかの子は一生の支柱だったのである。だが、その意味を自覚し、真剣に考えるようになったのは後年である。)」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「 今日一般に通用している「処女」という観念は日本に昔からあるのではなく、西洋文化キリスト教思想に影響された明治以来のものです。  なるほど、生娘という古来の言葉はそれに一応当てはまるものかもしれませんが、これは封建的な家族制度の中の一つの身分、財物のようなもので、むしろ社会的な意味を持っています。処女という言葉にうかがわれるような純潔さへの宗教的神秘感はありません。  では、処女という観念が、どうしてこのように大きな影響力を持って、急速に日本に植えつけられたかというと、単にキリスト教文化に対する憧ればかりではないようです。明治以来、近代ヒューマニズムに目ざめた知識層が、封建家族制度に反抗し、個人の自由を主張した結果でもあるのです。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「しかし、このような処女の観念も、大正期に入ると、ようやく大企業化されはじめたジャーナリズムの商業主義に利用されて、一般化されると同時に極めて卑俗になって来ます。婦人雑誌などはこれを刺戟的な読物とし、競って「私は純潔を犯された」なんて類いの記事を大きく扱ったものです。戦前多くの男性が好奇心で婦人雑誌を買うという時代があったくらいです。その結果、「処女」という観念が現実には依然として封建的であり無力な女性たちの、妄想的なイメージとなり憧れとなりはじめたのです。「わたしは浄い処女なのよ」というような、それこそ不潔で、おセンチな思い上りが時代病のように拡がりました。  何でもない単なる生理的段階であるにすぎない処女性が、何か自分の本質的な価値ででもあるかのように錯覚する――この無意味な自己陶酔は、弱者や無内容な人間が虚飾で自分をえらそうに見せつけようとあせる、一種のヒステリックな擬態といってもよいでしょう。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「ヨーロッパの宗教的な処女性が、我が国で封建的な功利性の上にハイカラなメッキとして偽善的に使われているという訳です。  キリスト教、特に旧教の精神主義の中には頑固な肉体否定のストイシズムがあります。肉体的なものを蔑視すべきもの、罪あるものとして忌み隠すのです。だから旧教の尼さんは自分自身の肉体さえも、露わにすることを罪悪として、殆んど入浴しないし、もし入る場合には浴衣を着たまま浴槽につかります。  またかつて信仰の厚い夫婦は互いに決して肌をふれ合わず、大切な場所に小さく穴をあけた寝衣を着て、わずかにその穴から交わったということです。このように極度の抑制の結果、かえって嫉妬ぶかく肉体的なものにこだわり、処女を特別なものと考えて崇拝するようになったとも考えられます。  しかしルネッサンス以後、ようやく肉体解放のきざしが現われます。露わな裸体画の流行はそれを証拠だてます。だが実際にはまだ肉体は長いスカートと高いカラーとで、寸分の隙なく覆われていました。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「又、他の面から見れば、処女崇拝は、男の原始的な独占欲の表われともいえます。社会的に、ひろく明朗に飛躍すべき男性の力が、陰性に、小規模に表われる場合です。  とかく恋愛感情の中には愚にもつかないプリミチーヴな意識が根強くのさばっているものです。それは恋愛に彩りをそえ、一種の刺戟剤の効果を持っているものではありますが、それにこだわることは愚劣で、グロテスクです。確かに、レオン・ブルムの意見のように近代的理性によって置きかえられなければならないのです。  このように観察してみると、処女性の価値というのはむしろ男性の側にとってあるので、女性がこれを誇ったり、失ったといって悩んだりするのは却って滑稽であります。その無意味さを女性が認識しなければならない筈です。  処女を失ったからといって、人間が変化するわけではありません。  それは、はじめて煙草をすうとか、酒をのむとか、または一個の社会人として世に出るということと全く同様の単純な事実にすぎず、むしろ出発は早いほどよいのです。停滞は却って有害です。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

    「未経験のために夢のような理想をむなしく追って、現実を見失い、しまいに人生をゆがめて見るようになったり、またどんな男でもが持っている性的な牽引力を、相手の人格からくるものと錯覚したり、それらを混同する例は非常に多い。実際にふれることによってはじめて、イリュージョンなしに男、ひいては生活自体の意味がわかって来るのです。異性と人生に対して全く無智のまま、いつまでも自分の中にひっこんで独身でいるということは、潔癖でもなければ明朗でもありません。抑えようとしても、性の欲望は決して消しされるものではない。たとえ自分では気がつかず、抑えてなんかいないつもりでも、それは何かの形に転化し、不自然な兆候となって生活の上に表われてくるものです。そういうゆがみは性の解放によって解消すると思います。」

    —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著

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    2026年08月11日
  • 美の世界旅行

    Posted by ブクログ

    584円

    ★再読

    岡本太郎は20歳の時にパリで10年間過ごすが、65歳の時に初めてスペインに行く

    今の所、岡本太郎本でこれが一番面白いな。岡本太郎の人生論とかより、岡本太郎が美術を見て何を感じるかの方が興味あるから世界各国の美術を見て考えた事が書かれてるこの本は良かった。太郎がこれ書いた時期の韓国って貧しい国だったからそれが書かれてて時代を感じた。あとメキシコが大好きなのが気になった。yさんもメキシコ好きで、でも治安が不安なイメージだからyさんと一緒に行きたい。

    岡本太郎って出羽守BBAみたいにちょいちょい日本ディスって来る所が鼻につくんだよな。

    私も外国行ったらそこのお酒は絶対飲む。お酒って文化の根源的なものなのに悪者にされすぎてる所が違和感がある。日本酒とかも素晴らしいと思う。日本酒は米作文化、神道の祭祀、麹菌、杜氏制度、地域の水質まで背負ってる。お酒を知ることが、その土地の歴史を知ることに繋がると思う。

    シュルレアリスムアーティストが、作品が分からないと言うが、日常にあるものはそんなに簡単に分かるものばかりなのか?って問いを発しててその通りだと思った。分かった気になってるだけで疑問を持ち始めたら世の中意味不明なものばかりだと思う。

    岡本太郎
    (おかもと  たろう)芸術家。一九一一年生まれ。二九年に渡仏し、三〇年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。四〇年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。五一年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。七〇年大阪万博で『太陽の塔』を制作し、国民的存在になる。九六年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。『今日の芸術』(光文社)、『強く生きる言葉』(イースト・プレス)、『自分の中に毒を持て』(青春出版社)ほか著書多数

    「インドに行くことに、私は、一種恐怖に近い抵抗を覚えつづけた。  インドへの憧れはたしかにある。根深い切望として。あの広大なひろがり、その彩り、そして歴史の深さに、この眼と耳、全身でふれ、インドを体験したいと願う。しかし、そこに旅立とうとするいま(一九七一年)、なんともいえぬ重さにひしがれることも事実である。  むっとする人間臭、あまりにも人間的な熱気。だからこそひきつけられるのだが、しかし何か辛い。  私にはインドは巨大な島のように思える。北はヒマラヤに断ち切られ、東も西も南も海で区切られた、沈黙する膨大な塊が目に浮ぶ。このとざされた容れものに何千年、何万年という人間の業がコンデンスされ、煮つめられてどろどろしている。濃く厚い渾沌。  インドの美術とか遺跡の写真など見ても、ひどく洗練され、艶冶ではあるが、また言いようのない圧迫感で救われない思いがするのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「 翌朝から政府の組んでくれたプログラムに従って動きまわることになるのだが、きちんとタイプ打ちしたスケジュールを手渡されてうーむとうなってしまった。実は印パ戦争の勃発でこの招待は流れそうな気配だったので、旅程の打合せもしないでいた。戦争は終った。すぐおいで下さいというので、いきなり飛んで来てしまったのだ。第一日目は、モダンアートのコレクションを見る。美術学校訪問。国立のアートギャラリーを見て、この地の代表的な画家、彫刻家たちにスピーチ。そんなスケジュールがぎっしり。芸術家を招待したら、当然こうなるのだろう。しかし私は狭い意味の美術より、文化一般、その根、そしてなまの民衆の生活にふれたい、と申し入れておいたのに。だがもうすべて連絡ずみだし、その通り動かないわけにはいかない。  ニューデリーでもカルカッタ(現・コルカタ)でも、やはり同じようなスケジュールが待っていた。現代美術にお付合いしての感想。一口にいえば戦後ヨーロッパ画壇がそっくり再現されている。そしてまた日本のモダンアートの展覧会を見ているのかと錯覚をおこす。巧いし、色彩のなまなましさは確かにある。だがそれにしても、街にあふれているインドの大衆の匂い、その生活の彩りとは無縁だ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「スケジュールを終ってカルカッタ空港を飛びたちながら、いささか物足らなく感じたのは、南インドに行けなかったことだ。この次こそという、郷愁に近いものを感じていた。南にはもっと土着的な、純粋な、インドの生活感がみなぎっているに違いない。そんな直感がある。デリーのナショナル・ミュージアム、その他で見たオリッサ州の民俗芸術、無邪気で、凄みがある。そしてラリッタ・カラ・アカデミーで、映画で見せてもらったこの地方の宗教儀礼、祭儀舞踊の猛烈な豊かさ。ぜひ確かめてみたいのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「インドを神秘の世界だと思っていた。だが体験した限り、インドは神秘ではないのだ。極めてリアルである。そこにかえって「哲学」を見とる。世界中がそういう意味でインドを誤解していると思う。  インドの凄み、怖ろしさは確かにある。こちらから見たら残酷だと思うあり方、それは実は人間存在そのままを凝縮している。人口問題も一つの大きなポイントだが。──インドの運命は人間全体の将来を予感させるものだ。ここで問題が解決されない限り、われわれも。つまり人間の原点の悲劇というよりも未来をも映してしまった運命の鏡のような、そういう根源的な重みをもっている。それをになって、ただある。リアルに。それこそインドの「哲学」なのだ。哲学というととかく西欧風な論理学的体系を考えたり、メタフィジカルな言葉のあやのように思われやすいが、私が言いたいのは、残酷にリアルなものと運命をぶつけあわしたところに現われる、生命そのものの筋である。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「 虚と実、実と虚。どちらが虚であり実であるかわからない、二つの空間の対決、からみあい。  強いインドの日ざしがそこに突きささっている。浮びあがる強烈な彫刻群。と同時に、永遠に陰である岩窟の暗いひろがり。光と影の対照は互いに凄みを強めあう。効果は適確に計算されているようだ。このマイナスとプラスの空間の葛藤は、日ざしの角度によって様々に彩りを変え、変貌することで、更に巨大な運命の象徴として迫ってくる。  近寄ってみるとディテールは無限のイメージとして繰りひろげられ、女神や裸像、大きな象がずらりと並んでいたり、霊獣、精霊、動物など様々の動きが彫り込まれている。しかし一つ一つ見ると、そんなに感動的ではないし、巧妙ともいえない。かなり雑なところも見える。だがそれでいいのだ。素朴さに逆のよさが出てきたり、いささか通俗で、よくないものを含めて、宇宙が全体として鳴り響いてくる。  エローラを見ていると、細部なんかは問題ではないのだというダイナミズムがよくわかる。一つ一つに目を寄せて、作品として鑑賞していても意味はない。全体が一つの激しい表出なのである。そこにこめられた思念、生命力への祈りの、激しさと豊かさに圧倒されるのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「いかに無神論者でも、根源的には「生命」への信仰を持っている。直接に響いてくる感動。神像や象徴の意味はわからなくても、生命即宇宙、この岩壁の呪文のよびかけは強烈だ。ヒンズー教の土俗的なヴァイタリティーはしかし不思議に透明で、深く哲学的だ。力と通俗性とが原始的な神秘とからみあっている。  逆にその通俗性を抜いてしまったところに、仏教寺院の奇妙な空しさ、形式主義があるのではないかと思う。仏教のように瞑想的な、精神のみを純粋に追究した宗教が、形式化するとそれはむしろ妥協であり、堕落でしかない。アジャンタやエローラの仏教窟にもそれを感じるし、ガンダーラ仏など私にはやりきれない。仏像やそれに付随する装飾は、本来なければない方がいいものである。とりわけヘレニズムのまがいものはいただけないが、ほとんどがヒンズーの影響を受けた面白味のないイミテーションになってしまうのは当然のことなのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「インドのタントラに、かなり以前からひかれていた。  あの強烈な魅力は何だろう。  なまなましく、しかも壮麗な宇宙観。人間と宇宙が合体する、その絶対感の迫力だ。  タントラの宇宙は神秘であり、同時に、なまなましく現実的なのだ。神や聖者は本能を自由自在に噴きあげる。歓喜の絶対感で、小宇宙が大宇宙と一つになる。現代が失った人間の根源的な生命感、自由をよみがえらせる秘儀だ。  宇宙との神秘的な、セクシュアルな合一。聖なる恍惚。メタフィジックであると同時に、心身の全体をすくいあげ、幻覚をなま身に貫きとおす。その戦慄が、インドの精神文化のあらゆる表現に響いているように思われる。  美術は端的にそれを示す。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「しかしたとえ多くの筋はあっても、この文化には強い一貫性がある。  およそかけ離れた地方から出土した遺物のすべてに、まぎれもなく見てとれる独特の動物紋様。  注目したいのは、それらの均質性である。文化・文物は中心地ほど程度が高く、辺境に行くほど低いというのがとかく一般的常識になっているが、遊牧民の世界にはそのようないわゆる段差がほとんど感じられない。まさに自在に流動し、貫かれた文化である。  ある場所に永く停滞して、発酵して行く文化と、常にとどまらず流れ、高まって行く文化がある。  考えてみれば流動性と定着性は、人間生活の基本的なモメントだ。しかし何故彼らはあのような苛烈な条件を選び、生きつづけたのだろうか。  乾燥した大地。天空の変化は激烈だ。旋風が吹きまくり、時には吹雪に埋もれる。あの動物紋様に見られるように、突然野獣に襲われる。また草地のテリトリーをめぐって、部族同士の争いもあったろう。苛酷な条件を常に乗り超え乗り超え、悠久に生きぬいてきたのである。  確かに遊牧民の生活は不安定だ。しかしまたこれほど自己の意志決定にだけ頼り、決断に運命をゆだねる生活はないといえるだろう。季節と自然の状況に従って、絶えず動き、明日をひらいて行く。牧草を求め、水を求めて群れを追い、目当ての土地にたどり着く。だが、前の年に良い草地だったからといって、今年も、という保証はまったくない。常に賭けの連続、終りのない旅だ。決断を誤れば、一族、獣もろとも全滅してしまうかもしれない。常に挑み、前進する、絶望的なさすらいなのである。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「しかし私は言いたいのだ。文明と文化とは本質的に違う。今日、社会システムは発達し、物質生活は豊かになっている。文明は明らかに進歩した。しかしそれと逆比例して、真の人間の誇り、生きがいの文化が滅びつつあるということも疑う余地がない。進歩は相対的であり、文化は絶対時間の中に生きる。ここはそれを詳述する場ではないが、遊牧民の生活が数千年来変らなかったから低いというような進歩主義の偏見は、断じて排除しなければならない。遊牧民が、絶え間のない賭けに挑み、固定の重みに縛られず、不断に闘い、進んで行く、そこに彼らの生きがいと、誇りがあった。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「それに重ねて思いあわされることは、スキタイの芸術に、あれだけ駆使した馬のイメージが意外にも少いこと。あっても、何か弱い。受身の姿ばかりである。いのちが燃えあがっている激しい様相はない。馬は最も身近な伴侶であった。つまり、よき道具、使い馴らされ、親しみをもって行動をともにするプラクチカルな実用性があった。日常のシモベ。だから主人が死ねば、その部分として共に埋葬するのが習いであった。つまり一体感はもちながらも、己れをこえた神秘ではなかったのだと思われる。  本当の動物は、血を流してぶつかりあう、兇なる神聖なのだ。ヘロドトスによれば、いわゆるスキタイではないがそれに隣りあうステップの民、ネウリス人は年に一度、全員が変化して狼になり、数日後またもとの姿にもどるという。ヘロドトス自身、私としてはとてもこんなことは信じられないが、スキタイ人も、スキタイ在住のギリシャ人も本当だと主張し、誓いをたててそう言っている、とわざわざ断っている。恐らく、部族をあげて神聖な狼をまつる祭りを行い、その間人々は狼に扮装して神と合体したのではないだろうか。アニミズム、シャーマニズムだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「でなければ、遊牧民の貴族たちが、あれほど統一的な独自のスタイルを固持し貫いたはずがない。実際、彼らは交易の主導権を握っていたのだ。シルクロードなどのいわば公道がひらかれるずっと以前から、広大なステップを自由自在に馳せまわり、東と西の世界を媒介していた。だから、ほしがりさえすれば、もっとギリシャやペルシャ、東からは中国のような、高度な文化圏の産物をそのままの形でとり入れ、生活を飾ることができたはずだ。余談だが私はちょっとここで、わが国の状況を皮肉にふりかえって見ずにはいられない。明治以来、西欧文化をただ手放しで受け入れ、今日もなおその惰性をつづけている空しさ。  遊牧民文化にも確かにギリシャ式の飾りものとか、イランの絨緞、中国の絹など、まわりの文化圏の影響を見せているわずかな遺物はあるが、しかし圧倒的なのは彼ら特有の動物紋様だ。まさに、他によってゆがめられない、生活の誇りがあったのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「 もう十数年前のことになるが、私がはじめて韓国を訪れたとき、その頃まだほとんど日本の一般には知らされていなかった文化、伝統にふれて、強く打たれた。それまで私自身も、朝鮮といえば中国の周辺文化として漫然と考えていたが、ナマ身にふれてみると、まったく意外だった。中国、日本とはまるで肌ざわりが違う。激しくて神秘的な彩り。言いようのない空間性と流動性。私はそのとき、北の方から透明な、冷たい風が吹き流れ、自分の身体を通り抜けて行く……そんな痛切な思いを味った。  中国の、古くから大地に定着した農耕民族の伝統に見られる、重みとか固定感ではなく、それは今まで述べてきたスキタイ、アルタイ文化のあの肌あいと、まさに相通じるものだった。冷たい青空のもとに吹きぬけて行く運命の、軽やかさ、そして鋭さ。北アジアの文化である。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「さらに一段とひろい流れを感じとる。いま私の目の前に、縄文土器の分厚く激しく、無限にうねり渦巻く紋様が浮んでくる。この極東の文化と、ヨーロッパ芸術の源流ともいうべきケルト。あの組紐紋に象徴される永遠に回転し、流れて行く世界観。私が西欧文化で一番惹かれるのはケルトだ。あの底深い宇宙的表現。  まったく東西の両極、相離れた地域の、この古い文化に見られる不思議な同質性は、いったい何を意味するのだろう。私はこの神秘的な現象に常にうたれるのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「 私がスペインに今度(一九七六年)はじめて行くんだと言うと、誰でもがびっくりする。若い日、十数年もパリに住んでいたのだから、スペインといえば本当にお隣りだ。それなのに一度も?  と驚かれるのはもっともだ。それに「おや、あなたはスペインで生まれたような方だと思ったのに」などと言われたりもした。確かに、あの国には魅力を感じつづけているのだが、不思議に、行くチャンスがなかったのだ。  一九三六年、今度こそスペイン旅行を実現しようと計画をたて、出発準備までととのえた。そのとたんに、突如フランコの内乱が起こった。スペインは一瞬に炎のように燃えあがり、血みどろになってしまったのだ。  それからのこの国の運命は一段と悲劇的だった。世界中のインテリの関心をひきつけた。ピカソの『ゲルニカ』、ヘミングウエイ『誰がために鐘は鳴る』、マルロー『希望』、キャパの報道写真……そのいたましい、きしみの中から生まれてきた数々の歴史的証言は今も激しく生きている。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「ピレネーを越えると、とたんに、緑のフランスが豊かにひろがっていた。のびやかに平らで、いかにも平和な農耕地帯。  ピレネーを境に、あまりにも対照的だ。その時、このけわしいスペイン、その実体を一度どうしても確かめたいと思ったものだ。  パリからマドリッドに飛ぶイベリア航空は一時間以上も遅れてオルリー空港を発った。  明るいうちにピレネーを越えて、あのガリガリした様子をもう一度ようく見たいと、望遠鏡まで用意していたのだが、コースは海に出てしまい、当てはずれ。しかもスペインに入った頃は雲がかかって、ほとんど何も見えない。わずかに雲のきれ間から、オリーヴ畑がくすんだ緑色の、不器用に切りとってはめた不思議なモザイクのような模様で並んでいた。  マドリッドのホテルに着いて風呂に入ったら、浴室の床が、空から眺めたあのオリーヴ畑そっくりの、ガキガキと異様な変形のモザイクで貼られていたのは面白かった。  この相互がゆがみながら、しかし何か強烈にしっかりとつながりあっている状況は、まさにスペインの運命そのものを象徴しているような気がした。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「それにしても、この不思議な国の運命、その流れ、渦巻き。──カトリックでありながら、ユダヤ的要素と、イスラムがまじりあい、血も文化も、形式もモラルも、渾沌としている。ヨーロッパだが、最も東洋の血の熱さを濃厚に感じさせるところである。混濁し、規格統一されていない。明るくて、不思議に暗い。まさに「光と影(ソル・イ・ソンブラ)」。熱くて、冷たい。以前堀田善衞の『ゴヤ』を読んだが、そこにも、ゴヤという一画家よりもこのスペインそのもの、つまりゴヤという孤独な芸術家が背負い込まなければならなかった運命、悲劇的爆発の背景がなまなましく迫ってきて、読んでいながら、自分があたかもその中にとじ込められているような緊張をおぼえた。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「熱狂的なようで暢気、真面目なようでチャランポラン、およそ相反するような資質が平気で一体になっている。スペインならではのありようが、中世だけに、一段とむき出しに、なまな匂いをむんむんと放っている。  それでいて頑固、徹底的な自己主張の激しさ。たとえばゴヤの出身地であるサラゴーサの名家の出である教皇ベネディクトゥス十三世は、教会の組織といざこざを起こして辞職を命ぜられると、反対に自分一人だけを残して全世界を破門してしまった。そして死ぬまで妥協しなかった。あっぱれというほかはない。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「マドリッドから車で南下し、アンダルーシアをめぐる予定。きびきびした日本の青年、武田修君が車の運転を引受けてくれる。彼はもうスペインに住みついて十年になるという。マドリッド大学でスペイン美術を専攻し、いまはグラン・ビア、東京なら銀座通りにあたるホセ・アントニオ通りで美術商を営んでいる専門家だ。私にとっては、うれしい案内人である。  有名なプラド美術館は勿論見たが、ここでもう一つ、是非見て行きたいものがある。考古学博物館だ。トレドに向う前に、ちょっとでもいいから寄ってほしい、そう武田君に頼んだら、さすが、という顔でうなずいた。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「サント・トメ寺院でグレコの『オルガス伯の埋葬』を見たあと、でこぼこ道をくだって行って、かつてグレコの住んでいた家『カサ・デ・グレコ』を訪ねた。  タホ河のほとりに、かなりの庭もそなえた、当時としては中流の住居ということだが、その名のとおりギリシャから流れて来た異邦人の画家が、腕一本でスペインに住みつき、どんな気持ちでタホ河を眺めていたのだろうか。彼の絵にいつも出てくる、やや首を傾げて、憂愁をたたえた、あの蒼白く細ながい顔。回廊の向うにふと見えるような思いがした。  グレコは死後ほとんどその名も埋れてしまっていたが、十九世紀に入ってから突然高く評価されたのだ。この町でもあわてて、廃屋になっていた旧居を博物館のように仕立てている。だが、当然のこと、グレコの本当の生活が残っているわけではない。ただ家の遺構と、彼の時代の家具とか調度などが、そのころをしのばせるだけだが。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「スペインのイスラム文化最盛時代、三世紀にわたって首都であったコルドバは、あらゆる学芸の中心、憧れの都であった。グァダルキビール河はアラビア語で大きな河という意味だが、この大交通路をさかのぼって、人も物も富も、コルドバに集って来た。(後に、伊達政宗の使いとして支倉六右衛門常長がはるばるローマ法皇に謁見に来たが、その時もメキシコから大西洋を渡り、ヨーロッパに第一歩を印したのはこの地だったのだ)  都の中核となるモスクもグァダルキビール河の岸に建っている。かつてはこの中で二万五千人の信者が一度に礼拝できたという巨大な回教寺院だった。大塔の足もとにある免罪の門をくぐり、オレンジの樹が整然と植えられた中庭を通って堂内に入る。  白とオレンジ色の石を交互に組んだ装飾的なアーチが二重にかかって、無限に連なる柱の列、何ともいえぬ不思議な大空間だ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「スペインのイスラム文化最盛時代、三世紀にわたって首都であったコルドバは、あらゆる学芸の中心、憧れの都であった。グァダルキビール河はアラビア語で大きな河という意味だが、この大交通路をさかのぼって、人も物も富も、コルドバに集って来た。(後に、伊達政宗の使いとして支倉六右衛門常長がはるばるローマ法皇に謁見に来たが、その時もメキシコから大西洋を渡り、ヨーロッパに第一歩を印したのはこの地だったのだ)  都の中核となるモスクもグァダルキビール河の岸に建っている。かつてはこの中で二万五千人の信者が一度に礼拝できたという巨大な回教寺院だった。大塔の足もとにある免罪の門をくぐり、オレンジの樹が整然と植えられた中庭を通って堂内に入る。  白とオレンジ色の石を交互に組んだ装飾的なアーチが二重にかかって、無限に連なる柱の列、何ともいえぬ不思議な大空間だ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「セビリアの街路樹は、実をつけたオレンジなのである。町じゅう至るところに、つややかにオレンジが実っていた。カテドラルの中庭、王宮の広場、どこもかしこも鮮やかな色。  町の中心にそびえる有名なヒラルダの塔にのぼってみた。正方形の塔はイスラム時代の建造、七十メートルもの高さだが、中には階段はなく、ぐるぐる回るスロープになっている。これは緊急の時、馬で駆け上り駆け下りるように設計されたものだという。さすが騎馬遊牧民の伝統を思わせる。  四方に窓があり、のぼるにつれて、順々に景色が展開する。眺めおろすとゴティック大聖堂の複雑な屋根の線と奇妙に交錯して、ショッキングな面白さ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「しかし、何か俗っぽい。色塗りの説明的な彫像や、金キラキンの装飾、やたら巨大な柱、と人目を驚かすこけおどかしばかりで、感心しない。大きければいいというものではあるまい。  やはりゴティックの美はその発生地、北ヨーロッパが純粋であり、精神と風土から生まれたスタイルが自然に形に凝結したという感動がある。ここのはその透明感が感じられない。こんなデカダンな聖堂を作っていた人たちが、狂熱的な信念をもって世界中を布教し、中南米から極東まで、その土地の文化、宗教を徹底的にたたき壊して、カトリック信仰をひろめようとしたとは。ひどいズレを感じると共に何か納得する面もある。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「ヘレス・デ・ラ・フロンテーラという町はセビリアから二時間ばかり南に下る、スペイン名産シェリー酒の本場である。そもそもシェリーというのは、このヘレスを英国人が勝手に訛って発音したのが通用してしまったのだそうだ。ローマ帝国全盛時代、ここはその勢力の最西端のフロンティア、国境だった。それを今も名前に残しているのだ。  ヘレスに近づくと、まわりの畑一面にぎっしりと、握り拳のようにつき出している木株が見られる。それが葡萄だと聞いて意外だった。日本や、フランスのものともまったく違った感じだ。また今収穫期の綿畑が白い粉をまき散らしたように実をはじけさせている。色とりどりの作業衣を着た男女が実をつみ取っていた。  着いたホテル・ヘレスは庭に大きなプールをそなえ、洒落た近代的なリゾートホテルだった。何となく辺境のひなびた町だと勝手に想像していたのだが。毎年世界的な葡萄酒祭りなども行われ、酒造りが役立って観光地になっているようだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「 ここから海に向かって一気にくだる。コスタ・デ・ル・ソル(太陽の海岸)である。スペインの地中海岸はフランスのコート・ダジュールと並ぶヴァカンスの地である。東からそれぞれの浜に魅惑的な名前がついている。コスタ・ドラーダ(黄金)、アサアール(オレンジの花)、ブランカ(白)、ソル(太陽)、ルス(光)と華やかにひらき、競っている。超モダンな大アパート群や洒落た別荘が目もはるかに立ち並んでいるのだ。ここはまったく近代文明の世界である。  かのピカソの生まれた土地、マラガ。私は古びた、とじこめられたような田舎町をイメージに描いていたが、高層ビルの林立する大都市だった。  完備された海岸道路を走り抜け、ちょっと寄り道してネルハの巨大な鍾乳洞を見物して、モトリルから再び内陸に向かう。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「スペインというのはまったく、あらゆる味を含んだ世界だ。人物も風土も。さまざま取りあわせたオードヴルから始まって、デザートまで。そして終わるかと思ったら、また別のオードヴルが目の前に現れてくる感じ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「王は裸の美女たちを眺めながら、気がむくと、かじっていたオレンジを湯ぶねの前の大理石の床に投げる。真先に飛び出し、それを拾った女がその夜の王のお相手をつとめるのだそうだ。  ちょっとどんな具合か、王様になったつもりで、そこにひっくりかえってみた。冷たくて、コチンコチンだ。しかし、暖い湯気と、香料と、美女たちの熱気でわきかえっていて、オレンジなんかがあったとしたら、それはよかったに違いない。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「 私がはじめて「ガウディ」のイメージにふれたのは、一九三〇年代のはじめ、パリで生活していた頃だった。前衛美術雑誌・カイエダールに紹介されたサグラダ・ファミリアなどの写真は、衝撃的だった。それまで彼の存在は、パリでもほとんど知られていなかったから。  何という不可思議な、独創的建築。激しく、超自然的だ。その異様さに驚きながら、何かひどく身に迫ってくる。共感を覚えた。  生きもののような、流動感をもってうねり、のびて行く線。そのからみあい。ちょうどその時分、私が描いていた抽象表現のリズムと、肉体の奥深くで微妙に響きあうものを感じた。  ところで、ナマの眼で「ガウディ」にふれる機会はなかなか得られなかった。今度(一九七八年)、たまたまバルセロナを訪れることが出来たのだ。心をはずませた。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「私は数年前、首都マドリッド、旧い都トレド、またアンダルーシア地方のコルドバ、セビリア、グラナダ等を廻ったのだが、至るところでイスラム文化と混血したスペイン独特の雰囲気、スタイルを濃厚に味った。なぜバルセロナだけが違うのだろう。いま言ったように、スペインではなく、まさに西欧の大都市というたたずまいなのだ。  ガウディを探しながら、ながい間ぐるぐる車で廻ってみたが、ありきたりの街路、まったく普通の建物ばかり……突然、それらを突きのけるように、トッ拍子もなく「ガウディ」があらわれる。  異変のように、突っ立っている。カサ・パトリヨ、そしてまたカサ・ミラ。  どう見ても調和などというものではない。あたりを圧倒してしまう異様な迫力。それも心地よく、素晴らしく圧倒するというより、奇怪に、次元を転換し、他を色あせさせてしまう。  ぐねぐねした線。そのからみあい。細部の細部に至るまで、執拗に追いかけて行く怪奇なイメージ。窓、入口、屋根、それぞれが言いようなく奇妙な一体となって、生きもののようにこちらに迫ってくる。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「あのような創造は確かに孤独の中に生まれるものだ。しかし孤独を貫きとおすには、真の協力者がなければならない。孤独者と孤独者の出会い、そのぶつかりあいによってこそ、真の「孤独」が強烈な彩りをもって世界に向ってひらくのだ。あの二人の出会いは、超自然的創造を実現させた核だったと思う。  二人とも、時代を超えていた。あのような西欧近代都市といった環境バルセロナにいたからこそ、彼らはそれに挑み、まるで次元の違う独創的な世界を、無条件につき出したのだ。私はその無償のアクションに共感する。そして日本において、ますます孤独にオリジナリティを貫かなければと思うのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「ところで、ガウディの建築がこれほど人を惹きつけるのは、言いようのない運命の裂け目、歳月にさらされて示す、その悲劇的な激しさによってではないだろうか。  多くの建築物は、出来上った当座はともかく、やがて陳腐な感じになってしまうものだ。ところがガウディの激しさ、新鮮さは年とともにいよいよもりあがるように思われる。  それらのほとんどが、実は未完成なのである。  もちろん創造しつつあるときは完成を目ざしていたにきまっている。しかし作品のほとんどすべてが未完成。その未完であるところに逆に、強烈な生命力を感じとる。  彼はあまりに壮大な夢を描きすぎるのか。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「だがガウディの場合、そういう一般論より以上に、「未完」であることが意味深く思える。定着し、動きをとめてしまった姿ではなくて、永遠に成長し、動いて行く、生命体の魅力。  バルセロナの人々はサグラダ・ファミリアについて、工事を継続しあれを完成させるのがいいのか、ガウディの生命が終った時のまま、未完成にしておくべきか、激しく意見が分れているという。もっともな対立である。  創造のポイントを考えてみると、まず発想の段階。次に制作の過程がある。未完の作品と、作るという行為。そして完結、である。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「 メキシコへ行くと、私は全身がわくわくふるえるほど嬉しくなってしまう。  明朗で、強烈な彩りにみち、濃厚な生活感があふれている。一見われわれの日常のきめや、文化的気候・風土とまったく違っているようだ。それでいながら、どうしてあらゆる表情、雰囲気があんなにピンとこちらの全身に響いてくるのか、不思議なくらいだ。  いわゆる先進国、日本人の多くが憧れているアメリカやヨーロッパに行って、私はむしろ現代文明が直面している空しさ、暗さに絶望的な気分になることが多い。しかしここはそこはかとなく明るく、あたたかい。なるほど経済力・近代工業の生産力は低いかもしれない。だがそこにかえって人間の根源的な生き方の豊かさ、誇りが生きている。  いうまでもなく、メキシコをはじめ中南米の運命は大変複雑だ。かつて高度な古代文化を誇ったマヤ、アステカ、インカなどの民族、それがスペインなどに滅されて混血し、今日では独自なラテン・アメリカの彩りとして花ひらいている。たしかに異質の文化の混合ではあるけれど、しかし意外にも、土着のインディオの生活感、本来的なムードが、むしろ強烈に、色濃く噴き出すきっかけにもなっている。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「メキシコには〝働く者は働いて食べる。働かない者は遊んで食べる〟という諺があると聞いた。へえー面白いなと思ったが、意味はどうもよくつかめなかった。ところがメキシコに行ってみて、なるほどと実に納得できたのである。  どこの町でも、プラサ(広場)や町の辻のようなところに男たちが群がっている。みんな大きなソンブレロをかぶり、ポンチョを着て、裸足のままのもいる。のんびりと日なたぼっこをしているのだ。実にのどかな、いい顔をして。われわれには、うらやましいというより信じられない雰囲気だ。日本ではかけずりまわらなければ生きられない。だから不思議な気がするが、中南米ではただ生きて行くというだけなら別にアクセク働かなくてもよいらしい。一年中気候はほぼ一定で、着るものも数はいらない。果物は豊富。ユカタンでは街路樹にたわわにマンゴーなどが実り、路にぽたぽたと熟した実が落ちているのだが、そんなのは誰も拾わないという。バナナも安い。だから、下層階級の食べるもの、ということになっていて、上流の人はこっそりと、隠れて食べるのだという話も聞いた。気の毒なような、滑稽なような。庶民の買うパンは美味しくて、ひどく安い。一ペソ(約三十円)で大きいのが十個も買える。民衆的な生活をするのなら、ただのように暮せるのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「 世界のいたる所に美酒がある。フランスのさまざまの葡萄酒にしても、またスペインのシェリー、ロシアのウォッカ、中国のマオタイ、ペルーのピスコ、ブラジルのピンガ……かつて訪れた土地土地の思い出は、懐しい酒の味わいと香りをともなってよみがえって来る。  だから私はどこでも、まずその土地の酒を飲み、名物の料理を食べる。それぞれに芳醇で独特な味。そのときこそ、なまなましく、そこの世界と抱きあうような嬉しさを覚える。  酒と旅の思い出はつきないし、どれも忘れ難いのだが、ここではメキシコの酒にしぼることにしよう。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「人間像でも、いわゆる西欧的な美学とはまったく基準がちがう。例えば、歯をむき出して笑っているような顔。──不思議なことに、メキシコの笑う顔はすべてなにか呆けたような恍惚の表情を浮べている。その異様な雰囲気は、うす気味悪いとも、いやったらしいとも言いようがない。それでいて心の奥底にずんと響いて、忘れ難い印象を残すのである。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「あの凄まじい姿と、「蛇の裳裾の女神──コアトリクエ」という名は、私の心に焼きついたのである。再びメキシコ市を訪れた時には、新しい巨大なムセオ・デ・アントロポロヒア(人類学博物館)が完成していた。さまざまの素晴しい彫刻が立ちならび、或いはうずくまっている中に、コアトリクエは重要な場所にすえられていた。私はこの、およそ美女とはいえない女神に一段と、なんともいえない親しみを感じたのである。  万国博のテーマ・プロデューサーを依頼されたとき、世界中から神像や仮面を集める計画をたてた。その当初から、是非あれは飾りたいと思っていたのだ。今はレプリカの優秀な技術がある。メキシコ政府に問い合せ、本物そっくりにプラスチックの材料で複製してくれるよう頼んだ。こんなものをこそ、日本の人たちに見せたいと思ったからである。  このような神秘的感動を、現代日本人の多くは忘れ去ってしまっているようだ。しかし、生命の奥底には必ずひそんでいるものだと私は確信しているのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「西欧の側から見ても、やはり同じように奥深い郷愁があるらしい。マヤをはじめ中南米の古代文化への憧れから、戦後、厖大な分量の推理、解明が提出され、出版された。例えば巨大なピラミッドの技術は古代エジプトから葦舟に乗って渡った人々がもたらしたものだとか、消え去った大陸アトランティスが双方の祖地であって、そこから分れてこれらの文化がひらいたのだというような説。滑稽なのは宇宙人説まである。マヤ族が天文学・数学に異常に高度な、現代も及ばぬほどの水準をもっていたり、南米ナスカのアース絵画が高い空から見る以外には絶対にイメージにならないような規模で平原にくっきりと描かれていたりする、今まで謎とされていた問題がこう考えればピタリと解けるというのだ。とりどりの説が、一見荒唐無稽でも真面目に、意外な根強さで論議される。単なる好奇心以上に彼等を惹きつけるものがあるからに違いない。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「彼はパリでも生活しているので、かなり流暢なフランス語を話す。雄弁家で、話に熱中してしまい、永い時間しゃべりつづける。互いに情熱的に問題をぶつけあった。  意外に話があう。メキシコ革命生きのこり、そして厖大な仕事をなしとげてしまった老巨匠だと思っていたのに。  彼は商品化したパリやアメリカの美術に対する軽蔑をズケズケと語り、ピカソだってもう金で買われる芸術になってしまっている。あんなものは駄目だ、とはっきりしている。金持ちに買ってもらうために描かれた絵、銀行預金のようにしまっておくための芸術なんて、何の意味があるか。──まったく私が昔から常に発言している通りのことだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「私は日本でそれを実践しつづけてきた。好かれようとしない仕事ばかりしているし、応接間に飾られる小さな商品的な絵より、パブリックの場所に作るモニュメントや壁画に情熱をかけてきた。ちょうどそのときは万国博のテーマ・プロデューサーを引受けた直後だったので、いまエキスポ の中心になる、テーマ館の構想をたてている。そういうひらかれた場所でこそ、芸術はピープルにすっ裸でふれあうことが出来る。誰も金を払う必要もないし、何気なく通りすぎてもいい。「芸術作品」だなどと立ちどまって見る必要もない。それでいて、何かをぐんとつきつけられ、無意識的に心性を変貌させる。それが芸術の呪術的役割だ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「私は、いや私ばかりではないだろうが、現代のいわゆるモダンアートに絶望している。今日は世界中どうしようもない画一化だ。私はこの正月念願のインドに行った。常々濃い夢を抱きつづけていた。目の前に見るピープルのなまなましい現実、その凄さに心を奪われた。ところがここで見せられた現代絵画はまったくのエコール・ド・パリなのだ。たしかに巧妙で、才能もあるが、何でこれがインドで描かれなければならないのか、憤りさえ感じた。しかしふりかえって日本の状況を考えれば、さらに空しい思いがするのだ。パリはもう古くて、ポップも終った。環境だ、観念芸術だ、そんな追っかけっこに何の意味があるのか。すでにパリ自身がパリの真似をし、ニューヨークがニューヨークを追っかけている。悪循環だ。強烈な孤独感こそ芸術の根であるはずなのに。この無責任さ、空しさに絶望しないものはいないだろう。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「そんな世界の中でシケイロスを見る。これだけ独自に己れを貫いて、衰えを見せず、空しくもならない、その秘密はどこにあるのか。そう考えるとき、私はやはりメキシコの精神を思わずにはいられない。この国の風土、人の心が、それだけの文化的誇りをもっているからに違いない。たしかにメキシコは政治・経済において、決して世界のトップを切る国ではない。工業化は遅れ、さまざまの矛盾をかかえている。貧しい。しかしいわゆる後進国であるにかかわらず、隣りの大国アメリカよりも、文化的には自分たちの方が高いという自信をもっている。とかく現代世界では、政治・経済・軍事的大国だけが進んだ文化をもっているような錯覚におちいってしまうのに。  だからこそ、革命期の壁画運動も世界芸術のトップの問題としてすすめられた。運命の巨大な炎を背負いながら、困難な社会建設の時代に、国の政策として大壁画が作り続けられたということは、メキシコ全体が芸術の意味を国の運命とともに押し出した自覚、強烈な自負があったればこそだろう。  壁画は趣味的な美術作品ではなく、社会にうち出すピープルの巨大なマニフェストなのだ。そこに強烈な土地の匂いがふきあがっている。マヤ、アステカ等、インディオの伝統は新しい内容をふくんでにじみ出し、ひろがっている。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「外からやって来たわれわれには解らないことだが、インディオということばにはさげすみの響きがあるそうだ。例えば靴をはいているような人、また自分の名前をサインできる人は同じ顔つき、人種でもインディオとはよばないというのだ。差別をとり除こうとして、文部省の通達で、インディオの代わりにインディヘノと呼ぶよう指導しているそうだ。だがそんなことで現実が変わるわけでもないだろう。  教育や衛生、医療の改善など問題は山積しているようだが、実際にどのくらいインディオの人口があるのか、山奥に散在しているので正確な国勢調査もできていないというのだから行政側も大変だ。  とにかくスペイン人に徹底的に略奪され、何世紀にもわたって圧迫され続けた彼らの心情には、決して一筋縄ではいかない、複雑な混冥があるようだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「直接この目ではじめて見た民族芸術の魅力は私を強烈に惹きつけた。  無邪気で、ふくらみきっている。そればかりでなく、言いようのない生活感がある。  色も形も、決して固定していない。いつでも爽やかに流れている。それは中国文化のがっちり動かない、完結した表情の古典性とも違うし、また日本の伝統芸術に見られる、技巧的な渋い形式美とも違う。こだわりのない、つきぬけて行く軽やかさがあるのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「この一体のようでいながら、鮮やかに三つの層に分かれた文化の運命を思うとき、私の目に浮かんでくるのは、万里の長城である。あのけわしい、そして一種の気力のような、帯状の線。分厚い壁が深い山、谷を越えて果てしなく彼方にのびて行く姿。ユーラシア大陸の東南部にがっちり根をはやし、ひろがった農耕社会、強大な漢民族の世界を、まもり、同時にとざしている。  この運命的境界は山海関から発しているのである。  長城の内側と外側とのドラマは誰もが知っていることだ。大農耕社会の定住し、分厚く充実したひろがり。そこでゆっくりと醸されて行く高度な文化の独自性。その外の草原は風とともに常に流れ変転する騎馬民族、遊牧民の天地である。この二つの世界の絶えざる抗争と融和、そして交易。歴史はまだなまなましい。しかし遊牧民と農耕民の文化の交流は意外にも表面的だ。人間的とけあいというものはなかったように思えるのだ。それぞれが独自の世界であって、交錯はあっても本質的にまじりあうことはなかった。万里の長城は、そして巨大な農耕体制は、外からの波を招きよせ、ひきつけながら、同時にまた常に押し戻していたのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「韓国に着くと私はいろいろ見歩くかたわら、考古学、歴史学、民族学等、さまざまの学者に会った。その度に私の予感する北方的な流れについて、具体的な証拠はないか、聞きただそうとした。石器時代から古墳の話、神話、古いことならいくらもある。先生方は気持ちよく語ってくれた。しかし、そういうものが今どこに現実に生きているのか。私はそれがつかみたい。  考古学者の金元龍さんと会って話している時、私がこれから扶余の方に行くつもりだと言うと、それなら公州の郊外の村では今でも「チャンスン」が見られる、と道順を教えてくれた。  長 の話はそれまでも度々出ていた。朝鮮には古くからソッテとも言って竿の先に鳥の形をつけて立てる風習がある。新羅時代の青銅器にもこれを彫ったものがある。非常に古くからの習しであることは確かだ。昔は村境とか峠など到る所にあったという。領域を標示する神聖な印らしい。だがいろいろと聞いてみても、それはいつも断片的な話で終ってしまい、どうもはっきり意味がつかめなかったのだが。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「ところで、私はいわゆる世界美術史の、オーソドックスに組まれた頁をめくったのではあまりそういう戦慄を感じない。重々しく立派なものは沢山あるが、それらは過去の栄光、宝物であるにすぎないと思われるような何かよそよそしさが先にたち、直接迫ってくる生命の共感が薄い。無条件な流れを見とることが出来ないのだ。  近頃はいくらか変りはじめているが、先頃までの美術史は、公認「世界史」の筋書きにそって、巨大な体制や、人類のいわゆる進歩にとって大きな段階をすすめて来たとされるような文明ばかりをつらね、それにほとんどのスペースをさいている。しかも史観の基準になっているのは西欧先進国の視点だ。抜き難いヨーロッパ中心主義。それをおし頂いている日本も同じである。せいぜい中国という昔から因縁深い先進文明に目を配るだけ。そこからはずれたものは、まともに扱おうとはしない。どうしようもない事大主義だ。  大文明の、型どおりに評価されたものだけを、時間軸に羅列して行くのがいわゆる「美術史」だったのである。だから、いつでもバビロニア、エジプトにはじまり、ギリシャ、ローマと来て、ルネッサンスが一頂点になる。  ところが私の感動するものといったら、どういう訳か、すべて、そんなおきまりの枠組みから外れたものばかりである。例をあげれば、まず日本の縄文文化。ヨーロッパではケルト。そしてユーラシア大陸の東と西にまたがったスキタイはじめ騎馬遊牧民の諸文化。これは朝鮮半島まで流れ込んでいる。中国では殷周の銅器。それに北はエスキモーから、中南米のプレ・コロンビア文化……考えてみると、これらはとかく古拙だとか蛮族の遺物、などと片づけられて、どれもオーソドックスな美の体系には組み込まれていない。そういうものを私がわざと選んであげているように思われるかもしれないが、そんな意図はまったくない。さまざまの体験のなかで私自身がぶつかった純粋な感動を、無条件に、無作為に並べてみただけだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著


    「余談になるが、パリの近郊のアンドレ・マルローの邸に招かれた時、私の『美の呪力』を仏訳した『 L esthétique et le sacré』という本を進呈した。彼は興味深そうにその場で頁を繰っていたが、中で組紐紋について書いた章の口絵に目をとめた。そこにはケルト美術とならべて、縄文土器の部分の写真がのせてあった。マルローは、「ああ、ケルトだね」と言う。「いや、こっちは日本の原始芸術、縄文土器です」「ふ ーむ。縄文の土偶は知っていたが。こんなのがあるのか」  とびっくりしていた。西欧人に珍しく、日本美術にあれほどの関心と教養を持つ彼でさえ、見分けがつかなかったのだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著

    「私はパリ時代、「アプストラクシオン・クレアシオン」に参加し、ともに芸術運動を闘いながら、無機的な冷たい抽象には絶望していた。そして私は誰とも違った、私独自の、言葉はおかしいが「具体的抽象」とでも言うべき、無条件の色・形となまの現実感とのぶつかりあいを表現したのである。当時の機関誌に私は書いている。 「……まさに、色でない色、形でない形をつき出すべきだ」(「アプストラクシオン・クレアシオン」年鑑画集第三号、一九三四年)  このようなスジはようやく最近、注目されはじめているようだ。」

    —『美の世界旅行(新潮文庫)』岡本太郎著









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    2026年08月11日
  • 自分の中に孤独を抱け

    Posted by ブクログ

    762円

    ★再読

    岡本太郎
    (おかもと  たろう)芸術家。一九一一年生まれ。二九年に渡仏し、三〇年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。四〇年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。五一年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。七〇年大阪万博で『太陽の塔』を制作し、国民的存在になる。九六年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。『今日の芸術』(光文社)、『強く生きる言葉』(イースト・プレス)、『自分の中に毒を持て』(青春出版社)ほか著書多数

    解説
    平野 暁臣
    (ひらの あきおみ、1959年2月18日 - )は、東京都出身の空間メディアプロデューサー。株式会社現代芸術研究所 代表取締役、岡本太郎記念館館長、ジャズレーベルファウンダー、音楽プロデューサー、日本イベント業務管理士協会名誉会長、サイバー大学元客員教授(イベントプロデュース論)。岡本太郎のパートナーだった岡本敏子の甥。敏子の後任で「岡本太郎記念館」2代目館長。多くの関連著作を刊行している。


    「 大学とは本来、学問を人生目的にするひと、あるいはサイエンスなどの特殊技能を身につけるために行くところだ。そうじゃないなら、自分が必要と思う期間だけ、必要な大学に行けばいい。  一般教養だけのためなら、高校を充実させればいいんだ。「大学卒業」なんて資格は認定しない方がいい。  フリーで勉強したいひとはだれでも行ける大学──たとえばパリ大学などは、医科や理工系など特殊な部門をのぞいて、文系はだれでも聴講できる。資格をとるのは大変だけど、だれでも学問を身につけられる。  日本にも聴講生の制度はあるだろうが、卒業して就職するだけの大学では行ってみたいという気持ちにはなれない。これからは、むしろ聴講生のほうを拡大し、勉強したい者はだれでも籍を置くことができるような形式を政府は考えるべきだ。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著

    「アルタミラ、ラスコーなどの洞窟の壁には、いまなお彼らの残した芸術を見ることができる。その鮮やかさに現代人は驚嘆する。たしかにすばらしい。  だがぼくは、その巧みさには驚かない。それよりも、線や形のうしろにある、それを描きつくったひとたちの生き方を感じとり、その戦慄にみちた冒険、たくましさ、激しさに、より強烈な芸術的感動を覚えるんだ。  以来、何十万年のあいだ、ずいぶん無理を重ね、苦労のしどおし。しかも今日また、猛然とそれに耐え、「登らない」ことを決意する人間がいる。多数の猿どもに対して、ノーと叫ぶ。  なるほど孤独なその叫びは、最後の最後まで負い目に見えるだろう。しかしたった一枚のノーの切札が、すべての堕落した猿どもをひっくるめてポジティブに逆転させ、時代をおし進めていくんだ。  じつはどんな猿根性にも、心の奥深くかすかに人間の初源的「ノー!」が、ストイックな思い出としてひそんでいる。だからアヴァンギャルドは孤独であっても力なんだ。  猿どもの抵抗をこえて、一見不可解に見える切札を、ますます容赦なく、強烈にぶっつける。そうしなければダメなんだよ。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著

    「この陰気で、まことにサッパリしない人格形成、現代日本的道徳・習慣は、ながい鎖国と封建制の結果であるということはだれもが知っている。徳川初期のころまでは、日本の男はもっとはるかに男性的だった。俗に「槍一筋の功名」で、武士はもちろん、百姓の子までが一国一城の主、もしかしたら天下取りにもなれる時代。町人でも実力によって堂々と己れを主張できた。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著


    「だから、なんといっても彼らはヤクザであるに過ぎず、正常な社会から外れた日陰者、アウトローだ。ほんとうに堂々と社会を動かす男性的男性の、明朗な重みはない。権力と卑俗なモラルに対する反抗としての、その場かぎりの英雄主義だ。どんなに華やかに装っていても、実りのない花は、けっきょくは空虚だ。  今日なお映画や大衆小説などでヤクザものは人気がある。古い封建制度は崩れたが、それに代わってさらに強固な官僚主義がのさばっているからだ。スポイルされた状態に対する民衆の不満、息苦しさが、あいも変わらぬヤクザ憧憬になって現れる。  時代遅れのチョンマゲ男、アナクロニズムのモラルはやりきれないが、こうした官僚主義がつづくかぎり、残念ながら、その裏側にある歪んだ英雄主義もつづいていくだろう。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著


    「絵画だってそうだ。絵画は十九世紀のヨーロッパで芸術になったのであって、それまでは芸術なんていう意識はなかった。日本では明治末期から芸術の範疇に入ったけれど、それまでは絵を描く者は「絵師」であり「画工」だった。職人を意味する「工」の上に「大」を書けば大工になり、「石」を書けば石工になる。それとおなじだ。  ところが、ただの絵師であり画工だった者に、とつぜん「芸術家」っていう肩書きが与えられた。このタイトルを与えられた途端、「オレは芸術家なんだ」っていう意識をもつようになり、深刻な目つきでひとを見たり、深刻な格好で世の中を見たりするようになった。だがそんな奴にかぎって、中身は少しも深刻じゃない。いわゆる「芸術」と称されているものは、およそ芸術じゃないんだよ。  ぼくは十八歳でパリに行き、二十代をパリで過ごした。ダダイズムをやっていた連中ともずいぶんつきあった。ダダイズムとは、第一次世界大戦のころにスイスあたりを中心に起こった芸術運動で、それまでの価値観をひっくり返そうとしたんだが、その中心にいた詩人トリスタン・ツァラや美術家ハンス・アルプなんかとね。  芸術家の街といわれるモンパルナスへ行っても、ダダイストのアルプなんてのは、紺の服に黒っぽいネクタイを締めてじつに平凡、どこの勤め人かわからないような恰好をしていた。どう見たってお役人か会社員だった。  それに比べて、ボヘミアンネクタイを締め、つばの広い帽子をかぶってパイプを燻らせているような、いかにも芸術家ぶっている奴らもいた。でも、そういう連中の作品を見ると、三匹の子猫やバラの花みたいな、じつに幼稚なものを描いている。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著


    「 バカな芸術家が多いんだよ。そういうポジションを取りたがるのは、ヘンな芸術家意識をもっているからだ。  芸術家だ、絵描きだ、音楽家だ、なんて主張するような奴は、みんな商品をプロダクトしているだけだ。商品をつくった段階で、だれかに買ってもらおう、換金しようと努力する。いわゆる商人、経済人などより、もっと卑しい存在に落ち込んでいるのが、芸術家と称する怪しげな連中だ。そんな奴らのスタイルや恰好に引っ掛かっちゃダメだ。  そもそも芸術と言ったって、絵を描く必要もなければ、唄を歌う必要もない。  ただひたすら人間的に生きる。それがほんとうの芸術だよ。  だから「政治、経済、芸術」の三権分立が必要なんだ。ほんとうは「政治、経済、人間」と言いたいところだけど、そう言うと誤解が生じるから「芸術」と言っている。  人間即芸術。芸術即人間。  もっとも強烈に生きる人間が芸術だ。このモメントがいま見失われている。  絵も描かないし、唄も歌わないけれど、オレは芸術家だ。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著

    「ノーマルな社会がある。その日常性、社会的基準や常識に対して、まるっきり正反対な、渾沌的なもの、根源的な、生命の奥にある神秘みたいなものを突きつけて、ノーマルでない非常事態をつくりあげる。そして日常生活の惰性に埋没し、失われた人間の根本的感動を呼び覚まし、生命の充実感、生きがいを集団自体に与える。  それが芸術家の役割だと思う。この意味で、芸術家は今日の呪術師、シャーマンだ。  合理主義、科学主義の時代になって、人工衛星が飛び、ますます足もとが空虚になっていく時代にこそ、かえって呪術師たる芸術家の役割は深くて重大なものになってくる。それはすなわち、現存する社会に対して、激しく〝ノー!〟というカードを投げつけることだ。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著

    「 たとえば読書にしても、ただ本を読むだけでは読書とはいえない。それでは本の上に目を走らせているだけだ。ほんとうの読書とは、内容を批判し、自分の考えや対処のしかたをあきらかにするものでなければならない。  書物にふれることによって、人間的な変貌、あるいは世界観の確立という、自分にとっての新しい世界をつくりあげること。それを前提にしなければ意味がないし、読書したことにもならない。  絵画を観る場合でも、ただ「きれいね」とか「愉しいわね」という単なる受身の観賞では、やはり生活の全体は満たされない。自分もあんなふうに描きたいと思ったとしても、「描けたらいいわね」で止ってしまえば、充実した鑑賞にはならない。ほんとうは描きたいのに描かずに済ませてしまったら、あとになんとなく味気ない気分がのこる。  そういうことが積もり積もると、だんだん生活自体が消極的で空虚なものになっていく。しかもたいていの場合、その空虚さに自分自身で気づかない。  もし少しでも「あたしもあんなふうに描けたらいいわね」と思ったら、描いてみるべきだ。絵というものは、たとえ鑑賞するときでも、たんに味わうだけでなく自分が描いているという積極的な気構えでぶつかると、それによって創造的な、もっと生活的な幅と意味をもってくるものなんだ。  絵を観ていて、「よくわからないけど、好き」というひとがいる。  わからないけれど好きという言い方は、とりわけ絵画や音楽でよく聞く台詞だが、こんな無意味なことはない。  「いい」「好き」と言ったとき、その作品はまさにそう感じた〝そのひとのため〟に存在しているのであって、作品の意味は「いい」と思ったその分量だけ、たしかにそこにある。それ以外の「わからない」分を心配する必要なんかないんだよ。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著


    「 古い芸術形式は歯牙にかけず、そのころパリで台頭した抽象芸術運動に加わり、やがて理論的な抽象主義をのり越えて、新具象主義を唱えた。シュルレアリスムの克服もまた、とうぜんぼくのプログラムだった。  それでもなお、芸術に対する不信と虚無感をどうしても消し去ることはできなかった。それは逃れることのできない、ぽっかりあいた口のように、ますますぼくの前に立ちはだかった。  ついにぼくは芸術自体、美を追究するという営み自体を振り捨てることを決意した。  それまでのぼくは芸術だけを生きがいにしていたし、それひとすじに、馬車馬のように突き進んでいた。そうすることで世の中にお目見得するという、いわば芸術家二世のグロテスクな段取りだ。  それをふり捨てるのは、自分自身、そして世の中に対して、己れを根こそぎ否定することに等しかった。でも、もはやどうにもならなかったんだ。  こうして〝芸術否定〟〝非芸術〟がぼくの当面の課題になった。  じつはそれこそが近代芸術の宿命でありプログラムのひとつなのだが、当時はまったくわからなかった。あとで振り返って、はじめてそれに気づいたんだ。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著

    「 そのとき、はっきりわかった。どうしようもない虚無感の意味を読みとったんだ。  オレはここでは生活していない。  お互いに知的な友情や理解はもち得ても、ほんとうにドメスティックな日常生活において、ぼくはやはり外国人であり、つまりここでは実在者ではなかった。  どんなに心を燃やし、己れを他と対決させようとしても、それは抽象に過ぎない。  実践の社会的場、みなと同質に苦しみ、共通の運命に慄く、そういう素朴な生活人としての連帯感は、とどのつまり実感として互いにもち得ない。むしろ彼らは、ぼくよりも、知的生活とはまったく無縁な町の肉屋のオヤジやパン屋のカミサンたちとの方が、現実的に近くつながっている。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著

    「ぼくが象徴的に権威と対立しつづけ、あたかもぼく以前には芸術がなかったかのように言い放つのは、このような日本的地盤、風土からはなにものも生れないからだ。  象徴的な立場をとることによって、新しい世代の旗印となり、そのもりあがり、炸裂に点火する。  絵画制作、生活との闘いのあいまをぬって、日本の現実にメスを突きつけ、しかも過去にさかのぼって「日本の伝統」をとりあげたのもその意図からだった。  いままでの大人たちのように、日本という文化の後進性を限界として意識し、そこにくすぶってしまうんじゃなく、現実に正面から対決すると同時に、世界的、超近代的課題を展開する。  それを明朗な実感として、ぼくは若い世代にぶつけたいんだ。」

    —『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著


    ぼくは十八の年から十余年間をパリに暮らした。その間、たまに手紙を書く以外は、いっさい日本語の読み書きをしなかった。そのころは自分が文章で闘うなんて考えたこともなかったし、そんなことができるとも思っていなかった。  ところが、言わなければならないことばかりなのに、周囲にはまったく発言がない。時代に対応する新しい芸術の問題を、一般はもちろんインテリもまったく知らないようだった。だからシャニムニ書いた。書かざるを得なかったんだ。  現代芸術の本質的な流れ、課題など、躍起になって論じても嘲笑された。「アヴァンギャルドなんて、そんなもの、戦前の話だよ」という調子でね。そういうなかで実作を突きつけ、論争し、説得しようとした。  芸術・文化運動の手榴弾としてギリギリの気持ちで文章を叩きつけた。  画文集『アヴァンギャルド』をはじめ、その時代の古い原稿には、そういう抵抗感と苛立たしさが満ちている。生硬だが、それだけにいっそうその時代のド真中で歯ぎしりしている自分の姿がよみがえってくる。  なぜあんなに性急に、戦闘的に食ってかかっているのか、いま考えるとひとり相撲だったような気もするが、あのときにはそれが必要だったんだ。じっくり説き伏せるとか内容の説明などはむしろ邪魔で、叫ぶこと、ショックを与えることだけを考えていた。  絵描きが文章を書くことは、職能上はあきらかにマイナスだ。欧米でもそうだよ。  画壇は世界的に古色を帯びている。黙ってこの道一筋、絵だけ描いているほうが大事にされる。随筆程度ならともかく、評論家の縄張りを犯すようなことをやりだしたらおしまいだ。時間をとられるうえに、すべてを敵にまわすことになる。  それを承知で、ぼくは書かずにいられなかった。  「ピカソへの挑戦」「ピカソをのり越えている」とか、「芸術はうまくあってはいけない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない、それが芸術の三原則だ」などと人々の気にさわることを言い、価値転換を試みた。  「岡本太郎」を主張しすぎるという点でも嫌われた。論旨に賛成のひとの多くも、それゆえに敬遠した。  この国ではみなたいへん誠実に「だれかがやらなければいけない」とは言う。


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    2026年08月11日
  • 強く生きる言葉

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    父がくれた本
    栞には父の字で
    「志のため 03.12.8」

    仕事に悩みがあった自分は
    "ほんもの"という言葉に檄をもらいました。
    ずっと好きな言葉です。

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    2026年07月02日
  • 自分の中に毒を持て<新装版>

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    読みやすく、やりたいことを行動に移しやすくなった。成功には「才能なんてみんなない、やるかやらないかだけだ」には勇気づけられた。もっと若い時に読んでいたらよかったと思った。

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    2026年06月17日
  • 自分の中に毒を持て<新装版>

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    本来の人間とは、と言うものをこの本を読むと思い出せる。でも、一度閉じてしまうとまた忘れてしまう。繰り返し手に取れる様にしておきたい。

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    2026年06月02日
  • 自分の中に毒を持て<新装版>

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    当たり前を疑う精神
    なんとなくを感じとる(空気を読む)日本人精神へのモヤモヤ
    出る釘は打たれるの強烈なエネルギー

    私の経験上、大学に行って、なんとなーくだららーんと、流されるままに社会に出る空気感が気持ち悪くて、個の主体性の問題がモヤモヤし続けていた。

    私の内に湧いてくるものをこんなに共有できる本があるなんて、とってもありがとうだ

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    2026年05月27日
  • 誰だって芸術家

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    西日本への旅の途中、高速道路の窓越しに久しぶりに見た太陽の塔。半世紀が経っても変わらぬ大きな存在感で目に飛び込んできた。人類の進歩と調和」訴えた岡本さんが今の世界を見たら、どんな直言で叱り飛ばすだろう。に比べ今回の万博は、世界に何を訴え、何を残したのだろう。芸術論から文化、社会論、果ては人間らしい生き方まで。その視線は社会の隅々から未来まで。その根底にある反骨の精神。「オレはこう思う」「オレはこうする」信念に生き、それを実践した岡本さんの偉大さ、しみじみ噛み締められる良書。

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    2026年04月02日
  • 強く生きる言葉

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    ネタバレ

    > よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、凡人にはむずかしいという人がいる。
    そんなことはウソだ。やろうとしないから、やれないんだ。
    それだけのことだ。(p6)
    >

    岡本太郎の言葉は、よく分からないものもあるが、なんだかとても熱くてエネルギーに溢れている。

    とにかく自分自身に賭け、やりたいようにやる。そうすることが人間らしいと岡本太郎は言う。

    そういう生き方をできている人は少ない。「やりたいことで生きていく」と、YouTubeが流行り出したときによく聞いた。しかし、大抵の人はそうではない。嫌なことを我慢して生きている。だから、岡本太郎の言葉を目にした時に、元気を貰える人と、圧倒され引いてしまう人がいると思う。

    岡本太郎ほどにはなれていないが、『自分の中に毒を持て』を読んで以来、少しだけ自分のやりたいことを会社の中で我を通すようになり、大変ではありつつも楽しく過ごしている。

    こんな言葉がこの本にあった。

    > ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。
    財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。(p37)
    >

    『自分の中に毒を持て』にあった言葉で、衝撃だった言葉だ。

    何かを得るほど、体が重くなって、自由さを失っていく。なんとなく理解できるこのことを「積みへらす」と表現したことに驚いた。

    人間が人間らしく生きるとはどういうことだろう。

    生きること、死ぬことは、どういうことだろう。

    岡本太郎の言葉に触れると、そんな考えが浮かぶ。

    危険な方に進み、死を感じることで、逆に生を感じられ、エネルギーが湧いてくる。

    そんなことを岡本太郎は言っていた。

    何かの流れに乗って流されて生きるのでなく、自分の人生の手綱を自分で握る。

    そんな風でありたいと、この本を読んで思う。

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    2026年02月16日
  • 美の世界旅行

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    岡本太郎が世界を旅し、各国の美術や建築を語ります。
    以前「孤独が君を強くする」を読んで、意識高めでストイックそう…と感じたけど、印象だいぶ変わりました。
    どこに行ってもその地の風土・生活様式・価値観などへのリスペクトにあふれ、無邪気にはしゃいでる。
    遺跡や建築美術から、当時の人々の営み、ナマっぽさ・俗っぽさ・おおらかさを感じ取るアンテナの感度ったら。多分、人の何倍もの濃度でキャッチしているんだろうなぁ。
    これはそのつど画像を検索しながら読むのがおすすめ。
    太陽の塔やみんぱくで、私も「なんだこれは!」と圧倒された展示の数々。それを思い出しつつ現地に想いを馳せます。楽しい〜!
    さらに「こうなっちゃうと残念」にも言及。
    美しさや巧みさ、技巧を凝らし「こう見せたい」方向に振れていくと途端にその魅力は失われると。
    ヤマザキマリさんが解説で、太郎がうんざりしているという西洋美術に対し「そんな事ない!と詰めたい(意訳)」と語っているのもなんだか熱くてよかったなぁ。
    もちろん美術だけではなく。
    各地の美しいお姉さんとはすぐ仲良くなるし、フラメンコは踊るし、美味しいものもいっぱい教えてくれる。好奇心旺盛で人懐っこい太郎を知ることができました。

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    2026年01月31日
  • 壁を破る言葉

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     このシリーズは、これで三冊目になります。
     太郎の言葉は短く核心を突いてきます。
     余りに、無謀で、攻撃的で、純粋で、美しく刺激的な太郎の言葉に、いつも力をもらっています。
     中々太郎のような生き方はできませんが、気持ちは同士だと思って生きています。

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    2026年01月26日
  • 自分の中に孤独を抱け

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    どんなに貧乏でも、いかに小さい場所であっても、片隅だってかまいやしない。充実して生きるってことが生きることの素晴らしさなのであって、それこそが文化の意味だ。

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    2025年11月17日