大岡信の一覧
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ユーザーレビュー
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とりあえず一家に一冊置いておきましょう。たまに読み返してみれば、その時々で琴線に触れる詩歌が見つかるのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
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大岡信の文学史的評論である。祝祭性や集団性と、その対極にあるかのような個人的創作とが日本文学の中では調和していたことを述べる。さまざまな具体例を引用し、論評を加えつつもその切り口は自ら詩を作る創作者としての立場が貫かれている。文学を研究の対象とする学者とはかなり扱い方が違うと感じた。
文学が個人
...続きを読むの創作であり、他にはない個性の結晶であるというのは常識的な考えである。しかし、一方で作品は作者の周りの環境の中で作られる。場合によっては創作そのものに他者が介入することもある。日本古典文学では一座の共鳴のもとで作品が作られることも多い。
晩年の大岡信は外国人も含めた詩の共同制作ともいえる連詩という試みをしている。もちろんこれは連句の伝統を応用したものだが、現代文学の中にしかも国際的な文壇のなかにそれを再現したのだ。日本文学の分析にとどまらないところが創作者たるゆえんであると感じた。朝日新聞の折々のうたも原作者と大岡の連詩であると考えればより一層分かりやすくなるような気がしている。
Posted by ブクログ
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「大岡信『折々のうた』選 俳句(二)」(岩波新書)を手にすることができました。
そのあとがきを読んでいると刮目すべきことに出会いました。
この編集者長谷川櫂氏によりますと
俳句の編年史では「古典主義俳句」と「近代大衆俳句」の2つに大別され、
古典主義俳句は第1期松尾芭蕉時代と第2期与謝蕪村時代にわ
...続きを読むけられ、
近代大衆俳句では第1期小林一茶時代、第2期正岡子規と高浜虚子時代、
第3期加藤楸邨と飯田龍太時代にわけられています。
ではなぜ一茶が近代大衆俳句に組み込まれるのか?
近代俳句といえば子規ではないのか?
そのキーワードは「大衆化」だそうです。
これまで多くの文学史は明治以降を近代とし、子規を近代俳句の創始者とされてきましたが、
長谷川氏は子規を創始者ではなく中継者としてとらえています。
明治時代というのは西欧化がはじまったということであって、
大衆を中心とした近代文化は天明の大飢饉以降の徳川家斉将軍のころからはじまっているとしています。
通説で明治時代から近代化がはじまったというのは政治形態や西欧化
という観点から見た歴史のとらえ方で、
文化という視点から見れば江戸後期(1880年代以降)を近代とするとしています。
この頃から俳句人口が急速に増大し、古典を知らない庶民も俳句をつくうようになった。
実はこの味方は長谷川櫂氏だけでなく、小説家丸谷才一氏も同じ様な見方をしています。
また、その丸谷才一氏が
「文学の中心部は形式別にすればいつたい何だろうかと考へてみよう。
それはもちろん詩である」
「その詩集の中でもとりわけ大事なのは何か。詞華集にほかならない。」
(丸谷才一「日本文学史早わかり」講談社文庫)
と述べています。
その詞華集には「万葉集」「古和歌今集」「新古今和歌集」など勅撰和歌集がありますが
「近代」以降は無く、また広範にわたる詞華集が乏しかったのが実情だったのです。
そこに現れたのがこの大岡信『折々のうた』です。
万葉集から現代の詩歌合わせて6762首、日本詩歌集で空前絶後の偉業だと言われています。
それを俳句集(2巻)、和歌集(2巻)、詩と歌謡の5冊にまとめられて
この度、岩波新書として出版されるとのこととなりました。
良い本が出版されると一人ほくそ笑んでいます。
Posted by ブクログ
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社会の状況と関連させつつ議論しているので、分かりやすい講義録になっている。女性注目した3章と5章(女性歌人と中世歌謡)がとくに印象に残った。
Posted by ブクログ
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重税への怒りを詠う
平安時代の学者で政治家、菅原道真といえば、学問の神様として名高い。毎年正月になると、道真をまつる福岡県の太宰府天満宮は初詣の受験生でにぎわう。学者として異例の出世を遂げたが中傷のため太宰府に左遷され、失意のうちに死んだことから、死後、祟りをなしたという伝説もある。
しかし菅原
...続きを読む道真がそれだけのエピソードで有名なことは、はなはだ残念だと著者は嘆く。道真は偉大な詩人でもあったからだ。それは単に多くの詩を残したとか、宮廷内で称賛される詩を書いたとかいう意味ではない。
道真は漢詩人として、重税に苦しむ庶民に同情・共感する詩を多く書き、為政者の不正・腐敗を弾劾する詩を残した。近代以前の日本において、このような政治的・社会的主題の詩は、道真の詩を除いてはまったく書かれなかったという。
道真がこれらの詩を書くきっかけとなったのは、讃岐国(現香川県)知事として送った4年間の地方生活だ。生まれて初めて、庶民の生活の苦難に満ちた実態に触れ、その見聞を詩にとどめた。
重税を逃れようと他国に逃れたが、どうにもならず舞い戻ってきた男。冬になっても薄い衣服で輸送に従事する馬丁。いつ釣れるかわからない魚を釣って租税を払おうとする漁師。「寒早十首」と題する連作で、重税に苦しむ貧しい人々を描いた。
高い地位にいる役人は、原理的に言って、ほとんどまったく、税に苦しむ貧者への同情・共感を持ちえなかった。なぜなら、まさにその税を取り立てる側の人間だからだ。その意味で道真は「ほとんど類例を見出せない役人であり、そしてまた詩人」だったと著者は記す。
テレビや雑誌で戦前の政治家が作った漢詩を見せ、「教養があった」などと感心して見せる企画がよくある。しかしそれらの詩の中に、菅原道真のように、税への怒りを詠ったものが果たしてどれだけあるだろうか。
真の教養とは、単に芸術の表面をなぞることにあるのではなく、そこで何を表現するかにある。そんなことも考えさせられる一冊だ。
Posted by ブクログ
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