【感想・ネタバレ】野火のレビュー

あらすじ

敗北が決定的となったフィリッピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的名作である。

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Posted by ブクログ

 映画は市川崑監督版と塚本晋也監督版を両方とも観ている。戦場の悍ましさの表現に身震いしたものだが、原作は文字だけなのに映像以上の惨さを感じさせるからすごい。
 作者さんの実体験が反映されているからこその力強い文章のせいかもしれない。田村一等兵の心理描写の巧みさに唸り、彼の目を通した戦場の実相に目を背けたくなった。

 田村の思索の変遷をとおして、想像を絶する環境下において、人間は果たしてどこまで人間性を保ち得るのだろうかという問いを投げ掛ける。そのボーダーラインとして、カニバリズム(人肉食)が登場する。
 本能を宥める理性の存在が人間を動物とは一線を画す生物たらしめていると何かで読んだ気がするが、己の生存こそ第一義の状況では理性など簡単に崩壊してしまうのか。
 人肉食を豆粒ほどの理性で踏み止まった田村であるが、「猿の肉」と騙されて人肉を口にしてしまっているのもまた事実。知らなければ、分からなければ、大丈夫だ…となってしまうのか。否、そうはならないのか。
 人間性についての問い掛けは「生と死」の問題にまで踏み込んでいき、考えれば考えるほど、状況が極限過ぎて思考が及ばず、迷宮に迷い込んだような気持ちになった。
 おそらく「人間性」というものは宗教の教祖みたいなもので、それに無意識の内に縋って生きているのが今の日常。理不尽や悪賢さこそが正義となる地獄のような戦場では神も仏もあるものかとなるのと同じで、人間性など糞の役にもたたず、ドブに捨てなければ生きることも死ぬことも難しくなる。
 これこそが人間の本質なのだろうか。それとも、戦争によって狂わされた結果なのだろうか。どの登場人物の言動や行動にも納得出来てしまうのが本当に恐ろしい。日常に照らし合わせれば異常に思える行動も、なんら特別なものではないのかもしれない。
 答えは出ない。当たり前だ。真に体験しなければ分からないことだろう。だが、こんな経験をしたい者などいないはずだ。戦争などするものではないのだ。なのに、何故世界から戦争はなくならないのか。ますます答えは出ない。本作が、極限状態における人間性について描いた実験的小説であることは確かである。本作のテーマについて考え続けることが大切なのかもしれない。この深みこそ文学作品の醍醐味だと改めて感じた。

[余談]
 巻末解説が難しくて何を言いたいのかいまいち理解出来なかった。本編より難しい解説ってどうなのよと思ったが、いや待てよ、己の読解力が無いだけだろうと思い直した。読解力の向上を目指そうと決めた。

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2025年08月26日

Posted by ブクログ

敗戦間近のフィリピン、レイテ島で。
結核にかかった田村一等兵は、中隊も病院も追い出される。理由は食糧不足である。
もう一回病院に行ってこい、入れてもらえなかったら死ね、何のために手榴弾を渡してあるのか、と中隊長。わずかな芋を渡されて田村は中隊を出た。
いずれ死ぬしかないだろう。
しかし、死ぬまでは自由だ。
行く先がないという自由。生涯最後の幾日かを軍の命令ではなく自分の思うままに使える。
島はすでに、ほとんど米軍に制圧されている。田村は発見されないよう、林の中を進んだ。

野火を見る。地元の人たちが畑で籾殻を焼く火か。敵の場所を知らせる狼煙なのか。
どちらにしても、あそこには人がいる、と思う。孤独な田村は、敵に見つかる危険とともに人懐かしさも感じる。

フィリピンの自然の描写がとてつもなく美しい。緑豊かな林、流れる湧き水。海岸線。
そのあちこちに、パンパンに膨れ上がった日本兵の屍体が転がっている。
天国と地獄を同時に見るようである。

やがて激しい飢餓に襲われる。
田村は自分は死ぬだろうと考えながらも、窮地に陥れば恐怖に慄き、敵の攻撃が来れば体は反射的にかわし、島民に発見されれば銃を向ける。
生きたいのか、死にたいのか。絶えず矛盾と戦っている。

瀕死の狂人と遭った。将校らしいが武器は持っていなかった。
「俺が死んだら、食べていいよ」
彼は神だったのだろうか。
ーーーーーーーーーーー
平成二十七年 五月三十日 百十刷
読み続けられている。

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2025年08月08日

Posted by ブクログ

ベルクソンは内的世界に純粋記憶なる制約を与えて、自由を外的世界に見い出した。
この知性主義ともとれる考えを、死を認識した主人公は、本能による動物的な嗅覚でこれを単なる美徳だと感じたらしい。

対して主人公は不自由な外的世界を偶然と言い換え、そこから生まれる思考を自由のままにした。権威に対する思想、現実に対する神も同じところである。

この「自由」を信じ、実践することで得た儀式のゆえに、彼は精神病の烙印を押されてしまう。しかし、これは戦争の熱に浮かされた者の錯乱だと言い切れるだろうか。

思うに、我々がそう言えないのは、現代の日々の中に戦争の観念があり、徴候を感じとっているからである。

生に不自由の意味を与えて、死が自由となり得る儀式を再び行おうとしているのではないか。
反戦という言葉の重量がまた増した気がした。

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2025年07月17日

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ネタバレ

綺麗事じゃ済まない世界があって、仲間から俺が死んだら遺体を食べていいよって言われる壮絶な状況がひしひしと伝わってきた。人を食べるか食べないかで思い悩むって、そんなむごいことある?と。一度はその場を離れるが、思い悩んで再びその彼の元に戻った時には既に腐敗が進みとても食べられる肉体ではなくなっていた。仲間を食べさせないという神の愛だと主人公は思う。結果、直接書かれてはいないけど、主人公は人の肉を食べていると思う。でもそれは自分が撃ったものではなく、永松という男が撃った物ばかりだった。でも永松のことも責められないとも思う、生き抜くために必死だったのだから。想像力豊かな人ほどグロテスクに感じる描写はあるけど、私は戦争を知らない世代には是非読んで欲しいと思う小説だった。主人公は生き残ったけど、精神を病んでしまって食べ物も受け付けない体に。色々考えさせられる小説だった。間違いなく気は重くなる。

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2025年03月08日

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太平洋戦争アジア戦線における、旧日本軍兵の過酷な戦争体験が生々しく描かれている。

病、飢餓、腐敗した屍など常に死と隣り合わせの極限状態が伝わってくる内容で、「戦争は良くない」といった陳腐な言葉では片付かない重すぎる歴史を感じられた。

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2024年12月30日

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過去にタイトルを知っていたのだけれど、これまで読んだことのなかった作品。
非常に良かった。戦争における極限状態がどのようなものかを克明に描き出す。
戦争においては優秀な頭脳を戦場に送り出す非合理さがあるが、そこでの経験がこのような作品として昇華されることの意味、必然性を感じた。
読みごたえがあった。

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2024年08月18日

Posted by ブクログ

8万人の死者を出したという太平洋戦争末期フィリピンのレイテ島で、部隊が壊滅し食料のない中彷徨う一人の日本兵が、戦闘行為と無関係に人を殺してしまいながら、なおも人肉を食うか食わぬかに逡巡する姿を通して、戦争や生存について問いかける。映画は市川崑監督作品と塚本晋也監督作品の2本とも観ていて、今回この原作を読み構成はほぼ忠実にこの原作をなぞっていることを知った。なかでも行軍の途中見つけた死体に向かって「俺たちも今にこんなになるのかなあ」と兵士たちが言うと、当の死体が「何をっ」と叫ぶシーンは2本の映画でもきちんと再現されていて、やはり本作を代表する場面なんだなと思った。この2本の映画作品に両方ともないのが主人公のキリスト教信仰による視点で、人が生きるために人を殺して食べるかどうか、という極限の命題に「神の怒り」というモチーフが用いられている。市川版の映画制作当時の一般的なヒューマニズムにのっとった落としどころ、塚本版の「人間の理性なんてチョロいんだ」という監督の一貫したパンクな主張に比べると、かなり観念的な印象だった。どこの林をぬけると丘があってその先に河原があってと、主人公が彷徨う熱帯林の地理風景の細かい描写、人が死体となったあと肉体が破壊され自然に還っていく描写のすさまじさは、それを見てきた人でないと描けないリアリティを感じる。

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2024年08月10日

Posted by ブクログ

野火
著:大岡 昇平
新潮文庫 お-6-3

ヤマザキマリの「国境のない生き方」にお薦めがあったので、一読させていただきました。第二段

比 レイテ島の密林で繰り広げられる日本兵と米軍の戦い、そのはざまに入る現地の人々。

結核となり、部隊からも、軍病院からも見放された「私」

米軍の攻撃から、軍病院から、望みもせず逃避行が始まった。

極限の世界、草と蛭を食べながら、死と隣り合った彷徨、時折冷える、野火に導かれるままに、「私」の運命を翻弄する

生と死が直結する世界では、同じ日本軍といえども、敵なのか、それとも、味方なのか、病人を捨て去ろうとするばかりか、生存に必要とするものを奪い取る、不条理。

自らは自らで守るという心得ばかりか、病的なまでの用心深さが密林を生き抜く条件なのだ。

もくじ

1 出発
2 道
3 野火
4 座せる者等
5 紫
6 夜
7 砲声
8 川
9 月
10 鶏鳴
11 楽園の思想
12 象徴
13 夢
14 降路
15 命
16 犬
17 物体
18 デ・プロフンディス
19 塩
20 銃
21 同胞
22 行人
23 雨
24 三叉路
25 光
26 出現
27 火
28 飢者と狂者
29 手
30 野の百合
31 空の鳥
32 眼
33 肉
34 人類
35 猿
36 転身の頌
37 狂人日記
38 再び野火に
39 死者の書

ISBN:9784101065038
出版社:新潮社
判型:文庫
ページ数:224ページ
定価:550円(本体)
発行年月日:1954年04月
1954年04月30日発行
2014年07月30日108刷改版
2023年09月20日120刷

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2024年07月09日

Posted by ブクログ

太平洋戦争、フィリピン戦線でサバイバルする日本軍兵士を主人公とした小説。(大岡昇平の体験に基づき書かれているが、この小説はフィクション)
戦争文学の代表作品と評されるだけあり、特に主人公の生死を彷徨う状況の中での深層心理の描写が印象に残る。(時には哲学的な表現もあり)

このような戦争小説を読むにつけ、戦争の愚かさに気づかされ、「平和ボケ」、風化させないためにも読んでいかなければいけないと思う。

国家のために極限状況に追い詰められた人々に対してやるせない気持ちで一杯になる。

以下引用~
・もし私の現在の偶然を必然と変える術ありとすれば、それはあの権力のために偶然を強制された生活と、現在の生活とを繋げることであろう。だから私はこの手記を書いているのである。

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2024年04月06日

Posted by ブクログ

小説の中に書かれていることは基本的に虚構であって、したがってそれを読んだときに自分の中に生まれる感触も幻のようなものだと言えるでしょう。しかし、小説は人間が書いているものである以上、それが虚構であっても、人間の世界の現実に触れています。人間が人間の世界を描くのである以上、まったくの虚構ではあり得ません。それはむしろ、作者によって新たに構成された、生きることのリアルな感触を持った世界なのです。

『野火』は、戦後書かれた「戦争文学」の代表的な作品。「敗北が決定的となったフィリピン戦線。食べるものなく極限状態におかれた田村一等兵は、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体にまで目を向ける――」(新潮文庫の裏表紙解説より)。

戦後67年を迎える今、戦争のリアルな感触を追体験することはますます困難になっています。だからこそ、戦争文学を読む意義を再認識すべきではないでしょうか。

また、戦争文学を読むという体験だからこそ、人間とは、愛とは、といった根源的テーマに正面から向き合うことができます。夏休みに戦争文学をじっくり読む――その体験は、あなたの中の深いところに、リアルな生の感触を残すはずです。(K)

紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2007年8月号掲載

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2024年05月13日

Posted by ブクログ

気になりつつも敬遠していた一冊。この本を読んだ後だとどれだけお腹がすいてなくても何も食べないという選択をとることが躊躇われてしまう。戦争という特殊な環境下ではあるが本当に食べるものがないという状況になった時、人間はどうなってしまうのかをよく考えさせられた。

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2025年09月14日

Posted by ブクログ

読書会の課題本として読む。人肉食の本として名高いこの本、なんとなく敬遠して読んでいませんでした。今回は課題本のため仕方なく読みました。戦記文学ではあるものの、ほとんど敗走のシーンの記述。病院に入院を余儀なくされるも、病院も攻撃されて逃走ジャングルの中をさまよう歩く。たまに友軍一緒になったり1人になったりしながら最後に上に苦しんでいるところ人肉を猿の肉として与えられて生き延びると言う話であった。冒頭部分は作者大岡昇平が病院で田村と言う軍人に遭い、その話を田村本人に小説として書けと言って書いたと言う体裁をとっている。
自然の描写とフィリピンの風俗が少し出てきて、キリスト教や仏教も少し顔を出す。
戦争とはなんであったのかを咀嚼するために書かれたのであろう。また、銃後の人々に戦争を伝えるために書かれたのであろう。映画「ゆきゆきて神軍」を思い出した。

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2025年08月28日

Posted by ブクログ

高橋源一郎の「ぼくらの戦争なんだぜ」の中でかなりのウェイトで引用してあり、戦争を描いた著作として最も有名な作品とのことだったので、気になって読んでみた。

フィリピン・レイテ島での、敗残兵としての逃避行のほぼ一部始終が描かれている。最後は発狂して記憶喪失となり、戦後復員して精神病院で欠けた記憶を思い出すが、ふたたび発狂する。

飢えの末期において(御多分に洩れず)人肉食の葛藤に苦しむ主人公。 (理論を司る左脳支配下の)右手は剣で死体から肉を切り取ろうとし、それを(直感を司る右脳支配下の)左手が右手を握りしめて止める、という明解な、かつ究極的な人格分裂を起こす場面が静かに壮絶だった。この場面は有名なようで高橋源一郎の本の中でも長めに引用してあったと記憶する。

ひたすら地獄のような日々の記述が続くのでかなり読み疲れた。読むだけでこうなので、実際の戦場のストレスたるや、想像も付かない。


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2025年04月15日

Posted by ブクログ

舞台は敗戦が濃厚となってきた第2次世界大戦末期。
田村という一兵卒がフィリピンレイテ島において、生死のはざまの中で島内を彷徨い続ける話である。
田村は結核を患い所属隊から追い出される。芋6本のみ持たされて。あとはなるようになれ(死ぬでもなんでも)というメッセージである。
実はこの作品、田村が戦後精神科入院中に、当時を回想しているものである。
それがわかるのは小説の最後の方なのだが。この視点が加わって、ぐっと理解が深まる。
 
田村の内省に関する記述がものすごく緻密かつ文学的に描かれていて圧倒される。
彷徨う中、発狂した将校を観察したり、極限状態で人肉を食すことに抗ってみたり、自ら行った殺人の罪意識に苛まれたりしている様子が事細かに描写されている。
1つ1つの田村の行動に伴う精神運動の表現が、難解で理解に時間を要した。
1つのセンテンスを何度も読み、咀嚼していく必要があった。
私の経験が低すぎるのか、読解力がなさすぎるのか。落ち込むし、悔しい気持ち。
 
例えばこんな調子なのである。わたしが秀逸だなと思った一節を紹介。
「贋(にせ)の追想」。ベルグソンによれば、
これは絶えず現在を記憶の中へ追い込みながら進む生命が、疲労或いは虚脱によって、不意に前進を止める時、記憶だけが自動的に意識より先に出るため起こる現象である。
 
私は半月前に中隊を離れた時、林の中を一人で歩きながら感じた、奇妙な感覚を思い出した。
その時、私は自分が歩いている場所を再び通らないであろう、ということに注意したのである。
 
もしその時私が考えていたように、そういう当然なことに私が注意したのは、私が死を予感していたためであり、
日常生活における一般の生活感情が、今行うことを無限に繰り返し得る可能性に根差しているという仮定に何らかの真実があるとすれば、
私が現在行うことを、「前にやったことがある」と感じるのは、それをもう一度行いたいという願望の倒錯したものではあるまいか、
未来に繰り返す希望のない状態におかれた生命が、その可能性を過去に投射するのではあるまいか。
 
・・・終始こんな感じの記述が続く。もう少し修行してから再読する。

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2025年04月01日

Posted by ブクログ

主人公が達観してるというかまあ知識人って言われてたからそれもあるけど哲学的というか。戦場にいてあれだけ主人公が終始冷静なのにも関わらずあのようなことが起きる。気持ち悪い。蒸し蒸ししてて血の匂いがする小説。情景があまり浮かばないがおもしろい

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2025年02月11日

Posted by ブクログ

人間はある境界を越えると何にでもなれるのだ。無限大の可能性を秘めている生き物なのだ。
それをこんな形で描かれるなんて思っていなかったので絶望して頭を抱えている。
孤独で在り続けることの到達点のひとつがこれとは思いたくない。
思いたくない、けれど。

人肉食という行為に目が行きがちだけど、何かをしたくて堪らないという強い衝動を私は「知っている」んだよね。剥き出しの欲望を目撃して怖くなったし居心地も悪くなった。

全体的に落ち込むことが多くて読むペース上げることができなかったけど無事に読み終われて良かった。
塚本晋也版の『野火』を観てるので猿の肉の正体は知っていたけどやっぱ「うっ」ってなったし、そのあと撃たれて吹き飛んだ自分の肉を躊躇いなく食べちゃうところもキツくて立っていられない。
でも最後は良かったよな〜とも思う。
偶然が重なって誰かの命を繋ぐ瞬間がこの世にはある。
それも私は「知っている」。

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2025年01月05日

Posted by ブクログ

極限の状況で人間性を保てるのか。病気で軍をおわれた田村はひとり戦地を彷徨う。単独行の描写は鮮明で狂人のものではない。
ここでの戦争は既に戦闘ではない。米兵からの逃避であり、怪我や病気、餓えとの戦いである。
仲間さえ信用できなくなったとき、信じられるのは自分だけとなる。

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2025年01月01日

Posted by ブクログ

塚本晋也による同名映画がとても良かったので、その流れで原作も読んでみた。戦争文学の代表的な作品で、筆者・大岡昇平の実体験が基になっている。太平洋戦争末期、敗戦色の濃いフィリピン戦線で結核を患った男が、必死に生きようともがく様が描かれる。男は極限状態の戦場で精神が疲弊し、飢えに苦しみ、「食人」という禁忌を犯すかどうかに揺れ始める。

何が罪で、何が罪ではないのか。戦場に正解などはない。たとえそれが生きるための仕方のない行為だったとしても、二度と取り返しのつかない不可逆的なものであることには変わりないし、それが絶対にいけないことだとも言いきれない。そもそも本当に悪いのは食人を行った人間なのだろうか。少なくとも自分は違うと思った。強烈な力で倫理観に訴えかけてくる作品だった。

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2024年09月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

我深き淵より汝を呼べり。

社会から切り離された孤独と近代合理性の失敗である異常な戦時下での人間性の崩壊。絶対的な神の崩壊。

フィリピンで肺を病み隊から追放され、野戦病院からも追い出された主人公は行く当てもなく彷徨する。あるのは死へ向かう乾いた身勝手な自由。
山間の芋畑を見つけ飢えを満たすが、遠くに見える教会に心を惹かれ街に降りる決意をする。街は廃墟となっており野犬と死体の山だけだった。

教会に入り休んでいるとフィリピン人の男女と遭遇してしまい女を銃殺してしまう。街を離れ日本兵と行き合い仲間に加えてもらう。敵の銃撃を越えた先には死屍累々の敗残兵が道のそこここに倒れているという地獄だった。主人公は猛烈な空腹と理性の葛藤の末に人の肉を口にしてしまう。神に世界に怒り、自らの存在と過酷すぎる現実を受け止められない主人公は狂ってしまう。

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2024年09月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

先に塚本晋也監督の映画を見たので戦争描写のイメージが強かったが、小説を読んでより本来的な内容を味わうことができた。恐らく、この作品のテーマは12章「象徴」で語られている。

> あの快感を罪と感じた私の感情が正しいか、その感情を否定して、現世的感情の斜面に身を任せた成人の知恵が正しいか、そのいずれかである。(p59より引用)

飢えて人肉を食べようとする右手は後者で、それを制止する左手は前者になる。殺人は犯しながらも人肉食への衝動には極限まで抵抗するのも、少年時の性的習慣と同じく、それを罪と感じる快感があるからだろう。
戦争での人肉食という極端な場面で表現されているが、この葛藤は全ての人間が大なり小なり直面する普遍的なものだと思う。現代の大きな社会課題も、突き詰めればあの快感を罪とする感情を個々の人間が日常生活において否定し続けるために生じていると言えなくもない。

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2024年09月11日

Posted by ブクログ

フィリピンに行く予定があるので、前々から気になっていた本作を読んでみようと手に取る。

フィリピン戦線で病気のため兵隊としてはいられないが、物資が乏しい救護班からもケアを受けられない主人公、死を意識してフィリピンを彷徨い歩く。

戦争の悲惨さも有るが、それよりも主人公の死生観等内面にフォーカスされていて、私的には普通の戦争モノより興味深く読む。本当には分かっていないのだろうが、どんどん主人公の気持ち同化できる自分がいて不思議で面白い。

久しぶりに時間をおいてまた読みたいと思った本。

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2024年08月31日

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大岡昇平の代表作。フィリピン戦線の凄惨さ。病院前に座り込む負傷兵。カニバリズム。戦後精神病院へ入院している主人公…

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2024年04月04日

Posted by ブクログ

行ったこともないフィリピンの山の風景が頭に思い浮かぶ文章。私の頭では、なぜか景色が全て夕焼けでイメージされる。

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2025年12月04日

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戦時中の極限状態に置かれた人間の尊厳について。
生々しいが、エネルギーも凄まじい
とてつもない反戦小説

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2025年11月20日

Posted by ブクログ

身体的・精神的極限状態下での、生存本能と理性の葛藤や、巨大な神の存在への意識、といった思考を追体験するような作品。

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2025年08月11日

Posted by ブクログ

大体のあらすじは知っていたが、改めて読むと重い小説。

ごく平凡な中年一等兵である田村が孤独な極限状況に置かれる事で人を殺し、人肉を食べたいとまで感じる。

戦争という特殊な状況がそうさせる、と読める一方で現代社会でも人間は状況によっては何をするかわからないとも言える。

人間の恐ろしさ、そして極限状況で踏み止まる理性。左手が右手を抑えるシーン。

人間とは何か、難しいテーマだ。

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2025年08月11日

Posted by ブクログ

ざっと。哲学者のような彼が戦地でどのような体験をし、ものの見方をし、何を考えたかを知るのは貴重。だが、引き込まれず、読み飛ばす。

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2025年01月11日

Posted by ブクログ

家の本棚にあって手に取った。ただ、偶然というのではなく、最近、なんとなく戦争というものが今までよりも近くにある感覚があり、惹きつけられたのだと思う。

戦争をひとたび経験してしまったら、それまでの自分には戻れないだろうという思った。知らない人間は、半分は子供であるという言葉があったが、わかる気がした。戦争を生き延びた前後で同じ人間でいられるとはとても思えなかった。それまでの人生で自分が感じた感情がすべて子供臭かったと感じてしまうのではないだろうか。一方で、それが幸福だとはとても思えない。

改めて大人になること、子供でいることについて考えた。子供たちには大人になれと言っているくせに、この本を読んだら、子供でいられるならそれに越したことはないように思った。結局は自分が感じた痛みを感じろ、苦労をしろということだけな気がした。私たちはみんな、大なり小なり、ならざるを得なくて大人になるのかもしれない。だったら、子供のままでいられるなら、それはいいねという言い方もあるかもしれない。

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2024年11月24日

Posted by ブクログ

参加している読書会の課題図書として読んだ小説。
大岡昇平の小説を読むのは初めて。
戦場でのできごとの描写は、簡潔でリズムが良いのに、主人公が、戦場で殴られて気を失った後、なぜか助かって復員してからの生活やその後の独白の部分は、ダラダラして、言い訳っぽくって、全体の読後感を悪くしているように思う。
人公が、民間人のフィリピン人を殺したことや、戦友を殺したことの罪悪感を隠す言い訳として、自分は死人の肉を、それと知っては、食べなかったと言うことを心の拠り所としているが、それを自分でも公平な判断だと信じることができないために、外の世界に対して攻撃的になったり、食事の前に変な儀式をしたりしなかったり、(軍医と違って患者を攻撃しない)医者を馬鹿にすると言う反応をしている、と言うのが、作者が最後の部分において言いたいことだと思われる。
しかし、そこの判断は読者に委ねる方が、小説としての出来は良かったのではないだろうか。
まぁ、当時の読者は、このような手法が良いと感じた人が多かったのだろうし、現代の価値観に基づいて、70年も前の小説にケチをつけるのが、公平でない事は認めざるをえない。

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2024年09月18日

Posted by ブクログ

戦争における無意味な死や困窮、それはつまり人間性の投げ売りであり消費であり冒涜であり、という事実が淡々とした文体で冷徹かつ明朗に浮かびあがる。ほら、そこでまた一人の人生が閉じますよ、そこでまた一人生きることを諦めますよ、それで?その生き死にには何の意味があったのでしょうか?と。
こういった小説や物語は、戦争がヒロイックに娯楽へ落とし込まれたメディアに対して必ず存在しなければならないもので、本来あるべき文明や知性の使い道なのだと思う。

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2024年07月28日

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