磯崎憲一郎の作品一覧
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ユーザーレビュー
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⚫︎受け取ったメッセージ
人生に起こる様々な出来事は
時間と距離を持って俯瞰すると
まとまった一つの風景として見える
そしてその風景が
近景しか見えないか、遠景しか見えないか、
両方とも見えるのかは
人それぞれ。
⚫︎あらすじ(本概要より転載)
結婚すれば世の中のすべてが違って見えるかといえば
...続きを読む、やはりそんなことはなかったのだ―。互いに二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで付き合いはじめ、三十を過ぎて結婚した男女。不安定で茫漠とした新婚生活を経て、あるときを境に十一年、妻は口を利かないままになる。遠く隔たったままの二人に歳月は容赦なく押し寄せた…。ベストセラーとなった芥川賞受賞作。
⚫︎あらすじ(ネタバレ)
二人が結婚したことは二人のタイミングが合った偶然の上で成り立っており、「彼」の実力よりも、結婚したことが出世に結びつく。彼が浮気をし、離婚話を切り出そうとしたら、赤ん坊を授かっており、離婚回避。
妻が何を考えているのかわからない。面と向かって問いただすこともしない。赤ん坊の娘も掴みどころがない。
遊園地から帰ってきてから、11年間、妻は彼と口を聞かない。その間、彼は8人と浮気する。
突然家を買うという宣言に、妻はそうね、そういう時期ねという。
建築士に信服し、家のことを結果丸投げし、完成。
彼はアメリカ滞在中仕事で成果をあげ、戻ってきたら、娘がアメリカへ行っていると初めて知る。
最後は妻と向かい合い、目を見て、ここが終の住処であり、残り長くない人生を妻と過ごすのだ、と思う。
⚫︎感想
なんといっても観覧車のところが名場面だと思う。
観覧車の場面で、妻は県境の方までずっと続く遠くの方を見ている。彼はあれこれと不倫相手や自分の家が点で存在するのだということに気づく。そしてバラバラに見えていた遊具が、実は扇状に整然と配置されていたのだと気づく。
このことからわかるのは、彼にとって、なぜ妻が何を考えているかわからないのか?ということだ。それは妻が人生を彼よりも俯瞰して見ているからだ。だから、妻は不倫のこともお見通しであり、諦観しているということを表しているのではないか。また、彼の方は、俯瞰して見ることができないので、妻のことはがんばっても理解できない。
観覧車について、浮気相手に聞いたら、浮気相手はお金をもらっても絶対に乗りたくないという。これは彼女もまた、彼と同様、人生を俯瞰して見たくはないという隠喩だと思う。
ただ、彼がたくさんの女と関係し、それを断ち切り、また仕事の上で成功してきたことは間違いない。妻はあたかもそれをはじめから知っていたように、読めた。それらをひっくるめて受け取る妻は、「いつでも別れようと思ったら、別れられるのよ」と言いながらも、別れなかったし、浮気にも気づいていただろうが、そのことを問いただすこともしなかった。
妻は全てを諦観しているように見え、現在に不満を抱いてはいるものの、彼と向き合って、自分の思っていることを話そうとはしない。
11年間におよぶ会話のない生活は、彼の「家を建てるぞ!」という一言で打開する。しかもそれは妻のことを慮ってのことではなく、「恋愛に取り憑かれた、延々と続く暗く長い螺旋階段を登り続けた彼の人生のひとつの時代が、この日ようやく終わった」という、彼の中で起こった変化であり、区切りであった。
「終の住処」で、やっと真正面から向き合う彼と妻は
諦観したような疲れたような、良く似た顔で、やっとお互いに向き合う。
「妻」は「彼」よりも精神的に大人であるためか、人生の遠景を見ている。50になった「彼」に見られても目を逸らさず見返すところから、これから二人はやっと対等に、逃げずに向き合えるのではないかな、と思った。
Posted by ブクログ
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そうそうたる顔ぶれがそれぞれに「利他」について説いているんだけど、何となく見えてくるものがある。特に、伊藤亜紗と中島岳志の利他論に学ぶところが大きい。すなわち……。
利他とは、人のためになることのようなとらえ方が一般的だと思うけど、それを意識的にするのは「利他」ではない。何らかの気持ちのメカニズムが
...続きを読む働くにせよ、本人的には説明がつかないうちに、自分のためでなく動いてしまうことが利他なのだ。
一生懸命に利他的なよき人物であろうなどと努めてしまうが、そんなことを考えているうちはまだまだということだろう。考えてみれば、利己的な言動だってわざとそうしているのではなく、自然とそうしてしまうからこそ利己的なのだ。利他がその対極にあるのだとすれば、やはり自然と自分のためにならないこと、人のためになることをしてしまうのが利他というわけ。これが大きな学びだった。
Posted by ブクログ
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ずっと以前から、私が求めていたものは利他だったんだなぁとわかった。
小さい頃から「意志が弱い」ことがコンプレックスだったけど、むしろその「余白」が私には力になっていたのかもしれない。
状況に身を置き、そこから生まれる力にほだされて、気づいたら動いてしまってきた。
「そうやって仕事増やして、自縄自縛
...続きを読むしてる」
これも真実だろうけど、それは「だから私はダメなんだ。バカ」ということに帰するのではない。
そもそも、状況に流されてまとまりがつかなくなったという物語の帰結で私をマイナス評価する必要なんてないのに、そういう気持ちにさせられてしまうのはなぜなのか。
他者から受ける評価への恐れ、かな。
もっと堂々と、状況に流されて得た結果を自分の糧にしてみたくなってきた。結末なんて必要ない。
とりあえず小島信夫作品を再読、かなー
Posted by ブクログ
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かなり好きだった。「次に妻が彼と話したのは、それから十一年後だった」がカッコよすぎる、それまでの澱みからこの跳躍。観覧車のゴンドラに最後もなにもない、どれもが最初であり最後でもありそしてやはりそのいずれでもない、そういう時系列のない壮大な循環のなかで一つ一つの出来事、そして人間が偶発的な成り立ちをし
...続きを読むている。だから複数いた女は結局ひとつの人格でしかないともいえ、彼の発案した商品だって無数の可能性のなかでたまたま彼がその役を引き受けたに過ぎないし、妻の「いまに限って怒っているわけじゃない」という言葉もそこに収斂される。そしてそういったことを受け容れたときにようやく、家を建てる=場を固定するという決意に至る。それはある種の諦念にも近い。無限の拡がりのなかに固定させた直線的な時間の流れはあまりにも短く、だから死を思うしかないのだ。「ペナント」も概ね同じように読んだ。
Posted by ブクログ
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荒木博之のbook cafeで紹介されたものを偶然拝聴し、「利他」の在り方を本書で触れてみたいなと思い、手に取ってみた。総じて、利己的な利他へ陥ることへの警鐘と。「うつわ」としての自己からさらに上位へと昇華したものとの関わりからの達観した感覚を受け取りました。
第一章 「うつわ」的利他 - ケアの
...続きを読む現場から
「共感からの利他が生まれる」という発想は、「共感を得られないと助けてもらえない」というプレッシャーにつながる。これでは助けられる側は常にこびへつらってなければならない。
→この指摘は、日常でも常に感じてることを言語化してくれてる。
相手のために何かしているときにでも、計画から外れることをむしろ楽しみ、相手が入り込める余白を持っていること。
→最適化をデータで測定された対象にしか貢献しないという主張もあるが、限定的な思考ではなくどこかゆとりのある相手との相関性を感じながらの利他。何かを一義的に一方的に与えることがそのまま利他ではないという感覚が大切だな。
第二章 利他はどこからやってくるのか
贈与は一見利他的な行いの代表ではあるが、その裏には同時にもらった側に負債の感覚を与えてしまうという問題が孕んでいる。
→ほんとに良く苛まれる感覚。プレゼントや何かを奢ってもらうこと自体は非常に良いことなんだけど、その代わりに見返りをせねばと心が落ち着かなくなることは多々ある。さらに、返礼を前提での施しもまれにあるので、そういった利他は精神的に辛いものがある。
利他とはオートマチックなもの。私たちの中には、真の利他はなく、何か私を突き動かすものが外に感じられるのだろう。その感覚に身を任せることで、何か苦々しい思いから脱却することができるのでしょう。
→かなり自分なりの意訳です。でも、実感覚として躊躇する利他はどこか突っかかってるイヤーな気持ちが沸き上がります。
第三章 美と奉仕と利他
「民藝」という概念。日常使いされる手作りの調度品などにこそ美が顕現するいう。しっかりと触れたのは初めてだったので、理解が薄くなってしまって残念。
第四章 中動態から考える利他 - 責任と帰責性
現代人は能動と受動の関係で物事を判断しているが、そこには個人の意思が介在している。過去からの連綿と受け継がれる道程に未来があるという考えは、未来を過去からの継続出ないものとする意思による過去との切断があるのだ。意志の力によって因果関係が浮き彫りになり、責任を個人に起因される態度が表れている。
中動態はある人の心を場として発生するものであるから、責任は神的因果性によって個人から免責されその現象を客観的に捉えることで、最終的に人間的因果性に回帰し、頭ごなしではない責任について向き合えるのだろう。
→中動態について初見。これは個人的に新しい視座を与えてくれそうな予感。そんな気がします。
第五章 作家、作品に先行する、小説の歴史
アプローチの展開が他とは一線を画すものではあるが、小説家の作品を生み出す真髄のようなコアな部分に触れることができた気がする。単純に読み物として引き込まれる章だったな。
Posted by ブクログ
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