講談社文芸文庫 - 深い作品一覧
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5.0尾崎一雄や川崎長太郎の私小説、江藤淳の鋭い文芸評論、大江健三郎の力作長篇、加能作次郎など現代ではあまり顧みられなくなった作家を熱心に取り上げるリトルマガジン、フランスのヌーヴォー・ロマン……坪内祐三は「文学」を愛するが、その目利きは確かで厳しい。 定点観測的に、そして広い視野をもって「文学」の言葉をフィールドワークし、自らの存在をかけてギリギリまで向き合い、咀嚼し、論ずるうち、自身のリアルタイムの状況までもが否応なしに滲み出すような比類なき表現、すなわち「文学」となって結実する――一九九九年半ばから二〇〇〇年末までに至る「暴走」の記録。
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5.0シリーズの最初の巻「古代篇」では、〈世界史〉の中のミステリー中のミステリー、イエス・ キリストの殺害が、中心的な主題となる。もし、〈世界史〉の中で、われわれの現在に最も大きな影響を残した、たった一つの出来事を選ぶことが求められれば、誰もが、迷うことなく、イエス・キリストの十字架上の死を挙げることになるだろう。 どうして、イエス・キリストは殺されたのか? どうして、たった一人の男の死が、これほどまでに深く、広い帰結をもたらすことになったのか? われわれの現在を、社会学的な基礎において捉えるならば、それは「近代社会」として規定されることになる。近代化とは、細部を削ぎ落として言ってしまえば、西洋出自の概念や制度がグローバル・スタンダードになった時代である。その「西洋」の文明的なアイデンティティは、キリスト教にこそある。とすれば、キリストの死の残響は、二千年後の現在でも、まったく衰えることなく届いていることになる。キリストの死は、どうして、これほどの衝撃力をもったのだろうか? イエス・キリストは、わけのわからない罪状によって処刑された。その死は、今日のわれわれのあり方を深く規定している。必ずしもクリスチャンではないものも含めて、その死の影響の下にある。どうしてこんなことになったのか?…… (「まえがき」より)
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5.0巻頭に置かれるのは、夢野久作が読書界から顧みられることのほとんどなかった1962年に鶴見俊輔が雑誌「思想の科学」に発表した「ドグラ・マグラの世界」である。この評論により、日本の戦後期には忘れられた存在となっていた夢野久作は「再発見」される。 「ドグラ・マグラの世界」の発表がきっかけとなり、鶴見と夢野久作の長男である杉山龍丸の交流が生ずる。やがて杉山龍丸の著書や杉山が編纂した夢野久作の日記などを資料としてじゅうぶんに咀嚼したうえで、鶴見は夢野久作論『夢野久作 迷宮の住人』が書き下ろされる 夢野久作について少年期の鶴見俊輔が出会った夢野久作の『犬神博士』の紹介から、『夢野久作 迷宮の住人』の第一部は始まる。そして『氷の涯』という日本軍のシベリア出兵をモチーフにした作品、さらに異色の長篇推理小説『ドグラ・マグラ』へ。そして、これらの作品が昭和初期の読者にどのように受けとめられたのかと問いが生まれる。 第二部では作家夢野久作の本名である杉山泰道の側からその生涯が辿られる。泰道の伝記的事実の多くは、さらにその長男杉山龍丸の著書によるが、伝記的事実と時代背景を結びつけて読み解くことで、より作品世界に深くわけ入ることができる。 第三部では、夢野作品受容の変遷が綴られる。江戸川乱歩ほか同時代の探偵作家たちにはやはり異形のものとして解されている。しかし年少の読者だった福永武彦や中井英夫たちには強烈な印象が残っていた。敗戦後、占領期に夢野久作が思いおこされることはなかったが、1960年を境にふたたび関心が寄せられるようになり、作品研究・分析が進む。そこで見えてきたものは、中央から遠い地方で、土地の日常言語を駆使して人間の根本問題に迫る、きわめて独創的な作家の姿であった。 本書により、夢野久作というきわめて独自性に満ちた作家に多角的に光が当てられ、読者にとってもそのイメージが鮮明となることが期待される。
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5.0すべて素顔の私。私らしい文章40篇を厳選――小説の中に表われる作家の分身……。自身そのように小説を書いてきたけれど、それは、<私>という人間そのものでは、決してない。おさない頃の京都の記憶、日々の生活を楽しんだ鎌倉、親しい友との旅、出会い、そしてパリでの霊的体験……。書きつづってきた文章の中から、40篇を選び出してみた、ほんとうの<私>をわかっていただくために。 ◎高橋たか子「今、人生の最終段階にいる私は、私という者が大体どういう者であったかを、すくなくとも、すでに書いたエッセイをざっと並べる形において、わかっていただきたい、と思う。大体、と書いたが、全体は神のみぞ知る。<「著者から読者へ」より>
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5.0同世代・同時代の小説家である村上春樹に深い関心を持ちつづけた文芸評論家・加藤典洋が節目節目に発表してきた作品論や書評を集成。小説家に対し一貫して好意的だったが時に厳しくもあった批評の射程は、デビュー作『風の歌を聴け』から最新長編『騎士団長殺し』にまで及んでいる。本書は村上春樹の小説世界に分け入る際の良い手がかりになるだけでなく、「批評」とはどのような営みなのかを読者に知らず知らずのうちに伝えてくれる、他に類を見ない評論集。遺稿「第二部の深淵――村上春樹における「建て増し」の問題」収録。
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5.0黙阿弥の真の姿と心の奥の風景を描く曾孫からの鎮魂の評伝。 ――坪内逍遙に“明治の近松、我国のシェークスピア”と称された河竹黙阿弥。その78年の生涯を、秘蔵の原稿や手記をもとに、曾孫にあたる著者が心をこめて描いた評伝。幕末から明治への激動の時代を生きた黙阿弥の作者魂と、江戸作者の矜持。それは現代にも通じるひとつの「生」の記録でもある。 ※本書の初出は、「別冊文藝春秋」(1991年夏~1992年秋)に「孤影の人」という題で発表され、単行本は、文藝春秋より1993年2月に『黙阿弥』と改題され刊行しました。底本は、文春文庫『黙阿弥』(1996年)を使用し、著者により若干の訂正をいたしました。
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5.0「則天去私」「低回趣味」などの符牒から離れ、神話的肖像を脱し、「きわめて物質的な言葉の実践家」へと捉えなおしてまったく新しい漱石像を提示した、画期的文芸評論。
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4.5郊外の住宅地にある築七年の中古マンションで、夏実は夫と小三と幼稚園児二人の息子と暮らしている。専業主婦の暮らしに何といって不満もなく、不自由があるわけでもない。けれど蛇口から流れる水を眺めているときなどに覚える、放心に似ためまい――。 1990年代の東京。「中産階級」の変わることのない日常? 2023年にポリー・バートンによって英訳され、ニューヨークタイムズやアトランティック誌で書評されるなど話題となった。 生活という日常を瑞々しく、シニカルに描いた傑作中編小説。 ケイト・ザンブレノ 「あまりに退屈で売春を始める主婦たちの話が気の利いた挿話として登場するように、たとえばブニュエルの、たとえばゴダールの、たとえばシャンタル・アケルマンの、売春する主婦たちについてのあらゆる映画への目配せがこの小説には見られるのだが、ただしこの小説の中では何も起こらず、退屈そのものがポイントで、じゃがいもの皮はただ剥かれ、皿はただ洗われ、けれど時々、ほんの時折、家事にまつわる瞑想的な瞬間、クラクラするような、あるいはぼうっとするような感覚がふと訪れることがあり、たとえば洗い物をしているとき、蛇口から紐のように絶え間なく流れ出す水や、流れていく水のきらめきに心を奪われてしまう、それこそがポリー・バートンによって「軽いめまい(ルビ:マイルド・ヴァーティゴ)」と訳出された感覚で、この言葉は小説の八番目のセクションのタイトルにもなっている。」 「解説」より
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4.5圧倒的事実の<生と死>――8月9日に、すでに壊された<私>。死と共存する<私>は、古希を目前にして遍路の旅に出る。<私>の半生とは、いったい何であったのか……。生の意味を問う表題作のほか、1945年7月、世界最初の核実験が行われた場所・ニューメキシコ州トリニティ。グランド・ゼロの地点に立ち《人間の原点》を見た著者の苦渋に満ちた想いを刻す「トリニティからトリニティへ」を併録。野間文芸賞受賞作品。 ◎林京子――私は立ちすくんだ。地平線まで見渡せる荒野には風もない。風にそよぐ草もない。虫の音もない静まった荒野は自然でありながら、これほど不自然に硬直した自然はなかった。荒野は、原子爆弾の閃光をあびた日以来、沈黙し、君臨していたガラガラ蛇の生さえ受けつけなかった。大地は病んでいたのである。<「著者から読者へ」より>
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4.3その予感は娘の発作で始まった。極限の恐怖に誘われる衝撃の作品――平和な家庭での、いつもの風景の中に忍び込む、ある予兆。それは、幼い娘の、いつもと違う行動だった。やがて、その予感は、激しい発作として表れる。<破傷風>に罹った娘の想像を絶する病いと、疲労困憊し感染への恐怖に取りつかれる夫婦。平穏な日常から不条理な災厄に襲われた崇高な人間ドラマを、見事に描いた衝撃作。 ◎距離が伸びる時には父親として病気に向き合い、距離が縮む時、一人の人間として感染症の恐怖に怯える中で語られる心の葛藤は、医学小説のそれではなく、もちろん恐怖小説のものでもなく、強いて言うなら、極めて純粋な戦記文学を読んでいる印象です。確かに、今まで読んだ全ての小説の中で、病棟という「戦場」の真実がここまで正確に描かれた作品を知りません。<石黒達昌「解説」より>
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4.3※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 (ファウスト)俺の喜びはただこの大地から生まれこの世の太陽だけが俺の悩みを照らすのだ。(メフィスト)それならためらうことはない。さあ契約だ。……地上にある限りの日々……人間がまだ見ぬものを見るのです。神ならぬ人間の身で世界のすべてを究めたい欲求に憑かれたファウストは、悪魔メフィスト―フェレスと契約を結ぶ。文豪ゲーテ畢生の対策が柴田翔の躍動する新訳で甦る。
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4.0現実と非現実の交錯を描く芥川賞受賞作。石に異常な執着を示す男の人生。長男の死、妻の狂気、次男の学生運動、夢と現実の交錯のなかで描かれる奥泉光の芥川賞受賞作。他に「浪漫的な行軍の記録」所収――太平洋戦争末期、レイテで、真名瀬は石に魅せられる。戦後も、石に対する執着は、異常にも思えるほど続くが、やがて、子供たちは死に弄ばれ、妻は狂気に向かう。現実と非現実が交錯する、芥川賞受賞作「石の来歴」。兵士たちの、いつ終わるとも知れぬ時空を超えた進軍、極限状況の中でみたものは……。帝国陸軍兵士の夢と現を描く、渾身の力作、「浪漫的な行軍の記録」所収。
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4.0濃やかな愛情と明晰な目がとらえた人間・太宰治――太宰治は、文字通り文学のために生まれ、文学のために育ち、文学のために生きた「文学の寵児」だった。彼から文学を取り除くと、そこには嬰児のようなおとなが途方に暮れて立ちつくす姿があった。戦中戦後の10年間、妻であった著者が、共に暮らした日々のさま、友人知人との交流、疎開した青森の思い出など、豊富なエピソードで綴る回想記。淡々とした文にも人間太宰の赤裸な姿が躍如とする好著。 ◎「これは、凄い本に出会ったものであります。質も量も。明晰さも、たしかさも、怖ろしさも。科学者の随筆みたいな、美しい揺るぎのない日本語で、太宰治は凝視され、記憶され、保存される。この著者が、昭和の初期に、太宰の妻であり、ともに暮らし、子をなして、日々会話し、身の回りの世話をし、親戚や食卓や経済を共有していたかと思うと、トカトントン。そこらの男の何十倍も聡明だった女の記録であり、記録をよそおった文学であります。」<伊藤比呂美「解説」より> ※本書は、『回想の太宰治』(昭和58年6月 講談社文庫刊)を底本としましたが、「アヤの懐旧談」を削除し、『増補改訂版 回想の太宰治』(平成9年8月 人文書院刊)より、「蔵の前の渡り廊下」「南台寺」「父のこと、兄のこと」「『水中の友』」の4篇を収録しました。
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4.0生まれては殺される、その無慈悲な反復。 甲州武田家の盛衰と、農民一家の酸鼻な運命。 信玄の誕生から勝頼の死まで、武田家の盛衰とともに生きた、笛吹川沿いの農民一家六代にわたる物語。生まれては殺される、その無慈悲な反復を、説話と土俗的語りで鮮烈なイメージに昇華した文学史上の問題作。平野謙との<「笛吹川」論争>で、花田清輝をして「近代芸術を止揚する方法」と言わしめ、また後年、開高健をして「私のなかにある古い日本の血に点火しながらこの作品は現代そのもの」とも言わしめる。 町田康 一般の調節された言葉は、一族の多くの者がそのために殺害されたのにもかかわらず、それを、先祖代々お屋形様のおかげになって、と言い換えることができる。しかし、この小説の言葉は、そう言い換えてしまう人間の哀しみを描きつつ、それすらも無言の側に押し流してしまう。そして、その圧倒的で、どうしようもない事態は、始まりと終わりを持たず循環する。――<「解説」より>
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4.0男は黙ってよく働いている だいじにしなければなあと思う 歿後30年。 「男」をめぐる初の随筆選。 羅臼の鮭漁、森林伐採、ごみ収集、救急医療、下水処理、少年院、橋脚工事―― 日常の暮らしを支える現場で働く男性たちに注ぐ、やわらかく細やかな眼差し。 現場に分け入り、プロフェッショナルたちと語らい、自身の目で見て体感したことのみを凜とした文章で描き出す、行動する作家・幸田文の随筆の粋。 (収録作品) 男(濡れた男/確認する/切除/火の人/傾斜に伐る/都会の静脈/まずかった/ちりんちりんの車/救急のかけはし/並んで坐る/橋) ちどりがけ 当世床屋譚 植える 出合いもの いい男 男のひと 素朴な山の男 男のせんたく 男へ
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4.0かつての作品の引用から、実在する家族や郷里の友人らとの関係のなかから、ひとつの物語が別の物語を生み出し、常に物語が増殖しつづける<開かれた>小説の世界。<思考の生理>によって形造られる作品は、自由闊達に動きながらも、完結することを拒み、いつしか混沌へと反転していく。メタ・フィクションともいえる実験的試み9篇を、『別れる理由』以降の作品を中心に自選した作品集。物語のあらゆるコードから逸脱し続ける作品世界!〇小島信夫 私は、彼女がいなくなると、何か安心したように、いっきょに、たいへんな速さで娘時代から幼い頃へとさかのぼり、そのあたりのところに、自分が停滞するというか、そんな状態に見舞われた。その時代から、ゆっくりと先へ進みはじめ、不意に彼女がカチンと音を立てる。我に返ると、それがほかならぬこの私であった。――<「月光」より>
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4.0こよなく動物と自然を愛し続けた著者の自伝的小説。少年から青年へと成長していく過程でさまざまな犬との出会いと別れを綴った作品。……「動物文学」というカテゴリーを確立し、国民の支持を得た戸川幸夫の原点ともいうべき自伝的小説。もの心つく前から動物好きであったという著者が、さまざまな気質の犬と育った幼い頃から、運命的な犬との出会いをする旧制高校時代までを、愛情を持った動物への的確な観察眼で描き切る。それは犬への鎮魂歌であるとともに、おのれの成長の証であった。動物文学の第一人者が犬と語り続けた自伝的小説。
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4.0「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」(「ヴィヨンの妻」)四度の自殺未遂を経て、一度は生きることを選んだ太宰治は、戦後なぜ再び死に赴いたのか。井伏鱒二と太宰治という、師弟でもあった二人の文学者の対照的な姿から、今に続く戦後の核心を鮮やかに照射する表題作に、そこからさらに考察を深めた論考を増補した、本格文芸評論の完本。目次太宰と井伏 ふたつの戦後太宰治、底板にふれるーー『太宰と井伏』再説解説 與那覇潤
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4.0一葉研究の第一人者であり、晩年『接木の台』『暗い流れ』など、人間の業を見つめ、味わい深い世界を描いた作家・和田芳恵の出発は、編集者であった。昭和6年、新潮社に入社、大衆雑誌「日の出」の編集に携わり、菊池寛、吉川英治、尾崎士郎、小島政二郎ら多くの作家とつき合い、小説の純化のために奔走した。「その時の目撃者として、生き証人になることを心がけ」綴った回想録は、当時の貴重な文壇人物誌となった。