Posted by ブクログ
2015年05月23日
太平洋戦争末期、南方で俘虜となった日本軍兵士たちの歪んだ心理状態をつぶさに書いている。
大岡昇平の著書を読んだことがなかったので、彼の作品の中からこの「俘虜記」を選んでみた。暗号手として任務についていた由である。とにかく大岡氏の学識の豊富さには驚いた。特に外国文学には精通しているようだ。当時一...続きを読む般の兵士で、英語が読め話せるということはかなりのインテリと言っていいだろう。軍隊ではこういう人物が訳の分からない上官からイジメを受けやすいそうだ。俘虜になってからは別だが。
私の叔父は海軍の航空機の整備兵だったと聞いている。あまり詳しいことはわからないが、やはりガダルカナル方面へ向かう途中、米軍機の爆撃にあって撃沈され帰らぬ人となったという。菩提寺には彼の出征当時の写真が収められており、お盆などお参りに行くたびその写真を見て手を合わせたものだ。だから当時兵隊さんたちは戦場でどんな生活をし、どんなことを考えていたのか知りたいと思っていた。大岡氏はこの作品の中で極めて冷静に周りの俘虜たちを観察し記録している。小説というよりは記録文学である。
奇しくもちょうど今、NPTの国際会議が開かれ紛糾している。全体会議の合意が出来ないらしい。核保有国と非保有国との足並みが揃わないのだ。日本は唯一の被爆国として、世界のリーダーたちが被爆地を訪問することを明記するよう提案したが、中国の反対で実現しなかった。私はやむを得ないような気もする。
大岡氏はこの中で面白いことを言っている。原爆投下の報に接した大岡が驚いたのは、原子爆弾という新しい兵器の登場であり、しかもそれがあまりにも破壊的であったからだと書いている。しかし反面「戦争の悲惨は人間が不本意ながら死なねばならぬという一言に尽き、その死に方は問題ではない。」とも言っている。
私も概ね同様に考える。確かに原爆により亡くなった広島、長崎の人々は大変気の毒だが、例えば東京大空襲で亡くなった東京市民とはどんな違いがあるのだろう。亡くなった人にしてみれば、大岡の言うように死に方は問題ではないのかもしれない。
核兵器は無くして欲しい代物だが、現実問題として可能なのだろうか。これまでのように広島、長崎に固執した感情論は世界ではもはや通用しないのではないのか。悲しいが中国には日本は戦争の被害国ではないと言われる始末だ。
もう一つどうしても記しておきたい。それは、もし飢えたら人肉を喰うかという問題である。ある一人の上官がそんな提案をしたそうだが、結局大岡の部隊は幸い最後までそんなシチュエーションにはならなかった。だから大岡はそんなことはなかっただろうと思っている。
しかし最近でも山中に墜落した旅客機の生き残った乗客たちが、亡くなった他の乗客の肉を喰って飢えを凌いだという噂があった。また昔の中国では人喰い風習が実際にあったらしく、これについては魯迅も書いているし、有名な小説水滸伝には度々人を喰う場面が登場する。博学な大岡はそんなこと百も承知だろうが、人喰いなんて想像もしたくなかったのに違いない。