岡本太郎のレビュー一覧
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はじめて沖縄を訪れた著者が、歌や舞踊、宗教のなかに息づいている生命をとらえたエッセイです。
沖縄のプリミティヴな文化に、文明化された本土においてうしなわれてしまった意義を求めるのは、一見したところ、朝鮮の白磁に「悲哀の美」を読み取ろうとした柳宗悦と同様のオリエンタリズムのように思えるかもしれません。しかしそうした評価はあたらないというべきでしょう。むしろ著者は、沖縄で「何もないこと」に直面したのであり、オリエンタリズムの物欲しげな視線が求める「意味」が尽きてしまったところで、はじめて沖縄と出会ったことを語っています。
八重山を訪れた著者が、人頭税によって苦しめられた人びとの歴史に思いを寄せ -
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印象的なところは
一貫して自分を貫かれている生き方
印象的な言葉
ぼくはこうしなさいとか、こうすべきだなんて言うつもりはない。
〝ぼくだったらこうする〟というだけだ。
それに共感する人、反発する人、それはご自由だ。
私的に
特別な才能を持っていて、凡人の私など
例えばお会いできたとしても凡人など相手にされない
少し狂気じみた印象さえ持っていた
特別な人でしたが
こちらの本を読んで、確かに特別な方だとは思うけれど
とても愛情を持った方で少し親近感が湧きました
読んで良かった
岡本敏子さん
岡本太郎の養女、パートナー、実質的な妻
この本は、7冊の文献より、抜粋、再編集
太郎のふっとつぶやく -
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ネタバレ本は自分の心を映す鏡だと思っています。
どんな本にも心に残るものがあって、自分の気分とか状況とかが文章を通して、俯瞰することができる。
『不安なのね』『悩んでいるのね』『調子いいのね』って、自分の心と会話をしているような気分になるから、本を読めば読むほど自分を知ることができます。
壁を破りたい訳ではないけれど(笑)、自分の才能の限界みたいなものにぶち当たると、苦しい。
『絵が描けなくたって、いいじゃないか。音楽を作らなくたって、死ぬ訳じゃない。ぼくだってパリにいって三年間、絵が描けなかった。そのつらさは、骨身にしみている。だけど、自分をごまかして、適当なことをやってしまったら、おしまい -
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ネタバレ『愛している、好き、何かしてあげたい。それだけでじゅうぶんじゃないの。(敏子さんの言葉より引用)』
から始まる妻敏子さんと、岡本太郎さんの言葉が詰まった本。
与えられることを考えて過ごしてきたから、愛するって何だろうって自問自答しながら読みました。
敏子さんの言葉から、太郎さんをどんな風に思い、支えてきたのか伝わってきます。
『恋愛というのは、お互いが溶け合っているようでいて、お互いに観察しあっていることなんだ。(太郎さんの言葉より引用)』
どんなに愛情があって、長い時間を過ごしても1つになれないから、お互いを知って探りたくなる。わかっていてもわからないから苦しい。でも、わかりあ -
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印象的だったのは、
尊敬する人は、と聞かれて、ほとんどの人が、偉人の名前をあげることに対する彼の記述です。
「歴史の中に埋もれた人間の中に、ほんとうの人間がいる 人間は99.9パーセントが成功しない 成功者でないほうがより人間的な運命だ 無名の運命の中で、自分のスジをつらぬき通して、歴史にも残らないで死んでいった者の生き方にぼくは加担したい」
彼自身、戦前フランスに留学し、戦後、数多くの作品を世に送り出した偉人であるにもかかわらず、こちら側の目線で語っているところが、面白いですね。
以前、糸井重里さんの「ほぼ日」で、「太郎を使う時代」がきた、という記事を読んだことがあります。
確かに、こ -
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岡本太郎のエッセイ集的な物です。
これまで思想的なものばかり読んでいたので、小説や、紀行記のような文章は興味深い。
しかし、やはり後半の思想的な文章の方が、岡本太郎の面白さ、魅力が詰まっていると思います。
母であるかの子と父の一平とのエピソードも面白い。
かの子については数点の短歌を知る程度ですが、その実態は岡本太郎の、信条とする芸術とはかけ離れていて、文芸そのものへの憧れから出発している点がとても面白いと思います。
両親ともに芸術家だからこその岡本太郎ではあるけれど、自身はその芸術性から脱し、力強く新鮮で挑戦的な芸術の道を歩んでいるのですから。