大岡信のレビュー一覧

  • 日本の詩歌 その骨組みと素肌

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     この本は、日本の詩歌についてフランスの高等教育機関コレージュ・ド・フランスで5回にわたって講義した本である。日本の和歌をフランス人に説明するのは至難の業であるのに違いないのに、この著者の素晴らしいのは、まず第一回の講義で菅原道真の詩歌を取り上げたことである。
    我々日本人だって、菅原道真が卓越した詩人であったことを知らない人が殆どである。というのも道真が生きた時代は、インテリ層は漢文で文章を書いており、詩も漢詩だったのだ。
    万葉集では7世紀から8世紀の和歌が、4,500首も編纂されたにもかかわらず、それから古今和歌集が1100首の和歌を編纂するのに150年もかかっているのは、その間の9世紀においては中国文明を吸収するために費やされていた期間だったようだ。
    日本の詩歌を論理的な思考を好むフランス人に説明するためにはその「骨組みと素肌」にまで解明しているのは素晴らしい。第二回は「紀貫之と古今和歌集の本質」、第三回は「奈良・平安時代の一流女性歌人たち」、第四回は「叙景の歌…なぜ日本の詩は主観の表現においてかくも控えめなのか」というテーマ設定がしびれる。
    この講義が1994、5年に行われたものなのだが、全く古いと思えず、現代日本人が知らなければならない日本人の心の原点だと思います。
    読んで良かったと思う本でした。

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    2026年03月22日
  • あなたに語る日本文学史

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    教科書で覚えないといけなかった作品や作者に、実際のリアルな生活がある事を感じさせてくれた。その作者の生活と自分の生活が地続きなことが不思議に感じる。著者の日本語がきれい。

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    2025年06月14日
  • 折々のうた

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    とりあえず一家に一冊置いておきましょう。たまに読み返してみれば、その時々で琴線に触れる詩歌が見つかるのではないでしょうか。

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    2021年09月19日
  • うたげと孤心

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     大岡信の文学史的評論である。祝祭性や集団性と、その対極にあるかのような個人的創作とが日本文学の中では調和していたことを述べる。さまざまな具体例を引用し、論評を加えつつもその切り口は自ら詩を作る創作者としての立場が貫かれている。文学を研究の対象とする学者とはかなり扱い方が違うと感じた。
     文学が個人の創作であり、他にはない個性の結晶であるというのは常識的な考えである。しかし、一方で作品は作者の周りの環境の中で作られる。場合によっては創作そのものに他者が介入することもある。日本古典文学では一座の共鳴のもとで作品が作られることも多い。
     晩年の大岡信は外国人も含めた詩の共同制作ともいえる連詩という試みをしている。もちろんこれは連句の伝統を応用したものだが、現代文学の中にしかも国際的な文壇のなかにそれを再現したのだ。日本文学の分析にとどまらないところが創作者たるゆえんであると感じた。朝日新聞の折々のうたも原作者と大岡の連詩であると考えればより一層分かりやすくなるような気がしている。

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    2020年03月19日
  • 新 折々のうた 9

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    「大岡信『折々のうた』選 俳句(二)」(岩波新書)を手にすることができました。
    そのあとがきを読んでいると刮目すべきことに出会いました。

    この編集者長谷川櫂氏によりますと
    俳句の編年史では「古典主義俳句」と「近代大衆俳句」の2つに大別され、
    古典主義俳句は第1期松尾芭蕉時代と第2期与謝蕪村時代にわけられ、
    近代大衆俳句では第1期小林一茶時代、第2期正岡子規と高浜虚子時代、
    第3期加藤楸邨と飯田龍太時代にわけられています。

    ではなぜ一茶が近代大衆俳句に組み込まれるのか?
    近代俳句といえば子規ではないのか?

    そのキーワードは「大衆化」だそうです。
    これまで多くの文学史は明治以降を近代とし、子規を近代俳句の創始者とされてきましたが、
    長谷川氏は子規を創始者ではなく中継者としてとらえています。
    明治時代というのは西欧化がはじまったということであって、
    大衆を中心とした近代文化は天明の大飢饉以降の徳川家斉将軍のころからはじまっているとしています。

    通説で明治時代から近代化がはじまったというのは政治形態や西欧化
    という観点から見た歴史のとらえ方で、
    文化という視点から見れば江戸後期(1880年代以降)を近代とするとしています。
    この頃から俳句人口が急速に増大し、古典を知らない庶民も俳句をつくうようになった。
    実はこの味方は長谷川櫂氏だけでなく、小説家丸谷才一氏も同じ様な見方をしています。

    また、その丸谷才一氏が
    「文学の中心部は形式別にすればいつたい何だろうかと考へてみよう。
    それはもちろん詩である」
    「その詩集の中でもとりわけ大事なのは何か。詞華集にほかならない。」
    (丸谷才一「日本文学史早わかり」講談社文庫)
    と述べています。
    その詞華集には「万葉集」「古和歌今集」「新古今和歌集」など勅撰和歌集がありますが
    「近代」以降は無く、また広範にわたる詞華集が乏しかったのが実情だったのです。

    そこに現れたのがこの大岡信『折々のうた』です。
    万葉集から現代の詩歌合わせて6762首、日本詩歌集で空前絶後の偉業だと言われています。
    それを俳句集(2巻)、和歌集(2巻)、詩と歌謡の5冊にまとめられて
    この度、岩波新書として出版されるとのこととなりました。
    良い本が出版されると一人ほくそ笑んでいます。

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    2019年12月30日
  • 日本の詩歌 その骨組みと素肌

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    社会の状況と関連させつつ議論しているので、分かりやすい講義録になっている。女性注目した3章と5章(女性歌人と中世歌謡)がとくに印象に残った。

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    2019年04月07日
  • 日本の詩歌 その骨組みと素肌

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    重税への怒りを詠う

    平安時代の学者で政治家、菅原道真といえば、学問の神様として名高い。毎年正月になると、道真をまつる福岡県の太宰府天満宮は初詣の受験生でにぎわう。学者として異例の出世を遂げたが中傷のため太宰府に左遷され、失意のうちに死んだことから、死後、祟りをなしたという伝説もある。

    しかし菅原道真がそれだけのエピソードで有名なことは、はなはだ残念だと著者は嘆く。道真は偉大な詩人でもあったからだ。それは単に多くの詩を残したとか、宮廷内で称賛される詩を書いたとかいう意味ではない。

    道真は漢詩人として、重税に苦しむ庶民に同情・共感する詩を多く書き、為政者の不正・腐敗を弾劾する詩を残した。近代以前の日本において、このような政治的・社会的主題の詩は、道真の詩を除いてはまったく書かれなかったという。

    道真がこれらの詩を書くきっかけとなったのは、讃岐国(現香川県)知事として送った4年間の地方生活だ。生まれて初めて、庶民の生活の苦難に満ちた実態に触れ、その見聞を詩にとどめた。

    重税を逃れようと他国に逃れたが、どうにもならず舞い戻ってきた男。冬になっても薄い衣服で輸送に従事する馬丁。いつ釣れるかわからない魚を釣って租税を払おうとする漁師。「寒早十首」と題する連作で、重税に苦しむ貧しい人々を描いた。

    高い地位にいる役人は、原理的に言って、ほとんどまったく、税に苦しむ貧者への同情・共感を持ちえなかった。なぜなら、まさにその税を取り立てる側の人間だからだ。その意味で道真は「ほとんど類例を見出せない役人であり、そしてまた詩人」だったと著者は記す。

    テレビや雑誌で戦前の政治家が作った漢詩を見せ、「教養があった」などと感心して見せる企画がよくある。しかしそれらの詩の中に、菅原道真のように、税への怒りを詠ったものが果たしてどれだけあるだろうか。

    真の教養とは、単に芸術の表面をなぞることにあるのではなく、そこで何を表現するかにある。そんなことも考えさせられる一冊だ。

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    2019年01月15日
  • 松尾芭蕉 おくのほそ道/与謝蕪村/小林一茶/とくとく歌仙

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    芭蕉、蕪村、一茶、余りに有名かつ定番の俳人であるが、本格的に比較して鑑賞したのは恥ずかしながら初めてであった。
    中でも、蕪村は他の2名と比べて写実的、と云われていると思うのだが、どうしてどうして非常に心理描写を巧みに取り入れた作品が多く、あらためて感銘を受けた次第である。俳諧というものは、素人の私が云うのもおこがましいが、深いものだと感じた。

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    2016年07月14日
  • 新 折々のうた 6

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    #野村清 #短歌 にんげんに出来ぬことなり野良猫はいつかどこかで人知れず死ぬ #返歌 野良猫の交通事故が増えている死亡事故の一番の街 #しゃっぽ

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    2016年03月08日
  • 新 折々のうた2

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    #四賀光子 #短歌 腰押されのぼる坂道ふと思ふ一人行かねばならぬ坂あり #返歌 押す人がいなくなったら坂道は降るばかりで登ることなし #説明歌 凛とした人と一緒に坂登り帰り道は降るばかりで

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    2016年03月08日
  • 新 折々のうた 4

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    #斎藤茂吉 #短歌 最上川雪を浮かべるきびしさを来りてみたりきさらぎなれば #返歌 佐布里池梅見月の行事あり梅染めクロス春の寄せ植え

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    2016年03月08日
  • 新 折々のうた 8

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    #石川啄木 #短歌 春の雪銀座の裏の三階の煉瓦造にやはらかに降る #返歌 春の雪鉄路に積もりまびくのが運行安全基本事項す #解説歌 本数を間引けば混雑増長し安全確保困難さ増す 運行の間隔三分神業で都会の過密再考の機会

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    2016年03月08日
  • 星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句

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    大岡信が、少年少女たちにすすめるために選んだ、本当に大事にしたくなる言葉たち。
    短歌、俳句、詩。
    この本に収録されている者たちは、時代を超えて本当に大事にしたくなるものばかりです。
    大人でも十分満足します。

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    2013年12月15日
  • 新 折々のうた1

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    ネタバレ

    折々のうたが11巻になり、
    この新折々のうたが1からまた始まることになったとのこと。

    朝日新聞の1面に折々のうたを掲載し、加筆して新書にしたとのこと。

    最後に作者略歴があるのもよい。

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    2012年04月30日
  • 星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句

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    世の中には俳句や和歌を趣味とする大人も多いけれど、あいにくそのての雅な趣味を持たずに大人になってしまった KiKi。  でも、久々にこの本で数多の和歌や俳句を読んでみると、今さらながら「日本語の美しさ」と「日本人の美意識」、「季節感」といったものに驚かされます。  この本に収録されている194編の作品の中で、既に KiKi がどこかで読んだことがあるものが約半数。  そのまた更に約半数が未だにちゃんと暗唱できる句だったのが嬉しかった(笑)。  最近ではすっかりご無沙汰の「百人一首」に含まれている詩もあり、そう言えば小学生の頃、100首全部を覚えたものだっけ・・・・などと感慨にひたったりもして・・・・。

    (全文はブログにて)

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    2011年11月28日
  • おとぎ草子

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    この中で KiKi にとって人生お初だった物語は「福富長者物語」のみだったのですが、それ以外の物語も少しずつ、KiKi がかつて読んだことがあって「知っていたはずのお話」との違いがありました。  どの物語よりもその差が大きかったのは「一寸法師」でした。  つらつらと思い起こしてみると「一寸法師」というお話は絵本でしか接したことがなかった(同じようなスモールサイズの主人公の活躍譚は数多く読んできているけれど)ような気がしないでもないので、ここに収録されているようなあらすじ(一寸法師の親であるおじいさん & おばあさんがいつまでたっても背が伸びない一寸法師を疎んじる・・・・・とか、家を出てお仕えした宰相殿の姫君に一目ぼれして彼女を手に入れるために策略をめぐらす・・・・とか)ではちょっと「お子ちゃま向け」とは言えないのかもしれませんが・・・・・。

    この本の素敵だったところは、いくつかの物語の中で登場する和歌が省略されることなく掲載され(しかも読みにくそうな漢字にはルビ付き)、さらにはその後にその歌の大意も記載されていたことです。  こういう「子供向け」のお話では往々にしてカットされてしまうこれらの和歌が載っていることにより、「古い時代の日本人の心根」とでも言うべきものが香り高く滲み出ているようで、大人の KiKi には読みごたえがありました。

    (全文はブログにて)

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    2011年11月27日
  • おとぎ草子

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    「一寸法師」「浦島太郎」「鉢かづき」「唐糸そうし」「梵天国」「酒呑童子」「福富長者物語」の7話収録。

    一寸法師や浦島太郎は有名だけど、私の知っている話と少し違った。登場人物が和歌を詠むし、子供向けのおとぎ話とは違う雰囲気だ。
    酒呑童子はストーリーをよく知らなかったので読めて良かった。主人公の源頼光が実在の人物で、酒呑童子を切ったという刀も実在しているのが興味深い。唐糸そうしには源頼朝が登場。他のお話に出てくる神社や寺も現存しているので行ってみたくなる。

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    2026年08月20日
  • 詩の誕生

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    1975年のこと、創刊第一号の対話(対談)誌に掲載された、同い年の詩人・大岡信さんと谷川俊太郎さんによる、詩の誕生とはなにかから始まり、詩や言葉を探っていく話し合いです。

    詩は、言葉が先にあってそこから想像が広がっていく形でできていくものなのか、それとも、言葉以前に精神面で感じていることがあり、それを言語化するという過程でできていくものなのか。この大きく二つのとらえ方から対話は始まっていきます。ちょっと興ざめなネタバレになってしまいますが、詩ができていくほんとうのものとしては、後者の、感性が先にあり言語化していくというものというとらえ方のほうにが対話の中で落ち着いていきます。ですが、言葉が言葉を呼ぶというテクニカルな方法のほうを否定しはしません。言葉先導の詩作は、それはそれでおもしろいものができあがり、一つの遊戯的な側面を持つものです。そういった詩作には、辞典を引いたり図鑑をめくったりしながら目に飛び込んだ言葉を組み合わせる、なんてやり方もあるようです。

    そして、詩の誕生と対になるような連想で、詩の死についてもお二人は考えていきました。これも、大きく二つのとらえ方がなされています。ひとつは、「詩の社会的な死」で、もうひとつは「詩の個人的な死」。

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    一篇の詩は、個人のなかで生きたり死んだりするけれども、その同じ詩が社会的性格を持っている。(p15・大岡氏による)
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    「詩の社会的な死」、についてのところは、今の言葉でいえば「コモディティ化」と言っていいと思うんです。詩が社会的に響かなくなるのは、そのインパクトであった、詩が表現して外界へ放っているものが、社会の文脈の中に組み込まれてしまったからかもしれません。つまり、詩が放っていたものがある意味で社会をつくる構成因子のひとつになったから、詩として驚かなくなりその強さは感じられなくなった。そうとらえられるのではないか。

    かたや、「詩の個人的な死」は、その個人の中に組み込まれて消費されたのではないか。消費とはなんだろう、と考えると、この場合イメージの消費ですから、「飽きた」というのはあるでしょう。また、この場合も社会的な場合に近い感覚で、個人の内に「組み込まれた」というのもあると思います。たとえば、ハニーデューメロンを知らなかった人がそれを知って手に入れ、眺めて匂いを嗅いで食べて、「こういう果物があるんだなあ!」と鮮烈な印象を覚えたとします。で、それを何度か繰り返せば、ハニーデューメロンの見た目や匂いや味を覚えてしまい、驚かなくなります。これは、その感覚を身体と頭で覚えたからであり、つまりハニーデューメロンをかなり消費したからだ、と言えるのではないでしょうか。

    それでは、以下からは引用を。

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    だから少なくとも自分にとって詩とは、人間に喜びを与えるものだということだけは、わりあいはっきりしている。その喜びというのは、単純にうれしいとかなんとかじゃなくて、もちろん非常に官能的なものまでくるみ込んだものなんだけれども。(p40・谷川氏)
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    →まず、詩の読み方を自分なりにわかることが必要なのだけれど、高尚だとされるような西欧の詩集のものじゃなければ、わりかし素人読者であっても自分なりに読めて喜べるものって、一冊の詩集を手に取ればひとつふたつ以上は見つかるものなんじゃないかな、というのが僕の意見です。


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    詩人というのは特別な存在で、家庭なんてものは捨てるべきであるといった考え方が主流だったけれども、家庭という日常性の中からでも十分に詩は汲みとれると僕は思っているんだ。日常生活をバカにすれば、それは無限にバカなものになるけれども、逆に日常生活のなかに詩のモメントを探れば、日常生活は無限に深化していく奥深さをもっているという感じなんだ。(p72・谷川氏)
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    →これは詩や詩人に限らず、小説や小説家にも言えることでしょうね。もっというと、音楽や絵画などの表現、創作の分野でも大切に見つめられるべき部分ではないか。


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    自分の中から言葉を生み出すのが詩の才能であると昔は思っていたけれども、このごろぜんぜんそうは思えない。詩の才能てのは、有限の語彙から何を選択するかという才能なんだ。自分が生む必要はない。選んでいけばいいんだ。選ぶということに、人間の経験とか成熟とかが実はかかわっていて、自分の詩と他人の詩の違いがあるとすれば、それは選択の違いだけだろう、という感じがとても強い。そのときの選択の基準というのは、僕にはカンとしか言いようがない。当っているか当っていないかという判断は、分析のしようがないようなものなんだな。(p98-99・谷川氏)
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    →感性がまずあって、感じたものを言語化するというやり方からいえばそうだろうと思います。でもここでは才能ではないとされていますが、言葉から言葉を生むという方法で作られた詩には、おもしろい造語があって、やっぱりセンスや知性がその裏に潜んでいる感じがするものです。あと、選ぶことが創作のカギのように語られていますけれども、これ、経験からいうと、DTM(デスクトップミュージック)で曲作りををするときなんて特にそうでした。音色を「選び」、音の配置や長さを「選び」、ハーモニーをやっぱり「選んで」いくようにして作っていった自覚が、DTMをやっていた学生当時からありました。同時代に宇多田ヒカルさんも、やってることは選択なんだよ、みたいなことをご自分のSITEで書かれていたような覚えがあります。


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    詩を待つ待ちかたを考えてみると、視覚的な待ちかたと聴覚的な待ちかたが、詩の必然としてあるのじゃないかな。イメージが言葉以前のものとして頭に浮かんでくる状態で言葉を待つ場合と、音楽的なリズムが言葉以前に自分のなかにある状態で言葉を待つ場合の、二つがあると思う。(p108・谷川氏)
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    →続けて、聴覚的な待ちかたが現代においては貧しくなってしまった、とありました。なぜなら、現代詩は七五調を避けてきたからです。このあたりには、戦中の標語で使われたりしたことの反省や忌避、カウンターの感覚があったのではないでしょうか。また、この「視覚的」と「聴覚的」の二種類の待ちかたを自覚できると、表現の技術としての幅が広がるなあと思います。


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    (「コップの詩」は)コップを正確に記述しようというのが出発点だけれども、最終的には、通常われわれがコップと呼び慣れているものを、コップじゃないものにしたいという欲求があるんだな。コップを正確に記述していく過程で、コップがコップ以外のものに変容してい欲しいという気持ち。(p116・谷川氏)
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    →このコップの詩は本書に転載されています。読んでみると、いくつもの独特な切り口と、そのぐうっと肉薄した描写力によって、「よく見てるもんだわ!」と感嘆の息が漏れるほどのすごさがあって、さらにそうやって描写する作者の粘り強さも感じられる上に、詩自体とてもおもしろい。とくに描写力は、小説を書く人ならば負けたくないところですが、大勢の書き手が負けてしまうだろうほどです。
    さて。コップがコップ以外のものに変容して欲しい、というところですが、これは解体とそれによる異化作用について言ってます。僕も僕なりの素人フィクション書きの技術として、解体とそれによる異化作用の技術は主要な武器として持っているので、この箇所を読んだら「あっ」と気づきます。


    というところでした。ここではこれより先には進みませんが、後半部分もおもしろいのです。中世の歌合(うたあわせ)がかなりの丁々発止な会合だったことや、松尾芭蕉の群を抜いた才能とその厳しさと悲哀についてなどがあります。そこから知るのは、古来から磨かれた詩歌の技術とその作品って、そうとうの緊張感のなかでの厳しい競い合いのなかから生まれてきたっぽいということです。僕なんかはやっぱり現代人で、甘やかされた空気のなかで生きてきたようなところがあって、競争が嫌いですからね。まあ、競争が、他人の足を引っ張る、だとか、出し抜く、だとか、他者と協力しない、だとかいった性質のものばかりに成人するまで触れてきたからかもしれません。今一度、そういったところも見直したいな、と思いました。

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    2024年04月30日
  • 詩の誕生

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    詩はいつ誕生したのか。それは詩というもの始まりもそうだし、詩人の中で生まれるものでもそう。
    二人が悩んでいるように、「誕生」のタイミングの捉え方はいろいろ。そして誕生したからこその終わり方。

    対談を通して、日本という国が持つものを思う。

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    2024年04月29日
  • あなたに語る日本文学史

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    学者でない詩人としての作者の一つの見方だと思うがとても興味深く楽しめた。家持、貫之。伊勢物語と大和物語。建礼門院右京大夫と後深草院二条。俊成、西行、定家、そして後鳥羽院。歌謡は自分にとって一番の学びだったかも。和漢朗詠集、閑吟集など、改めて読んでみたいと思った。芭蕉を知るには連句まで見ないといけなさそう。

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    2023年12月04日