大岡昇平のレビュー一覧
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小説の中に書かれていることは基本的に虚構であって、したがってそれを読んだときに自分の中に生まれる感触も幻のようなものだと言えるでしょう。しかし、小説は人間が書いているものである以上、それが虚構であっても、人間の世界の現実に触れています。人間が人間の世界を描くのである以上、まったくの虚構ではあり得ません。それはむしろ、作者によって新たに構成された、生きることのリアルな感触を持った世界なのです。
『野火』は、戦後書かれた「戦争文学」の代表的な作品。「敗北が決定的となったフィリピン戦線。食べるものなく極限状態におかれた田村一等兵は、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体にまで目を向ける―― -
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ネタバレ戦争を内から見つめた文学。渦中にいた著者が見た、「戦争」とは。読み始めるのが少し怖かったけど、意外なことに、凄惨な描写はほとんどない。どこまでも冷静な筆致で、主に俘虜収容所で考察した日本社会、現代の文明に関する批評が書かれている。
この本は、大きく捉まるまでと捉まったあとに分けることができる。
捉まるまでの情景や心理描写は、戦場で紙とペンを持っていたわけではないだろうから、彼の記憶によってのみ書かれたものだ。しかし、その生々しさはズシンとくる。死につきまとわれると、人はどうなるのか。目の前の米兵を打たなかった心理。緊迫感を持ってページを繰り続けた。
捉まったあと、つまり俘虜になってか -
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ネタバレまた新たな視点で「戦争」についての示唆を得られた1冊。
「米軍が俘虜に自国の兵士と同じ被服と食糧を与えたのは、必ずしも温情のみではない。それはルソー以来の人権の思想に基く赤十字の精神というものである。人権の自覚に薄い日本人がこれを理解しなかったのは当然といえば当然であるが、しかし俘虜の位置から見れば、赤十字の精神自体かなり人を当惑さすものがあるのは事実である」(p80)
「天皇制の経済的基礎とか、人間天皇の笑顔とかいう高遠な問題は私にはわからないが、俘虜の生物学的感情から推せば、8月11日から14日まで四日間に、無意味に死んだ人達の霊にかけても、天皇の存在は有害である」(p323)
「我 -
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かつて途中で読むのを断念した本。
恋愛してしまった今、改めて読んでみると、なかなか勇気づけられることが諸所にあった。恋愛を楽しもうと前向きになるので、意外にも楽しめた。
タイプ別あるあるや、恋愛のパターン、恋に落ちるまでの過程が冷静に、まるで科学のように説明されていく様子は歯切れが良い。ドライすぎることもなく、読み進めていくとだんだん、スタンダールは相当恋愛好きなんだな、と納得する。そして自分が少しスタンダールに影響されていることを知る。
200年程前に書かれた本なのに、現代に十分通じる内容。人間て実はあまり進化していないんだなと思う。 -
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『野火』以来の大岡作品を読もうと思って本作をチョイスしたら、結果的に戦後70年にふさわしい読書となった。まずはこのタイミングで読めたことを喜びたい。さて、肝腎の内容についても、もちろん優れているのだが、なかでも白眉は冒頭の「捉まるまで」。著者が米兵と遭遇し、なぜ銃を撃たなかったかについて冷静に考察している。もちろんのちほど「潤色」した部分も多少はあるのだろうけど、戦時下の前線において、生死のはざまを前にして繰り広げられる「哲学」には、月並だが考えさせられるものがある。その他の部分も示唆的な内容に満ちていて、あまり注目されにくい俘虜というものの存在について、あるいはもっと広く日本人というものにつ
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『花影』の続きを、ラーメン屋で、頼んだ赤味噌ラーメン大盛りが出来上がるまで読んでいたら、まずい、落涙しそうになる。
この小説は、誰にも見られない場所、そう、たとえば、風呂の中だとかで読むべきだった。
体の底深い部分に振動がくる。
反射的に体がビクンと痙攣する。
いかん、いかん。
葉子に似ている女を、具体的に知っているわけではない。
葉子はそれ自体としては存在しない。
葉子はむしろ、男の感覚器を通して描かれているフシがある。
だから、自分の任意の経験が、容易に投影でき、追体験できる。
ラーメン屋で、まざまざと別れた女の背中が見えるのは、つらいことだ。
「はい、赤味噌大盛り」