無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
今年3月にお亡くなりになられた「戦後思想界の巨人」吉本隆明の初期の文芸評論と詩を所収。
あまり詩を読まない自分にとって冒頭の詩からがつーんときた。特に「エリアンの手記と詩」は失恋の痛手からの逃避と再生の物語で、詩からほとばしる熱い情念に当てられました。ラストはミリカの視点で熱い想いを柔らかく包み込むような終焉。
「マチウ書試論」は吉本初期の代表作とのこと。新約聖書のマタイ伝(マチウ書)がその比較分析からユダヤ教教義の稚拙な剽窃とした上で、弾圧され続けた原始キリスト教がユダヤ教への憎悪のパトスと反逆の倫理で対峙しなければならなかった「関係の絶対性」論理を導き出している。その鋭く容赦のない切り口と舌鋒はとても清々しく面白かったが、生の人間社会秩序の矛盾を鋭く抽出してみせ、マチウ書の作者の意図の分析を通じて、自由意志での選択を幻想として、その人間間の関係性を基本とする論理展開がとても魅力的でした。
一連の詩人論として、西行、宗祇、蕪村、鮎川信夫などを対象にした評論は第Ⅱ部として収載。自ら創造した理論や意識がないただの時代迎合詩人とした宗祇論もなかなか興味深かったが、個人的には日本語の内部感覚の論理化に取り組んだする蕪村論が面白かった。第Ⅲ部の「芥川竜之介の死」は芥川の中産下層出身というコンプレックスからの破滅とした分析が興味深いが、第Ⅲ部の魅力は何と言っても「芸術的抵抗と挫折」「転向論」「戦後文学は何処へ行ったか」の一連の文芸評論であろう。戦前の世界共産党組織であるコミンテルンでの三二テーゼが下層社会の現実から著しく隔絶し、当時の日本における「封建性の異常に強大な要素」と「独占資本主義のいちじるしく進んだ発展」との一体支配構造を見誤った結果、彼ら文芸者たちが挫折・変転・体制協力し、また逆に改めることなく現状姿勢に安住した非・転向者も同類として、強烈に批判を加えた評論群となっている。戦中・戦後を経てそうした過ちの上で、思想信条を変節した人々の背景と論理を示した「転向論」をはじめ、著者の戦後文学における政治との対峙姿勢について問うた「戦後文学は何処へ行ったか」などその熱き想いを語った作品たちは現在も光り輝いている。
著者の反骨の精神と論理化を追求した本書は、社会秩序の中で人間の生きる姿勢を示した試みとして読み継がれなくてはならないだろう。
Posted by ブクログ
吉本隆明は1924年11月25日生まれですから、今年85歳になる、マルクスからCMまでその意味を解き明かす、知の巨人、と形容されることが多い詩人・文芸評論家・思想家。
彼が他を寄せつけないずば抜けた特異性とは、ひとつは大学教授などの務めに就かず常に在野にあって何事にも束縛されない位置にあること、ふたつ目は構造主義だの現象学などという世界中の主義主張に呪縛されないで、まったく独自の自前の思想を構築しようという意欲に燃えていること、みっつ目は、昨年話題になったCD・DVDで存分に聞けますが、難解な晦渋に満ちた自らの思想を、孤高然とするのではなく常に私たちに向けて平易に語りかける努力を惜しまないこと、この3つはいくら強調しても強調しすぎることはなく、その思想の正当性に疑問を感じるという人がたとえいるとしても、他を圧倒するものであると思います。
自ら個人誌『試行』を出して、定期購読者がいたとはいえそれで十分な生活が出来る分けはなく、それを補うべくパチプロのようにして生きた初期の時代、学閥や子弟を作れる境遇にはなく、代わりにその思想に共鳴した人たちの無理解や曲解、早い話は教祖に祭り上げられて踊らされた時期、またそのエピゴーネンの訳知り顔が彼の思想性を歪曲した季節などなど、どれも有り体に、東京大学教授として東大出版会や岩波書店から本を出し、学会で発表して、全国に学際的に師弟関係を結ぶということでもしていれば起こり得なかった雑事だったかもしれません。
でも、それらをひっくるめて、世間全部を生きて思索する現場としたことこそ、聖も俗も混在した活き活きとした彼の思想世界を作ることになったのだと思います。
まあ、偉そうに言っても、全著作を揃えて読んでいるのに、いまだにどれだけ理解しつくしているのか不明ですが、多分、もし理解度検知機なるものがあったら、相当ひくい数値を針は指すのではないかと思いますけれど、何しろ伊達や酔狂ではなく、難解な部分はさておいてもその面白さは相当なもので、常に興味深く興味尽きなく読んでいます。
この本も、原始キリスト教批判とかマタイ伝とか普段耳慣れないものが登場して戸惑うばかりですが、ひとつ解ることは彼が巨大なものと格闘していること、ものすごい馬力で今まで見たこともない確信に満ちた考えを突きつけているということです。
Posted by ブクログ
現代思想2008年8月増刊号は『総特集・吉本隆明 肯定の思想』です。現代思想を買ったからには、ちゃんと吉本を読まんば!と思って買いました。1200円と文庫の割には高価ですが、これはおすすめできます!「マチウ書試論」、「鮎川信夫論」、「戦後詩人論」、「芥川竜之介の死」、「芸術的抵抗と挫折」、「転向論」などなど、たっぷり吉本隆明を味わえます。
「人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間の生存における矛盾を断ちきれないならばだ。」(p139)
Posted by ブクログ
日本における戦後思想の巨人とも言われる吉本隆明(最近はむしろ娘さんの吉本ばななの方が有名だけど)。彼の立ち位置を簡単に言うとするなら、「お前ら、戦争体験というものをきちんと考えているのか」「知識人とかって観念的な事を適当に言ってるけど、本当に現実を見た上で言ってるのか」という感じか。とはいえ、詩的かつ難解な語彙を用いたその文章は読み解くだけで一苦労。『共同幻想論』とか本当に皆ちゃんと読んでいたのか?
で、1958年に発表された転向論なのだけど、ここで主張されているのは、戦前におけるマルクス主義からの「転向」というものは権力からの弾圧・強制だけによるものではなく、むしろ彼らが日本の社会構造の相対を捉えそこなったが故に大衆から孤立していた事に原因があるのであって、そうした意味では非転向を貫いた者でも現実と断絶し、大衆的動向と無関係なまま保持されていたのでは同種ではないかとという主張だ。
基本的に、このような捉え方に異論はない…のだが、どうしても違和感が残るのは、「大衆」という言葉を肯定的な面で用いている事。現代に於いては、むしろ大衆という言葉は"愚かな大衆"みたいな批判的な文脈で用いられる事が多く、またそもそも大衆って言った時にアンタはどうなのよ?といった具合に、正直「大衆を批判している自分」を肯定するための手段としか思えない物言いも多々見受けられる気がする。
むしろ、今、語られるべきなのは「他者」についてだ。大衆と言うものの最小単位であり、かつ自己の理解外にありながら自己と関係しようとする他者。あらゆるものが断片化し孤立化してしまっても、それでも自己の中から想起されうる他者。この他者というものについて考えてきたレヴィナス、を研究していた内田樹がこれ程までもてはやされるのも、そうした文脈があるのかも。勘だけど。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
ビジネス・実用
小説・文芸
小説・文芸
小説・文芸