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敗北が決定的となったフィリッピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的名作である。
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Posted by ブクログ
映画は市川崑監督版と塚本晋也監督版を両方とも観ている。戦場の悍ましさの表現に身震いしたものだが、原作は文字だけなのに映像以上の惨さを感じさせるからすごい。 作者さんの実体験が反映されているからこその力強い文章のせいかもしれない。田村一等兵の心理描写の巧みさに唸り、彼の目を通した戦場の実相に目を背...続きを読むけたくなった。 田村の思索の変遷をとおして、想像を絶する環境下において、人間は果たしてどこまで人間性を保ち得るのだろうかという問いを投げ掛ける。そのボーダーラインとして、カニバリズム(人肉食)が登場する。 本能を宥める理性の存在が人間を動物とは一線を画す生物たらしめていると何かで読んだ気がするが、己の生存こそ第一義の状況では理性など簡単に崩壊してしまうのか。 人肉食を豆粒ほどの理性で踏み止まった田村であるが、「猿の肉」と騙されて人肉を口にしてしまっているのもまた事実。知らなければ、分からなければ、大丈夫だ…となってしまうのか。否、そうはならないのか。 人間性についての問い掛けは「生と死」の問題にまで踏み込んでいき、考えれば考えるほど、状況が極限過ぎて思考が及ばず、迷宮に迷い込んだような気持ちになった。 おそらく「人間性」というものは宗教の教祖みたいなもので、それに無意識の内に縋って生きているのが今の日常。理不尽や悪賢さこそが正義となる地獄のような戦場では神も仏もあるものかとなるのと同じで、人間性など糞の役にもたたず、ドブに捨てなければ生きることも死ぬことも難しくなる。 これこそが人間の本質なのだろうか。それとも、戦争によって狂わされた結果なのだろうか。どの登場人物の言動や行動にも納得出来てしまうのが本当に恐ろしい。日常に照らし合わせれば異常に思える行動も、なんら特別なものではないのかもしれない。 答えは出ない。当たり前だ。真に体験しなければ分からないことだろう。だが、こんな経験をしたい者などいないはずだ。戦争などするものではないのだ。なのに、何故世界から戦争はなくならないのか。ますます答えは出ない。本作が、極限状態における人間性について描いた実験的小説であることは確かである。本作のテーマについて考え続けることが大切なのかもしれない。この深みこそ文学作品の醍醐味だと改めて感じた。 [余談] 巻末解説が難しくて何を言いたいのかいまいち理解出来なかった。本編より難しい解説ってどうなのよと思ったが、いや待てよ、己の読解力が無いだけだろうと思い直した。読解力の向上を目指そうと決めた。
敗戦間近のフィリピン、レイテ島で。 結核にかかった田村一等兵は、中隊も病院も追い出される。理由は食糧不足である。 もう一回病院に行ってこい、入れてもらえなかったら死ね、何のために手榴弾を渡してあるのか、と中隊長。わずかな芋を渡されて田村は中隊を出た。 いずれ死ぬしかないだろう。 しかし、死ぬまでは自...続きを読む由だ。 行く先がないという自由。生涯最後の幾日かを軍の命令ではなく自分の思うままに使える。 島はすでに、ほとんど米軍に制圧されている。田村は発見されないよう、林の中を進んだ。 野火を見る。地元の人たちが畑で籾殻を焼く火か。敵の場所を知らせる狼煙なのか。 どちらにしても、あそこには人がいる、と思う。孤独な田村は、敵に見つかる危険とともに人懐かしさも感じる。 フィリピンの自然の描写がとてつもなく美しい。緑豊かな林、流れる湧き水。海岸線。 そのあちこちに、パンパンに膨れ上がった日本兵の屍体が転がっている。 天国と地獄を同時に見るようである。 やがて激しい飢餓に襲われる。 田村は自分は死ぬだろうと考えながらも、窮地に陥れば恐怖に慄き、敵の攻撃が来れば体は反射的にかわし、島民に発見されれば銃を向ける。 生きたいのか、死にたいのか。絶えず矛盾と戦っている。 瀕死の狂人と遭った。将校らしいが武器は持っていなかった。 「俺が死んだら、食べていいよ」 彼は神だったのだろうか。 ーーーーーーーーーーー 平成二十七年 五月三十日 百十刷 読み続けられている。
ベルクソンは内的世界に純粋記憶なる制約を与えて、自由を外的世界に見い出した。 この知性主義ともとれる考えを、死を認識した主人公は、本能による動物的な嗅覚でこれを単なる美徳だと感じたらしい。 対して主人公は不自由な外的世界を偶然と言い換え、そこから生まれる思考を自由のままにした。権威に対する思想、現...続きを読む実に対する神も同じところである。 この「自由」を信じ、実践することで得た儀式のゆえに、彼は精神病の烙印を押されてしまう。しかし、これは戦争の熱に浮かされた者の錯乱だと言い切れるだろうか。 思うに、我々がそう言えないのは、現代の日々の中に戦争の観念があり、徴候を感じとっているからである。 生に不自由の意味を与えて、死が自由となり得る儀式を再び行おうとしているのではないか。 反戦という言葉の重量がまた増した気がした。
太平洋戦争アジア戦線における、旧日本軍兵の過酷な戦争体験が生々しく描かれている。 病、飢餓、腐敗した屍など常に死と隣り合わせの極限状態が伝わってくる内容で、「戦争は良くない」といった陳腐な言葉では片付かない重すぎる歴史を感じられた。
過去にタイトルを知っていたのだけれど、これまで読んだことのなかった作品。 非常に良かった。戦争における極限状態がどのようなものかを克明に描き出す。 戦争においては優秀な頭脳を戦場に送り出す非合理さがあるが、そこでの経験がこのような作品として昇華されることの意味、必然性を感じた。 読みごたえがあった。
8万人の死者を出したという太平洋戦争末期フィリピンのレイテ島で、部隊が壊滅し食料のない中彷徨う一人の日本兵が、戦闘行為と無関係に人を殺してしまいながら、なおも人肉を食うか食わぬかに逡巡する姿を通して、戦争や生存について問いかける。映画は市川崑監督作品と塚本晋也監督作品の2本とも観ていて、今回この原作...続きを読むを読み構成はほぼ忠実にこの原作をなぞっていることを知った。なかでも行軍の途中見つけた死体に向かって「俺たちも今にこんなになるのかなあ」と兵士たちが言うと、当の死体が「何をっ」と叫ぶシーンは2本の映画でもきちんと再現されていて、やはり本作を代表する場面なんだなと思った。この2本の映画作品に両方ともないのが主人公のキリスト教信仰による視点で、人が生きるために人を殺して食べるかどうか、という極限の命題に「神の怒り」というモチーフが用いられている。市川版の映画制作当時の一般的なヒューマニズムにのっとった落としどころ、塚本版の「人間の理性なんてチョロいんだ」という監督の一貫したパンクな主張に比べると、かなり観念的な印象だった。どこの林をぬけると丘があってその先に河原があってと、主人公が彷徨う熱帯林の地理風景の細かい描写、人が死体となったあと肉体が破壊され自然に還っていく描写のすさまじさは、それを見てきた人でないと描けないリアリティを感じる。
野火 著:大岡 昇平 新潮文庫 お-6-3 ヤマザキマリの「国境のない生き方」にお薦めがあったので、一読させていただきました。第二段 比 レイテ島の密林で繰り広げられる日本兵と米軍の戦い、そのはざまに入る現地の人々。 結核となり、部隊からも、軍病院からも見放された「私」 米軍の攻撃から、軍病...続きを読む院から、望みもせず逃避行が始まった。 極限の世界、草と蛭を食べながら、死と隣り合った彷徨、時折冷える、野火に導かれるままに、「私」の運命を翻弄する 生と死が直結する世界では、同じ日本軍といえども、敵なのか、それとも、味方なのか、病人を捨て去ろうとするばかりか、生存に必要とするものを奪い取る、不条理。 自らは自らで守るという心得ばかりか、病的なまでの用心深さが密林を生き抜く条件なのだ。 もくじ 1 出発 2 道 3 野火 4 座せる者等 5 紫 6 夜 7 砲声 8 川 9 月 10 鶏鳴 11 楽園の思想 12 象徴 13 夢 14 降路 15 命 16 犬 17 物体 18 デ・プロフンディス 19 塩 20 銃 21 同胞 22 行人 23 雨 24 三叉路 25 光 26 出現 27 火 28 飢者と狂者 29 手 30 野の百合 31 空の鳥 32 眼 33 肉 34 人類 35 猿 36 転身の頌 37 狂人日記 38 再び野火に 39 死者の書 ISBN:9784101065038 出版社:新潮社 判型:文庫 ページ数:224ページ 定価:550円(本体) 発行年月日:1954年04月 1954年04月30日発行 2014年07月30日108刷改版 2023年09月20日120刷
太平洋戦争、フィリピン戦線でサバイバルする日本軍兵士を主人公とした小説。(大岡昇平の体験に基づき書かれているが、この小説はフィクション) 戦争文学の代表作品と評されるだけあり、特に主人公の生死を彷徨う状況の中での深層心理の描写が印象に残る。(時には哲学的な表現もあり) このような戦争小説を読むにつ...続きを読むけ、戦争の愚かさに気づかされ、「平和ボケ」、風化させないためにも読んでいかなければいけないと思う。 国家のために極限状況に追い詰められた人々に対してやるせない気持ちで一杯になる。 以下引用~ ・もし私の現在の偶然を必然と変える術ありとすれば、それはあの権力のために偶然を強制された生活と、現在の生活とを繋げることであろう。だから私はこの手記を書いているのである。
小説の中に書かれていることは基本的に虚構であって、したがってそれを読んだときに自分の中に生まれる感触も幻のようなものだと言えるでしょう。しかし、小説は人間が書いているものである以上、それが虚構であっても、人間の世界の現実に触れています。人間が人間の世界を描くのである以上、まったくの虚構ではあり得ませ...続きを読むん。それはむしろ、作者によって新たに構成された、生きることのリアルな感触を持った世界なのです。 『野火』は、戦後書かれた「戦争文学」の代表的な作品。「敗北が決定的となったフィリピン戦線。食べるものなく極限状態におかれた田村一等兵は、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体にまで目を向ける――」(新潮文庫の裏表紙解説より)。 戦後67年を迎える今、戦争のリアルな感触を追体験することはますます困難になっています。だからこそ、戦争文学を読む意義を再認識すべきではないでしょうか。 また、戦争文学を読むという体験だからこそ、人間とは、愛とは、といった根源的テーマに正面から向き合うことができます。夏休みに戦争文学をじっくり読む――その体験は、あなたの中の深いところに、リアルな生の感触を残すはずです。(K) 紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2007年8月号掲載
気になりつつも敬遠していた一冊。この本を読んだ後だとどれだけお腹がすいてなくても何も食べないという選択をとることが躊躇われてしまう。戦争という特殊な環境下ではあるが本当に食べるものがないという状況になった時、人間はどうなってしまうのかをよく考えさせられた。
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