あらすじ
「法隆寺は焼けてけっこう」「古典はその時代のモダンアート」「モーレツに素人たれ」――伝統とは創造であり、生きるための原動力であると主張する著者が、縄文土器・尾形光琳・庭園を題材に、日本の美の根源を探り出す。『今日の芸術』の伝統論を具体的に展開した名著、初版本の構成に則って文庫化。著者撮影写真、多数収録。解説・岡本敏子
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伝統とは、過去のものではなく、今のエネルギーの結晶。
だから、古臭くかび臭くなったような伝統は、乗り越えて新しくブラッシュアップしていくべきもの。
日本を代表する芸術家、岡本太郎の芸術論。
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非常に良かった。所感を綴るには消化しきれてないが、伝統とはなにか。創造活動とはなにか。過去における現在の立ち位置は。大切な考え方を得た。
#日本の伝統 #岡本太郎 #モノの見方 #読書記録 #読書記録2018 #再読候補
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今も残っている古典はそれ自体で無条件で価値あるものだ。
だが、真に価値あるものにするには、その過去のものである古典を今に活かすことで、初めて古典は古典であることの存在理由を全うでき、今の時代に生きる人間は今を生きることができる。
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『今日の芸術』から読んだほうが理解度が上がると思いますが、別に読んでなくても問題ないです。こちらもベースになるのが芸術の”いやったらしさ”のすばらしさについて。タロウの言う”いやったらしさ”とは?!?!きっと巨匠本人ですら適切な日本語がない故にややこしことになっているんでしょうが、ともかく適切な言語や適切なデフェニションがないのでどうしようもないですが、個人的に無理クリに理解するところは、魂が激震するような憧憬嫉妬、ともかく「いやったらしい」んですねぇ、どうしようもないです。本書では縄文土器、光琳、中世の庭について語られます。同じものについて考察するのにもこのアングルの違いってほんまにおもろいですねぇ。賛同するところもあり、全く異なる意見もあり、タロウ氏が今、このころの感性を維持したまま2017年現在のデジタル芸術を見たらどう語るか、という想像をしてしまう。
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伝統は創るもの。過去を守ることではない。かならず、今と呼応する必要がある。現在継承されている伝統の多くは、封建的な社会で育ったようです。それを「日本的だ」と言って賛美するのは、やっぱり違います。今の生活とかけ離れてしまっては、伝統とはいえない。
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銀沙灘と向月台の造形的美しさとその頂上に浮かぶ満月の輝きが目に浮かぶよう。
芸術をフィルターを通さず素人の目で素直に見ること、自分の目で見ることがいかに大事かというメッセージが響いた。
これが、日本の伝統を知る第一歩なのだと。
日本庭園、縄文土器へのインスピレーションが高まり、触れて見たくなる気持ちが深まりました。
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痛快&力強く&的確に、伝統に対する挑戦を訴えています。
文中には、様々な「日本の庭」に足を運んで、太郎自身が
撮影した写真で、彼独自の考察が述べられています。
紹介されている庭に行ったときには、この文庫本を手にして、
岡本太郎と自分の感覚を比較してみるのも面白いかも♪
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TOIROの安丸です。
日本の文化を、もっと気軽に生活の中に活かそう!
そんな想いではじめたTOIROですが、なんとまったく
同じ考えを55年ほど前に記した本に出会いました。
それは、
岡本太郎の 『日本の伝統 』
痛快&力強く&的確に、伝統に対する挑戦を訴えています。
文中には、様々な「日本の庭」に足を運んで、太郎自身が
撮影した写真で、彼独自の考察が述べられています。
紹介されている庭に行ったときには、この文庫本を手にして、
岡本太郎と自分の感覚を比較してみるのも面白いかも♪
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とても刺激的で痛快!
二日半で読み終えてしまった。また、文化財とか文化行政の道に進もうとしている自分にとっても、大切な言葉が並んでいた。読んでよかった、と心から思う。
取り違えてはいけないのは、岡本太郎は過去の伝統を否定しているのではなく、克服すべき対象として肯定しているのだ、ということ。
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岡本太郎。
これほどまでに読みやすい、
そして真っ向から批判するひとの本を初めて読みました。
なにかすがすがしい感じです。
縄文土器・借景式・尾形光琳。
とてもよかったです。
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好きな音楽の話をするとき、ともすると衒学趣味になりがち。
>わが国の考古学の考証は、世界にくらべものがないほど綿密です。しかし形態や技術の角度からの分類、編年にばかり重点を置いて、広く文化的、社会学的な目で、内容に食いさがってゆくという気構えにかけているうらみがあります。この気配をうけて、一般のアマチュアまでが妙に「物知り」ぶりを発揮するのは困ったことです。考証や分類にとらわれず、純粋に土器そのものにぶつかり、その内容をつかみとらなければ意味がないと思います。
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縄文土器から始まり、尾形光琳、庭まで幅広く岡本太郎の考察が入ってる
借景という芸術としてユニークな庭の在り方が作られてきたのもも、日本という狭い空間の中でどう表現するか、箱庭、重箱での表現と言ったことが根底あり、それが全てのクリエイティブの根幹であるのではない。
それは庭だけではなく、音楽においてもjーpopの由来に通づるところがある、ロックという枠組みの中で逸脱したものではなく、その枠内でうまく創造して生み出す力、それが日本の美の美しさでもあると思ってきた!
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僕の世代で岡本太郎と言えば、イッた目をして「芸術は、爆発だ!」と叫んでいるヤバいオヤジという印象しかないのだが、その実は凄い芸術家であり、思想家であったというのが判る一冊。今でこそ縄文文化はその芸術的価値が評価され、美しい画集なども多数編纂されているが、日本で初めて縄文式土器の芸術性に注目したのがこのヤバいオヤジだったというのだから驚きだ。光琳の評価、庭園の鑑賞と併せて、伝統とは何かを真正面から問う快著。
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ひさしく鑑定家と批評家が混同されています。今日の批評家のほとんどが、批評でなく鑑定をしている。それが芸術的に関わりがあるようにおのれ自身で錯覚し、一般に押し付けているのです。
縄文土器は弥生土器と比べると、非常にはげしく、するどい特徴を持つ。
縄文土器は、実用的な目的だけで作られている訳ではない。たんに美学的意識によって作り上げられたのではない事も確かです。それは強烈に宗教的、呪術的意味を帯びており、しかがって言い換えれば四次元を指し示しているのです。
庭は原始社会では、集団税対の広場でした。庭では活動的な共同生活がいとなまれていたのです。
日本の庭園では、空間の扱い方は絵画的遠近法であって、彫刻的な空間性を持ってはいない
月は真如の月という通り、悟りの象徴です。水に映る月は人間の煩悩と考えられます。あるかと思って手ですくおうとしても実際にはないから出来ない。
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縄文土器、尾形光琳、日本庭園についての岡本太郎の本。特に庭園の「借景式」の考え方は勉強になった。既存の伝統に固執せず、新たな伝統を創り出そうとした岡本太郎の気概が窺える良書。
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伝統とは創造である。過去を見直し、現在を正しくとらえるためのもの
過去は現在が未来に飛躍するための契機に過ぎない
受け継がれるものは形式ではなく業
縄文土器は、狩猟生活時の、我々が忘れた空間感覚で作られている
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太郎さんは怒っている。伝統と言われるものにあぐらをかいて、それをなぞってさえいれば結構とされる体質に。
庭について語られるところは特に興味深い。わたしが感じた龍安寺のしんとした感じ、銀閣寺のひんやりした感じ。太郎さんの語りは、鋭く、深く、細部にまでわたります。
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縄文の中に日本人が忘れかけた想像力の原点を見る。
岡本太郎は飼いならされた芸術に牙を剝き日本人の
感性の泉である縄文を古代遺跡ではなくアートとして
紹介する。
作品として縄文土器を見た時、自由な表現力と未知
のエネルギーに満ちた作品群に圧倒される。
それは狩猟民族であった頃の日本人の空間認識や
野性的な本能の爆発であった。
伝統に唾を吐きかけ、怒りにも似た憤りをまき散らす。
表現に対する真剣さ、芸術に対する意志の強さ。
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芸術でも何でもそうだけど。伝家の宝刀があって。「自然に勝るものはない。」といったら9人は頷く。ボクもそう思っている。ただたった1人だけ納得いかない顔をするだけ。10人の納得を得るために芸術があるわけではない。たった1人だけのために芸術家がいるんだと。そう考える方が芸術にも自分のためにもなる。弥生式土器を見てこれが芸術だと言っても爆発は始まらない。これを創造した人を思い浮かべるとマグマが動く。庭はいい。眺めているだけで時間を忘れてしまう。ふと目をやると石が組まれている。そのときに我に返って時を意識する。そういうもんだ。
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「古典はその時代のモダンアートだった」という言葉に納得。
日本の芸術をどうにかしなくては、という使命感のためか、文章にパワーがある感じ。
昭和20〜30年代に書かれた文章なのに、言うことが全然古くなってないのがスゴイ。
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「古典はその時代のモダンアートだった」と著者は語る。「伝統」という言葉自体、明治後半にトラディッションを翻訳した新造語。「因習」と「伝統」は違うのだ。そして著者独自の伝統論に従い、縄文土器や光琳・庭園を読み解く。文庫本故の悲しさか、庭園の写真が小さく判りにくかったのが残念。
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岡本太郎節爆発の、日本の伝統と如何に接するかを書いた本。
過去は現在を輝かせる契機に過ぎない。
作品と正面からぶつかって、輝いてきた作品こそ伝統として残っている。
精神面、創作に関してのマインドとしてとてもポジティブになれる一冊。
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庭園の外の景色を生かした庭園つくり=借景とか
久しぶりにおもしろいネタだった。
広島の宮島は瀬戸内海自体が池の庭の役割を担うなど。。
時間があったらまた岡本太郎の著作はよもー。
Posted by ブクログ
結論、自分向けの本ではなかったです。
岡本太郎の本は好きなのですが、さすがに庭とかの石とかの解説されてもピントきませんでした。
全体として、伝統を徹底的に見返すという目的の本です。写真付きで解説などされています。
チェックした点
・知覚の恒常性という説
・伝統というものは我々が現在において新しく作るものです。
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縄文土器、光琳、庭園の3つを取り上げて繰り広げる伝統論。興味がないひとにはやや読み進めにくい内容ではあるものの、岡本太郎の視点を通して語られる日本の伝統には、爆発的に新鮮な発見が満ちている。
Posted by ブクログ
「伝統」とはなんたるかを教えてくれる。彼がいいたいのは、日本人が純粋に持っているココロ・精神を現代という時代において、どう持ち続けていくかということを投げかけてくれていると思う。