あらすじ
1945年12月、復員船は博多に着いた──。
戦争末期、一兵士としてフィリピンのミンドロ島の警備にあたり、一年弱の俘虜生活を送った復員兵を待っていた、戦後社会の混乱、家族や旧友との再会……。
戦争と戦後体験から生まれた名作を集成。
遺稿となったエッセイ「二極対立の時代を生き続けたいたわしさ」を付す。
〈解説〉城山三郎 〈巻末エッセイ〉阿部昭
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
俘虜記が書かれるまでの成り立ち、および大岡氏の出生について語られる。
復員後、戦後の日本社会に復帰していくことになる大岡氏、戦後の混乱を冷静な目でよく観察している。
西矢隊始末記は、大岡氏がフィリピン、ミンドロ島で従軍した西矢隊の詳細が述べられている。戦況の悪化でフィリピン密林の山中に追い詰められていく日本兵の描写に胸がつぶれる思いがする。
戦後、大岡氏はフィリピンに再度足を踏み入れており、その際の紀行が書かれている。
すべての文章は明瞭、かつ冷静に書かれている。
あとがきに、城山三郎氏の広田弘毅について書こうと試みた際、大岡氏が仲介したというのは興味深かった。
Posted by ブクログ
単行本『わが復員わが戦後』(現代史出版会、1978年)に昭和天皇の生涯に触れた遺稿「二極対立の時代を生き続けたいたわしさ」を加えた文庫再編集版。「Ⅰ」で1946年冬に博多に帰還してから「俘虜記」を書き始めるまでの日々を描いた短篇が、「Ⅱ」ではミンドロ島で大岡が配属された部隊の記録を陣中日誌風に綴った「西矢隊始末記」の他、1960年代のフィリピンへの慰霊旅行にかかわるエッセイが収録される。
前者については、復員して帰国した兵士の心情と、それを迎える家族の思いとのすれ違いや葛藤、戦場や収容所から「復員」しても、戦後の日常になかなか溶け込むことができない身体のありようが大岡らしい精緻な筆致で記される。あの大岡が、帰国後しばらくは文字がアタマに入ってこなかったと書いていることには驚いた。「愉快な連中」では、中村光夫や小林秀雄、青山二郎と大岡との交流・友情がしみじみと語られる。
「西矢隊始末記」は、ミンドロ島で大岡が配属された部隊の戦闘について、自身が捕虜になった後の時間まで含めて、誰が・どこで・どのように命を落としたかが詳細に描き込まれている。この記述を準備するためにどれほどの準備をしたのかを想像すると、大岡の義務感・責任感が伝わってくる。結局のところ大岡は、「日本軍兵士」というアイデンティティから自由になることができなかったのではないか?