岡本太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ほんとうにわからないものならば、気にするはずがない。そういう時はまったく無関心で、たとえ目に入っていても認識されない。わからないわからないと言いながら、気になり、ひっかかっている。酒飲みにとっては、灯ともしどころのバーの看板はいやに気になるし、女性は美しい衣装やアクセサリーを売っている店がパッと目に飛び込んでくるという。近代絵画がわからないわからないと言いながら気になるのは、すでにそこから何かを感じ取ってるから。言い換えれば、ある意味でもうわかっている。関心を持つのは、すでにこちらが共感し、受け入れるものがあらかじめそなわっているということであり、また疑問が成り立つためには、何らかの形でそれを掴んでいる事が前提となる。つまり、わからないと思いこんでいるだけなのだ。
作者が勝手につくった1つの作品から、見る人ごとその数によって、10個、100個、あるいは1万個の作品が、それぞれの心の中に書かれたことになる。その変貌は、見ている人が心のなかで、精神の力で変えている。この、単数でありながら無限の複数であるところに芸術の生命がある。鑑賞するということ、味わうということは、実は価値を創造することそのものだと言える。もととなるものは誰かが作ったとしても、味わうことによって創造に参加している。優れた作品に身も魂もぶつけて、本当に感動したならば、その瞬間からあなたの見る世界は、色、形を変えるだろう。生活が生きがいになり、今まで見ることのなかった、今まで知ることのなかった姿を発見するだろう。 -
Posted by ブクログ
誰もが当たり前のこととして見過ごしている世界に目を凝らし、瞬間瞬間に発見し、驚きを開いていく。これが芸術の役割。
おとなの中にこどもがいるし、こどもの中にもすでにおとなが目覚めている。身内以外のものは敵視する、排他的な心情のなかに、本当の愛があるとは思えない。
本当のことを言うとマズイ。日本人の中に生きている心理である。現実を突きつけられることに抵抗を感じ、むきつけな表現を嫌味ととる。そっとしておかなければならない約束事が、あまりにも多い。このムードのようなものをお互いにそっとしておくことで、大切な何かを流してしまうのである。
代用の生きがいにうつつをぬかして、自分をごまかしてしまうのは空しい。生身をぶち込み、賭けるのが、人生のレースの本当のルールなのだ。 -
Posted by ブクログ
ベルトコンベアーの上で誰もが踊っている、これが近代、英雄不在。しかし、問題はこの世界に何の爪痕も残せないという惰性的な虚しさを感じていることである。しかし、もし世界が変えられないなら、返ることの出来るものがある。それは自分自身である。自分というミクロ宇宙。こういう時に我々は自分自身を宇宙として、猛烈に彩られなければならない。たとえ自分自身がささやかでも生きる喜びは世界をおおう。そのためには、自分を、瞬間瞬間に分断し、切り捨てていくことだ。その切り口から彩りが生まれる。今日もし多くの人が誠実に、勇気をもって、そして平気で、己を変えていったのならば、絶望的と言われた世界の状況、非人間的なシステムも変え得ると思う。ところで、自分を切断し、変えるとは、言いかえれば、瞬間瞬間に自分を殺すことと言ってもいい。殺して、再生する。ちょうど季節の周期が、春夏秋冬と終結しながら再生するように、人間個個も、日に日に新しく生まれ変わるのだ。昨日の己にこだわることなく、あしたの不安におびえず、現在にこそ新鮮に輝く。
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すごいパワーがこもっていて生きているように感じられる言葉が沢山。
この本には全く関係ないけど小学校の時の図画の時間目の前に座っていた石村君の作った何かも分からないぐちゃぐちゃの粘土の林檎が綺麗に整えて作った私の林檎より注目を集めていて悔しい思いをしたの思い出した。
私の作ったのはこの世にある林檎を模範したものだったけど石村君が創った林檎は石村君にしか創れない紛れもなく新しい林檎だったからなんだろうなー。
強い衝動に駆られて創り出されたものに模範品が太刀打ち出来るわけがない。
私は自分の環境やつまらない考えで蓋をしてやりたいと思ったことや立ち向かわなきゃならないものから目を逸らしている。
その自覚はうっすらあったけどそれに気づかないようにしてた。
この本の言葉たちに強く殴られたような気がする。
けど結局私はどうすれば良いのかどの道に進めば良いのかわからない。
自分を見つめて少しでも危険な道に賭けてみなければ。
この言葉たちが自分の血と同じように私の中を巡って身体をつき動かそうとする。動かなきゃいけない。
壁にぶち当たっていく。いかなければ。
そう思える1冊。 -
Posted by ブクログ
■■評価■■
★★★★✬
■■概要■■
○岡本太郎先生が雑誌などで受け答えしたものをベースに編集された本。自分に対して純粋に生きる言葉がこれでもかと散りばめられている。
○1979-1981に掲載されたにらめっこをベースに再構築
○『自分の中に孤独をいだけ』『自分の中に毒を持てと合わせて』3部作シリーズだが、話の角度は多少違っても根底的な部分は変わらない。個人的には一番はじめに読んだ『自分の中に孤独をいだけ』が最も衝撃であったが、本書もかなりガツンとくるような内容である。
○岡本太郎先生のような人生をそのまま生きることはできないかもしれないけれど、純粋な気持ちで行動すること、自分自身を見方だと思うだけではなく、最大の敵だと思って突き放してみること、日々の生活の中での行動に落とし込んでいきたい。 -
Posted by ブクログ
この本を読んで、「芸術は爆発だ」の意味が分かった。ただ、芸術だと思っていたものがバラバラに壊されて、自分が何を美しいと思うのか分からなくなってしまった。岡本太郎が抽象美術運動に近いこともあって、この本を読むと抽象絵画やシュルレアリスムこそ本当の芸術だと考えてしまうけど、ちょっと待って、と思った。
「『名所絵はがき』のように、写真としてはつまらなくてもそれを通じて想像する景色に思いをはせて、あこがれるようなものです。また、いかに真にせまって描いてあるかという、技法について感心したとしても、これは芸術の問題ではありません。」
-これまで、自分がいいなと思う絵はいくつかパターンがあった。その一つが、その絵の奥に広い世界を感じるもの、絵が別の世界への窓のように感じるものだ。だから、風景画やポスターなどテーマやモチーフがはっきりした作品が好きだった。また浮世絵を見る時は彫師や摺師の技巧にうっとりするのが好きだった。しかし、この文章を踏まえるとそれは絵そのものの芸術を評価してはいないのかもと思った。それから、自分の好きだった絵が急につまらなく思えてしまった。だけど、やっぱり違う世界に思いをはせたり、超絶技巧にうっとりすることも芸術の一つの魅力なのでは思う。だからこの文章には100%賛同はできなかった。
芸術は己のなかにあって、知識や教養の垢にまみれてしまったそれを取り除いて噴き出させるのが創造である、という文脈を知って、「芸術は爆発だ」の意味を深く理解できた。
また、描いてある意味を理解しようとするのではなく、己の芸術と呼応させるのが鑑賞なのかも、と思った。芸術は分かろうとするのではなく、ただまっさらに感じたらいいんだ、と思うと、抽象絵画や現代アートを見て何が描かれているか分からない時に感じた困惑や強張った態度が優しくほぐれていった。
自分は映画や本や美術を見ること・読むことが趣味だったけど、それに没頭した後は何故か空虚で物足りない感覚があった。第1章を読んで、それは創造をしていないことから生まれる虚無なのだと気づいた。芸術は生きるための喜びであり、創造がその本質。すなわち創造が最大の娯楽であるという筆者の考えは、サブスクやYouTube で受動的な娯楽が格段に増えた現代の横っ面を引っ叩くようなインパクトがあった。
では自分では何が創造できるか、と考えた。
鑑賞も自分の心の中に自分なりの作品を映し出すことだから、創造的行為であるという指摘から、今の趣味を創造的に発展させることもできるのでは、と思った。意思を持って、挑戦する姿勢で鑑賞する。これも1つの創造だとすると、鑑賞の姿勢がまた変わってくるなと思って面白かった。
また、本や映画の感想を書くときにスッキリした感覚になるが、これこそ創造の楽しさなのかも、と思う。感想を言葉にするという創造を、これからも続けたいと思った。
普通に、絵も描いてみたいと思った。
芸術はうまくあってはいけない、という指摘は、芸術をより広く身近なものにさせる一方、じゃあ上手い下手ってどうやって決めたらいいの?と思った。美大受験がまさに直面している問題なのではと思った。「芸術はけっして型ではありません。」という岡本太郎は、今の受験制度や美術教育をどう考えるのだろうと、聞いてみたくなった。 -
Posted by ブクログ
「自分のまわりに垣根をつくって、外ととけこめるはずがない」「下手でも自分自身の歌を歌えばいいんだ」。
岡本太郎の本を読むのは『自分の中に毒を持て』に続き2冊目。なぜこうも力強いのか。幼少からスジを通してきたという岡本太郎。先生至上主義である義務教育、そして軍国日本で徴兵されたときも自分を貫いて戦ってきた。
読んでいると、弱者が暴力(身体的、精神的にかかわらず)を振るい、強者が耐えて戦っているのだとつくづく感じる。残念ながら、理不尽は今の世もある。なぜ私がこんな目に遭うのか。そう思った人は少なくないだろう。ここで大切なのは、自分のスジを貫くということだ。迎合して生きるのが自分のスジだというなら迎合してよいし、反発するならしていい。なにくそ、と思う気持ちがエネルギーになる。
うまくやる、折り合いをつける、という風潮が当たり前な現代にそれでいいのかと真っ向から叫ばれてるように感じた。声の先を振り返ると岡本太郎がいて、力強い言葉の先に自分の姿が見えた気がした。いつの間にか、自分の姿の方に向かって歩き出していた。そんな、一冊。