岡本太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「発言」や「一言」を集めた本のため、
1ページに並ぶ文字数は少ない。
流れるようにさらりと読み終えてしまうもよし、
言葉の意味を噛み締めながらじっくり読みすすめるもよし。
恋愛についての言葉であっても、それだけではなくて、
恋人以外の人間関係を作り上げていく上で、
自分が一人の人間として生きていく上で、
「考えるヒント」となって「頑張っていこう」と励まされる。
78ページの敏子さんの言葉。
太郎さんが「男女」っていう素敵な字を書いたの。
男と女がくっついてひとつになっているんだけど、男が上。
だから「やっぱり男が上なのね」と言ったら、
「そうだよ、いつだって女が支えてるんだ」って言うのよ。
ちゃんとわかってらっしゃる。
なんて素敵な二人なんだろう、感動してしまった。
「男女」という二つの漢字が組み合わせられて出来た言葉。
そしてこの本の白い紙の上に「在る」青い文字で表される
男の言葉と赤い文字で表される女の言葉、
それらが全て岡本太郎さんと敏子さんの姿に重なる。
この本を開けば、わかっていないようで実はよくわかっていた、
人を愛する事にかけても天才で、
とてもカッコ良い岡本太郎さんがいて、
そんな彼を心から尊敬し、時には母のように、
全身全霊をかけて彼を愛した敏子さんがいる。 -
Posted by ブクログ
岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を読んで、特に第1章、第2章の内容が強く心に残った。
この本を読んで感じたのは、「人と同じように生きることが、本当に自分にとって幸せなのか」ということだった。岡本太郎は、安定や常識に従うのではなく、自分の信じるものに向かって挑戦することの大切さを語っている。私はその考え方に強く共感した。
これまで私は、会社員として安定した生活を送り、結婚して、家庭を持ち、年齢を重ねていくという人生が、多くの人にとって一般的な人生なのだと思っていた。しかし、この本を読んで、それが必ずしも自分にとって望んでいる人生とは限らないのではないか、と考えるようになった。
もちろん、安定した生活や一般的な人生を否定したいわけではない。それが幸せだと感じる人もいると思う。ただ、私自身は、周囲から「こうするべきだ」と思われている道を選ぶだけでは、人生を振り返ったときに後悔するのではないかと思う。
私は、やりたいと思ったことを、失敗することを恐れて諦めたくない。難しいことに挑戦すれば、失敗することもあると思う。しかし、たとえ失敗したとしても、その経験は自分の人生に残る。何も挑戦せずに後悔するよりも、挑戦して失敗したほうが、自分にとっては納得できる人生になると思う。
だから私は、みんなと同じ人生を歩むことよりも、自分が本当にやりたいと思ったことに挑戦する人生を歩みたい。この本を読んで、その思いを改めて強く感じた。
人生の最後に振り返ったとき、「失敗もたくさんしたけれど、自分のやりたいことに挑戦してきた。いい人生だった」と思えるような人生にしたい。 -
Posted by ブクログ
読んでいて感じたのは、「世間の正しさ」よりも、「自分の生命感覚」を信じろ、という強烈なメッセージだった。
特に印象に残ったのは、
「自分自身の生きる筋は誰にも渡してはならないんだ」
という言葉。
岡本太郎は、他人に認められる生き方ではなく、“自分が本当に納得できるか”を徹底的に問い続けている。
それは単なるワガママではない。
誰がなんと言おうと、自分が本当に良いと思うものを信じる。
自分の感動を、自分の言葉で掴みにいく。
その覚悟を持たなければ、本物には辿り着けないという思想だった。
この本を読んで、自分自身も「世間の正解」や「無難さ」に流されていないかを考えさせられた。
また、本書には「青春」という言葉が何度も出てくる。
普通、青春というと学生時代を思い浮かべる。
しかし岡本太郎にとって青春とは、“未熟なまま世界にぶつかっていくエネルギー”そのものだった。
傷つき、傷つけ、葛藤しながら、それでも自分の道を探して進む。
その痛みこそが、生きている証なのだという。
だから、
「危険だから、生きる意味があるんだ」
という言葉にも強く惹かれた。
本当は進みたい道ほど、不安で、怖くて、負荷が大きい。
しかし、だからこそ生を感じる。
これは、自分が仕事に熱中していた頃の感覚にも近かった。
苦しいのに、なぜか充実していた。
むしろ苦しいからこそ、「本気で生きている」と感じられた。
そしてその感覚は、人生にも通じるのだと思う。
さらに面白かったのは、岡本太郎が「矛盾」を否定しないことだった。
人間は矛盾だらけである。
理想と現実もズレる。
強くありたいのに弱さもある。
それでも、「矛盾があるからダメ」なのではなく、
「矛盾の中で面白く生きろ」
と言う。
この考え方には救われるものがあった。
完璧になってから生きるのではない。
未熟なまま、葛藤したまま、自分をぶつけながら進む。
その姿勢自体に価値があるのだと思えた。
また、
「敵があるとすれば、自分自身なんだ」
という言葉も深かった。
結局、自分を止めるのは、自分の弱さや妥協や恐れなのかもしれない。
だからこそ、自分自身と向き合い続ける必要がある。
岡本太郎の言葉は、優しく癒してくれる本ではない。
むしろ、
「もっと自分を生きろ」
と真正面から迫ってくる。
読む人によっては、苦しく感じるかもしれない。
しかし、自分の人生をもっと本気で生きたい人には、強く刺さる本だと思う。
安全や正解よりも、痛みや挑戦の中にこそ生命がある。
そんな“生きる熱量”を思い出させてくれる一冊だった。
【抜粋】
・自分自身の生きる筋は誰にも渡してはならないんだ
→①自分を貫く
(②自分なりの納得解を見つける)
傷つけ傷つけられる、その痛みこそ、青春の証だ。青春こそが、この世界の肉体であり、エネルギー源なんだ。青春は永遠に初めからのやり直しだ
→部活に人生を捧げ青春を感じたように、仕事に青春を感じるのはどうか
・危険だから、生きる意味があるんだ、本当はそっちに進みたいんだ、それが自分の行きたい道なんだ
→キツいのは有難い。やりたかった道が険しいと知れたのは生を感じてるということ。
・もし自分の敵があるとすれば、自分自身なんだ
→自分をマネージすることの難しさ。その大切さ。自分と対決するために鏡を見る。
・誰がなんと言おうと三流だろうが、五流だろうが、自分のいいと思うものは、良いという態度を貫かなければ、本物なんかわかりゃしない自分の本当に感動する人間を探し捕まえる、その発見をポイントに世の中全体にその価値を認めさせるように君自身力を尽くせばいいそうすると、世界が変わってくる
→自分自身の指標をもって、それを正す強さ。
・過去はとにかく美化される、だから、正しいというのは、老人の干渉以外の何でもない
→昔を懐かしむこともあるが、シンプルに今を生きよう
・人間は誰でも本物を求めているはずだ、大抵の人がいい加減なところで、状況に妥協し仮のものでも我慢してしまう。
・熟したものは、逆に無抵抗なものだ、そこへ行くと、未熟というものは、運命全体世界全体を相手に自分の運命をぶつけ、開いていかなければいけないが、それだけに戦う力というものを持っている
・人間は、すべて矛盾の中に生きている。矛盾の中で面白く生きようと発想を転換することはできないだろうか、矛盾に絶望してしまったら負け落ち込むのだ
・誰もがあえて出る釘になる決意をしなければ、時代は開かれない
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生きることが無目的で無条件であることを出発点として、だからこそ生きがいや情熱でもって世界と自分に挑むという態度はパワフルで心揺さぶられた。
一方で、体制への反抗はわかるが、総理大臣の顔がしょぼくれてるとか、経営者や実業家が画一的であると言っているが、ちょっとピンと来なかった。
本人も言っているが小市民的な形式主義を嫌悪する考えが強いので、自分はどうも共感しきれない部分はあった。
8年くらい前に1度呼んでいるはずだが新鮮に読めた。
「生きるということ自体が、新鮮な驚き、よろこび、新しくひらかれている一瞬一瞬 であり、それは好奇心という浮気っぽいもの以上の感動なんだ」
「生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほどばしらせて、現在に充実することだ」
「自分が未熟だからと消極的になってしまったら、未熟である意味がなくなってしまう。そういうのは未熟のまま、だらしなく熟したことになってしまうのだ。」
「今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。」 -
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巻末の解説によれば、原本は1969年に文藝春秋より出された四部構成の選集で、そのうちの第一部「現代の芸術精神」(+序文、詩4編)を独立させ文庫化したものとのこと。戦前から1960年代までに書かれた芸術論集ということで、「古臭いかなー」と思いながら読み始めた。
戦後暫く、乗り越えるべき最大の山として“ピカソ”を据えた諸論まではちょっと古臭く感じられたが、1954年の「芸術の価値転換」では“ここちよくあってはならない”“「きれい」であってはならない”“「うまく」あってはいけない”というテーゼを繰り出して、だんだん“ピカソ”と似たような立ち位置に至り(というよりも、岡本のほうがここに至るのは早かったのかも。ピカソが「ようやく子どものような絵が描けるようになった」と発言するのは、晩年の1960年代のこと)、「坐ることを拒否する椅子」(同名作品は1963年。本書中の文章発表は1964年)、「梵鐘を作る」(1965年)などを経て、「芸術と遊び――危機の接点」(1967年)に至る。1970年大阪万博を控えた時期に書かれたこの文章で、芸術の閉塞感の打破を「遊び」「まつり」に求めている。
現代で、この方向性に近いところの芸術といえば誰になるのだろう? と、私が名前を覚えているアーティスト名をあれこれ思い巡らすと…、「Chim↑Pom」(現:Chim↑Pom from Smappa!Group)だったりするのかもしれない。