大岡信のレビュー一覧
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シリーズ最終巻で、巻十七以降があつかわれています。
著者によると、巻十七以降の四巻は大伴家持のいわば「歌日記」であり、家持と彼の生きた時代についての説明を交えながら、歌の魅力が語られています。
著者は、家持の生きた天平時代の歌が、それ以前の歌とは異なり、「私」的な関心事に集中しているといいます。そうしたなかで、家持は「公」と「私」の緊張関係とたえず感じずにはいられないような状況に置かれており、そのなかで彼の歌が詠まれていったのだと著者はいいます。すなわち、藤原家が皇室との結びつきを強めて勢力を拡張し、古代以来の名門であった大伴家が衰退していくなかで、傑出した感性をもっていた家持が、その孤独 -
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第四巻では、巻十三から巻十六があつかわれています。
巻十五の中臣宅守と狭野茅上娘子の恋歌の贈答にかんして、著者は土屋文明の評価に対する批判をおこなっています。著者によれば、土屋は「万葉集の純な歌境」を称揚し、「理知的なもの」をそれとは正反対のものとしてしりぞけるという立場をとっており、娘子の歌に厳しい評価をあたえています。また著者は、土屋のこうした立場に、ある種の倫理的判断が投影されていることを指摘し、島木赤彦や斎藤茂吉などにもそうした傾向があったと述べて、その見かたに反対しています。
さらに著者は、つづく巻十六に収録されている歌に見られる理知的な諧謔を高く評価し、その魅力に立ち入って解説 -
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第三巻では、巻八から巻十二までがあつかわれています。
多くの長歌を収録している巻九では、「長歌形式の革新家」と著者が呼んでいる高橋虫麻呂の歌が紹介され、著者独自の観点からその魅力が語られています。「河内の大橋を独り行く娘子を見る歌」では、長歌という形式で日常生活のささやかなできごとにまつわる心の動きを詠んだことに注目がなされており、その歌の魅力をあるいは「フランス十九世紀末、二十世紀初頭のボナールやヴュイヤールら、身辺の光景をみごとに描くアンティミストの絵の世界をも、ふと思わせるようです」と解説しています。
他の芸術ジャンルにも通底するような魅力を発見する著者の批評は、数多く刊行されている -
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第二巻には、『万葉集』の巻二の補遺と、巻五から巻七までの内容が収められています。
著者は、巻五に収められている、大伴旅人の妻の死にさいして、山上憶良が彼に送ったとされる歌をとりあげ、博引傍証をきわめたその内容の特異さに目を向けています。著者は、この歌を受け取った旅人の気持ちに想像をめぐらせ、「旅人はおそらく、最初は異物を噛むような思いでこれを読み、日が経つにつれて深い慰めをそこに見出すに至ったのではないか」と語ります。
さらに著者は、この歌を送った憶良という人物の特異な性格についても考察をおこなっています。さらに彼の「沈痾自哀文」を紹介し、「ここまで徹底した現世至上主義の思想は、仏教的無常 -
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著者が、『万葉集』に採録された歌を紹介し、その鑑賞のポイントをわかりやすく解説している本です。
著者は「はしがき」で、「『万葉集』が現在でも、古典としてのみならず、それほど努力しなくても現代人が味わい、楽しむことのできる「生きた」歌集として私たちの前にあるということは、否定しようのない事実です」と述べています。詩や歌の実作者による『万葉集』の鑑賞の手引きとしては、斎藤茂吉の『万葉秀歌』上下巻(岩波新書)が有名ですが、本書も実作者としての立場から、古代の歌集としてではなく、現代のわれわれにもその魅力を理解することのできる作品として、『万葉集』の歌を紹介しているということができるように思います。 -
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大岡信といえば、昨年(2017年)鬼籍に入った国民的詩人で批評家として知られていますが、私の自宅に程近い調布市に長く住んでいたとのことで、少し親近感を持ちました。
この自選集には、調布という詩も収められています。
「まちに住むというふことは
まちのどこかに好きな所をもつといふこと。
まちのどこかに好きな人がゐるといふこと。
さもなけりゃ、暮らしちゃいけぬ。」(調布 Vより抜粋)
近所に自分の居場所を見つけて、好きな人や親しい人を作るのが、本当の生活、ということでしょうか。別の言い方をすれば、そのまちに親しむ、交わるということでしょう。
詩は、詠み人が何かとの関係性を詠うもの、と思います -
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最初のセミの話まではそれなりに興味深く読むことができたんだけど、コオロギ、カマキリと進むにつれだんだん辛くなり(^^;)、コハナバチでは既に苦行と化し、オオタマオシコガネ(フンコロガシ)あたりでは気を失ってしまったみたい・・・・・・(苦笑) 虫の世界の弱肉強食ぶりやら生命・遺伝の神秘やらに心を動かされなかったわけじゃないけれど、もうじゅうぶんっていう感じ??
虫の世界の出来事をじっくりと観察し、擬人化した筆致で描いていらっしゃるファーブルさんの功績には頭を下げるけれど、嫌いというほどではないけれど「虫という生物」にさほどの興味を持たない人種である KiKi には、子供時代も大人になった今も -
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百人一首でかるたとりをしたことがあるという人は沢山いるでしょう。けれども、それぞれの歌がどういう意味なのかは意外と知らないのではないでしょうか。古い言葉ですし、耳で聞いただけではわかりづらいものです。でも、和歌というは本来とても面白いものです。
例えば、
「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」
という歌があります。君のために春の野で菜の花を摘んでいる私の衣の袖に雪が降り積もっているという素直で何気ない歌ですが、春のうららかな日に、一面に咲いた菜の花の黄色と緑、そこにはらはらと舞い散る雪の白さ、綺麗な情景が目の前に浮かんできます。
もう一つ面白い歌を
「吹くから