なかなか難解な小説である。泥水を啜り、人肉を食しながら生存した兵士の戦争体験物語を想像するなら、全く見当違いである。
作者は会社員を経て、京大卒のスタンダールやドストエフスキーの研究者であり、批評家でもあった。
本作品は、氏の鋭敏な感性で自己の戦争体験を細密に分析した戦争文学である。
大岡昇平は、昭
...続きを読む和19年7月に応召し、フィリピンのミンドロ島で暗号手となり、その後前線要員となった。
戦闘中マラリアにかかり朦朧としてジャングルを彷徨う中で米兵と遭遇した際、「米兵を撃てなかったことに対する緻密かつ誠実な省察」は名高い。
戦争と言う異常な体験記が、しばしば誇張に陥りがちな中で、大岡の眼は事実を客観的に捉えており、批判的に考察する姿勢を失っていない。
米兵に捕らえられ、その後の病院そして収容所における生活は日本軍で受けた教育とは異なり民主的な扱いで、ニューギニア方面で玉砕した多くの日本兵と比べれば幸運であった。
しかし、収容所のなかでの俘虜同士の関係や支配者である米兵との関係は、大岡の眼には「米軍占領下に虚脱した日本の縮図」として映る。大岡は収容所で英語力を活かして通訳も買って出ていたので、米兵に阿諛せざるを得ない相剋を感じていたようである。
本書は、生々しい戦闘場面よりも、戦場や俘虜収容所における兵士の心情に力点が置かれている。そういう意味では、極めて哲学的な文学作品と言え、やや難解な部分が随所に見られる所以である。