大岡昇平のレビュー一覧
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以前から何となく気になってた,そして最近縁ができた(バーナード嬢曰く。で出てきた)ので読んだ。
すごい小説と出会ってしまった。
これはこの先何度も読み返すことになるだろう。
帯の引用には、極限状態にある中での倫理性がメインテーマであるような感じがあって、そういうのも結構好きなんだが、この作品ではむしろそのエピソードは舞台装置のように使われているように感じた。
舞台装置といえば、戦争という状況すらも、その悲惨さ、二度と繰り返してはいけないという教訓を伝える「ために」書かれているようには読めなかった。
悲惨なことが書かれている。
二度と繰り返してはいけない、と読者が感じる。
そのことは事実とし -
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「第59章 ウェルテルとドン・ジュアン」に掲載された詩が気に入った。
慎重な男はいつもためらう
あてにならない男が多いのはこのためだ。
だから恋された女のほうでも
過ちをおかしたことのないような男には
いつまでも溜息をつかせておく。
けれど最後に彼女の与える宝物の値打ちは、
それを味わった者でないとわからない。
高くつくほどすばらしい。
恋の賛歌とは苦労の値打ち。
(ニヴェルネ『吟遊詩人ギョーム・ド・ラ・トゥール』第3巻、342ページ)
参考に、原亨吉・宇佐見英治 共訳(角川文庫)では次のようになる。
慎重な男はたえず疑う。
だから表面(うわべ)を偽る恋人が多い。 -
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618P
不屈の恋愛ノウハウ満載!
「恋愛論」古今東西に数あれど、恋愛論の歴史的、世界的名著といえばこれ!
『赤と黒』『パルムの僧院』など、19世紀フランス文学を代表する文豪の教え。
スタンダールも言ってるけど、能力は女性より男性の方が欲望というエネルギー源が高い男性の方が上だけど、美しさでは男は女に勝ち目無しだと思う。
これそうだと思う。ラロフシュコーの箴言集って人気だけど、皮肉ぶりはドン引きするから苦手。そこまで性格悪く人を見る意味がわからない私からしたら。
「ザルツブルクの塩坑では、冬になって葉を落とした木の枝を廃坑の奥深くなげこむ。二、三か月たってとりだすと、枝はきらきらした結 -
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映画は市川崑監督版と塚本晋也監督版を両方とも観ている。戦場の悍ましさの表現に身震いしたものだが、原作は文字だけなのに映像以上の惨さを感じさせるからすごい。
作者さんの実体験が反映されているからこその力強い文章のせいかもしれない。田村一等兵の心理描写の巧みさに唸り、彼の目を通した戦場の実相に目を背けたくなった。
田村の思索の変遷をとおして、想像を絶する環境下において、人間は果たしてどこまで人間性を保ち得るのだろうかという問いを投げ掛ける。そのボーダーラインとして、カニバリズム(人肉食)が登場する。
本能を宥める理性の存在が人間を動物とは一線を画す生物たらしめていると何かで読んだ気がする -
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敗戦間近のフィリピン、レイテ島で。
結核にかかった田村一等兵は、中隊も病院も追い出される。理由は食糧不足である。
もう一回病院に行ってこい、入れてもらえなかったら死ね、何のために手榴弾を渡してあるのか、と中隊長。わずかな芋を渡されて田村は中隊を出た。
いずれ死ぬしかないだろう。
しかし、死ぬまでは自由だ。
行く先がないという自由。生涯最後の幾日かを軍の命令ではなく自分の思うままに使える。
島はすでに、ほとんど米軍に制圧されている。田村は発見されないよう、林の中を進んだ。
野火を見る。地元の人たちが畑で籾殻を焼く火か。敵の場所を知らせる狼煙なのか。
どちらにしても、あそこには人がいる、と思う。 -
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俘虜記が書かれるまでの成り立ち、および大岡氏の出生について語られる。
復員後、戦後の日本社会に復帰していくことになる大岡氏、戦後の混乱を冷静な目でよく観察している。
西矢隊始末記は、大岡氏がフィリピン、ミンドロ島で従軍した西矢隊の詳細が述べられている。戦況の悪化でフィリピン密林の山中に追い詰められていく日本兵の描写に胸がつぶれる思いがする。
戦後、大岡氏はフィリピンに再度足を踏み入れており、その際の紀行が書かれている。
すべての文章は明瞭、かつ冷静に書かれている。
あとがきに、城山三郎氏の広田弘毅について書こうと試みた際、大岡氏が仲介したというのは興味深かった。 -
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ベルクソンは内的世界に純粋記憶なる制約を与えて、自由を外的世界に見い出した。
この知性主義ともとれる考えを、死を認識した主人公は、本能による動物的な嗅覚でこれを単なる美徳だと感じたらしい。
対して主人公は不自由な外的世界を偶然と言い換え、そこから生まれる思考を自由のままにした。権威に対する思想、現実に対する神も同じところである。
この「自由」を信じ、実践することで得た儀式のゆえに、彼は精神病の烙印を押されてしまう。しかし、これは戦争の熱に浮かされた者の錯乱だと言い切れるだろうか。
思うに、我々がそう言えないのは、現代の日々の中に戦争の観念があり、徴候を感じとっているからである。
生に不 -
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単行本『わが復員わが戦後』(現代史出版会、1978年)に昭和天皇の生涯に触れた遺稿「二極対立の時代を生き続けたいたわしさ」を加えた文庫再編集版。「Ⅰ」で1946年冬に博多に帰還してから「俘虜記」を書き始めるまでの日々を描いた短篇が、「Ⅱ」ではミンドロ島で大岡が配属された部隊の記録を陣中日誌風に綴った「西矢隊始末記」の他、1960年代のフィリピンへの慰霊旅行にかかわるエッセイが収録される。
前者については、復員して帰国した兵士の心情と、それを迎える家族の思いとのすれ違いや葛藤、戦場や収容所から「復員」しても、戦後の日常になかなか溶け込むことができない身体のありようが大岡らしい精緻な筆致で記 -
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ネタバレ綺麗事じゃ済まない世界があって、仲間から俺が死んだら遺体を食べていいよって言われる壮絶な状況がひしひしと伝わってきた。人を食べるか食べないかで思い悩むって、そんなむごいことある?と。一度はその場を離れるが、思い悩んで再びその彼の元に戻った時には既に腐敗が進みとても食べられる肉体ではなくなっていた。仲間を食べさせないという神の愛だと主人公は思う。結果、直接書かれてはいないけど、主人公は人の肉を食べていると思う。でもそれは自分が撃ったものではなく、永松という男が撃った物ばかりだった。でも永松のことも責められないとも思う、生き抜くために必死だったのだから。想像力豊かな人ほどグロテスクに感じる描写はあ
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