大岡昇平氏の二次戦中フィリピンでの従軍経験を元に書かれた戦争小説。
大岡昇平の戦争小説と言えば『俘虜記』も有名ですが、本作はフィクションの色が強く、ある種の軽さがあった俘虜記とは違って凄惨な戦争が描かれています。
戦争小説ではありますが、理不尽な軍隊生活、敵兵との戦闘、及び戦争の悲惨さを訴えた内容で
...続きを読むはなく、戦争体験を通して感じたこと、極限状態になることで得た意味を告げる内容です。
大岡昇平氏は、日本文学史上、第二次戦後派作家として挙げられますが、本作を読むと、第一次と第二次の違いがわからなくなりますね。
敗戦国なった頃、フィリピン・レイテ島での作戦に参加した田村一等兵は、病により5日分の食料を与えられ患者収容所に送られる。
3日で退院し隊に戻ったが、5日分の食料を与えたので5日は帰ってくるなと言われる。
病院からは、あれしきの食料5日分とはいえないと言われて追い返され、隊に戻ると、入院できないなら自決しろと言われる。
仕方なく似た境遇の病院たちと収容所の入り口で屯していたが、収容所がアメリカ軍に攻撃され、田村は熱帯の山の中へ逃げ込む。
独り山奥を歩き、食料も無く、自分が生きているのか死んでいるのかもわからない状態となる。
その後、なんとか打ち捨てられた畑を発見したことで糊口を凌ぐのですが、遠いフィリピンのジャングルで明日も知れないままさまよい歩くという、地獄のような状況下で、田村はいろいろなことを思います。
私自身、戦争経験があるわけではないので、それは想像を絶する内容です。
田村が、例えば、教会で十字架に貼り付けになったキリスト像を見て涙を流すのですが、その理由は、一言で言えない、その状況が生んだ感情であろうと思うんです。
大岡昇平氏の巧みな筆は、かの戦争を追体験させてくれますが、その体験は"こんなもんじゃない"ということが伝わってくる内容となっています。
また、極限状態の人肉嗜食も本作の重要なテーマとなっています。
田村は、臀肉が失われた死体のあることに気づき、犬と鳥が多いものと思ったのですが、その姿を見かけませんでした。
やがて、その意味を知るのですが、飢餓状態であっても、そこに踏み切ることはできないままでいます。
いよいよ餓死寸前という時に、病院前で会った若い日本兵・永松に会い、"猿の肉"を口にします。
その正体をどう受け止めるべきか、読む人によっては感情的におぞましい、気持ち悪いとだけ感じる内容だと思います。
正常な精神であれば取り得ない行動も、せざるを得ない状況下で行う分には、正常と言えるのだろうか。
正常なまま狂ってゆき、戦後、精神科病棟の田村は、狂人のまま正常だったのだと思いました。