梅崎春生の一覧
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ユーザーレビュー
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戦争という事実の記憶は、戦後66年経って、まだどれだけ生きているでしょうか。私たちは、その記憶を保ち続けることはできるのでしょうか。
梅崎春生は、いわゆる「戦後派」の作家。梶井基次郎の影響を指摘される、鋭敏な感覚を持つ作家です。彼の代表作のひとつ、昭和21年9月発表の「桜島」は、作者自身の体験をも
...続きを読むとにした作品。終戦の迫る1ヶ月余りの時間を、鹿児島県の桜島の海軍基地で過ごす暗号員の話です。日本の敗色濃厚な状況で、情報がなかなか入ってこないことにいらだちと不安を隠せない上官や主人公の、極限に追い込まれた精神状態が描かれています。
「その夜、私はアルコールに水を割って、ひとり痛飲した。泥酔して峠の道を踏んだ時、よろめいて一間ほど崖を滑り落ちた。瞼が切れて、血がずいぶん流れた。窪地に仰向きになったまま、凄まじいほど冴えた月のいろを見た。酔って断れ断れになった意識の中で、私は必死になって荒涼たる何物かを追っかけていた」。無頼とも言えるこの文章は、実際に生命の極限に曝された時だけ生まれるものでしょう。梅崎の小説は、今もまだその時間を、本という印刷物に封じ込めているのです。
しかし一方で、今回この小説を再読してみて、私は、2011年という現在において、この小説が悲鳴を上げ始めていることも感じました。梅崎の体験をリアルに感じることは、それを阻むだけの時間がすでに経過していて、難しくなっているのです。いわゆる「戦争文学」の命脈が危うくなってきています。21世紀の現在において、戦争を語る意義を考えるきっかけとしても、読んでおきたい作品です。併録の「日の果て」、後年に書かれた「幻化」も、戦争を題材にした作品です。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2008年8月掲載
Posted by ブクログ
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がんばらない。楽していい。たっぷり休め。戦争するな。日本すごいって勘違いするな。年寄りの言うことは聞かなくていい。
今の時代こそ、梅崎文学が必要。
Posted by ブクログ
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初期の作品3つと、最後の作品「幻化」が収録されている。「桜島」などつとに有名なものはたぶん高校生の頃読んだと思うのだが、手元になく読み返したかったので買った。
それにしても講談社文芸文庫は高い。ハードカバー並みに2,000円するものもあり、ちくま学芸文庫よりも更に高い。売れ線でない本を敢えて売っ
...続きを読むているラインナップは魅力的だけれども、高いのでなかなか手を出せない。異様な高さの代償として、一つ一つの巻末に「作家案内」や「著書目録」が入っているのは、それはそれで意義があるのだが。
本書の巻頭に収められている「風宴」(1938《昭和13》年)は24歳の頃書いた処女作で、翌年雑誌に掲載された。この作品は良くなかった。文学的表現を振り回しているけれども青年の心情の中身は空洞であり、意匠の乱発の割には読んでいてまとまったゲシュタルトが得られない。文学的意匠が空回りしているのだ。だから、なんだか無意味に気取って書いているようにも感じられてしまう。
しかし、そのような気取りは次の「桜島」(1946《昭和21》年)ではかなり緩和されている。作者が実際に召兵で赴任した坊津と桜島を舞台とするが、人物や出来事は全くのフィクションだという。戦争における小隊の空気がリアルに描き出されている。本編はやはり、日本の戦争文学として好個の作品と思う。良い。
続く「日の果て」(1947《昭和22》年)はフィリピンから復員した作者の兄から聞いた話を元にして書いたものらしい。ここでは、戦争で敵兵を殺戮するのでなく、規律から外れた仲間の兵士を命令によって殺害しに行く物語である。非情であらがえない「命令」という理不尽な正義のために、死んでいかなければならない人間の命の弱さが浮かび上がる。これも悪くないが、私は「桜島」の方が気に入った。
最後の「幻化」(1965《昭和40》年)は50歳で亡くなった梅崎春生最後の作品だが、これが素晴らしい作品だった。精神科病院から逃走し、「桜島」を書いた元となった作者自身の戦争体験やその前の学生時代といった記憶を蘇らせつつ、旅をするという、無意味なようでいて「死」に向かって、それに寄り添ってひたひたと歩み続ける生の空虚感、はかなさなどが読み進めていくとみなぎってきて感動させられた。
最近私は松本清張や横溝正史など、娯楽系の小説も多く読んできたところだが、本書などを読むと「文学だなあ」と思う。梅崎春生が受賞したのは直木賞の方だが、やはりこの作家は純文学の系列に属している。娯楽的な領域に住んでいるわけではない。
エンタメ系小説の読書と、純文学系のそれとでは、楽しみの質がやはり違っていると感じる。どちらもすこぶる充実したものであり得るので、全部を楽しんでいきたい。
梅崎春生はリバイバルの兆しが無く、講談社文芸文庫のラインナップも絶版となっているものがあるようだけれど、もう少し読んでおきたい。
Posted by ブクログ
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梅崎氏の内面描写は本当に精緻だなあと感嘆していたけれど、解説をよんで彼に独特なのは他者への目線なのだという視点をもらって膝を打った。単に内省的なのではなくて、必ず心の動きと連関する他者の存在がある。だからこそつまらないモノローグにはならなくて、作中人物の心の動きが嫌に生々しいので、読者に対して己の中
...続きを読むにもある昏い何かを、刺激してくるのだと思う。その生臭さとある意味風流な陰翳をもった彼の文章をとても好ましく感じる。その意味では特に『風宴』は秀逸だが、これが処女作だというのだから恐ろしい。
Posted by ブクログ
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『幻化』
<空気のような狂気>
全体を通してユーモアなのか狂気なのか明確な線引きを拒む軽妙な語り口ですすんでいく。狂気があまりにも透明で空気のように紛れ込んでくるので、ふとするとわたしたちは知らぬ間にそれを呼吸している。
しかし知らぬ間に呼吸し得るということは、普段からわたしたちは同じ種類の狂気を呼
...続きを読む吸しているということで、彼の語りはその正常と異常とが溶け合ったわたしたちのごく当たり前の世界を、ただ微視的に描き出しているということになるのだろう。
<おかしさについて>
「天才と狂気は紙一重」と言うけれど、梅崎春夫の作品を読んでいると「笑いと狂気は紙一重」のほうがしっくりくる。
おかしさとは笑えるものでもあり、狂っていることでもある。
<虚無と共にあること>
作品の最後で、主人公と偶然連れ合うことになったセールスマンは自分が飛び込むかどうかを賭け、阿蘇山の火口の周りをゆっくりと歩いていくのだが、その姿はぽっかりと空いた虚無の口のすぐ隣を、たどたどしい足どりで歩いていくわたしたちの姿そのものに思えた。
それを見て主人公は「元気をだせ!」と内心声をかけるが、ぐつぐつ煮えだす虚無が消えうせるわけじゃない。その横を荷物を抱え、汗を拭いながらなんとか歩き続けていくことしかできない。主人公も、わたしたちも、皆等し並みに。
Posted by ブクログ
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