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「青春は無限に明るく、また無限に暗い。」――岡本太郎にとって、青春とは何だったのか。パリでの旺盛な芸術活動、交遊、そしてロマンス……。母かの子・父一平との特異ではあるが、敬愛に満ちた生活。これらの体験が育んだ女性観。孤絶を恐れることなく、情熱を武器に疾走する、爆発前夜の岡本太郎の姿がここにある。
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Posted by ブクログ
565円 私はレズだし元々日本の結婚とかに強い興味とか意見を持ったことがないんだけど、現代の「日本の結婚式って、みんな同じドレス着て、同じ演出して、親への手紙読んで、ご祝儀3万円で……変じゃない?」みたいな批判って岡本太郎から始まってるんだなとこれ読んで思った。私はそれに関してはどうでもいい。普通...続きを読むに友達がそれをやりたいなら本気で乗るし。 岡本太郎って両親がどっちも大成功してるお坊ちゃんで、超有名人の子供だから、あんまり共感出来ないんだよね。幼稚舎から慶応の一般人とは違う後ろ盾があるやつに、自分はいつも孤独を選ぶ選択を敢えてしてきたって言われても響かないよ。そういうのが出来る人間と出来ない人間がいるのは別にいいとして、よくそんな発言出来るなとしか思えない。 岡本太郎は泣く女を見るのが好きな性癖があるらしいけど、私は泣く女はそれほどでもなくて、怒る女になんか興奮する。 岡本太郎 (おかもと たろう)芸術家。一九一一年生まれ。二九年に渡仏し、三〇年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。四〇年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。五一年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。七〇年大阪万博で『太陽の塔』を制作し、国民的存在になる。九六年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。『今日の芸術』(光文社)、『強く生きる言葉』(イースト・プレス)、『自分の中に毒を持て』(青春出版社)ほか著書多数 「国境を越えて、北フランス一の大都会リルについたのは、午後八時頃だったと思う。燈火の明るい停車場前の広場に出たとき、私は泣きたいほどに嬉しかった。 ああ、やっぱりフランスだ! もうそこには懐しいパリの匂いさえただよって来ている。私は停車場前の一番賑っているホテルに飛びこんだ。食堂も、部屋も、人々の顔も、みな明るい。私は旅の憂鬱なおもみを解きほぐし、投げ棄てるように軽快な気持になった。ここの博物館ではドラクロアとドーミエを見た。 アミアンで一泊して、有名な大伽藍の壮麗さに驚嘆し、この市にあるシャヴァンヌの大壁画を見学してパリに向った。いつもながら、パリに帰ったときの感激は素晴らしい。世界にこんな明快で、優美で、心の奥までしみ入る情緒のあるところはない、この町以外で、どうして人間が人間らしく生活できるのか、とふしぎに思えるくらい、この町のユニークなよさに感動してしまうのである。 ロンドンから帰ったときも、イタリー旅行から帰って来たときも、また、フランス国内の小旅行から帰ったときもそうであった。旅をして来るごとにパリのよさが身にしみて、しまいにはパリこそ、本当の自分の故郷だと考えてしまう。だから、何か絶対的な理由でもなければ、一生、この都から身も魂も離れることができなくなるのである。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「パリの讃歌は、古今を通じて数限りない。人々は、パリを世界の女王とたたえ、魂の故郷を懐しむ。人工の美がこれほど極致に達した都を、人類はかつて知らない。 しかしパリはただ華やかで近代的であるのではない。街なみは古色を帯びて、ほとんど灰一色である。ある人は「パリは巨大な灰色の装飾画である」と云った。「しかしそれは極めて多彩の灰色だ。薔薇色にも黒ビロードにも近い。無限の色調で彩られた新しい原色。……その限りないニュアンスは、いつも新しい歓びとなってこころを高める。まことにこの市は、美しい色彩の泉である」 この灰色に、柔い街路樹の若葉が、何と微笑ましく映ることであろう。しかし、晩秋、マロニエが黄金色の葉を街路に吹き散らす時、その透明な諧調はまた、凄愴な華やかさである。晴れた日の街の輝き。だが、雨にそぼ濡れて黒々としたマロニエの木肌が、銀色にくすぶる時、また却ってなまめかしい気配がただよう。パリは常に情感をたたえている。その風情は、ふと優美に洗練された年増女の容姿を思わせたりするのである。 このような背景の中から、女の美しさ、芸術の豊かさが浮び出て来る。パリの美しいイメージは、世界の人のこころをそこはかとなくゆり動かしてやまない。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「パリの地図を二つに分けて、中央を東から西へセーヌが流れている。南側をリヴ・ゴーシュ(左岸)といって、ソルボンヌ等の各学府のあるラテン区とか芸術家の街モンパルナッスがある。北側はリヴ・ドロアット(右岸)で、パリの銀座であるグラン・ブールヴァール、シャンゼリゼー等があり、外郭に近い丘一帯をモンマルトルと呼ぶ。頂上に白亜のサクレキュール(聖心)寺院がそびえて、パリ全市を見おろしているが、その脚下から丘の麓、グランドオペラの近くまでが、丁度浅草が垢ぬけしたといったような盛り場である。 ブランシュ、ピギャール、クリッシー等の広場を中心に、有名なムーラン・ルージュや、カジノ・ド・パリ、それにタバラン等の踊り場、その他、映画館、劇場、無数のキャバレー、ダンス・ホール、見世物等がむれ集って、世界一の歓楽街を形成している。 モンマルトルは文字通りの不夜城である。キャバレーは大てい十一時頃に開いて、暁方の五時頃までだし、軒並みのキャフェは、日夜扉を閉めることがない。映画も、深夜の二時頃から始まるのがあり、いつもかなりの客を集めている。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「よくそんなキャバレーの楽屋にまで入り込んだものである。戸口に番をしている婆さんもどういう訳か、私だと寛大だった。中に入ると、鏡が幾つも並んでギラギラ輝く部屋の中で、美女達が一糸もまとわぬ裸で化粧したり、衣裳がえをしたりしている。こちらも露骨に眺めはしないが、女達も平気で、むしろ自分達の肉体を誇っているようだ。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「我国では、このフランス全体の国祭日であるキャトールズ・ジュイエを、巴里祭と一般に呼びならわしている。戦前からの呼びならわしで(勿論当時の日本においては、革命の文字が避けられたのも当り前のことであるが)、この歪められた訳題が、極めて派手で日本人には却って魅力的のようだ。 私も、この訳題を巴里で伝え聞いて、巴里祭なんて、まことに奇妙だと思ったものである。しかし、よく考えてみると、この七月十四日のバスチーユ監獄の攻撃は、巴里市民のみによってなされ、この市の最も記念すべきドラマであり、また、革命そのものが、巴里を中心の舞台として行われたものであってみれば、巴里祭と呼ばれるのも、案外適切であるかもしれぬ。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「私は、私の住んでいたモンパルナッス区から、距離的にかなり遠く、また無縁なバスチーユ広場方面に行くことはあまりなかったが、所用で何度か、このかなり広漠とした広場を横切ったことがある。割石で舗装された上に、数条の線が刻まれ、路面一帯に引きまわされてあるのを見て、初めてここを通る者は誰でもがいぶかって足をとどめる。が、次の瞬間、その形状によって、それがかつてのバスチーユ監獄の城壁の跡を明示したものであるということに気付くのである。人血のしみ込んだ跡をそこに見るような気がして、痛々しい思いに身を慄わす。この城塞破壊を序曲として始まった凄惨なフランス革命のドラマが、絵巻物のように、脳裡に展げられる。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「美しくて陽気な彼女のまわりには、自然と男の学生が集まる。同じソルボンヌの哲学科に籍を置いていた私は、いつも数名のカヴァリエ(騎士)が彼女を取囲んでいるのを見て、何となくうらやましい思いだったが、私自身、やがていつの間にか仲間入りするようになり、そのうち、グループの誰よりも、彼女と親しい友達になってしまった。 よくリュクサンブールの公園で、貸椅子に腰をかけ、陽光を浴びながら語りあうことがあった。そんなとき、話が不意に深刻な調子をおびて来たりする。青春の底を流れる哀愁が、ひたひたと浮び上って来て、こころがもつれあう。表現を持たない憂愁、がもどかしい……。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「 私は相当なフェミニストで、その点、決して人におくれをとらないつもりである。 ところがまたロマンチストで、悲痛であったり、哀愁をたたえた表情の美に強く惹かれる。美しい女性の泣き顔は全く珠玉である。 怪しからぬ性質だが、といってもたいしたことではない。つい愛する女性を泣き出すまで責め、美しい眼から涙があふれるのを見ると、しびれるような歓びを味う。ところが同時に、激しい後悔に打ちのめされ、あわてて相手を慰めはじめるのである。つまり、少しこった愛撫の仕方であるにすぎないのだ。 リュシェンヌは私がパリで熱愛した女性の一人である。栗色の髪の愛くるしい美少女であった。 もちろん、その時何がもとで口論したのか、今は覚えていない。モンマルトルのクリッシー大通り、鬱蒼としたマロニエの街路樹が立ち並んだ遊歩道を歩いていた。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「芸術家の両親を持った私は、一般家庭の子弟のような躾は全く受けなかった。特に母からは、芸術が至上であり、それに殉ずることこそ生甲斐で、他はすべて俗事だという考えを注ぎこまれて育った。持って生れた素質の上に、さらに純粋すぎる教育を与えられた。結果はただごとでない。もの心がつかぬうちから、並の世界と遮断され、ために子供同志の交りにも、自他がかけ離れて、言葉の了解にさえ溝ができていた。学校が慶応の幼稚舎で、周囲はみな、分別のあるブルジョア子弟の「小さい大人」たちばかり、私のように、徹底的にもの知らずの未熟な子供は異例として、先生からも、仲間からも変り者扱いを受けた。今から考えると、かなりの人気者で、愛されていたのだが、私は己だけの世界に閉じこもって、他の世界との隔絶による無理解、ズレにいい知れぬ孤独を感じていた。そして、ひたすらに他から迫害されているというような妄想を抱いたのである。 結果、はげしい虚無感が子供心をしめた。それは死に対する憧れに昇華し、自殺を美しい行為のように空想しはじめた。やっと小学校二年の頃である。やがて転じて恐怖感となり、「死」の予感におびえた。殺されるという妄想である。殺人事件の噂などを聞くと、真剣に次は自分の番だと考え、夜、廊下の角を曲るときなどには、もの蔭に匕首をひらめかした兇漢を想像して身構えたものだ。床につくたびに、胸から腹にかけて、血みどろに斬り裂かれている私自身の惨殺死体を眼にうかべて戦慄した。その挙句、ひどい神経衰弱にかかって、二、三ヵ月学校を休んだことがある。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「 私は幼い頃から画が得意で、描くことが好きだったのだが、この画の業自体が、中学生頃にはひどい苦痛を伴うようになって来た。職業的に画技を習得しなければならないと考えはじめてから、逆に何のために描くのかという疑惑が、私を悩ませだしたのである。えらい職業画家になるためだとすれば、――非芸術的な徒弟修業はあまりにも卑俗で、芸術に対する憧憬は裏切られる。では、純粋に美の感動によって描くのであろうか、――美しいと人はいう。しかし、私には四囲の世界が少しも美しく見えないし、感動的でなかった。絵にするために強いて美化することは無意味であり、そのような努力をすれば、自然はかえって歪んで醜くうつる。芸術上の疑念は、直ちに己に対する不信に変った。もし自分が芸術家として失格ならば、芸術にのみ能力を信じ、生甲斐を見出していた私にとって、およそこれ以上の絶望と辱めはない。芸術が常に虚無との対決に於てあるものだということを識らなかった私は、その拒否にあって周章し、徒らに他を責め己をしいたげたのである。 画家として立つことに疑惑を持ち、迷いながらも、結局、私は美術学校に入った。そして半年後には中退して、パリに渡ったのである。芸術には、経歴や、技巧の蓄積は問題ではない。知名の芸術家を両親に持ち、若年で万人の憧れる芸術の都に遊学したからといって、それは勿論、資質を意味しはしないし、何ものをもそれに加えることにならない。選ばれた立場におかれたという責任感は却って未熟な私には大きな負目となった。ひどい自己不信と誇大妄想的な自負心がからみあう。丁度二十歳で、性の問題もそれにからまって来た。今こそ本当に孤独で日本から西欧文化へ、子供から大人の世界へ、未知数の学生から画描きの枠の中へ、私は絶望的に自分自身を導き入れなければならなかった。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「昭和四年十二月二日の宵、私達一家は連れ立ってヨーロッパへの旅に上った。一世を風靡した流行児の父と、歌人・仏教研究家として著名な母、そして当時十八歳で美術学校の人気者であり、若年で渡欧することに大きな期待をかけられた私、この芸術に携る一家三人の外遊が世間の興味を惹き、東京駅では空前の見送りが人垣をきずいた。 自動車を降りるや、私たちは熱狂した群衆、花束、喚声の渦に包み込まれた。沸きかえるフォームの柱によじ登って帽子を振る者、興奮のあまり泣き出す者、押し寄せ揺りかえす人波の中を〝もしもし、かの子さん、かの子さんよ〟とか〝太郎さん〟とか呶鳴りながら、遮二無二踊り狂う美校生、大学の幟――等々、群衆の呶号と喚声に押し出されるように、列車は東京駅を離れた。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「その前後、母はほとんど狂気に近かった。私が外で遊んでいると、近所の子供達がよく「お前のお母さんは幽霊だ。幽霊だ」といってからかった。子供心に極めて辛い恥辱であったが、たしかに蒼白な面に漆のような黒髪をおどろに乱し、うつろな眸をすえた母の姿は鬼気迫る趣があったに違いない。後に苦しかった時代のことを物語りながら、正視できないほど荒んだ、異常な表情の写真を母自身が見せてくれたことがある。 母はまったく身も魂も根底からすりへらされて、どうにも立ち上ることが出来ないどん底に喘いでいた。どういうきっかけだったか、私はよく知らないが、あの日父はこの母の惨めな姿に愕然と打たれたのである。 今までまったく彼女をかばっていなかったこと、彼が自負していた母に対する鷹揚さ、たとえば若い情人を自分の家に入れて平然と暮すというような、突放した寛大さは少しも彼女へのいたわりではなかったことに気づいて初めて母を本当に守らなければならないと心に誓ったようだ。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「母はいわゆる賢夫人型の女ではなかった。 子供っぽいところが多分にある童女型の女だった。泣きわめく自分の子をなだめ兼ねて、一しょになって泣き出すという稚拙さがあった。私の方がびっくりして黙ってしまうこともあった。母自らこのことを詠っている。かの子かの子はや泣きやめて淋しげに添い臥す雛に子守歌せよ (『愛のなやみ』) 純情と愛にかけては、おそらくかの女は稀にみる人であったろう。だが、当時は、悩みと、迷いと、愚痴に深く閉されていた。漆のような黒い髪が、蒼白な頬からやせぎすな肩の丸みをつたって背に流れ、長く垂れた姿を、私は印象的に覚えている。感覚はとぎすまされた白刃のように冴え、濃い青春の夢を追うロマンティストの母が、生活の幻滅に打ちひしがれ、起ち上る術も力も失っていた時代である。母は、その憂愁を幼い私に注ぎかけた。よく私を抱いて、はげしく泣いた。私にはその意味は理解できなかったが、狂乱の瞳よりあふれ出る母の泪は、幼心に拭い去ることのできない寂寥を刻みつけた。母はようやく物ごころつくかつかぬかの境の私に向って、一人前の男に対するように語ったり、相談したりした。それは教育上よいことか悪いことか知らない。しかし、ひたむきになって、むつかしいことも恥らうことも、うちあけて語る母に、私は自分が一人前の人格を備えた相手のように聞きながら、世の憂きことどもを心に灼きつけられると同時に、それらを撥ね返す力をも教えられ、しっかりさせられた。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「岡本かの子には、奇妙な噂がかなりある。私の耳には遠慮がちにしか入って来ないのであるが。恋愛問題だとか、自殺説、さらに私が一平の子でなかったり、その反対に彼女の実子ではない等という、まったく荒唐無稽なことから、罪のないのでは青山の家の離れに狂気の美女をかくまっていたという類のことに至るまでである。 女であり、特異な存在であったから、勿論いろいろと臆測が生れるのは当然だ。しかし、このような噂が少からず彼女自身の口から出ているから驚く。生前、母は自分の生活を絶対に人にのぞかれたがらなかった。それは病的な恐怖感であった。 彼女が生活に対して全く脆い性格であったからである。単にお嬢さん育ちとか詩人肌ということでは済まされない、絶望に近い脆さがあった。肉体的にも、精神的にも。それが彼女に一種の秘密癖となってあらわれたのであって、むしろ彼女にあっては、己の生命を護り生かす神聖ないとなみであったのだ。 それはまた一方に、当然ミトマニア的性格となってあらわれる。勿論芸術家にありがちな傾向であるが。意識して虚構を語るものもあり、また夢がいつの間にか現実と混り合い、己の作った人物や環境にとけ込んでいる場合もある。かの子は明らかに後者である。異常なほど激しい情熱の持主だったし、一方に終生童女のままで終ってしまったような未熟な面もあったから、それもうなずけるのである。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「勿論、ミトマニーは一種の自己防衛としてはたらいている。それは彼女が独自な性格を貫きながら、文壇的に進出して行かなければならなかったという点から来ていると思う。 純真無垢な彼女は意地悪や野卑な皮肉などには全く他愛なくひっかかってしまい、傍で見る目も耐え難いほどひどく傷ついた。少くとも私が幼い頃、身近に見た母はそうだった。あれでは到底世の中を生き抜くことは出来なかっただろうし、まして文壇のように狡猾な大人の世界を乗り切ることは不可能である。彼女が自分の周囲を子供っぽい神秘のヴェールでおおったのはむしろ正当であり、やむを得ないことだった。 しかし母親は一平の勢力と世智に後見されて、文壇的にはかなり巧妙に登場した。「文学界」との特別な関係もあり、川端康成、林房雄、亀井勝一郎といった、当時の最も新鮮な勢力が彼女を強力に支持し、「鴎外、漱石級の作家だ」というような呼声もあった。最初から非常に派手な押し出し方だった。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「だが、この進出が派手だっただけに、文壇的には彼女に対する反感が根強く、かの子の立場は決して強固ではなかった。(一般が安心して認めるようになったのは彼女の死後である。) たしかに、かの子は文壇への大変な執着をもっていた。彼女の兄大貫晶川の影響もあり、少女時代からの憧れであり、夢であった。 この気配は明らかに彼女の文学の根底に認められる。かの子は特異な作家であるように考えられているが、実は日本文学史上では極めて正統派であると私は考える。「文学に憧れる文学」という、現代日本文学発生から宿命的な雰囲気から外れてはいないからである。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「 お互の夢は無邪気で単純だった。かの子にとって美貌の青年画家一平は、芸術への憧れと彼女の美への執心をみたす、恰好な存在だった。一平はまた江戸ッ児的なその生活感情とはまるで違った、気品のあるかの子の重厚で深刻な性質にひかれた。また封建的な旧家の娘の背負っている「家霊」というような大時代な神秘感にも魅力を感じたらしい。 だがこのような軽い、いわば非本質的な憧れから一しょになった二人の新婚生活にはすぐ蹉きが来た。生い育った環境のちがい、それにもまして、性格の根本的な食い違いは致命的だった。 岡本かの子には生涯を通じて極めて未熟な稚純性があった。豊かに円熟した晩年に至っても、遂に童女のような馬鹿馬鹿しさを失うことがなかった。単に未熟とはいえない。彼女の本質である。そしてそれは成熟した人間以上の凄みと恐しさをもっているのだ。 ところで父の一平は、若い時分から大人びて世智に鋭く、苦労人型だった。妙に世の中が見えすくせいか、ニヒリスチックで批判的だ。かの子とはまるで裏返しの性質である。(一平のたどった道をふり返ってみると、かの子の死後はまるで乞食のような生活をして、疎開先の山村で一生を終っている。当人はそれで結構、満足していたようだ。何かより所につかまえられていない限り、積極的に生きる意味を見失ってしまうというたちの人間だった。たしかにかの子は一生の支柱だったのである。だが、その意味を自覚し、真剣に考えるようになったのは後年である。)」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「 今日一般に通用している「処女」という観念は日本に昔からあるのではなく、西洋文化キリスト教思想に影響された明治以来のものです。 なるほど、生娘という古来の言葉はそれに一応当てはまるものかもしれませんが、これは封建的な家族制度の中の一つの身分、財物のようなもので、むしろ社会的な意味を持っています。処女という言葉にうかがわれるような純潔さへの宗教的神秘感はありません。 では、処女という観念が、どうしてこのように大きな影響力を持って、急速に日本に植えつけられたかというと、単にキリスト教文化に対する憧ればかりではないようです。明治以来、近代ヒューマニズムに目ざめた知識層が、封建家族制度に反抗し、個人の自由を主張した結果でもあるのです。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「しかし、このような処女の観念も、大正期に入ると、ようやく大企業化されはじめたジャーナリズムの商業主義に利用されて、一般化されると同時に極めて卑俗になって来ます。婦人雑誌などはこれを刺戟的な読物とし、競って「私は純潔を犯された」なんて類いの記事を大きく扱ったものです。戦前多くの男性が好奇心で婦人雑誌を買うという時代があったくらいです。その結果、「処女」という観念が現実には依然として封建的であり無力な女性たちの、妄想的なイメージとなり憧れとなりはじめたのです。「わたしは浄い処女なのよ」というような、それこそ不潔で、おセンチな思い上りが時代病のように拡がりました。 何でもない単なる生理的段階であるにすぎない処女性が、何か自分の本質的な価値ででもあるかのように錯覚する――この無意味な自己陶酔は、弱者や無内容な人間が虚飾で自分をえらそうに見せつけようとあせる、一種のヒステリックな擬態といってもよいでしょう。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「ヨーロッパの宗教的な処女性が、我が国で封建的な功利性の上にハイカラなメッキとして偽善的に使われているという訳です。 キリスト教、特に旧教の精神主義の中には頑固な肉体否定のストイシズムがあります。肉体的なものを蔑視すべきもの、罪あるものとして忌み隠すのです。だから旧教の尼さんは自分自身の肉体さえも、露わにすることを罪悪として、殆んど入浴しないし、もし入る場合には浴衣を着たまま浴槽につかります。 またかつて信仰の厚い夫婦は互いに決して肌をふれ合わず、大切な場所に小さく穴をあけた寝衣を着て、わずかにその穴から交わったということです。このように極度の抑制の結果、かえって嫉妬ぶかく肉体的なものにこだわり、処女を特別なものと考えて崇拝するようになったとも考えられます。 しかしルネッサンス以後、ようやく肉体解放のきざしが現われます。露わな裸体画の流行はそれを証拠だてます。だが実際にはまだ肉体は長いスカートと高いカラーとで、寸分の隙なく覆われていました。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「又、他の面から見れば、処女崇拝は、男の原始的な独占欲の表われともいえます。社会的に、ひろく明朗に飛躍すべき男性の力が、陰性に、小規模に表われる場合です。 とかく恋愛感情の中には愚にもつかないプリミチーヴな意識が根強くのさばっているものです。それは恋愛に彩りをそえ、一種の刺戟剤の効果を持っているものではありますが、それにこだわることは愚劣で、グロテスクです。確かに、レオン・ブルムの意見のように近代的理性によって置きかえられなければならないのです。 このように観察してみると、処女性の価値というのはむしろ男性の側にとってあるので、女性がこれを誇ったり、失ったといって悩んだりするのは却って滑稽であります。その無意味さを女性が認識しなければならない筈です。 処女を失ったからといって、人間が変化するわけではありません。 それは、はじめて煙草をすうとか、酒をのむとか、または一個の社会人として世に出るということと全く同様の単純な事実にすぎず、むしろ出発は早いほどよいのです。停滞は却って有害です。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著 「未経験のために夢のような理想をむなしく追って、現実を見失い、しまいに人生をゆがめて見るようになったり、またどんな男でもが持っている性的な牽引力を、相手の人格からくるものと錯覚したり、それらを混同する例は非常に多い。実際にふれることによってはじめて、イリュージョンなしに男、ひいては生活自体の意味がわかって来るのです。異性と人生に対して全く無智のまま、いつまでも自分の中にひっこんで独身でいるということは、潔癖でもなければ明朗でもありません。抑えようとしても、性の欲望は決して消しされるものではない。たとえ自分では気がつかず、抑えてなんかいないつもりでも、それは何かの形に転化し、不自然な兆候となって生活の上に表われてくるものです。そういうゆがみは性の解放によって解消すると思います。」 —『芸術と青春 (光文社知恵の森文庫)』岡本 太郎著
永遠の青春。 岡本太郎の生きた時代を、この現代の万博の時代に追体験できる幸せを感じる。 終盤の「独身と道徳について」が、首がもげるほど頷く点が多かった。
私の中で岡本太郎は美術家というよりも文学家。 そう定義しても異論を唱える人はいないのではないだろうか。留学時代や第二次世界大戦中の出来事もいきいきと書かれている。
この徹底的に常識を疑い、 自身の思うところを思うままに叩きつけていく有り様が素晴らしい。 タブーをタブーとせず、 突き進む。 「人格相互は、個々の判断や好みで精神的に結びつかなければならない。理想像を厳しく抱えていればいるほど、本当の相手にぶつかることはむつかしく、おそらく一生かかってもめぐりあ...続きを読むわないかもしれませ。 しかし、性一般というのものは、誰々という個的な条件をこえた、幅広い明朗なものです。つまり無条件の性の対象であって、男として女に、女として男に対する根源的な衝動であり、より好みのないものなのです。」
大好きな岡本太郎さんの本です。 岡本太郎さんの青春時代のお話がたくさん詰まっています。 母親、かの子さんの話も面白かったです。 岡本太郎さんが人としてどう生きたのか、 もっと読まなきゃと思いました。
変な人やと思ってたんやけど がんばってがんばった結果 人は強くなるんだな 弱い人間には得られない境地に 私もいつかたどり着きたい
今まで岡本太郎は「芸術は爆発だ!」が先行して感情的な人かと思っていたけど、そうではない。哲学や社会学、民俗学など幅広い学識があり、自分の芸術についても懊悩した人だ。本書は渡欧中の青春時代、父母の記憶、そして女と性のモラルについてのエッセー。 父母の章では特異ではあるが深い敬愛で結ばれた夫婦のあり方に...続きを読む感動。そして、恋愛や女性観についても大いに賛同。非常に現代的かつ人間的な魅力の深い人だった…という感想では表現しきれないので、是非岡本太郎を識るきっかけの一冊に読んでみて下さい。
「今日の芸術」岡本太郎著をやっと読み終わりました。 ただいま私の中に岡本太郎ブーム到来という感じです。 実はこの本、ちょっとショックなことに文庫版の再販を買えば500円前後らしいのに、廃刊と勘違いして、中古のしかも文庫版初版を入手。マニア的には価値がありかもですが倍の値段を出して買ってしまいまし...続きを読むた。でもまあそれを補えるほどの内容なので、良し。としましょう。 この本は1954年にはじめて出版され、その10年後1964年に新版、さらに9年後の1973年に文庫版が出ているのですが、文庫版の序文に岡本太郎氏自身が「この本は、十年、二十年と、ますます若返ってくるようです。」と書いているいう言葉通り、21世紀の今この本を読んでも本当にちっとも古い感じがしません。 本書の大きな流れの中で、芸術という言葉が、自分の生命から溢れ出てくるような本然のよろこびという意味で使われています。見るものを圧倒し世界観を根底からくつがえしその人の生活自体を変えるほどの力を持ったものとも言えば良いのでしょうか。 アバンギャルドとして常に孤独に問題と向き合い、突き抜けること。 生きることが苦しいということを認めることからはじまる、ある意味、青春であったり、新しくて認められない価値観であったり。 芸術の本でありながら人間としてのあり方を問いている本だと思いました。 岡本氏は爆発してるだけじゃなかったのですね。(あのテレビCMは幼き頃見たとき実はちょっと怖かった) 魅力的なキャラクターに間違いはないと思ってましたが、ナカナカ深い人柄でハマります。 本書の内容とはちょっとズレますが、下記の言葉は、デザインを考える上で重要なポイントかも。 ・力学的に言って、また機能的に、もっとも合理的なものが形式を決定する ・流行の「創造」と「模倣」の二つの要素が時代を作っている デザインは芸術かということに関しては諸説あるので、私としては今回は言及をさけますが、アバンギャルドとして一歩突き抜けるのではなく、突き抜けるけど、一歩引けるのがデザイナーとしてのスキルなのかなという気がしました。一歩引くのは、一歩前に出ないのと同じくらい難しい気がしますが。 本当に岡本太郎氏のように自由な精神を持って生きていきたいものです。 時間があったら他の岡本太郎本も読む所存です。 美術館にも記念館にも行きたいなあ...。
岡本太郎の青春ーーパリでの暮らし、芸術活動に情事、その他故郷に向けた想いや両親との関係性が瑞々しくありありと描かれたエッセイ集。 特に後半、両親の関係性をここまで客観的かつメタ的に考察・表現できる岡本太郎の観察眼というか芸術的センスというか、異質さというか天才性というか、そういうものにすっかりやら...続きを読むれてしまいました。
岡本太郎の青春の原点、フランスでの大学時代のことについて書かれた1章目は本当に印象的だった。 読みながら、若者特有の青春の眩しさ、熱気を感じられるような、そんな作品だった。 個人的には読みながら、まるで映画を見ているように情景が思い浮かび、太郎氏の青春を自分も追体験できるような、なんだか自分もこんな...続きを読む激動の青春を送ってみたいものだと思わず当てられてしまった笑 2章目以降での家族についての描写では、彼のこれまでの家族との関係性について触れられていて、母と父の芸術観の話が、ドライブマイカーを観た際に、とても重ねて見えるように感じられた。 いずれにせよ、岡本太郎の原点を感じられるような作品だった。
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