批評家の柄谷行人(1941-)と浅田彰(1957-)により各種の媒体にて行われた対談六編。学生時代に別の書籍で読んだ対談もいくつか含まれているが、当時はカントもマルクスも未だあまり読んでいなかったので、そのときの理解は甚だ怪しい(今も決して十分に読めているわけではない)。先日読んだばかりのマルクス『経済学批判』の議論を思い返しながら本書を読むことで、却ってマルクスの議論について理解を深めることができた部分もある。
□ 《形而上学》批判
二人とも、一貫して「体系の《外部》を実体的に措定し、それを体系の内部に組み込んでおくことで成立している、当の体系」(例えば、疎外論、オリエンタリズム、「大きな物語」、起源・根源へ遡及する思考、ロマン主義、日本的自然、西田幾多郎の「無の場所」、吉本隆明の「大衆」、クリステヴァの弁証法・・・など。或いはヘーゲル的な客観的観念論と同型の議論)を《形而上学》であるとして批判し続けている。そうした《形而上学》批判の言説が【否定神学】的な機制を通して現れている。柄谷行人『内省と遡行』で所謂「ゲーデル問題」を論じていた頃からの通奏低音か。観念論的に《外部》を措定してそれに依存する《形而上学》を徹底的に断念し、宙吊り状態に耐えること。それが彼らの云う【唯物論】か。
「柄谷 ・・・。そういうふうに自己完結できないということが、唯物論的ということなんでしょう」。「浅田 観念論はもちろん、弁証法的唯物論も、すべてが内生的に発展していくような一貫した体系になっている。そこには要するに視差がないわけです。唯物論といったって、視差がない唯物論は、その限りにおいて観念論ですよね」。「柄谷 ・・・。それから、『資本論』はヘーゲル的な弁証法にそって展開されるけれども、ところどころに歴史が出てくる。・・・。だから、昔は『資本論』を論理として読むのか歴史として読むのかで大論争になった。経済学者はどちらかというと歴史的な部分を削って論理だけでやりたがる。そうすると、きれいなヘーゲル的循環ができるわけです。・・・。けれどもマルクス自身は、そういう観点からするとじつに不純に書いています。論理そのものの発展を認めていない。横からある種の偶然性を入れてこないとだめなんです。それが歴史なんですね。歴史的に何かが起こってくるとき、それは向こうから来る。それがマルクスの唯物論的認識だと思うんです」(p226-227)。
「自然」性のうちに「歴史」性を見出すことも【唯物論】という視座が可能にさせる。
「柄谷 根源にさかのぼる思考は、身近な過去に生じた転倒を忘却させる。もちろん、歴史的にさかのぼって考えることは必要です。例えばユーゴスラヴィアの歴史を知る必要はある。なぜ知る必要があるかというと、そこでの紛争も近代的なもので、古代からあったものではないということを知るためです。世界史を知る必要があるのも、世界史の根源的な理念を知るためではない。そんなのは嘘なんだから。しかし、それがいかに嘘かということを知るために必要なのです」(p117)。
□ 歴史における理念
《形而上学》に陥ることなくしかも露悪的シニシズムに居直ることなく、いかにして理念的な語りを救い出すか。そこで彼らはカントの統整的理念を持ち出す。無限遠の理想を指し示すものとして。ここにも理念を実体化させないようにとの【否定神学】的な慎重さが垣間見える。
「柄谷 偽善には、少なくとも向上心がある。しかし、人間はどうせこんなものだからと認めてしまったら、そこから否定的契機は出てこない。自由主義や共産主義という理念があれば、これではいかんという否定的契機がいつか出てくる。しかし、こんなものは理念にすぎない、すべての理念は虚偽であると言っていたのでは、否定的契機が出てこないから、いまあることの全面的な肯定しかないわけです」(p149ー150)。
「柄谷 これを言うと致命的なんだけれど、コミュニズムというのはカントでいえば超越論的仮象だと思うんです。それを実現できるなどと構成的に考えてはいけない。しかし、それが統整的理念としてある限り、批判として必ず働くわけですね。その間の妥協というのは、暫定的なものならやってもいいけれども、それが理念放棄ということになってはならない」(p237)。
□ その他
その他、自由主義と民主主義の相克、世界史の六〇年周期説など、興味深い論点が次々と繰り出され、十分に消化し切れてはいない。
「柄谷 ・・・。自由主義というのは、ある意味では資本主義の本質であって、これは国境も何もない。個人主義だし。一方、民主主義というのは、共同体を確保するためのもので、同質性を保持するということだと思うんです。これは全体主義と矛盾しない」。「浅田 カール。シュミット流にいうと、そうなりますね。どこから来た奴でも自由に競争して、その中で適当な均衡ができればいいというのが、自由主義。それに対して、民主主義の方は、同質な集団の中で合意を形成して、アイデンティティを築かなきゃいけない」(p96)。
「浅田 ・・・。各々の国や共同体が、内部では民主主義的に社会福祉なり何なりをやるけれども、外部に対しては排外的に動く。・・・」。「柄谷 そうですね。民主主義は確実に勝利しつつある。なぜなら、内に向けての民主主義は外に向けてのナショナリズムだから」。「・・・」。「柄谷 ・・・。この民主主義的ナショナリズムを理念的に統整する原理が、自由主義だと思う」(p135)。
最後に、浅田彰による昭和天皇死亡時の「土人」発言について。それが本書収録「昭和の終焉」からのものであったということ、かつそれが北一輝『国体論及び純正社会主義』からの引用であったということ、そして北一輝について語り合った部分が編集の過程でカットされたために『国体論』からの引用であるということが分かりにくくなってしまったこと、こうした経緯を本書収録「昭和の終焉」末尾の本人による追記(2019年9月1日付)で初めて知った。
「とはいえ、私自身の言葉ととられてもまったくかまわないことは改めて確認しておく」(p91)。
□ 構成
オリエンタリズムとアジア (1985年『GS』)
昭和の終焉に (1989年『文學界』)
冷戦の終焉に (1990年『週刊ポスト』)
「ホンネ」の共同体を超えて (1993年『SAPIO』) ※1
歴史の終焉の終焉 (1994年『SAPIO』)
再びマルクスの可能性の中心を問う (1998年『文學界』) ※2
浅田彰と私(柄谷行人)
※1 浅田彰『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)にも「柄谷行人との対話」として収録されている。
※2 柄谷行人/浅田彰/市田良彦/小倉利丸/崎山正毅『マルクスの現在』(とっても便利出版部)にも「マルクスのトランスクリティーク」として収録されている。『マルクスの現在』によると、1998年5月30日に京都大学にて行われた講演がもとになっており、質疑応答の記録もある(本書では割愛されている)。