大岡昇平の一覧
「大岡昇平」の新着作品・人気作品や、最新のユーザーレビューをお届けします!
-
作者をフォローする
- フォローするとこの作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
ユーザーレビュー
-
日本軍は、病気になった兵士を、病気になったからというそれだけの理由で、追放しちゃうのか、というのが何よりも衝撃。しかもたった六本の芋と銃と自殺用の手榴弾だけを持たせて。命を預けていた軍に最後の最後でそんな仕打ちをされて、病気と飢餓と敵の襲来の恐怖の中で森の中を彷徨い続け、たった一人で死んでいった兵
...続きを読む士たちが実際に数多くいたんだと想像すると、なんておぞましいんだろう。
---
p.7
彼は室の隅の小さな芋の山から、いい加減に両手にしゃくって差し出した。カモテと呼ばれ、甘薯に似た比島の芋であった。礼を言って受け取り、雑嚢へしまう私の手は震えた。私の生命の維持が、私の属し、そのため私が生命を提供している国家から保障される限度は、この六本の芋に尽きていた。この六という数字には、恐るべき数学的な正確さがあった。
---
主人公の田村一等兵も、結核に侵されて部隊を追放された。軍医たちは収容された病人たちのために支給されたわずかな食糧を自分たちのものにして食いつないでいたため、病院に行っても世話はしてもらえない。高熱、幻覚、四肢の壊死に苦しむ仲間たちを横目に、かろうじて正気を保っていた彼だったが、放浪の末に徐々に精神に異常をきたしていき、最後はたまたま再会した同じ部隊の仲間を殺してその肉を食べるか否かという究極の選択にまで至る。
追放されたあとの彼にとって、「死」というものが、留保し続けているひとつの選択肢でしかないという点に、読んでいて胸を抉られる思いがした。いつでも好きなときに自分で選択できる一つの可能性。わたしが「髪を切りに行こうか、明日にしようか」と考えるようなテンションで、田村一等兵は「この手榴弾の栓を抜こうか、明日にしようか」と考える。自らの死とそんなふうに向き合うことは、戦時下という特殊な状況でなければありえない。読み終わった後も、背筋がスーッとする感覚がまだ抜けない。
---
p.51
死ぬまでの時間を、思うままに過すことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただその時を延期していた。
---
終戦後、PTSDの諸症状から精神病院に収容されることになるが、そうなった後もなお、彼にとって自らの死は一つの可能性、選択肢という位置付けであり続ける。選択する理由はないからとりあえず留保しているだけで、そこに恐怖も、拒絶もない。ただ今は選ばない、なぜなら選ぶ理由がないから。
---
p.193
私は求めて生を得たのではなかったが、一旦平穏な病院生活に入ってしまえば、強いてその中断を求める根拠はなかった。人は要するに死ぬ理由がないから、生きているにすぎないだろう。
---
本来、死は、訪れるもの、向こうからやってくるもので、人間が自らの手によってどうこうできるものではないはず。けれど戦争中も、戦後さえも、田村一等兵にとって自らの死はあまりにも身近にあり、能動的に手を伸ばすことができるひとつの可能性だった。そのことが、戦争がいかに異常なことか、今わたしが生きている毎日といかに乖離したものかかを物語っていて、なにか、さざなみのような戦慄が背後から音もなく押し寄せてくるような、そんな感覚を覚えた。
Posted by ブクログ
-
戦争文学。
「戦争は怖いよね、惨いよね、やめようね」といった一言では到底片付けられない、常識と善悪の判断を超越する、運命の流れと人間の命について書き綴られた文学だった。
自分が病を抱えて戦争と飢餓の真っ只中におり二重に死につつ、南国の太陽と樹々の下にいるという奇妙な事実、兵隊なのに肺病で食糧調達に
...続きを読む働けない存在意義、食べ物を巡る友情や束の間の関係と、兵隊の身分、血を吸うヒル、生の草、実るヤシの木の下の夜、アメリカ兵への恐怖と降伏の躊躇、フィリピン人の出会いの生死、死につつある人間と死体と傷口の黒い蝿の蠢き、サルの肉、松永と安田。
人を殺す、人を食べるという極限の選択が、遥か遠くからこの瞬間にここにいる存在意義、自然と生命を食べて生存している運命、導き、何かの視線、魂と自分の左手と意志、そういったものが一緒くたに混じり合い、衝撃を受けながらも読んでしまう。
どこまでフィクションなのか、作者の無意識の言い訳や逃げがあったりして現実と異なる部分もあるのだろうけど、異国の戦地での極限状態と人間の意志について読むべき本。
Posted by ブクログ
-
戦争体験はしてませんが、
昔の日本の兵隊さんがどんな思いで戦いに行ったのか、知る事が大事な事だと思います。誰もが自分の先祖のことを考え、子孫である我々が生きているのは、彼らの時代があったからと考えてもおかしくないと思います。
読み進めていくと、米国映画さながら、『死』『飢え』が脈々と描かれていて、
...続きを読む全て事実か疑うようでした。生き延びるために誰かの死があるような、死を覚悟してはいるものの、生き延びていく思考、飢えで意識がはっきりしない中、『殺』を起こしたり、普通の精神状態でない事がわかりました。
途中何度も休憩する読み方になってしまいましたが、これは後世に遺さなければいけない小説です。
Posted by ブクログ
-
無言館の戦没画学生には、フィリピン・ルソン島で戦死している学生が少なからずいる。たとえば山之井龍郎「昭和16年に出征し、シンガポール、サイゴンなどを転戦したのち、一時帰国するが、すぐに再び出征、20年5月フィリピンルソン島で24歳で戦死」。日本の自然や可憐な少女を描き、人一倍「美しさ」を感じ取ること
...続きを読むの出来た精神が、ルソン島の中でどんな地獄を見たのか、どのように精神が変容していったのか、わたしは大岡昇平の「野火」を読みながら、さまざまな若い命のことを考えていた。
お盆なので墓参りにいった。山の上の墓場に行くと、墓地の一等地にずらりと墓石のてっぺんが尖がっている墓が並んでいる。全て「名誉の戦死」をした人たちの墓である。当時の政府から多額の慰霊金が出るのでこのような墓になっているのだと知ったのはつい最近のことだ。
そこに私の母の兄の墓もある。母はそのとき、13歳だった。もう一人の兄も戦地にいる。家事の一切と畑仕事をするのは、母の仕事だ。幼い妹を叱り、病弱の父と母を助け、病気がちの身体に鞭をうって、朝から晩まで働いていた。そのとき兄の戦死の報が届けられる。「昭和20年8月23日ビルマにおいて没する」墓にはそう記してある。「本当に賢いお兄さんだった。優しくて……」いつだったか、そのような母のつぶやきを聞いた気がする。母の兄がどのような死に方をしたのか、とうとう母からは聞かず仕舞いだった。戦後、父親はショックのせいか、すぐ死に、もう一人の兄がシベリアから帰ってくるのは、ずいぶんと後のことになった。その母も32年前56歳で死に、シベリア帰還の叔父も15年前に亡くなった。
戦争とはなんだったのか、それを考えることの出来る記録文学、評論、映画、ドキュメンタリーは幸いなことに多数ある。けれども、数の問題ではない。何かが足りない。それは「自分と関係のあることなのだ」という実感をもてるかどうかということなのだろう。母の兄がどのような地獄を送ったのか。賢くて優しかった兄が、地獄の中でどのように変貌し、生きて死んでいったのか、その想像のよすががこの作品の中にはある。
‥‥食料はとうに尽きていたが、私が飢えていたかどうかはわからなかった。いつも先に死がいた。肉体の中で、後頭部だけが、上ずったように目醒めていた。
死ぬまでの時間を、思うままにすごすことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有物であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただそのときを延期していた。‥‥
この作品の主人公は高学歴の人間だ。ベルグソンの言ったことがすらすらと頭の中から出てきたりする。また彼はクリスチャンか、あるいはその信仰を持っている人間でもある。聖書の詩句が彼の頭の中にある。しかし、信仰はどうやら彼の救いにはならなかったようだ。
‥‥しかし死の前にどうかすると病人を訪れることのある、あの意識の鮮明な瞬間、彼は警官のような澄んだ目で、私を見凝めていた。「なんだ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」彼はのろのろと痩せた左手を挙げ、右手でその上膊部を叩いた。‥‥
この薄い文庫本を読み終えるのに、二年かかった。一文節たりとも、おろそかにできない文章が続く。「戦争とは何か」を突きつけてくるだけではなく、「人間とは何か」を突きつけてくる。当たり前だろう。戦争とはそういうものだから
Posted by ブクログ
-
野火の燃え広がる比島をさまよう田村一等兵。人間嗜食を生々しく表現。
戦争を知らない人間は半分子どもである。
Posted by ブクログ
大岡昇平のレビューをもっと見る